9.たまには自棄になることもあります。
―――というわけで、現在はここです。
はあ、と重い溜息が口から洩れる。
回想に浸っていた間にだいぶ時間が過ぎていたようで、高い窓の外に見える空は、薄い青色になっていた。
朝特有の、ひんやりとした空気に、私は体を震わせた。
ここに入れられてから、もう三日か四日は経っているだろう。
幸いにして、薄いスープと硬いパンだけだけど、一日に二回は食事が運ばれてはくる。
あー、でも、この閉塞感と薄暗さに、精神的にも体力的にも、いい加減辛くなってきた。
そりゃあ、私だって、脱獄しようと思わなかったわけではないですよ。
何てったって、ここに投獄された理由だって、髪と目が黒いってだけで、“闇幸福論者”云々は、完全なる濡れ衣なんですからね!
この牢獄は、一応罪人を閉じ込める牢らしく魔術封じが施されてはいるけど、私にとっては解けないほどではないし、他にも手はある。
けど、このまま誤解も解かずに脱獄したら、私は国家犯罪者として追われる身になるし、ギルドの登録も抹消されるだろう。
下手したら、ギルドからも追われることになるかもしれない。
そうなったら、もう自由に街中を歩けなくなるし。
何よりも、今まで出会った人達や、お世話になった人達にも、誤解されて嫌われるのが怖かった。
そんな奴だったのかと、そんなことを企んでいたのかと、軽蔑されたくなかった。
私と関わったことを、後悔されたくなかった。
でも、私これからどうなっちゃうんだろう。
異端審問で頭に浮かぶのは、魔女狩りだ。
濡れ衣を着せられ、不当な裁判を受け、弁解も聞いてもらえずに、処刑………。
そんな光景が頭に浮かんだ。
ぞっと背筋が寒くなって、速くなった鼓動を抑えようと胸元に手をやれば、ちゃりっと音がした。
ずっと首に掛け、服の中に入れてあったそれを引っ張り出せば、エル殿下からもらった首飾りで。
警備兵に、荷物や武器や上着は取られたけど、彼らは黒を体に持つ者に触れるのも嫌らしく、それ以上身体検査をされなかったから、これも奪われずに済んだのよね。
その透明な石を見ながら、ああ、そういえばそろそろ一月経つから、エル殿下の立太子の儀が行われる頃だろうと思い出した。
残念ながら、出席は出来そうに無いけど。
―――私、このまま死んじゃうんだろうか。こんなところで。
元の世界に還ることも叶わずに。
そう思うと、鉛を飲み込んだように、お腹の底が重くなった。
いや、殺されるぐらいなら、全世界を敵に回しても逃げてやるけれども。
でも、………誰か……。
願ってしまう、誰か助けて、と。
ここは暗くて寒くて、独りで寂しくて、誰かに手を伸ばしたくなる。
けれど、誰に?
リシャ姐さん達は無事だったのだろうか。子ども達は。
………フェルくんは、どうしているのだろう。
あいつが黒を持つ者だとは知らなかったと、私と関わったことを無かったことにして、私のことを忘れて、もう普通の生活に戻っているのだろうか。
リシャ姐さん達も、私のことなんか忘れているんだろうか。
他の人は? エル殿下は? ナディア様は? ハティ様は? カクさんは? スケさんは? シューミナルケアのお城の人達は? 他のみんなは?
みんなみんな、私のことなんて忘れてしまったのだろうか。
私がここで死んだとしても、誰にも気づいてももらえないのだろうか。
この環境のせいか、思考がずるずると昏い方へと引っ張られていく。
やっぱり、この世界に私の居場所なんてなくて。
私はどうしてここにいるの? どうして、この世界に来てしまったの?
誰にも気にしてもらえないのに、誰にも受け入れてもらえないのに、誰の傍にもいられないのに………存在していてもいなくても同じなのに。
誰と関わっても、誰にも受け入れてもらえないなら、誰の心にも残れないなら、私なんていなくたって同じじゃない。
かえりたい! かえりたい! かえりたい! 地球へ還りたい、家へ帰りたい、家族のもとへ帰りたい!!
どうやったら還れるの? いつになったら還れるの? ………どうして、還れないの? このままずっと、還れないの……?
どうやっても還れないなら、生きる場所が無いなら、この世界にいても、何の意味もないのに。
それとも、この世界が………?
この世界にいるから、還れないの? 私はこの世界に閉じ込められてるの? 縛られてるの?
この世界があるから、還れないの? ―――この世界がなくなれば、還れるの?
この世界で生きているから、還れないの? ―――この世界から消えれば、還れるの?
ふと、あの隊長の苦しげな声が頭を過る。
黒い色を持ってるってだけで、人を差別して、苦しめる世界なんて、無くなってしまった方がいいのかもしれない。
この世界があるから私が還れないのなら、存在するだけで人を不幸にする世界なら。
何処にも誰にも救いなんてない世界なら、無くなったって………っ!!
いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、こんな私なんていらない、こんな世界なんていらない、いらない、いらない、いらない、誰も、何も、何も――――――!!
―――――イラナイ、ノ?
ギイ……
遠くから、地下牢の入り口の扉が開く音が聞こえた。
その後、カツカツカツカツと、人一人分の足音が響いてくる。
看守だろうか?だけど、食事を持ってくる時間には、まだ早いような………。
何かあったのかと、途端に怖くなって、鉄格子の向こうを息を飲んでじっと見ていた。
私のいる牢獄の鉄格子の向こうで、足音が止まる。
そして、薄暗い中から現れたその人物は………
「まったく、お前は」
そう言って、苦笑いを浮かべた。