15.これからパパを探します。
軽く辺りを見回すと、お嬢様はいつの間にか広間の隅の方で倒れ込んでいた。色々とショックが大きすぎて、気を失ってしまったのかもしれない。
私とジオリア君はそれぞれその場に座り込んだまま、しばらく虚脱感にぼーっとしてしまっていた。実際はそうでもないのだろうが、ものすごく長い時間戦っていた気分だ。三日三晩の死闘! のような。
この後どこかの温泉にでも行きたい、と意識を彷徨わせていると、広間が僅かに明るくなった感じがした。気のせいかと思い辺りを見回すと、今はもう誰も座っていない王座の、奥の方に備えられていた大きな窓の向こうに青色が見えた。
まさか闇の結界が……? と確認するために窓の方へ行こうと立ち上がろうとしたとき、腕の中に少年を抱えたままだったことに気付いた。一瞬少年を下ろしその場に寝かせておこうかとも思ったけど、実は魔人が生きていて「ふはは、油断したな馬鹿どもめ!」とかって再び少年を狙って……と、映画のお決まりの展開が頭に浮かぶ。
よいしょと腰を痛めそうになりながら少年を抱き上げ、肩口に顔を預けさせ両手をお尻の下で組んで抱っこする。普通の子どもと変わらない重さと体温に、ぎゅっと胸が痛くなった。
そのままよろよろと窓の方へ向かえば、近づくほど窓の向こうに青が占める割合が増していく。窓越しに見上げた空は、雲一つない青空で、ここに来るまでの砂漠で見た刺すような白い太陽が空を支配していた。窓から射し込む強い光が床に白い四角い模様をいくつも作り、それが反射して室内を明るくしているようだ。
ふと近くに気配を感じて、そちらに目を向ける。そこに立っていたのは五歳くらいの小さな男の子で、短めに切られた真っ黒な髪と目、この気温の中では暑そうな黒いマントで足元まで覆われていた。
『もう、大丈夫?』
真っ直ぐに見上げてくる漆黒の瞳に懐かしさを感じながら、私は「うん」と頷いた。
「この子を狙っていた魔人は、倒したと思うんだけど……」
さっきの想像から、やっぱり少し不安になりながら言葉を返す。
『あの魔人の瘴気の気配は消えたみたい。もう大丈夫なんだね……良かった』
そう目を細めて、私の腕の中の少年を見上げる。ずっと彼を守り続けてきたのは、この子ども――闇の精霊だったのだ。
『彼をお願いしてもいい?』
「構わないけど、この子のご家族とか……良いの?」
口にしてもいいものかと躊躇いながら問いかけたのは、先ほど少年が泣きながら母親を呼んでいたので、何かただならぬ事情があるのではないかと思ったからだ。
『……うん』
闇の精霊くんはそっと目線を落として、そう答えた。その意味深な反応に心臓が嫌な音をたてる。
「えと……じゃあとりあえず、シューミナルケア帝国に連れて行こうと思うんだけど……」
何となく、ツァラトゥス王国のメタボ王に預けるのはまずい気がするのだ。
『シューミナルケアか……アイゼの居た国だね』
どこか懐かしそうに闇の精霊くんが呟いた名前が、ふと頭の隅を引っ掻く。アイゼ……どこかで聞いたような……?
「そのアイゼさん? っていうのは……」
聞いてもいいものか悩みつつも、好奇心に負けてつい問いかけてしまった。だって珍しいのよ。基本的に人に興味のない精霊が、誰かを気に掛けるなんて。
『闇の属性を持った子だよ。もうずいぶんと前に、死んでしまったけれど』
その表情は悲しんでいるわけでは無く慈しむように穏やかで、見た目五歳児の心裡の底の深さにどぎまぎしてしまった。見た目は子ども、頭脳は大人、精神年齢は超高齢のおじいちゃん、って感じか。
やっぱり何か引っかかったけれど、これ以上聞くのもどうかと思い口を噤んだ。少年のことをもう少し詳しく教えてもらおうと声をかけようとしたとき、バタバタと慌ただしい足音がいくつも響いてきて、その中の一つがよりいっそう近くまで来たと思ったら、ギギ……と重々しい音がして、広間の扉が片方押し開けられた。
そこから警戒した様子で顔をそろそろと覗かせたのは、一緒にここまでやって来たツァラトゥス王国の国軍の兵士の一人だった。彼は武器を構えたままぐるりと室内を見まわすと、顔を扉の向こうの廊下に向けて、「いました!」と声を上げる。するとさらに数人の足音が聞こえてきて、広間の扉が大きく開かれ、十数人の兵士が広間内に駆け込んできた。その先頭にいたのは国軍の隊長さんと副隊長さんで、彼らは警戒態勢を崩さないまま室内を見渡し、座り込んでいるジオリア君と、床の上に横になったままのお嬢さま、そして窓際の私を見て、ジオリア君の傍へと駆け寄った。
ああ、闇の結界は解けたのだから、彼らも中に入ってくることができるようになったんだっけ。そういえば街の方はどうなってるんだろう。
身振り手振りを交えたジオリア君の説明を聞いた彼らは驚きに目を見開いた後、ジオリア君の傍にあった聖剣と黒い砂の山を見て戸惑うように眉根を寄せ、私の方へ目を向けた。
ひとまずきちんと事情を説明しなければと、うんしょと腕の中の少年を抱え直し、隊長さん達の方へと歩いて行く。
そうして隊長さん達に、執事が魔人だったこと、この国に居たのはおそらく腕の中の少年ただ一人だったこと、魔人はこの少年の命を狙っていたこと等を説明する。そんな私の説明にも、隊長さん達は困惑したような表情で。
「……何故、そんなことが……」
と呟いた。それは私も知りたいことだったので、闇の精霊くんの方に目をやると、彼は心得ているというふうに頷く。
「その辺はどうやら彼が説明してくれるようですよ」
そう言って、闇の精霊くんの足元にだけ“可視化”の魔方陣を敷く。本当は、子どもとはいえ人と同じ大きさの精霊は有する力が強く、自分で人の前に姿を現すことは容易なはずなのだ。けれど彼はずいぶんと力を使い果たしているようで、自ら具現化することは困難なようだった。あの闇の結界も、今回私達が来なければ、もう数年しか持たなかったかもしれない。
目の前に突然現れた黒づくめの少年に、隊長さん達は慌てて体を引き、武器を構えようとする。
「あ、心配しないで下さい。彼は闇の精霊くんです。ずっとこの少年を守護していたようで、一番事情を知っていると思います」
手で彼らの動きを制し、そう説明すると、隊長さん達は半信半疑の様子ながらも武器を下ろしてくれた。
それを黙って見ていた闇の精霊くんが、すっと両手を「おらに元気を分けてくれ!」というふうに上げると、その両手の上の辺りに、薄い透明の板のようなものが現れた。50インチのテレビ画面のようなそれは、パッと一瞬白くなったかと思うと、セピア色の映像を映し始める。そこに映し出された動画に、驚いた様子の隊長さん達だったけど、しだいに食い入るようにその映像に見入っていく。かくいう私も、好きなアイドルがテレビに映っている時のように、かぶりつきで流れていく映像を見ていた。
そこに映されていたのは、繁栄に満ちた砂漠の大国と、それを一瞬で地獄絵図に変えた悪夢のような一日の出来事だった。
そのあまりの内容に、ジオリア君は口元を押さえてその場から離れ、隊長さん達も顔を背けたり数歩後ずさったりしていた。一緒に見ていた兵士さんの中には、目元を押さえて鼻を啜っている人もいる。ええ人や。
そして私は、腕の中で眠る小さな少年を見下ろし、彼の頭へ頬を摺り寄せた。彼はあの地獄を見てからずっと独りでここに居たのだ。この小さな体と心で。それを思うと胸が締め付けられるようだった。
もうちょっとねちねち執事をいびっておけばよかった! という後悔と共に、こうなりゃ私がこの子を幸せにします! とお空のお星さまに誓う。
とはいえ、私も現在は宿無しの根無し草だ。しかもいつこの世界から消えてしまうか分からない身。出来る限り、この子が何不自由なく幸せに生きる道を見つけられるよう手助けをするつもりだが、具体的にはシューミナルケアのお城でエル殿下達に相談してみようと思う。
まあ、いざとなったらカクさん掴まえて、「あなたの子よ!」とか言って押しかければ、うっかりでちょっと抜けてて人の良い彼のことだ、ころっと騙されて子育てに付き合ってくれるかもしれない。近衛騎士の給料っていくらなんだろう。ぐへへへ。