6.たどり着いた先。
こうなりゃ、どこまででも付いて行きます! とばかりに、ラデ殿下の後ろに続いてひたすら走っていると、いつの間にか見たことの無い――つまり、一度も通っていない――通路に出ていた。ええぇぇぇ~……。
そりゃあ、いつまでもぐるぐる回ってるつもりは無かったから、違うところに出れて嬉しかったのは事実だけど、ちょっとがっかりもしてしまった。だってさー、もうちょっと無自覚方向音痴なラデ殿下の迷走っぷりを見ていたかったのよ。密かに困ってる姿も可愛かったし。はっ! どどどどどドSちゃうで!
ほっとしたような寂しいような、複雑な気持ちを抱えながら、その通路を進んでいると、通路の突き当たり、松明の光の届かない暗闇の向こうに、ぼんやりと鉄製の扉が見えた。
その、いかにも重そうで頑丈そうな扉は、暗闇の中でうっすらと鈍い光を放っており、その言いようのない不気味さに、ラデ殿下と扉の前に立ち尽くしてしまう。
いや、今までの廊下に並んでいたような、木製の扉じゃないから、もしかしたらこれが外への扉かもしれないんだけど、どうにも開けるのを躊躇ってしまう迫力だ。なにやら禍々しい重圧が。
暗闇の中で、そっとラデ殿下のいる方に目を向ければ、気配でラデ殿下もこちらを見たような気がした。
そして、ラデ殿下が扉の方に動くのを感じながら、私もその後に続く。
カチャリと音がして、ラデ殿下が扉の取っ手に手をかけたのが分かった。そのまま、体の後ろに体重をかける気配を感じていると、ギ、ギ、ギというような金属が擦れる音が聞こえ、あまりの気味の悪さに、背中にぞぞぞぞぞと怖気が走る。
やがて、キィーと滑らかに扉が開く音が辺りに響いた。
あー、うん、結論から言いますと、外じゃなかったです。だって、部屋の向こうも真っ暗だもの。しかも、開けちゃあいけなかった扉っぽいです。
開けた途端、扉で遮断されていた、陰湿で濃密な瘴気が、煙のようにもわっと雪崩れ出してきて、私はうっと手で口元を覆って、後ずさった。
同じように後ずさる足音が聞こえたので、きっとラデ殿下も扉の傍から離れたのだろう。
ある程度の瘴気なら、普通の人は気づかなかったりするんだけど、この濃い瘴気はラデ殿下にも分かったらしい。
しかも何か、扉の奥から、ギャッギャッとかキィエエエみたいな、不気味な生き物の声のようなものが聞こえるんですけど! やべえ、魔界への扉を開けてしまったのかもしれん。
いっそう、もう一度あの扉を閉めてしまおうかとも思うんだけど、遠いのよね、扉まで。瘴気から逃げようと、随分下がってしまったからね。
まさかこんな状況で、「殿下、扉の開けっ放しは良くないです。閉めてきてください」とは言えないしね。バレたら後で国民の皆様にボコられそう。でもその前に、ハティ様に吊るされそうだが。
ああ、とりあえず、あの扉の向こうの状況が見えれば……! 灯りとか無いものかしら! とぎりぎり歯軋りしそうになって、ふと気が付いた。あ、私、光の魔術使えるじゃん。と。
いや~、うっかりしてましたよ! だって、ここまでで魔術使うことが無かったから、存在自体すっかり忘れてたわ。当たり前だけど、元の世界では使えなかったし。一年ちょい程度じゃあ慣れないよねぇ。
「照明」
そっと手を差し出して、そう呟くと、掌の上にバレーボールくらいの光の玉が現れた。
これは、以前エル殿下に教えたのと同じものです。
蛍光灯のような柔らかいクリーム色の光が辺りに広がり、私より少し前方の壁際にいたラデ殿下の姿も、ようやくはっきりと見えた。
私の手の上の光の玉を驚いたように見ていたラデ殿下が、はっとしたように私の顔を見た。多分、ラデ殿下も私が魔術師だと忘れていたんだろう。見事にここまで何の役にも立ってなかったし。
ナンデ今マデ使ワナカッタンダ……と、ラデ殿下の目が語っている気がするけど、まあそれはそれで置いておいて。私は、その照明の玉を扉の方へ向かって放り投げた。
すると、その玉は入り口の上ぎりぎりを通り抜けて、部屋の中へと入ってしまったようだった。
しかし、どうにも部屋の中に入ってから、光が弱くなったなあと思ったら、何か黒い瘴気が部屋中に霧のように充満してるから、そこに吸い込まれた光の玉も瘴気に光が遮られているようだった。
ううう……もうこの部屋、本当に一体どうなってんのよ!
さすがに、これだけ瘴気をまき散らす部屋をそのままにしておくのもどうかと思い、いっそすっきり浄化した方がいいんじゃないかと考えながらも、一応部屋の中の状況を確認すべく、私は恐る恐る部屋の方へと近づいて行く。
その私の行動に、ラデ殿下が心配そうに目を細めたけど、私は、行ってくるぜとばかりに顔の横で拳を握りしめて見せて、ゆっくりと足を進めた。
すると、そんな私の後ろに付いて、ラデ殿下も扉へ向かって歩き出した。
私よりも瘴気への耐性が無いみたいだから、近づくのも辛そうだし、さっきのところで待っていてもらっても良かったんだけど、やっぱり女性を一人で危険なところに行かせられないという、騎士道精神でも働いているんだろうか。
単なる怖いもの見たさとか、肝試しの感覚だったら、先に突き出してあげるけど。
もくもくと溢れ出るような瘴気に怖気づきながらも、とりあえず入り口までは到達した。
そこで、入り口の淵にしがみ付いて、そっと部屋の中を窺ってみる。ちなみに、私の後ろからラデ殿下も覗いていた。
部屋自体は大きく、廊下と同じように長方形の石造りの壁で覆われているようだったけど、私達の位置から見えたのは、光の玉の明りが届く一角だけだった。
しかし、そこに広がる異様な光景に、私はひっと上げそうになった悲鳴を殺して、口元に手を当てた。ちらりと背後を窺えば、ラデ殿下も真っ青な顔で部屋の中を凝視している。
フーフーという息遣いに混じって、ギイギイ グギャアアアといった、甲高い獣の咆哮のような声が響く。
ガチャガチャと鎖の揺れる音と、ギシギシという金属が軋む音が、やけに不気味さを掻きたてていた。
その部屋の中に置かれていたのは、大小様々な大きさの、鉄格子が嵌められ鎖で巻かれた檻。そして、その中に閉じ込められていたのは。
「……魔物、か?」
呟いたラデ殿下の声は、しかし、どこか訝しげだ。
その檻の中にいたのは、大きかったり小さかったりと、色んな種類の魔物だった。ただどれも全身真っ黒で、影に覆われた檻の中から、黒光りする腕を伸ばして地面を引っ掻いていたり、爛々とした目をぎょろつかせながら、檻の外を窺っている。
だけど、その魔物の形は、どれも見たことが無いもので。
一応私も、ギルドに登録する際に魔物図鑑を見せてもらったし、その全てを憶えているわけではないけど、おおざっぱにこんな種類がいるのかと把握したつもりではいる。
しかし、ここにいる魔物達は、どれもその中の種類に当てはまらないのだ。ましてや、こんなに闇を凝縮したように真っ黒で、奇妙な形の、禍々しい瘴気を纏わせた魔物なんて、旅の途中でも見たことが無かった。
いや、この瘴気の不自然さなら、以前にも感じた気がする。あれは確か、テミズ教国の貴族の屋敷に忍び込んだときに……。
胸の奥に、ジリッとした危惧感が沸き上がる。
檻に入れられた、奇妙な形の魔物達。そして、ここは“闇幸福論者”に関係する者達のアジト。これが何を意味するのか、今はまだ分からず、その奇妙さにぐっと眉間に皺を寄せた。
しかし、とりあえずこれをこのままにはしておけないと、背後のラデ殿下を振り返る。
「この状況を放置しておくのも危険なんで、この部屋ごと“浄化”します」
そう言えば、ラデ殿下も神妙な顔でこくりと頷いた。
部屋の入り口に立ったまま、両手を部屋の中に翳して、魔力を集中する。
「浄化!」
そう小さく声を発して、手元に集まった光を爆発させる。目を焼く様な真っ白な光が幾筋にも伸び、やがて部屋中を覆い尽くしていく。
それは、檻をも飲み込み、キィイやギャッというような短い声を残して、魔物達を塗り潰していく。
部屋中が白い光に包まれ、入り口からもその光が噴き出して、廊下まで清廉な白い光が伸びる。
そんな中、タタタッと軽い足音が二つ重なるようにして聞こえてきた。
「殿下! ナツキさん!」
遠くから聞こえたその声に、相手が誰なのかは分かったけど、私はただ真っ白な光が溢れ出す部屋の方へ顔を向けたまま、振り返らなかった。
やがて、浄化の光がゆっくりと収まっていく頃、二つの足音は私達から僅かに離れた辺りで止まった。
光が消えた室内には、さっき投げた光の玉がぽっかりと浮かんでいて、何の変哲もない石造りの壁と、空になったいくつもの檻を浮かび上がらせているだけだった。
静まり返った空間で、私はその不気味に錆びついた空の檻を見ながら、背後のホームズさんとワトソンさんに声をかけた。
「“闇の組織”とは、一体何なんですか……」
そう言いつつ振り返れば、二人は驚愕の表情を浮かべていたのを、やがて苦み走った苦悩の顔に変えた。