ただ踏みつぶされた花で終わるとでも
夫が種無しなのに子供が出来ないと責められるのを助けないという話を読んだので浮かんだ。
「ジョセフィーヌさん。貴方の身体に掛けられている術を解除してよろしいですか?」
離婚して捨てられ、実家にも戻れないでに死に掛けていたわたくしを拾ってくれた魔術師が尋ねてきた。
「身体に掛けられている……?」
何のことだろう。身体に術を掛ける場合は命の危機にさらされていない限り本人の了承を得る法律があるのだが、そんな覚えはない。
「はい。――身体に掛けられている術が治癒魔法を妨害していて、一時的にも……」
「なんだ。一向に治癒しないからどういうことかと思ったらそんな理由か?」
解除しないと治らないと説明をしてくれた魔術師と怪我を診察してくれた医者の腕を掴み、
「なんのっ⁉」
勢い込んで告げたことで咳き込む。
「だ、大丈夫ですかっ⁉」
「喉が渇いているんだろう。水を飲むといい」
慌てて背中を擦ってくれる魔術師に、コップに水を入れて渡してくれる医者。そんな些細な優しさに涙が出そうになる。
「だ……、大丈夫です……。それよりも、掛けられている術とは……」
何のことですかと尋ねると魔術師は眉を顰める。わたくしの問い掛けにわたくしの了承無く掛けられた術だと気付いたのだろう。
「子どもが……」
そっと囁く声。
「子どもが出来ない術。です……」
掛けられていた術を聞いた途端込み上げてくるのは怒り。
そして、憎しみ。
「そ、そうなのね……」
言われた途端込み上げてくる何かで、泣きながら笑っていた。
「そうなのね……ははっ。おかしいわね……」
身体に広がる鞭打ちの痕。貴族令嬢でありながら下働きの仕事を押し付けられて、ぼろぼろになった手。
食事すら抜かれた。
それらすべて、義母……離婚した夫の母親によって、子どもが出来ない石女だからと。結婚して5年。白い結婚でもないのに子供が出来ない役立たずと言われ続けた。
貴族での集まりでもそう。子どもを作るのが妻の義務なのに子供がいまだ出来ないなんて【ハズレ】を引かされたのだと嘲笑された。
実家ですら、庇ってくれることもなく責め続けてきたのだ。
それを……子供が出来ないからだと耐えてきた。子供が居ないから仕方ないと……。
「あはっ、あはは」
「ジョセフィーヌさん……?」
「なかせてやれ。それだけショックだったのだろう」
心配そうにこちらを呼び掛ける魔術師に、そんな魔術師を止めて気が済むまで泣かせてくれた医者。そんな二人の優しさが身に染みる。
どれくらい、泣いていただろう。
ずっと、泣き笑いをしていたがゆっくりと自分の精神が落ち着いてきた。
そんなわたくしに気付いて二人は優しそうな視線を向けてくれ、水だと冷たいからとややぬるめの水を渡してくれる。
涙を流し続けていたわたくしにはただのぬるめの水が甘露のように思えた。
「――解除する前にどのような状態の時に掛けられたのか確かめる方法とかありませんか?」
そんなのないだろうなと思ったが、藁にも縋る思いで尋ねると。
「――ありますよ。犯罪を暴くために作られた術です。ついでにその身体に付けられた傷なのがどのように与えられたかを映像で映し出す術もありますが」
頼む前に魔術師が教えてくれる。
「――ああ。それは素敵な術ですね。そちらは後日お願いします。ですが、まずはわたくしに掛けられていた術がいつなのかを……」
「分かりました」
すぐに頷いてくれたと思ったら過去の状況を記憶再現で見せてくれる。
『本当にいいのか?』
知らない男の声。
『ああ。子供なんて煩わしい。俺が欲しいのは女であって、子どもが出来て抱けない女に興味ない』
答える声は夫の……夫だった者の声。
「そう。――貴方のせいだったのね」
子供が出来ない理由を知りながら、子どもが出来ないと義母にいろいろされているのを庇いもせずにそれを傍で見ているだけの男。貴族の集まりでも実家でも責められ続けてきた妻を庇うことなく、口を閉ざしてきた卑怯な男。
ああ、許せない。許せるわけない。
「これはまた見れるのかしら?」
「見ようと思えばいつまでも。――そろそろ解除をしますね」
解除されると同時に今まで自分の身体を拘束していたような【何か】が消えていく感覚がした。そして、綺麗な水を流し込まれるような魔力の奔流によって、たちまち傷は癒されていく。
「怪我の診断書も診察結果もきちんと取っておくといい。大事な証拠になるからな。何かあった時の証人が必要なら声を掛けてくれ」
「ありがとう。フィッシャー先生」
「先生はよしてくれ。ガラでもない、じゃあな。ケセラン」
そんな話をして去って行く医者。
「ケセラン? ケセラン・パサランみたい……」
失礼だと思いつつ名前を聞いてそんな呟きを漏らしてしまった。
「あっ!! すみませんっ!! ついっ、幸運くれそうと思ってしまって……」
青ざめて慌てて謝罪をすると、
「……………変わらないですね」
そんな声が返ってくる。
「えっ」
「昔……この名前で虐められていたのですが、ジョセフィーヌさんが庇ってくれたんですよ。幸運をくれそうと告げて……」
そう言えば、今更だけど、なんで彼はわたくしの名前を知っていたのだろう。もしかして、会ったことあったから。
「あなたの言ったとおり幸運がありましたよ。――こうやって再会できたのだから」
もう安心してくださいという声に誘われて、ゆっくり眠りに落ちる。
夢の中で泣いている一人の子供に手を差しだしているある日の一コマを見た……。そんな強さを昔は持っていたんだなと変わってしまった自分が悲しかった。
ベッドで横になるのも久しぶりだと思いつつ、日々怠惰な時間を過ごしてしまっている。
今も行儀悪いと言われそうだが、ケセランが用意してくれた食事をベッドの上でする。
「ゆっくり食べるのも、残飯以外食べるのも久しぶりですね……」
結婚当初は普通の食事だったが、半年もしないうちに子どもが出来ない嫁に食わせる義理はないと食事の量が減らされて、残飯になり、残飯もある時と無い時があった。
食事もゆっくりできず、食べている間にも掃除や洗濯の仕事を言いつけられて慌てて飲み込むだけだった。
こんなふうにゆっくりできるのも久しぶりだ。
「ゆっくり食事も出来なかった?」
そんなわたくしの呟きがケセランの耳に入る。
「え、ええ……」
まさか聞こえるほど大きな声で言っていたのかと恥ずかしくなる。
「そうですか……。そこまでのことを……」
表情が険しくなっていくケセラン。だけど、すぐに顔を和らげて、
「もう大丈夫です。ゆっくりしてください」
と微笑んで気を使ってくれる。そんな優しさを向けられるのは何年ぶりだろうか……。涙が零れそうになりながらそっとそれを隠すようにケセランに背を向けて寝たふりをする。
ケセランは魔術師として優秀なのだと接しているうちに理解できた。そして、おそらく貴族。そうでないと説明が付かないほど、環境が整っているのだ。なのに、わたくしのことを誰にも譲るつもりがないとばかりにずっと気に掛けてくれる。
ケセランは優しい。
彼の優しさに触れていくうちに凍っていた自分の心がゆっくり溶かされていく感覚を味わう。
「ありがとう……」
お礼を言うことしかできないが、
「こんな過酷な状況でも人に対して感謝を忘れなかったあなたは強いです。過酷すぎる環境だと感謝の言葉を忘れてしまうし、自分はそれだけ不幸になっていたのだからそれくらいしてもらって当然だと思う人もいますから」
お礼を言うのは当たり前なのにそんな風に言われると新鮮な気持ちになる。
リハビリを兼ねての散歩。彼の屋敷の中庭はとても立派で、中庭を散歩するだけでもだいぶ運動になる。その間も彼に支えられて、転びそうになったら助けてもらえる。
「綺麗な花ですね」
ケセランは庭師が手入れしているだろう花壇の花をそっと摘み、髪に挿してくれる。
「ジョセフィーヌさんに似合う」
こんなに大事な扱いをされたのはいつぶりだろう……。
こんな宝物のような扱いをしてくれることが嬉しい。だけど。
どくんっ
いまだに消えない。役立たずと罵られた日々。子供が生めない嫁と棒で叩かれた日々。
地獄の日々の記憶。
そして、やっと体も心も健やかになったのに、生まれてくる憎しみ。
「わたくしは……そんなに大切にしてもらえる存在ではないわ……」
こんな憎しみで真っ黒なわたくしなんて……。
「いえ、どんなあなたも素敵です。それに、真っ黒なのは自分の方です」
そっと抱きしめられて耳元で囁くのは。
「貴女をここまでの目に合わせた者たちに最大の復讐方法をご存じですか。それは――」
悪魔の囁き。
だけど、
「ああ。――それはいいわね。付き合ってくれる?」
「ええ。――むしろ他の者に譲りませんよ」
あなたを愛しているので。
その言葉は涙が出るほど嬉しかった。
その日。王城では多くの貴族が集った。
年に一度。国に貢献したものに褒賞を与える祭典があり、それを年内最後の行事として締めくくる。
その褒賞を今年得るのは、長いことその褒賞を辞退していた魔術師で、家族と参加可なので妻と子供を連れて会場に現れた。
会場に幼い子供を抱っこして現れる女性と女性を大事そうに労わっている件の魔術師。
その妻と思われる女性を見て、信じられないと目を見開いたのは彼女を知っている者たち。
「ジョセフィーヌ!!」
子どもが出来ないという理由で離婚された娘を慰めることも温かく迎えることせずに役に立たないと吐き捨てた両親は、最初自分たちの子供だと気付かなかったが、気付いた瞬間驚かされた。
まさか、生きていたとは……しかも、子どもが生まれない石女で離婚されたのに子供を抱いているとは。
「ジョセフィーヌさまですよね……」
「離婚されて行方不明になったと聞きましたけど……」
「再婚されていたのね」
ひそひそと話すのはかつて夜会で子供が生めないと嘲笑っていた人たち。
「そういえば、ジョセフィーヌさまと離婚してから再婚されましたけど……」
「まだ、子どもはおりませんよね……」
貴族の視線はかつてのジョセフィーヌの元夫と新しい妻。
「もしかして、子どもが出来なかった理由は……」
思わせぶりな視線に元夫は慌てる。
自分が種無しと言われるのは苦痛だが、真実を告げたら違法行為だと明言することになる。
女は子供を産んだら【母親】になって、自分を第一しない。それが不愉快なので、今の妻にも子供が生めないように術を仕込んである。それを解除すれば……。
そう言えば、あの術を掛けた魔術師と最近連絡を取っていない。必要最低限の付き合いだったが……。すぐに連絡を取って解除させないと……。
だが、それから子供を作るのにどれだけの時間が掛かる? その間ずっとこんな噂が流れるのか。
内心慌てている父親だった者と夫だった者を冷たく嘲笑する。子供が生めないという理由で捨てたがそれが、わたくしの所為ではなかった。
これからは自分たちが噂に翻弄されるんでしょうねと愛する子供を抱きかかえながら思う。
子供を道具のような形で生んでしまったことは申し訳ないが、後悔していない。
「ジョセフィーヌ?」
「おかあたま?」
心配そうにこちらを見てくれる愛する人たちに安心させるように微笑む。
二人を愛しているのは事実だから。
違法魔術を掛けたのですでに件の魔術師は捕まっています。元夫の新しい妻は実はジョセフィーヌと結婚していた時からの付き合い不倫していたので。




