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お久しぶりです。新連載ですが、そう長くはならない予定です。
◇◆◇◆
一昔前のプロポーズ台詞に「俺に毎日味噌汁を作って」というのがあった。もしかしたら二昔かもしれない。
では、
「俺の部屋の台所を、あんたの色にそめてほしいんだ」
……これは、何にあたるのだろうか。
そこそこの時間を共有した彼氏だったら、やっぱりプロポーズだよねぇ。
でも、初対面の男性から言われた場合は……うん、分からない。
ちなみに、一方的に知られていた、というものでもない。個人として認識したのも会話をしたのも、お互い今日が初めてだ。
そんな相手と、住んでいるところから徒歩一分の場所にあるコーヒーチェーン店でブレンドを飲んでいる状況もよく分からない。
「……そんなこと言われても困ります」
えぇ。心底困ってます。
「だよなあ」
ですよねー。
二人同時にため息をついた。そのタイミングのあいかたがなんだかおかしくて笑ったら、同じタイミングで吹き出しててやっぱりおかしかった。
◇◆◇◆
仕事を終えて、明日からの三連休は一歩も外に出ることなく過ごすぞという決意のもと、色々スーパーで買い込んだ。
基本はビーフシチューだ。パンで食べてよし、ご飯にかけてハヤシライスにするもよし、パスタソースにするもよしの万能選手。休み中に引きこもるお供としては最高のメニューだ。(ちなみにクリームシチューならパスタじゃなくて、ドリアにする。グラタン皿にご飯とシチューをのせて、粉チーズをたっぷりちらした後にトースターで焼くだけで充分だから大好き。)
当然それだけでは飽きるから、和食系のおかずも作らねばと食材を買い物かごにいれた後で思い出す。
今、醤油とみりん、きらしてた。
特に醤油がないと、何を作るにしてもどうにもならないんだけどなー。今更メニューかえるのも面倒だし、買い物かごにいれた後だし。そもそも醤油なしで和食メニューってどないして作るねんと、謎の関西弁もどきを心の中でつぶやきながら調味料売場へ向かったのだった。
そうやって、連休を引きこもるだけの食材プラス調味料を買い込んだ二つのレジ袋は凶悪な重さだった。
「重……」
あー、誰か知り合い(出来れば素敵男子)が現れて颯爽と「重いでしょ、俺が持つよ」とか言ってくれないかなぁなんて妄想したところで、実際そんな人がいたら超怖いよねと自己完結してしまうのは、来週に三十になる女としてどうなんだろう。そこで自己完結してしまうから、三十直前でも結婚の「け」の字どころか、今おつきあいしている男性がいないのか。そうか。
いつもはレジ袋を地面に置くのは嫌なんだけど、今日ばかりはそうも言っていられない。
重いレジ袋を玄関前において、鞄の奥から鍵を取り出す。
三年前に引っ越してきたこの部屋は、日当たりもそこそこいいし(夏は死ぬほど暑いけど)広さもそれなり、家賃もまあ場所から考えるとこんなものでしょうというお手頃物件だ。駅から徒歩五分というのもポイント高し。セキュリティ的に二階なのが気になるけれど、これ以上の物件はなかなか出会えないし引っ越しするのはめんどくさい。
もう何年かはここに住むんだろうなぁ。
引っ越すのは結婚する時かな。……そもそも結婚出来るのかな。……考えるのはよそう。
「あれ。どこやったっけ」
いつもの内ポケットに手をいれても出てこない。
悪戦苦闘していたら、他の住人さんが帰ってきた。がちゃり、と集合玄関があく音がしてから靴音が響く。ヒールじゃないし重さ的に男性だろう。
あ、よかった。鍵みつかった。
鞄の内ポケット、いつもの隣のところに紛れ込んでいた。朝、バタバタしていたから間違えたのだろう。
階段をあがってくる人と顔をあわせないうちに部屋に入りたかったのに、ギリギリアウト。
「あ、どうも」
「こんばんわ」
軽く会釈だけする。
都会の一人暮らし用賃貸マンションの近所づきあいなんてこんなものだ。
今みたいに挨拶すればいい方。無言で会釈が基本。特に何もなしでも、別にトラブルがあった訳ではない。
「あのさ」
とか思ってたら話しかけられたよ!?
「は、ははははい?」
びっくりしたー!
「あんた、この部屋の人?」
私の挙動不審な反応はスルーされた。いやつっこんでほしい訳じゃないけど。
「その買い物もあんたの?」
睨むようにその男性は私を見ながら聞いてきた。
「……えっと」
嫌だ怖い。
睨まれたのがではなく(それも怖いけど、それ以上に)赤の他人にプライバシーを推測されるのが。お世辞にも善人風と言えない同年代男性に興味をもたれたあげく、顔と住んでいるところが一致される恐怖を分かってもらえるだろうか。それほど他人は私に関心などない。気にし過ぎだ、という意見もあるだろうけれど、(一応)年頃の、嫁入り前の女なのだ。自己防衛は必要だと思う。
この建物、集合玄関は解放されてないけれど住人だったら鍵をもっているからいつでも入れる。当たり前だ。
お隣さんでなかったのが救いとはいえ、そんなのよかった探し結果でしかない。
鍵は、鍵穴にさしてある。これをガチャリとまわして扉を開けて。レジ袋をつかんで部屋に逃げ込める? 私の運動神経で? レジ袋を扉のド真ん前に置いてしまったから、無理だ。まずは重いレジ袋をドア前から撤去する必要がある。それに三日間は籠城できるけれど今後あわずにすむ保証もないし。
「ああ、悪い。俺、ただの不審者だよな」
私の考えがわかったのが、男性は軽く頭をさげた。
少しだけ私の警戒心がとける。
「怪しいことこのうえないのは分かってるんだけどさ。ちょっと話させてくれない?」
「……」
自己申告通り、すっごく怪しいよ! 怪しくない部分を探すほうが難しい。
「コーヒーぐらい奢るからさ」
「冷凍食品を買ってあるので、片付けないと」
冷凍のカット野菜は重宝するよね!
「分かった。近くのコーヒー屋、分かるよな? 先に行って待ってるから、よろしく」
私としてはお断り文句のつもりだった。それなのに通じなかったらしい。あるいは、あえて無視をしたか。
え、ちょっと待ってと引き止める間もなく、立ち去られてしまった。
私には二つの選択肢がある。
一つは、求められた通りレジ袋の中身をあるべき場所に整理してからコーヒー店に向かう。
もう一つは無視をする。だってもうあの男性は立ち去ったのだから今は追いかけられることはない。
選んだのは……。
「本当に来てくれるとは思わなかった」
一つ目の、コーヒー店に向かう、だった。
◇◆◇◆
「目先の問題から逃げても解決しないので」
住んでいる部屋を特定された時点で、選べるのは一つだけだったような気がする。
「最初に申し上げておきますが、結婚詐欺をしかけるには不向きだと思いますし、怪しい商品を買うつもりもありません」
「あー……うん。そう思われたか。いや、そりゃそうか……」
どんより落ち込みながら呟く。
「それから会話は録音させていただきます」
「……ご自由にどうぞ」
スマホを操作して、机の上に置く。
それとは別にカバンの中にはボイスレコーダーもいれてある。こちらは保険だ。親から持ち歩けと送られてきたものがあったはずと発掘できてよかった。(発掘、というとおり、勿論持ち歩いてはいない。母よ、すまん。でも今助かってる。ありがとう。)
「それで、お話とは?」
男性に話を促す。
今も不機嫌そうな顔をしているけれど、苛々している雰囲気は伝わってこないので、これが素なんだろうか。顔の造りは悪くないのに、愛想が悪くて損しているタイプっぽい。
「まず、いきなり声をかけたりしてごめん」
改めて頭をさげられた私は、曖昧に笑う。気にしないでくださいと言えるほど寛大ではない。ただ、謝意は伝わってきた。
「今困ってることがあって、それが解決できそうだから気が急いてしまって」
睨むような目つきだけど、心底困っているのは分かった。睨むのやめたらモテそうなのに。もったいない。
なんていうか、不器用な人なんだな。
「初対面の人間相手に怪しいのは分かっているけれど、頼みがある」
顔を見ずに声だけ聞く。いい声してるなー。少し低めの、耳に馴染みやすい声だ。わりと好み。この声を聞けただけでも、良しとしようか。
ていうか私の警戒心、仕事しろ。
「俺の部屋の台所を、あんたの色にそめてほしいんだ」
お読みいただきありがとうございました。まだどちらの名前も出てこない……。