3.弟として。
遠くで扉の閉まる音を聞きながら、もうあいつらの目的も分かったし、ここから出てもいいかなぁと立ち上がる。
こんなんでも人を閉じ込めておくための場所だから、一応魔術封じはかけられているけれど、テミズ教国の牢ほど強固じゃないし、何とか破れそうだ。
そう思って、ラデ殿下を見ると、今度はラデ殿下が何やら重い雰囲気で俯いていた。
「殿下?」
と声をかけると、ラデ殿下の背中がぴくりと揺れた。
「兄上、兄上、兄上、兄上! 誰もかれも、兄上ばかり! じゃあ、俺は何なんだよ! あんな完璧な人の下で、俺はどうすればいいんだよ!」
一つ拳を地面に叩きつけて、ラデ殿下は苦しそうに叫んだ。
「俺は兄上の代わりでしかないのか!? 俺が皇族である意味って一体何なんだよ!? 俺は……俺って、何なんだよ…っ……」
表情は見えないが、肩が震えている。形のいい指が土の地面を握り込んで、その姿が痛々しかった。
うーむ。奴らの言葉で、ラデ殿下が抱えていた不満が爆発したらしい。
確かに、エル殿下は博識で、ハティ様が言ってたみたいに、あらゆる面で優れた人なのだろう。ラデ殿下は、そんな兄と色々と比べられてきたのだろうか。特に王族だし、周囲の目は多く執拗で、何かと神経をすり減らしてきたのかもしれない。
若いのに、苦労してるのね……と、私はどう声をかけたものかと、しばらく彼を見ていた。会話して数分ほどしか経ってない私が、軽率なことは言えないしね。
「とりあえず、エル……殿下も完璧な人じゃないと思いますよ?」
彼の傍でしゃがみ込み、そっと声をかけた。
「そんなわけないだろう! 兄上は頭もよくて、武術に長けてて、いつも毅然としてて、何でもできて……」
「でも、エル殿下は、ずっと一属性しか持ってないことにすごく苦しんでたって、聞きましたけど?」
私の言葉に、ラデ殿下はゆっくりと顔を上げて。
「……うそ……だ。だって、そんな素振り一度も……」
驚いたように見開かれた目に、逆に私が驚いた。え? だって……。
「一属性しか持ってない自分は、皇帝になれないから、皇位はラデ殿下に任せて、自分は継承権を放棄しようとしてたのに?
それでも、国を守りたいからって、必死で剣の練習してたそうですけど」
それを譲り受けるはずのラデ殿下は、エル殿下の迷いを知らなかったというのか。
私に向かって見開かれていた目が、さらに限界まで開かれる。
「……だって、兄上は常に堂々としてて、そんな……だって……」
よほどの衝撃だったのか、ラデ殿下は戸惑うように言葉をのどに詰まらせた。
まったく気づきませんでした、っていうラデ殿下の様子に、つい苦笑いが浮かんでしまう。
「まあ、お兄ちゃんですからね。迷ってる自分の姿なんて、見せたくなかったんじゃないですか?」
エル殿下の意外と意地っ張りな面を思って、私はやれやれと首を振った。
完璧だと思っていた兄の、思わぬ姿に、ラデ殿下は気が抜けたように、体から力を抜いた。
そんなラデ殿下に、私はふふふと笑って。
「まあ、殿下がどうしても皇帝になりたいって言うんでしたら、自分を磨いて、エル殿下に挑んでみたらどうですか? あ、でも、内乱とかじゃなくて、エル殿下と皇帝陛下に面と向かって言ってみるってことですよ?」
「…………違う、俺は、……別に、皇帝になりたいわけじゃ……」
私の言葉に首を振ったラデ殿下の頭に手を置いて、くしゃくしゃと撫でる。
「まあ、自分がどうしたいのか、しっかり悩んでください、青少年!」
頭上の私の手を掴んで、ラデ殿下はじろっと私を見上げてきた。
「えーっと、すみません。つい、弟の時みたいで……」
あら、エル殿下やナディア様と接するうちに麻痺してたけど、これって不敬罪にされちゃうかしら、と内心冷や冷やしながら、誤魔化すように笑ってみせる。
「弟?」
「ええ。うちの弟もちょうど思春期だったんで、色々悩んで、よく苛立ってましたよ。反抗期ってやつです」
その時の弟の様子を思い出して、つい軽い笑い声を上げてしまった。
「……誰でも、悩むものなのか……?」
「そうですね、色々と悩むでしょう。エル殿下も、悩んだと思いますよ?」
私の言葉に、ラデ殿下は顔を床に落とした。
「……そうか、俺が、情けないからではないのか……」
ちょっとほっとしたような小さな声が聞こえて、私は彼の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
本当のことは分からないが、もしかしたら、自分の状況に悩みながらも、皇子という立場上、簡単に周りの人に相談できなかったのかもしれない。下手したら、エル殿下の対抗勢力として、利用されかねないしね。
そう思いながら、よしよしとラデ殿下の頭を撫でる。ラデ殿下は、大人しくされるがままになっていた。
何か、勢いが抜けてしおっとなっている。
今までの言動から、何かと考え込んじゃう真面目な子っぽいんで、お姉さん――実は年上かもしれないけど、気持ち的にね! ――は適度な息抜きをお勧めします!
「正直言うと、私はエル殿下の光属性を教えたことを、後悔してるんです」
そんな様子を見ていたら、私もついぽろっと、ずっと考えていたことが出てしまった。
私の言葉に、ラデ殿下は顔を上げ、良く分からないといった顔をした。
「何故だ? 兄上に光属性が見つかったことを、兄上も父上も母上もナディアも、城の者も皆喜んでいたぞ」
地面に座ったままのラデ殿下の隣に腰を下ろし、鉄格子の向こうの通路に目をやった。
「光属性を持つ者が、何故、世界中で優遇されているか知ってますか?」
「……人数が極めて少ないから……か?」
私の言葉に、ラデ殿下はしばらく考えてから、答えた。
ああ、もう、しっかり考えるところとか、本当に真面目なんだな。何か可愛いぞ。
「それもありますが、光属性を持つ者は、対魔物戦では、一騎当千とまではいきませんが、一騎当百ほどの戦力にはなるんです。
だから、魔物との戦いが生じたときには、真っ先に最前線に駆り出され、命がけで戦う。その代わりの、優遇なんです」
ラデ殿下を見ながらそう答えれば、ラデ殿下は真剣な顔でこくりと頷いた。
この牢の中はやけに静かで、響きはしないものの、私の声しか聞こえない。
「魔物が大した強さでなければ、問題は無いでしょうが、それがとても強大でかつ凶暴な魔物や魔人だったら。とんでもなく数が多かったら。
それでも、多くの兵を失うよりは、光属性を持つ者が戦った方が勝つ確率が高いなら、光属性を持つ者が、場合によっては一人で、挑むことになる。そして、何故か世界の多くの人々は、光属性を持つ者は無敵で、助けなど必要ないと信じてたりするらしいんです。」
魔物が出た際には、真っ先に光属性を持つ者を向かわせ、戦わせる。兵を、国力を失わないために、最小限の犠牲で済むように。それは治世者としては正しい選択なのかもしれないけど。
でも、光属性を持つ者だって、魔力が無尽蔵なわけではない。力を使い続ければ、魔力の回復が間に合わず枯渇することだってあるのだ。
この世界では誰もが魔力を有する。ということは、逆に言うと、魔力が無ければ生きていけないということだ。魔力が尽きてしまえば、その人は……。
それに、どれほど魔力があったって、無防備な時に肉体を攻撃されれば、致命傷を負ったりもする。治療が間に合わなければ、死に至ることもある。光属性を持っていても、不傷、不死というわけではないのだ。
すっと目線を落とした私に、ラデ殿下は愕然という顔をした。むやみに怖がらせたいわけではないのだけど。
「エル殿下は皇太子だから、めったなことが無ければ最前線に送られるなんてことは無いと思います。でも、エル殿下だから、自分が戦うことで兵が守られるなら、真っ先に飛び出して行きそうじゃないですか」
少し冗談めかしてそう言って、私は小さく笑った。
私の言葉に、ラデ殿下は俯いて、何か考えているようだった。
「無茶をしそうで、怖いんです。もし光属性があると知らなければ、冷静な人ですから、自分の力の範囲内で力を尽くそうとしたのでしょうけど」
それに魔力も強いから、誰かに利用されるんじゃないかとかね。
そりゃあ、国にとっては、戦力となる光属性を持つ人がいた方がいいのだろうけれど、私としては、知らない人が傷つくより、親しい人が傷つく方が怖いのですよ。身勝手な考えかもしれないけど。
言い終えて、私はふうと息を吐いた。
エル殿下に属性のことを教えたときは、そんなことまで考えてなくて、つい言っちゃった感じだけど、最近はそれで良かったのか、本当に悩んでたのよね。あああ、まさに後悔先に立たずなんですけどね! 考えても、どうしようもないことなんですけどねっ!
まあ、もしもの時は、ハティ様と協力して、エル殿下を監禁するしかない!
ふふふ、と思考が危ない方向に行きかけたとき、ラデ殿下が顔を上げた。
「俺も、国を守れるようになりたいな」
ぽつりと呟かれた言葉は、しかし強い意志が込められていて。
「兄上を、一人で戦場に行かせないためにも」
そう言って、ラデ殿下はふっと笑った。憑き物が落ちたような、すっきりとした笑顔だった。