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少しポンコツくらいが丁度いいのです

作者: 悠木 源基
掲載日:2026/06/30

転生ものですが、少し複雑です。


 王立学園に時期外れの転校生がやって来た。これまであまり例のないことだった。

 なんでもレディックス男爵家の庶子で平民として市井で育ったそうだが、半年前に癒しの魔法を持っていることがわかって、実の父親に引き取られたらしい。


 ピンクゴールドのふんわりウェーブした髪に金色の瞳をした、それはもう愛らしい少女だった。

 彼女を一目見た瞬間、私にはわかった。いずれ私は婚約者であるアレクスト王太子殿下から婚約破棄されるのだろうと。



 私、クリスティアナ=スピナーは転生者だった……

 今の世界とは全く違う世界に生きていた……と思う。

 学生時代に付き合っていた初恋の彼氏に尽くして、尽くして、尽くし抜いた挙げ句に浮気をされて捨てられて、精神的に不安定になって事故に遭って亡くなった……気がする。

 その状況は今自分が置かれている状態に似通っていることに気付いたとき、私の全身が総毛立った。それは、聖女様を初めて見た日のふた月ほど前のことだった。

 ただし、前世の記憶は失恋と、当時夢中になっていた乙女ゲームの内容くらいしかなかったけれど。


 私はお堅い本ばかり読んでいる、可愛げのない女性だったような気がする。電車の車内でゲームに熱中している人を冷めた目で見ているような。

 そんな自分が乙女ゲームなどになぜハマったのかといえば、とても信頼していた人に勧められたからだったと思う。

 それが誰だったのかは思い出せないけれど。

 



 そのゲームのヒロインは市井で育った男爵家の庶子だったが、癒しの魔力を持っていることがわかって、実の父親に引き取られた。

 そこで家庭教師を付けられて勉強やマナーを厳しく教え込まれた。

 しかしそれは彼女への愛情からではなく、家のために役に立つ道具にするためだった。

 陰で正妻や腹違いの兄弟に虐げられているのを知っていながら、それを実の父親は見て見ぬふりをしていた。


 そんな辛い環境でも懸命に努力している健気な姿に、使用人達は次第に心を打たれ、陰ながら協力するようになる。

 そして聖女として学園に編入してからは、その愛らしい容貌と、涙を浮かべながらも健気に頑張り続ける儚げな姿に、王太子や高位貴族の令息達が次々と魅入られることになる。

 色々なルートがあるが、一番人気だったのはヒロインが王太子と共に、艱難辛苦を乗り越えて結ばれる王道過ぎるルートだった。


 ピンクゴールドのふんわりとウェーブした髪に金色の瞳。それはもう愛らしい、薄幸の少女。

 プラチナブロンドのサラサラロングヘアーに赤と紫色の美しいオッドアイ。飛びぬけた美貌に文武両道の完璧王子。

 まるで魔女のような漆黒の髪と瞳。まるで氷のような冷たい美貌の才色兼備として名高い、王太子の婚約者である公爵令嬢。


 この三人がメインで話は進むのだが、プライドの高い公爵令嬢は、王太子に気安く話しかける男爵令嬢に厳しく接する。

 王太子はそんな彼女から健気な男爵令嬢を庇い、守ろうとする。

 やがて公爵令嬢は嫉妬に狂い、ついに男爵令嬢を階段から突き落として大怪我をさせ、王太子から断罪されて婚約破棄される。

 その後王太子は男爵令嬢と結ばれて幸せになる、という話だった。

 

 乙女ゲームの定番中の定番のような内容だったが、このゲームが爆発的に人気になった理由は、この後のおまけのストーリーによるものだった。

 たしかに王太子は優しくて努力家の男爵令嬢と結婚できて幸せになったのだが、それはほんの一瞬だった。

 なぜなら男爵令嬢は聖女として結界を張り、病を治すことはできたが、王太子妃としての仕事は熟せなかったからだ。

 マナーは最低限。他国の地理や歴史だけでなく、母国の知識や常識も曖昧だった。

 それゆえに、それまで元婚約者だった公爵令嬢がしていた実務は何一つ全うできなかったのだ。


 十五年間庶民として暮らしてきたのだからそれは当然だった。わずか二、三年で貴族令嬢として完璧に振る舞うなんてできるはずがない。まして王太子妃としてなんて。

 とはいえ、そもそも王太子は妻のその貴族らしくないところが気に入ったのだから、文句を言う権利などありはしなかった。

 

 以前の王太子は、優秀な王子だと周りからの評判もかなり高かった。いずれ立派な王になるだろうと、誰もが期待していたし、本人もそれを信じて疑わなかった。

 ところが、学園を卒業して結婚してみると、事務机の上は毎日山のように書類が積み上げられていて、減るどころか増え続けていった。

 以前と同じように……いや、もう学園には通っていないのだから時間は比べられないくらい増えたはずなのに、どうして書類が減らないのか。同じペースで仕事をしているはずなのに。いくら寝込んでしまった王妃の分が増えたからといって。

 王太子がふとその疑問を漏らすと、側にいた侍従が無表情でこう言った。


「それは、これまで殿下の元婚約者様がなさっていた分が加わっているからに決まっているではないですか」


 それを聞いて王太子は目を剥いた。


「この量を彼女が処理していたというのか? まだ王太子妃でもないというのに?」

 

「そうですよ。現妃殿下がご令嬢方に虐められているから可哀想だと言って、殿下がお守りしている間、あの方が貴方の実務を代わりに熟されていたのですよ。

 しかも、体調を崩していらした王妃殿下の補佐をされながら。

 そのことは王妃殿下からお聞きしていたと思うのですが」


 たしかに母である王妃には婚約者を大切にしろと言われていた。


「あの子にはずっと助けてきてもらって、本当に感謝しているの。それは貴方もでしょう? 

 あの子が無理をしすぎないようにちゃんと見ていてあげてね」


 元婚約者が母の代わりに慈善事業をまとめ上げていたことは知っていた。しかし、実務まで手伝っていたとは思っていなかった。


「あの方は大変優秀で、そしてとても優しいお方でした。そして自分の功績や貢献を口に出すことはありませんでした。

 しかし、お側にいた者は皆気付いておりました。

 ですが殿下はずっとお側におられたというのに、何もご覧になっていなかったということがようやく分かりました。

 まあ、分かっておられたら、ご自分の首をご自分で絞めるような真似はなさなかったでしょうが」


 侍従の言葉に王太子は絶句した。

「ちゃんと見ていてあげて……」そう言っていた母親の言葉が頭の中に響き続けた。

 元婚約者が優秀なことは分かっていた。しかし彼女は自分が何をしているのかを口にすることはなかった。

 だから具体的に彼女が自分のためにどれほど尽くしてくれていたのか、いかに愛してくれていたのか、それを理解していなかった。


(いや、それは言い訳だ。自分が彼女をちゃんと見なかったから気付けなかっただけだ。

 嫉妬に狂って聖女を階段から突き落とした婚約者を、私は衆人環視の中で悪女だと断罪した。

 しかし彼女を悪女にしてしまったのは自分だった。私がきちんと彼女を見つめ、婚約者として彼女を一番大切にしていたら、彼女は素晴らしい淑女のままでいられたのだ)


 王太子はようやくその事実に気が付いた。

 あの断罪後、両親だけでなく、弟である第二王子や弟の婚約者からも絶えず冷たい、責めるような目で見られていた。

 彼らは元婚約者の本来の姿を知っていた。彼女の努力、貢献、苦悩、悲しみを理解していたのだ。

 

 誠実に己の役目をこなし、頑張っていたのは聖女だけではなかった。

 それなのに彼は己の目の前で涙を流している者にだけ心を砕いた。

 そして、泣かずに苦痛を耐え忍びながら、その責務を全うしている者の真の苦しみや悲しみを、最後まで思いやろうとはしなかったのだ。

 その自分の浅さ、愚かさに王太子は吐き気がした。

 しかし、どんなに後悔してももう遅かった。やり直しはできなかった。元婚約者は王太子に断罪されたせいで実家からも見放されて、修道院へ送られ、しかもその途中で馬車の事故に遭い、そのまま身罷られたのだから。


 ただでさえ王太子妃教育には膨大な時間がかかる。それなのに、聖女としての役目があった王太子妃の妃教育は一向に進まなかった。

 しかし王宮にそれを待っている余裕はなかった。

 自分の分の仕事さえ熟せない王太子が、妻の分まで背負うことはできなかったからだ。

 しかも王妃までもが、息子の元婚約者の死の影響で精神的に不安定な状況が続き、王弟夫妻やまだ学生の弟王子がその代わりをする状況に陥ったからだ。


 そして一年後、国王はついに辛い決断を下した。

 第一王子である王太子を廃嫡し、一つ年下の第二王子を新たな王太子にすることにしたのだ。

 第二王子は兄に比べると平凡だった。

 しかし、情に流されることなく、きちんと物事を見て冷静に判断できる人間であった。つまり、彼は王族としての厳しさをきちんと持ち合わせていたのだ。

 しかも彼の婚約者である侯爵令嬢は、兄の元婚約者同様に真面目で優秀であった。


 第一王子は王位継承権をなくした。しかし、王族としての身分はそのまま残り、離宮に移って聖女である妻を支えた。

 何も知らない市井の人々は王冠を捨て真実の愛に生きた王子として、彼を褒め称えた。

 しかし、その後彼が礼拝堂で祈り続けていたのは、国の平安でも国民の幸せでも、まして妻の健康でもなかった。

 ただひたすらに、未だに悪女として人々に誹りを受けている元婚約者へ詫びるためだった。

 それが何の意味も持たない、ただの自己満足だと分かっていても……




 これが王太子ルートの真の結末で、唯一のバッドエンドルートだった。

 他のルートのヒロインとヒーローは皆能天気にハッピーエンドを迎えたというのに。

 発売当初このルートの評判は最悪だった。乙女ゲームにリアルな結末なんてもってこないで!と。

 しかし徐々に好意的なコメントが増えていった。


「浮気しておいてハッピーエンドはないわよね」


「平民育ちに王太子妃が務まるわけがないじゃん。せいぜい伯爵夫人くらいでしょ」


「聖女と王太子妃の両方なんてできるわけない。いくらゲームでも無理過ぎるよね」


「元婚約者の長年に渡る研鑽を無駄にさせ、死なせておきながら、二人だけのうのうと幸せになるなんて絶対に許せないわよね。

 ざまぁされて当然よ。むしろ甘過ぎるくらいだわ」



 前世の記憶はあまりない。それなのに、なぜこんなにもゲームの内容を覚えているのか?

 それは聖女様が転入して来る少し前に、友人達と芝居を観に行ったとき、その内容が「泣き虫聖女と夢の学園生活」という前世のゲームの世界観とオーバーラップしたからだった。


 そして現在の自分の状況が、ゲーム内の聖女が転入する直前の設定と同じだということにも気付いたのだ。

 もちろんその時点ではまだ聖女様のことはわからなかった。それでも王太子とその婚約者の容姿や性格、そしてその関係性がアレクスト殿下と私に酷似していたのだ。


 このままいったら王子に浮気をされ、嫉妬心でその恋人を殺そうとして断罪されてしまう。そして修道院へ送られる途中で事故死……


 まあ前世において階段から落ちたのは浮気相手ではなく、私自身だったわけだけれど。

 事故死……冗談じゃないわ。そんな結末は今世では絶対に回避してやるわ。 

 王太子の浮気や婚約破棄はどうでもいいけれど、当て馬にされた挙げ句に悪女と呼ばれたまま死ぬなんて我慢できない。許せない。

 カーテンコールが沸き起こる劇場の中で、一人憤った私だった。




 それなのに聖女様を目にした私は思ってしまった。可愛い。殿下が彼女を好きになるのはもっともだわ、と。

 そして嫉妬なんて無駄なことはしないと誓った。自ら身を引いてこちらの方が健気な公爵令嬢になってみせるわと思った。

 たしかにそう思ったはずだった。それなのに、私が動く前に聖女様の方がゲームやお芝居とは違う行動に出たことで、その後のストーリー展開はオリジナルと全く違うものに変わってしまった。


 聖女ピア様はその愛らしい容姿と仕草であっという間に、学園の人気者になった。

 貴族令嬢とは違う天真爛漫さとその表情の豊かさに、眉を顰めるご令嬢方もいたが、そんなご令嬢方も次第に彼女に好感を持つようになったのだ。

 なぜなら、彼女はその癒しの力を騎士科のご令息方だけではなく、ご令嬢にも惜しみも無く使ったからだ。


 彼女が癒しの魔法を使うとパッと明るく輝き、爽やかな香りが広がる。

 傷があっという間に治癒されるだけでなく同時に心まで癒されるので、みんな笑顔になった。

 私も化学実験中に、隣の班の令息の失敗に巻き込まれて手を火傷した際、彼女に治癒魔法をかけて治してもらった。

 心が温まるようなあの不思議な感覚は上手く表現できないが、とにかく忘れられない。


 案の定令息達はピア様に治癒魔法をかけて欲しいからと、わざと擦り傷を作る者が現れた。

 ところが、不可抗力で負った怪我かそうでないのかは、傷を見れば分かるらしく、ピア様はそんな不届き者の傷を一瞥すると「保健室へどうぞ」と言ってその場を離れようとした。

 それに対して不満を漏らす者がいたので、私は彼らにこう言った。


「貴方方も魔力持ちならお分かりでしょう?

 魔力は無限ではないのですよ。ピア様は聖女様です。いざというときのために、いつ何時でも治癒魔法を使えるように、ある程度は温存しておかなければなりません。

 保健室で治療ができる傷でしたら、聖女様に頼るべきではありませんわ」


 ところが彼らは悪びれずに

 

「さすがは王太子殿下の婚約者様。正しいことをおっしゃるね。あの美しい治癒魔法を見たいという我々の気持ちなど、くだらない、低俗だとかお思いなのでしょうね」


 と言い放った。彼らは私を融通の利かない、人間味のない令嬢だという印象を与えて、同情を買うつもりだったのだろう。

 しかし、歩きかけていたピア様がピタッと足を止めて、振り向きざまにニコッと微笑んでこう言った。


「全くもって貴方方の言うとおりです。私の立場を真に理解して下さっているのは、この場ではスピナー侯爵令嬢様だけのようですね。

 私はわざわざ故意に作った怪我などを治している余裕はないのです。

 これから聖堂に向かうところでしたので、この件については司祭様に報告させていただきますね」


 それを聞いて令息達は真っ青になった。聖堂に睨まれたら、家の恥となり、世間から白い目で見られるのは間違いない。親に叱られる。

 彼らは必死にピア様に謝罪しながら許しを乞うた。ところが、彼女は微笑みを消し、これまで見たことのない冷たい顔をした。


「なぜ私にだけ謝るのですか? スピナー侯爵令嬢様にあんな失礼な物言いをなさったくせに。

 このこともお伝えしておきますわ」


「「「あああ……」」」


 彼らの顔は青から今度は白くなり、私の隣に立っていたアレクスト王太子殿下に縋った。


「殿下、どうか聖女様に取りなしていただけませんか! 

 つい、軽いノリでやってしまったのです。それなのに、スピナー侯爵令嬢が事を大きくしてしまって」


 えっ? 私が悪いの? 私は婚約者の顔を見た。彼も私を見つめて困った顔をした。

 しかし私には何も言わずに、ピア様の方へ顔を向けてこう声をかけた。


「聖女様はお忙しいのでしょう? 私が聖堂までお送りしましょう」


 何それ! ピア様だって私を庇って怒ってくださったのに、私のことは無視ですか! 自分の婚約者が失礼なことを言われたのに、何とも思わないのですか!


 完璧な淑女教育を受けてきた私は、こんなときでもアルカイックスマイルを浮かべていたが、内心苛立ちを通り越して、()()()の感情が浮かんだ。

 だめだわ、この人……


 知り合ってからそれほど経っていないのに、ピア様もそう思ったようで、ジト目で殿下を見るとこう言ったわ。


「王太子殿下に送っていただくなんて畏れ多いことですので、ご遠慮いたします」


「いや、遠慮などしなくていい。貴女は我が国の大切な聖女様なのですから、もしお倒れになったら大変ですから」


「いえいえ。私のために殿下の貴重なお時間を奪うわけにはまいりません。殿下には王族としての重要な公務がお有りなのですから。

 でも心配してくださるのでしたら、今日はスピナー侯爵令嬢様に送っていただけたら幸いに思います。

 聖堂はちょうど侯爵家へお帰りになる途中になりますので」


「しかし、クリスティアナはこれから王宮へ向かうので無理なのです。ですから私が……」


 殿下が全てを言い終わる前に、ピア様は小首を傾げてこう呟くように言った。


「王宮ですか? お妃教育はすでに終了したとお聞きしていたのですが、まだ毎日通わないといけないのですか?」


 私は十歳のときに王太子殿下の婚約者となって、すぐに王宮通いを始めたが、六年ほどでお妃教育を終えてしまった。

 これまでの最短記録ですよと、宮廷家庭教師がこっそり教えてくれた。

 それにしても、どうして彼女はそのことを知っているのかしら?

 驚きながら、私はこう答えた。


「公務のお手伝いをしているのです」


「まだ結婚もなさっていないのに? それっておかしくありませんか?

 殿下、何の地位も役職もない婚約者を働かすのって良いことではありませんよ。

 私の送迎などをしている余裕がお有りになるのでしたら、その公務をご自分でなさった方がよろしいのではないですか?」


「「えっ?」」


 ピア様がいつもの愛らしい笑顔でそう発言したので、私達は思わず驚きの声をあげてしまった。


 アレクスト殿下がピア様を送って行くことに、私は全く異論がなかった。反対して嫉妬深い悪女にされたら堪らないと思ったくらいだった。

 しかし、ピア様が彼を拒んで私の方がいいと言うのならばそれはやぶさかではなかった。

 それに、彼女のセリフを聞いてもっともだと私は納得してしまったのだ。

 何故殿下の執務まで自分がするのが当然だと思い込んでいたのか、それが不思議に思えた。


「不敬だ……」と言う小さな声が聞こえたが、ピア様は平然と微笑んでいた。

 その姿は相変わらす可愛らしい。しかし、堂々たるそのたたずまいに、なぜか私は成熟した大人の威厳を感じていた。

 かつてどこかで感じたことのある安心感のあるオーラが漂っているような気がした。



 スピナー侯爵家の馬車に乗り込んだ後でピア様が言った。


「図々しくも高貴な馬車に同乗させていただくことになりました。

 申し訳なく思うと同時に深く感謝いたします。そしてこの際ですので、ついでにもう一つお願いしてもよろしいでしょうか?」


 その物言いに私は目を見張った。図々しさを申し訳ないと言いつつ、さらに願い事を申し出てくるなんて。

 やはり前世のあの寝取り女と同じ品性の持ち主なのかしら?

 あの女も申し訳なさそうに私からレポートを借り、卒論を手伝ってもらっておきながら、その陰で私の恋人と関係を持ち、私を見下して笑っていたわ。


 しかしその後すぐに、あんなクズゲス女と同類かしらと疑ったことを、私は深く反省したのだ。


「どのようなことでしょうか?」


「聖堂に付属している養護施設に、少しの時間でかまいませんので立ち寄ってはもらえませんか?

 女神降臨祭の贈り物を頂いたときのことを、子供達が直接貴女に直接お礼を言いたいと以前から言っているものですから」


「私にお礼ですか? 王太子殿下にではなくて?」


 意外な言葉に私が驚くと、ピア様はクスクスと笑った。


「世間では王太子殿下が贈り物をして、子供達が大喜びしたことになっていますが、子供達は皆分かっていますよ。

 あの贈り物を選んで下さったのがスピナー侯爵令嬢様だってことくらい。

 だって、自分達が欲しい物の話をしたのは貴女であって、殿下ではなかったのですもの。

 しかも直接何が欲しいと言った覚えはなく、ただ貴女に遊んでもらっているときに、何気なく話したことだったのですから」

 

 あのとき、私は子供達が何を望んでいるのか調査しろと殿下に言われた。

 しかし、直接訊ねて子供達が本音を話すとはとても思えなかった。遠慮して、大人達が与えたいものを察して口にするだろう。

 本やノートや筆記具、模擬剣、刺しゅうの道具……

 もちろんそれらもきっと欲しいに違いない。将来自立するための必須アイテムなのだから。

 でも、本来女神降臨祭の贈り物とはそんな実益的な物ではない。

 英雄の姿絵だとか、虹色のリボン……人から見ればくだらないと思われても、本人にとっては心の支えとなる夢のある品物なのだ。

 普段親からの愛情を得られない子供達だからこそ、そんな贈り物が必要なのだ。

 私は王太子殿下や彼の侍従達の反対を押し切って、彼らの欲するものを贈った。


 そして文房具や防寒着などの必需品は、王妃殿下や我が侯爵家が他の貴族家に声をかけ、不要となったものを回収し、洗濯し、補修してから各施設へ届けたのだ。




 久しぶりに子供と会って言葉を交わして馬車に乗り込もうとしたとき、一人の小さな女の子がおずおずとしながらこう言った。


「また絵本を読んでください、待ってます」


 私が頷くと、次々と他の子供達も次々と声をあげた。


「また一緒にゲームをしてください」


「編み物や刺しゅうを教えて下さい」


「勉強を教えてください」


 私は嬉しくなって皆に聞こえるように大きな声で「必ず近いうちにまた来るわ。待っていてね」と言って、手を振った。


 そしてその約束はすぐに守られることになった。

 というのも、翌日から授業が終わるとピア様が迎えに来て、何か言いたげな王太子殿下や側近達を無視して、私を聖堂へと拉致したからだった。

 しかも第二王子殿下の婚約者である、サラサーズ侯爵令嬢のファミーユ様もご一緒だった。

 

 私はいつもファミーユ様から「クリスティアナ様が王太子殿下の執務をなさる必要はありません」と言われてきた。

 それは無理し過ぎていた私を心配してくれていたからこその忠告だった。

 それなのに余裕のなかった私は、自分だけが手伝わないことを悪く思われたくないからだわ、と情けない考えをしていたのだ。

 

「子供達へ贈られたマフラーや手袋は、スピナー侯爵令嬢様が皆様に声をかけて手作りされたのでしょう?

 その中でもクリスティアナ様が作られたものが一番多かったとファミーユ様からお聞きしました。

 王太子殿下や王妃殿下のお手伝いをしながら、休む暇もなく手を動かされていたので、倒れないかとずっと心配されていたそうですよ」


 ピア様にそう教えられて、私は自分の心の卑しさに震える一方で、私を心配してくれる人が側にいたことを知って、嬉しくて胸が一杯になった。

 それからというもの、ファミーユ様と私は何でも言い合える仲になっていった。義姉妹や同志というだけでなく、最も大切な親友に。

 そしてピア様も。


 これまで私は事あるごとに自分で刺した刺繍入りのハンカチを婚約者であるアレクスト殿下に贈っていた。しかし、私はそれを止めた。

 こちらを思いやることもしてくれない相手に、こちらの思い込めた贈り物をしても無意味だとようやく気付いたからだ。

 今はピア様とファミーユ様のためだけにハンカチに美しい刺繍を刺している。



「近ごろ贈り物をしてくれないね?」


 ある日アレクスト殿下が唐突にそう訊いてきたので、「先日のお誕生日に貴方のご希望の品を贈らせてもらったはずですが?」と疑問形で返した。

 すると彼は顔を少し赤くして、言いづらそうにボソッとこう言った。


「いやあ、君の手作りの物のことだよ。以前はよく作ってくれただろう? 刺繍入りのハンカチやクラバットとかを」


「刺繍とかを刺している時間があるのなら、僕の仕事を補佐してくれと以前殿下がおっしゃったので」


「たしかに言った。だけど、刺繍をやめても結局君は僕の手伝いをしてくれなくなったじゃないか!

 ファミーユ嬢や聖女殿とお茶をする時間はあるというのに」


「貴族令嬢にとって情報交換はとても大切なことですわ。

 私は長いこと()()()()()()()()に注意を払い、肝心の王家に関わる方々との交流を疎かにしてしまったので」


 私の言葉に殿下は瞠目した。そして多少怒りを含んだような震える声で言った。


「私の執務を手伝っていたことが必要ではないことだったというのか?」


「ええ。だって、あれは越権行為だったのですもの。あれは王族である殿下のお仕事であり、まだ王族ではない私が手を出してはいけないものでしたから」


 そう。私はピア様やファミーユ嬢から注意を受けたのだ。責任を負えない仕事は引き受けるべきではないと。

 目から鱗が落ちたわ。


「ただの貴族令嬢に過ぎない私が国に関わる書類に関わって、もし何か問題が起きても私では対処が出来ません。

 結局殿下や陛下がその後始末と責任を負うことになります。

 そのことに今ごろになってようやく気が付いたのです。

 私の浅慮のせいでこれまでご迷惑をおかけしてきたことを反省しております。申し訳ありませんでした。

 いかなる処罰でも受ける所存です。婚約破棄とおっしゃるのでしたら、謹んでお受けするつもりです」


 ええ。これは本気だったわ。越権行為もさることながら、これまでの私は王太子殿下の成長を妨げてしまっていたのだから。

 

「王子の婚約者や妻なんて少しポンコツくらいでいいのだと思いますよ。

 パートナーがしっかりし過ぎて一人で何もかもやってしまったら、相手に頼り切って自分じゃ何一つできない、いいえ、しようとしない頼りなくて怠惰な人間になってしまいますからね。

 そんな人間が政をする国なんて、恐ろしくて不安でとても住めたものではありません」

 

 ピア様の言葉にファミーユ様も同意するように大きく頷いた。

 そう言われて私は初めて気付いたのだ。前世の私もゲーム内の公爵令嬢も完璧な女性を求めて頑張り過ぎて周りが見えなくなっていた。

 そのせいでパートナーを甘やかし、堕落させ、ダメンズにしてしまった結果、自分も捨てられて傷付いたのだと。


 その証拠に三か月前までは、私に手伝って欲しいと縋っていた殿下も、近ごろでは陛下や第二王子に相談しつつも、自分の頭で考え、判断しながら、失敗をしながらも公務をこなすようになってきているのだから。


 私はこれまでのアルカイックスマイルではなく、本当の笑みを浮かべた。

 するとアレクスト殿下は少し顔を赤らめてこう言った。


「クリスティアナ、君が罰を受けるなら、僕も受けるよ。

 いや、自分の公務を君に押し付けたのは僕だから、責任を取るのは僕だけだ。

 そしてその結果廃嫡されたとしても君とは婚約破棄なんてしない。してあげられない。

 だって、君は僕の大切な人だから」


「私が殿下の大切な人? おかしいですね、私は殿下に大切にされた覚えはないのですが。

 私が殿下の側近候補のご令息方に馬鹿にされても庇ってもくださらなかったですし」


 私が嫌味を言うと、彼は焦ったように言い訳をした。


「誰にでもいい顔をしようとして、君を守ろうとせずに傷付けてきた。君なら許してくれる、君なら大丈夫だと思い上がっていた。本当に申し訳なかった。

 今さらだと言われるだろうが、君に避けられるようになって初めて気付いたんだ。君が一番大事だって。

 君にさえ好きでいてもらえたら、他の奴らにどう思われてもかまわない。

 だから、君を見下した連中はみんな側近候補から外した。

 これからは君に敬意を払う者だけ側に置くと誓う。だから許してほしい。

 君を本当に愛しているんだ。君にばっかり手作りの贈り物を貰うのは不公平だから、僕も今自分用の花壇で、君へ贈るための花を育てている。

 もう少しで花が咲くから、是非それを受けとってほしい」


 あの側近候補を殿下が遠ざけたことは知っている。でも、それって私のためというより、彼らが無能過ぎて役に立たないことにようやく気付いたからでしょう。

 一瞬私はそんな捻くれたことを考えたが、殿下が花を育てていることは耳にしていたし、私の好きな花は何なのかを弟に訊ねていたことも知っていた。

 だから私を好きだという言葉に嘘はないのだろう。


 前世の記憶を取り戻してからというもの、たとえ婚約破棄されても別にいいかなと考え始めていた。

 しかし、王族の皆様やファミーユ様から、協力は惜しまないから、どうかアレクスト殿下を支えてほしいと懇願されてしまった。

 それにピア様からもこの国のために私に王太子妃になってほしいと言われてしまった。


「クリスティアナ様がどうしても王太子殿下を許せない、顔も見たくないというのでしたら、婚約解消されても仕方ないと思います。

 でも、殿下も猛省して前向きに努力をされているようですし、ただ後悔ばかりしている、あの舞台の王太子よりマシだと思いますよ。

 この国の平安、人々の幸せを考えると、できれば貴女に王族になっていただきたいです」


 なんと、巷で未だに人気のあの王太子と聖女の舞台「泣き虫聖女と王太子の真実の恋」の脚本を書いたのはピア様だった。

 しかもそれを前世のゲーム「泣き虫聖女と夢の学園生活」をパクったというか、下敷きに書いたらしい。

 そう。彼女は私と同じく転生者だった。しかも前世の私の主治医だったという。

 彼女は私を助けられずに死なせてしまったことをずっと後悔していたそうだ。自殺ではなくて私の不注意による事故死だったのだから、先生にはなんの責任もなかったのに。


「生まれ変わって聖女になれて、私は今本当に幸せなの。聖女だからって全ての人の命を救えるわけではないけれど、前世とは段違いだから。

 でも、人が幸せに暮らすためには国の安定と正しい政が必要不可欠でしょ?

 だから高い見識と判断力、そして思いやりの心を持つクリスティアナ様に将来の王妃になってもらいたいの。

 前世の貴女の元カレと比べると、アレクスト殿下の方がずっとマシだし、まだまだ改善の余地はあると思うし」


 ピア様はそう言った。そして元カレと寝取り女の結末を教えてくれた。

 私の死亡原因が事故なのか事件だったのか。簡単には判別がつかなかったために、警察が私の身辺調査をしたらしい。

 そして私のパソコンの中に、完成した卒論が三本もあったことを不審に思った捜査官が、大学に確認を取った。すると、あの二人が提出した卒論の原文だと分かった。

 そのため二人が提出した卒論が本人によるものではなかったことが判明して、彼らの卒業は認められなかった。そして当然内定していた一流会社からの内定も取り消されてしまった。

 その上、殺人の疑いは晴れたが、彼らのしていた不誠実な行為が周囲に知られることとなり、居た堪れなくなった二人は揃って大学を中退して姿を消したという。

 

 ピア様は生まれたときから前世の記憶を持っていたのだという。そして私が王太子殿下の婚約者に選ばれたときに、私が自分の患者だったことにすぐ気付いたらしい。しかも、前世と同じようにダメンズメーカーになりつつあることにも。

 だから前世のような悲惨な結果を招かないように、あの舞台の脚本を書いたという。

 そもそも前世で私があのゲームにはまったのは、主治医であった彼女が勧めたからだったらしい。

 ところが私が彼女の趣旨に全く気付かなかったので、仕方なく学園に転入して、接触を図ったのだという。 


「貴女って、前世だけでなく今世もとても優秀だというのに、自分に関することには本当に鈍いですよね」


 そうピア様に笑われてしまった。改めて振り返って自分でもそう思った。

 ダメンズを作ってしまったのは自分のせいでもあるわけだし、まあ、このまま婚約者のままでいてもいいかな、と近ごろそう思うようになっている。

 王妃殿下やファミーユ様とも良い関係が築けていることだし。今さら他所へ嫁いで姑小姑に悩まされることもないかなと。

 ただでさえ王太子の元婚約者で訳あり令嬢となれば。


 卒業まで後一年あるし、決めるのはアレクスト殿下がこれからどう成長するのかを見定めてからでも遅くないかも。

 そんなことを考えながら私はふと、王族のための私的な庭に面した回廊で足を止めた。

 そして彼の隣に立つ自分の姿を思い浮かべながら、王太子の秘密の花園を暫し眺めたのだった。


読んで下さってありがとうございました。

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