世界最強の漢になりたかった俺は、異世界の貴族令嬢に転生する
むかし電撃大賞の短編部門に送ったものをコピペした作品です。
俺こと斎藤龍馬は、世界最強の漢になりたかった。
なぜそんな高すぎる目標を目指しているかって? そりゃあ、俺の父親である斎藤虎丸みたいなものすごく強くてかっこいい漢になりたかったからだ。
俺の親父は、世界中の腕自慢たちが束になって襲って来ても返り討ちにしてしまう無類の総合格闘家だ。MMAの試合では当然のように毎回KO勝ちするし、背後から通り魔に刺されても、ケロッとした顔でその通り魔を取り押さえていた。野山に生息している熊を素手で殺したこともあったな。あの時の熊鍋は超絶美味かった。
俺はそんな親父の神がかった強さに憧れを抱き、その高みに至りたいと強く思った。
小学一年生の時に親父がオーナーを勤めているジムの門を叩いた。そこで親父みたいになるために必死に特訓に明け暮れた。腕立て伏せ、腹筋、スクワット、うさぎ跳びなどなど。もちろんすべて一日千回。ほかにも練習メニューはあるが、それらを上げたらキリがない。血反吐を吐く特訓の日々だったけど、これで強くなれるならつらくはなかった。クソ不味いバニラ味のプロテインも頑張って飲めた。
親父は懸命に努力する俺のことを応援してくれた。がんばれ、お前は俺の子だ。お前は自慢の息子だ。お前がいままで積み重ねてきた努力は必ず報われるぞ。
その励ましのエールを送られれば、誰だって気合いと根性が湧いてくるものだ。かくいう俺もその例に漏れず、特訓によりいっそうの熱が入り込んだ。同門の同い年を余裕でぶっ倒し、百キロのバーベルを軽々と持ち上げ、近所の公園に生えている大木を真っ二つに蹴った。公園の管理人にめちゃくちゃ怒られたけど。ああ、言い忘れていたが、高校二年生の時に空手のインターハイで優勝したな。
世界最強の漢に至る階段を着実に上る俺は、その過程でひとつの決意を固めた。
親父が成し遂げた武勇伝のひとつ、熊殺しの実践だ。
この壁を乗り越えなければ、俺は本当の意味で世界最強の漢にはなれない。親父と同じ土俵には上がれない。
だからこそ、凶暴な熊を殺して経験値を得ることに意味がある。
そう即決した高校三年生の俺は、かつて親父が熊を狩った野山に向かった。電車を何本も乗り継いで、終着駅に降りて人里離れた山中を歩いて行く。
そうして、一時間ほど道なき道を進んで行くと、目当ての熊と遭遇した。
必死に探し求めた熊は、やはり馬鹿でかい。山のような大きな体格は黒色の毛皮に包まれている。牙や爪はひとの首をたやすく切り裂く鋭さを実感させた。最近ではデフォルメされたクマのキャラクターが流行っているが、いざ本物と出会うと無意識に足がすくんでしまった。
しかし、ここで二の足を踏んでしまっては目標とする親父にたどり着けない。身体中から勇気を振り絞って、それを糧に立ち向かわなねばならない。
そう心に決めた俺は、大きな声を張り上げて気合いを入れ直す。その大声に気づいた熊に向かって勢いよく吶喊していった。
そして、俺はあえなく惨敗した。
俺の存在に気づいた熊が、初手でいきなり突進を繰り出してきたのだ。その一撃を真正面から食らった俺は、トラックに轢かれたような衝撃に押されて仰向けに倒れた。間髪入れずに真上から押さえつけられ、前足から生えた爪に切り裂かれた。身体に刻まれた灼熱感のある痛みによって、一瞬で意識を失いそうになる。一緒に襲ってきた底冷えする死の気配は、心臓を握られたような圧迫感を感じた。
視界がだんだんと暗くなっていく。綺麗な青空を仰ぎながら、俺は物思いにふけった。嗚呼、俺はここで死ぬんだな。目指していた頂上を踏破できず、夢半ばで命を落とすんだな。すまない、親父。俺、あんたの期待に応えることができなかった。本当にごめんなさい。
心の中でそう呟いたら、自然と目から涙がこぼれた。この涙は熊に勝てなかった悔し涙か。あるいはまだ死にたくない気持ちがこもった哀しみの涙か。脳内の機能が徐々に処理落ちしてきた頭では、どちらが正解なのかわからなかった。
しばらくして、熊が俺に対する興味を失って去っていく。そのタイミングで、俺のまぶたは鉛の重さを伴って閉じられる。
俺の意識は冷たく凍える闇の中へと落ちていった。
***
ふと意識が浮上していき、ゆっくりと目を開ける。そこはまったく見覚えのない部屋の中だった。豪奢な内装の室内には、天蓋付きのベッドや高そうなテーブルなどの家具が在るべき場所に置かれている。
俺はその天蓋付きのベッドに横たわる銀髪の女性に抱かれている。銀髪の女性の周囲には、燕尾服を纏った老人や長いスカート丈のメイド服を着た使用人たちが忙しなく動いている。その誰も彼もが、聞いたことのない奇天烈な言葉を喋っていた。
……………………どこだ、ここは? 俺は天国に行ったのか? それにしては、やけに現実感のある天国だな。俺を抱く女性の汗の匂いはするし。まあいいや。とりあえず身体を起こそう。
そう即決して、いざ上半身を起こそうとした時、とある違和感に気づいた。
そういえば、なんで俺は女性の腕の中に収まっているんだ?
確か、俺の身長は193センチだったはず。それなのに、いまは女性の腕の中にすっぽりと収まっている。まさか天国に入る時に身体が小さくなってしまったのか? それに体重も軽く感じるな。確か俺の体重は95キロうんぬん。
いったい俺の身体はどうなってしまったんだ?
頭の上に疑問符を浮かべながら、視線を下げて自分の手を見た。
その手は赤ちゃんと同じくらい小さくぷにぷにとしていた。
………………はあ!? どうなっているんだ!? 俺の手が赤ちゃんみたいになっているぞ!? 嘘だろおい、 だ……誰か助けてぇぇぇぇ!
「おぎゃあ!」
こ……声まで赤ちゃんみたいになっている! 周りにいる老人や使用人たちが、俺の声を聞いた途端に拍手喝采しているし。まるで産声を聞いたようなリアクションだ。
……いや、まさか。まさかだよな。誰かドッキリと言ってくれ。マジで頼む。いままで貯めてきたお年玉貯金をぜんぶあげるから、誰かドッキリの看板を持って突撃してくれ。
だが、これが悪い夢などではなく、紛うことなき現実だとしたら。いまの状況はひとつの結論に至るだろう。
どうやら俺は、赤ちゃんになってしまったようだ。
***
ちゅんちゅんと窓辺から朝を知らせる鳥の鳴き声が聞こえてくる。俺はうっとうしい鳴き声を追い払うように寝返りを打つ。すると、急に布団を引っぺがされた。唐突に夢の世界から引き戻された俺は、多少イライラしながら目を開けた。目の前にいる布団を奪い取った犯人を睨んだ。
そこにいたのは、仕立ての良いメイド服に身を包んだ金髪の女性だ。
「お嬢さま、そろそろ起きてください」
彼女は非常に整った眉を釣り上げながら、子どもを叱る母親の雰囲気で俺を窘めた。
「…………はいはい、いま起きますよ」
拗ねた口調で言ったあと、あくびを噛み殺しながら身体を起こした。ベッドの縁に寄り、素足のまま肌触りの良い絨毯の上に立ち上がる。爽やかな朝日を浴びるために、バルコニーに続くガラス戸に近づく。ガラス戸を覆い隠すワインレッドのカーテンを勢い良く開けた。
ガラス戸の先に見える景色は、冗談抜きで異国情緒たっぷりの世界だ。この屋敷の敷地内にあるバラの庭園は今日も美しく咲き誇っている。地平線に屹立する新緑の山々は生い茂り、晴れ渡る青空を翼の生えたトカゲが悠々と飛んでいる。
前世の俺の弟に無理やり押し付けられたマンガの知識が確かなら、ここは紛れもない異世界だ。試しにほっぺをつねってみた。痛い。やっぱり異世界だった。
ついでに言えば、ガラス戸に映る俺の姿は比類なき美少女だ。
腰まで届く長さの髪は白銀世界を写し取ったような煌びやかさを放っている。サファイアの色に染まる双眸も華やかな見た目を後押ししている。ネグリジェに包まれたその華奢な身体は、精緻なガラス細工よりも儚げで壊れやすそう。
そんな絶世の美少女になったいまの俺の名前は、フィリアス=フォン=クロムベルト。このアルテシア王国の東端部に位置するクロムベルト辺境伯領の当主の娘だ。わかりやすく言うと、いまの俺は貴族令嬢だ。それ以上でも以下でもない。
「お嬢さま、なにぼーっとしているんですか。さっさと着替えさせますので、こちらに来てください」
「ああ、いつもすまないな」
俺の専属使用人であるサリーに軽く返事したあと、彼女のもとまで戻る。サリーに身を委ねるように背中を向けると、淡々と俺のネグリジェを脱がし始めた。
この異世界の貴族令嬢に転生して十年が過ぎたな。生まれて間もない頃は、右も左も分からない手探りの状態だった。言葉がわからなかったから、なにを言っているのか皆目見当もつかなかった。けれども、なんとか意思疎通を図るために、死ぬ気でこの世界の言葉を学んだ。毎日英会話の授業を受けている気分だったけど、少しずつ話せるようになって言葉を学ぶのが楽しくなってきた。いまでは相手の言葉を同時翻訳できるぞ。「お嬢さま、またお胸が育ちましたね……」とサリーの嫌味も問題なく訳せる。ていうかサリー、お前殺気を飛ばし過ぎだぞ。いくらお前の胸がツルツルぺったんこだからって俺の胸をガン見するなよ。そんな人殺しの目で睨まれたら俺だって肝を冷やすぞ。少しは自重しなさい。
数分後、サリーの介助を受けて俺の着替えが終わった。いまの俺は華美な意匠の青いドレスを身に纏っている。……少し派手すぎではないか?
ネグリジェを綺麗に畳んだサリーは、真剣な表情のまま人差し指を立てて、
「いいですか? 今日からお嬢さまは王国を守る魔法使いになるために、旦那さまが手配した家庭教師の手ほどきを受けるのですよ? しっかりと取り組んでください」
「わかっているよ。いまも魔王軍の侵攻が続いているんだろ?」
「その通りです。なので、貴族の務めを忘れず修練に励みましょう」
苦言を呈するサリーに軽く頷いた。彼女の言う通り、本日より一人前の魔法使いになるために家庭教師の指導を受けなくてはならない。
クロムベルト辺境伯家は代々続く防人の一族だ。建国当時、初代国王とともに戦った魔法剣士が爵位と家名を拝命したそうだ。そのあと、辺境伯家は王国の東端部に領地を治め、王国と魔族領を隔てる国境線に防壁を築いた。以来、辺境伯家は魔王軍の侵攻から王国を守るために尽力している。いま現在、俺の父親のディートリヒと長兄のゴーシュはお役目に準じている。俺も数年後には国土防衛の命令を受けて駆り出されるだろう。
貴族の務め。貴族として生まれたからには、俺もその役目を全うすべく戦いに身を投じないといけない。俺としては強敵と戦える機会さえもらえれば文句はない。世界最強の漢になる夢はいまだ継続中だ。領地の民草を守るためにも、いまはがんばって強くなろう。
改めて心の中で決意を固めた俺は、サリーから一歩離れて床に手をついた。そのまま下半身を持ち上げて倒立の姿勢を取る。針金を通したような体勢を維持したまま、テンポよく腕立て伏せを繰り返していく。丈の長いスカートが重力に従ってぺろんとめくれているけど、特に恥ずかしくもないのでこのまま続ける。
「お……お嬢さまっ! なんてはしたないことをしてるんですか! 奥方さまに見つかったらまた叱られますよ!」
「大丈夫だって。今日は母上は舞台を観に行ってるだろ。よほどのことがない限り早く帰って来ないって」
「そんな屁理屈は受け付けません! とにかくおやめください!」
「ちぇ〜。わかったよ」
軽く舌打ちしながらも承諾する。ふっと身体から力を抜いて倒立の姿勢を崩す。すっくと立ち上がってスカートの汚れを手で払う。もっとやりたかったなぁ。
「はあ、しっかりしてくださいよ」
サリーのため息を受け流しつつ、先を行く彼女とともに扉のほうへと移動する。サリーが部屋の扉を開け、先に俺が廊下に出る。あとに続いてサリーも部屋を退室し、一緒に正面玄関へと向かった。
***
自室を出た俺は、サリーを連れて正面玄関まで足を運んだ。その場所で数分ほど待っていると、扉を押し開けたひとりの女性が入ってきた。
年齢は二十四かな? 大人しそうな顔つきのその女性は、ピンと尖った三角帽子を頭に被っている。豊満な身体を包む黒衣が妖艶さを醸し出していた。俺の見立てではHカップはあるな。胸が大きいと肩に適度な負荷がかかる、って聞いたことがあるぞ。俺もあの巨乳が欲しいな。
その魔女っ子さんは、真紅の髪をなびかせて近くまで歩み寄り、両手で黒衣の裾を持ち上げた。
「お初にお目にかかります。わたくし、ディートリヒさまに遣わされましたハンナと申します。本日よりフィリアスさまの家庭教師を務めさせていただきます」
ハンナと名乗った彼女は、深々と一礼して社交界の挨拶をした。所作ひとつひとつがお手本みたいに綺麗だ。……おっといけない、俺も挨拶しないと。
「遠路はるばるお越しくださってありがとうございますハンナさま。フィリアス=フォン=クロムベルトと申します。貴女がわたくしの家庭教師になることを楽しみにしていました」
こちらもスカートの裾を摘んで、恭しく頭を下げて挨拶を交わした。すっかり貴族令嬢として板についてきたな。今日に至るまで社交界の家庭教師に礼儀作法を叩き込まれた。その甲斐あって貴族らしく振る舞うことができた。
居住まいを正した俺は、さっそく魔法の授業を受けるためにハンナさんを演習場に案内する。サリーは「ではワタシは業務に戻ります」と報告して席を外した。ハンナさんとふたりきりになった俺は、屋敷の外に出て演習場まで先導した。
本邸の敷地内にある演習場は相変わらず殺風景だった。演習場の周囲を簡易的な木の柵に囲われている。等間隔に配置された藁人形が出番を待っていた。
演習場の前で向かい合った俺たちは、おのおの楽な姿勢を取った。
「さて、フィリアスさまには魔法の手ほどきを受けてもらいますが、別に難しく考える必要はありません。コツさえ掴めばフィリアスさまにも魔法を扱えますよ」
そう言ったハンナさんは、おもむろに右手をこちらに突き出す。手のひらを上に向けたあと、ぼそぼそとなにかを囁く。おそらく詠唱の文言だろう。彼女が詠唱の言葉尻を言い終えたあと、「ファイアボール」と高らかに口ずさんだ。
すると、ハンナさんの手のひらからバスケットボールほどの火の玉が現れた。なにもない空間からいきなり出現したそれは、ちりちりと俺の肌を焦がす。これがハンナさんの魔法か。サリーにも見せてもらったが、やっぱり魔法は神秘的で美しいな。
ハンナさんはぐっと手のひらを握って火の玉を消した。先生の表情になった彼女は講義を続ける。
「魔法を行使するのに必要なのは三つの要素です。自分の身体の中にある魔力を全身に巡らせる『纏』。詠唱で魔力を魔法に変換するための『唱』。魔法を体外に出す『発』。これら三つを完璧にマスターすることによって魔法は思いのままに操れます」
ハンナさんの解説を受けて、ふむふむ、と相槌を打った。なるほど、理屈はわかった。正直、元いた世界には魔法がなかったから習得できるのか不安だった。だけど、いまの理論立てた解説を受けて俺でも魔法が使えそうな気がしてきた。
ハンナさんは「それじゃあ、実際に魔法を使ってみましょうか」と俺の背後から腕を取った。「魔力を知覚するコツは、ヘソの下の丹田に意識を向けること。それを血液と一緒に滞りなく循環させるイメージです」とアドバイスを入れる。ふむふむ、血流を促進していく感じか。とりあえずやってみよう。
俺はハンナさんのアドバイスを受けて、自分の中にある魔力らしきものを知覚する。おお、これか。なんか想像していたよりふんわりとしているな。その魔力を全身に巡らせてみた。…………うーん、こうか?
「お上手です、フィリアスさま」
ハンナさんにお褒めの言葉をもらい素直に嬉しくなる。元いた世界の頃を思い出して感傷に浸ってしまった。
そのあと、ハンナさんにファイアボールの詠唱を口頭で教えてもらった。彼女の滑らかな発音の詠唱に復唱する。
標的の藁人形に向かって右腕を伸ばす。手のひらに集まった魔力の熱を維持しつつ、「ファイアボール!」と大きく叫んだ。
俺の手のひらから放たれたのは、ビー玉ほどの小さな火の玉だった。その火の玉は重力に負けてすってんころりんと地面に落ちた。パチン、と甲高い音を鳴らして火花が散った。
「………………」
「………………」
いまのか弱い火の玉を静観して、俺とハンナさんは沈黙を守ることしかできなかった。ハンナさんを背中越しに見ると、彼女は冷や汗を垂らしていた。俺のファイアボールを見て愕然としちゃったかな。少しして、ハンナさんが口を開いた。
「…………だ、大丈夫大丈夫! 最初は誰だって下手くそだから! わたしも魔法を習い始めた頃はこんなだったから! さあ、落ち込まずに頑張りましょう!」
やけにテンションを上げて俺を励ましてくれた。ハンナさん、無理しなくてもいいんだよ? 貴女の顔にばっちりと書いてますよ? うわ、なにこの子。ど下手くそにもほどがあるでしょ。どうやって教えればいいのよ〜!? バレているんだから、俺の顔色を窺わずに正直に言ってもいいんですよ?
そのあと、俺の魔法の訓練はいっこうに進まなかった。何度も魔力を巡らせて唱えても、出てくるのは小さな火の玉だった。何度も何度も、明朗に詠唱を口ずさんでもダメだった。終いには火の粉しか出てこなかった。
壊滅的すぎる才能のなさを実感して、俺以上にハンナさんが悲痛な表情を浮かべていた。真っ青に青ざめたまま、プルプルと小刻みに震えている。きっとこのあと父上に報告書を送るんだろう。父上は厳格なひとで怒ると怖いから、どう報告するのか悩んでいるんだろう。ごめんね、ハンナさん。
***
魔法の訓練初日は散々な結果になった。ハンナさんにお別れを告げたあと、彼女が敷地の外に出るまで見送った。終始、ハンナさんは天を仰いでいた。肩をすぼめて帰る後ろ姿がひどく物悲しかった。こんな出来損ないの教え子を持って嘆いているに違いない。しばらくはそっとしておこう。
いまの時間は夜の八時過ぎ。ネグリジェに着替えた俺は、自分の部屋から窓の外を眺めている。すっかり暗くなった外の景色は一寸先も見通せない。この世界には街灯のひとつもないので、一歩でも踏み出せばたちまち方向感覚を失うだろう。窓のカーテンを閉めて部屋の中央に移動する。腕を組んで顔を険しくしながら、訓練初日の反省会を始めた。
まさか俺の魔法の才能があそこまで皆無だったとは。ハンナさんの考察によれば、どうやら俺には『発』の素質が極端に低いらしい。魔法を構成する三つの要素のうち、ひとつでも欠けると動作不良を起こすとも言っていたな。『発』の扱い方が下手過ぎると、魔法が身体の中に留まって元の魔力に戻ってしまうらしい。ゴミの詰まった蛇口みたいなもんだな。とどのつまり、『発』の素質がない俺には魔法を行使することができない。大変残念なことに。
おもわずため息を吐いてしまった。生まれて初めて魔法を使える、と張り切っていたのに。世界最強の漢になるために必要だと思っていたが、やはり世の中上手くいかないものだ。自分の才能のなさに腹が立ってしまうぞ。
……だけど、それがどうした。魔法の才能がないから夢を諦めるのか? 違うだろ。俺はいままで世界最強の漢になるために努力を続けてきたんだ。親父みたいな漢と同じ景色を眺めるために頑張ってきたんだ。だったら、これまで通り努力し続けるんだ。いつも通り筋トレするんだ。そうすれば、いつか必ず世界最強の漢になれるのだから。
「よっしゃ! やってやるぞ!」
威勢良く奮起して、バシッと両手でほおを叩いた。その場で準備体操を行い、床に座って結跏趺坐の姿勢を取る。ピンと背筋を伸ばし、ゆっくりと目をつぶって意識を集中する。
『発』の素質がないのであれば、魔法を身体の外に出さなければいいだけだ。わかりやすく言うと、『纏』の練度を極限まで上げる。『唱』と『発』を切り捨て、限界ギリギリまで練り上げた魔力を身体の中に循環させる。その高密度の魔力を纏った状態を維持したまま、腕や足に一点集中させて格闘戦に持ち込む。この戦い方なら苦手な魔法を克服できる……はずだ。なにはともあれ、まずは実践だ。
静かに座禅を組んだまま、身体の中にある魔力を探り当てる。ふむ……これだな。この温かい魔力に意識を向けて循環させていく。最初はゆっくりと、川の流れのように無駄なく回していく。すると、身体の中を巡る魔力が徐々に熱を帯びてきた。よし、いいぞ。この調子で魔力を練り上げていくぞ。
そうして、俺は身体の中を回る魔力の循環速度を上げていく。血管を通る血と魔力が身体の隅々まで行き届く。鼓動の早くなった心臓を通過し、魔力の熱が最高潮まで上昇した。体温が上がっているのか、全身の毛穴から汗が滝のように流れ出る。
充分に魔力を練り上げたあと、座禅を崩して勢いよく立ち上がった。すたすたと部屋の壁まで近寄り、漆喰の壁に左手を添える。左足を前に出して、右手の拳を握りこみ肩を引く。そして、拳に魔力をすべて集中させて、暴発しないように留めたまま、
「はっ!」
目の前の壁めがけて正拳突きを繰り出した。拳と壁が衝突した瞬間、爆弾が爆発したような破砕音を鳴らした。殴った箇所が粉々に砕け散り、亀裂が放射状に伸びていった。
開通した壁の向こうにいたのは、俺の母親であるシャーロット=フォン=クロムベルト。我が家の筆頭執事のセバスチャンもいた。ふたりとも、いまの光景に目を白黒させて固まっている。い……嫌な予感がする。
その予想は見事に的中していた。プルプルと震え始めた母上が、こめかみに青筋を立てていきり立った。
「……またやってくれたわね。このバカ娘がぁぁぁぁ!」
ものすごい剣幕で詰め寄ってきて叱責し始めた。はあ……またやっちまった。ちゃんと気をつけているつもりなんだけど。敷地内の木をすべて殴り倒した時は本当にやばかった。あの時の母上のお叱りを思い出しただけで……おっと、つい身震いしちまった。忘れよう。
そのあと、母上の説教は太陽が昇り始めるまで続いた。
***
母上の説教を受けてから三日が経った。
俺とサリーは領内のスーラン村近くの森に赴いた。事の始まりは俺の口からこぼれた些細な欲求だった。
「プロテイン、飲みてえなあ……」
この言葉がきっかけになり、俺はサリーを連れてここまで出向いたのだ。あれだけ毛嫌いしていた不味い飲み物がいまや恋しくてやまない。自分の貧弱な身体を鍛えなおすにも、まずは身体作りから始めないといけねぇ。そういう訳で、俺はこの森にある動植物を使ってプロテインを作ろうと思っている。どんな味になるのか楽しみだ。
「お嬢さま……どこまで行くつもりなんですか。先日に奥方さまからお叱りを受けたばっかりなんですよ」
「固いことを言うなよサリー。母上にはお茶会に行ってくる、って誤魔化したから。それよりも、お前も手を動かしてくれ」
「……プロテインとやらを作るためにですか?」
「おう。俺の身体作りに必要な魔法のドリンクなんだ。材料が見つかったらさっさと帰るからさ。なっ?」
「はぁ……わかりました。これっきりにしてくださいよ」
ため息を吐いたサリーが軽く首肯した。彼女はこう見えて面倒見のいいところがある。俺のワガママに付き合ってくれるサリーには頭が上がらねえな。ずっと近くで努力を見守ってくれた大切な付き人に感謝しよう。ありがとう、サリー。
さてと、俺も材料を探そうか。サリーから距離を開けて、キョロキョロと辺りに目を配る。四つん這いになって地面を歩き回り、草の根を分けて使えそうな材料を探索する。
ほどなくして、良さそうなブツを発見した。鮮やかな黄色と紫のストライプが美しいキノコだ。そのキノコに鼻を近づけると、かすかな土の匂いが鼻をついた。よし決めた。これをプロテインの材料にしよう。いちおうサリーにも確認してもらうか。
即断即決、地面からキノコを迷いなく引っこ抜いた。キノコの軸を持って傘についた土汚れを払う。「おーい、ちょっとこっちに来てくれないか?」とサリーに呼びかける。俺の呼び出しを聞きつけたサリーが小走りで戻って来た。さっそく彼女に「これなんだけど」とキノコを手渡した。キノコを目線まで持ち上げたサリーは、キノコの傘を矯めつ眇めつ観察した。
「お嬢さま、これはマニマダケと呼ばれる毒キノコです。一口食べると嘔吐や下痢、症状が酷いと幻覚作用も引き起こしますよ」
「ええ!? マジで!?」
「マジです。なので、この毒キノコは捨てたほうがいいです」
「そっかー。ありがとなサリー。……ん? ちょっと待て。なんでお前がそんなことまで知っているんだ? お前、元貴族だよな?」
「食い扶持を節約するために食べていました。うちは貧乏なので」
自嘲的な発言を聞いて愕然とした。そうだ、思い出した。サリーの生家のヴィスキッシュ男爵家は王国でも有名な貧乏貴族だ。確か彼女の祖父がとんでもない無能者で、領地経営に失敗して一時は没落する寸前だった。その窮地を救ったのが、サリーの父親で現当主のアルフレッド=フォン=ヴィスキッシュ男爵そのひとだ。領地の収入を安定させた彼は、まさしく傑物と言えるな。
とはいえ、サリーの祖父の尻拭いはまだ終わっていない。クロムベルト家や他の貴族から借りた借金が返済し終わってないのだ。その借金の返済を待ってもらうために、サリーが奉公しに来たって訳だ。
「まあ……なんだ。今度なんか食べたくなったらいつでも作ってやるよ」
「なんですか急に」
サリーに少しばかりの優しさを振りまいておいた。きっと生家にいた頃はひもじい生活を送っていたんだろう。せめて俺の数少ない特技で振る舞ってあげよう。
心の中で誓ったあと、サリーに生暖かい目を向けていると。
ーーきゃああああ!?
「悲鳴っ!?」
三時の方向から悲鳴が響いた。ここからさほど離れていない。危機感を覚えた俺は、悲鳴の聞こえた方角に走り出した。
「サリー! 俺が様子を見に行くから、お前はそこで待っていてくれ!」
サリーにそこで待ってもらうよう指示した。が、当のサリーは俺の指示を無視してついて来た。彼女は俺のとなりに追従し、面倒くさそうな表情を浮かべた。
「ワタシはお嬢さまの専属使用人ですよ? 旦那さまにお嬢さまの身を守るよう仰せつかっているんです。ワタシも行きます」
全力疾走する俺に並走しながら、有無を言わさず同行を強要した。うーん……どうしようかな。サリーを危険な目に合わせたくないんだよなあ。でも言って聞くような奴じゃないし。……仕方ない、サリーについて来てもらおう。いざとなれば俺が死ぬ気で守るし。とにかく現場に急行しよう。
悲鳴の発生源に到着すると、目を疑うような光景が俺の目に飛び込んで来た。
女の子と大人の女性が何者かに襲われているのだ。八歳くらいの女の子は木に背を預けて怯えた表情を浮かべている。たぶん女性の子どもだと思う。女性のほうはうつ伏せで地面に倒れていて、身体のあちこちに刺し傷が見受けられる。その瞳に光は映っていなかった。誰が見ても絶命しているとわかる。
そして、彼女たちを取り囲んでいるのは異形の化け物だ。身長は小学生と大差ない小柄な体格だ。真っ青を通り越して緑色に染まった体色が生理的に気持ち悪い。異様に長い耳や鼻、するどく尖った牙がモンスター感を強めている。
本邸の書庫にある図鑑で見たことがある。あれはゴブリンだ。魔族領に生息しているあの魔物は、社会性のある集団を形成している。人間の集落に襲撃をかけては食料や女子供を略奪するそうだ。大昔はゴブリン被害がひどかった、と図鑑の解説に記述されていた。まあつまり、人間の生活を脅かす害獣という訳だ。
「お嬢さま……」
「わかっている」
サリーがこの緊急事態に言葉を失っていた。無理もない。なんせ俺も目の前の光景に驚きを隠せないのだから。
何度も繰り返して言うが、大昔はひどかった。いまは辺境伯領と魔族領を隔てる国境線の防壁が魔物の侵入を未然に防いでいる。
それなのに、その魔物の侵入を許してしまっている。これは由々しき事態だ。まさか防壁に問題が発生しているのか? そうだとすると、原因の究明と早急な解決が必要だ。
そのまえに、まずは目の前の惨状をどうにかしよう。助けを求めているひとを見捨てるのは俺の倫理観に反している。いざ助太刀に参ろう。
サリーにアイコンタクトをする。意図を汲み取ってくれた彼女は、俺が突撃するタイミングに合わせて詠唱の準備を始めた。
一体のゴブリンが手に持った鋭利な刃物を振り上げようとした、その時。
草むらから飛び出した俺は、魔力を込めた拳でゴブリンを殴り飛ばした。
「グギャッ!?」
勢いよく殴られて吹っ飛ばされたゴブリンが木にぶつかる。その隙を見逃さないサリーが、詠唱し終えて魔法を放った。
「ウォーターバレット!」
サリーの手のひらから射出された水の塊が、音速を超えてゴブリンの眉間に命中。そのゴブリンは地面に倒れ伏す。ピクリとも動かなくなった死体の弾痕から紫色の血液が漏れ出ていく。
「お嬢さま! ワタシがこの子を守りますので、お嬢さまはご無理なさらないようにしてください!」
サリーがいち早く女の子を庇うように陣取る。俺たちの奇襲に呆然としていたゴブリンたちが一斉に唸り声を上げ始めた。おうおう、怒っているな。これは殴り甲斐がありそうだ。存分に楽しませてもらおうか。
深呼吸する。右手に左手を添えて指を鳴らしながら、眼前にいる敵を観察した。
ゴブリンの総数は死体を除いて五体。どの個体もグルグルと喉を鳴らして威嚇している。奴らの手に握られた鋭利なナイフが木漏れ日を照り返す。ナイフ、どこで手に入れたんだ? そこんとこも調査しないと。
俺は全身に魔力を漲らせていく。このまえ体得した『纏』の極致。限界まで練り上げた魔力を纏う戦い方に、俺はこう名付けた。
ーー龍氣。
俺は龍氣を全身に巡らせたあと、両腕と両足に過不足なく集めた。ふーっ、と鋭く息を吐きつつ、音を置き去りにして疾駆した。
「ウギャッ!?」
駆け抜けざま、中央のゴブリンめがけて正拳突きを繰り出した。渾身の一撃が敵のほおにクリーンヒット。よろめいたところを見逃さず、さらに軸足を中心に回し蹴りをお見舞いした。足背が敵の肋骨に命中し、骨の折れる鈍い音が響く。敵の身体が蹴られた衝撃に吹っ飛ばされて、周囲の木々を押し倒しながら地に伏せた。
一瞬だけ動きが止まった俺の隙を狙い、矢継ぎ早に二体のゴブリンが挟み撃ちを仕掛けてきた。その挟撃はお見通しだ。背後の敵に振り返らず肘鉄を食らわした。骨ばった感触が肘に伝わり、背後の敵が鳩尾を押さえてたたらを踏んでいる。淀みない魔力制御で左腕に魔力を凝縮し、振り返りざまに裏拳を繰り出した。横に薙いだ裏拳は敵の首を刎ねる。空中を舞った異形の首が放物線を描いて地面に落下した。
すかさず軸足に魔力を集めて回転する。背後からナイフを突き刺してきたゴブリンに対し、スカートを翻して後ろ回し蹴りした。敵の側頭部を捉えた一撃が頭蓋骨にめり込み、打撃箇所から紫色の血液が噴出した。蹴られたゴブリンは白目をむいて力なく倒れ伏した。
その刹那、攻撃直後の隙を狙って上空から敵が飛びかかってきた。口角を釣り上げたゴブリンが、ナイフを逆手に持って振り下ろす。甘いな。俺にその手は通じないぞ。
蚊を捕まえる構え方で上空から襲いかかるナイフに注視する。ナイフと俺の頭が当たる寸前、両手でナイフを素早く挟んだ。親父直伝の真剣白刃取りだ。
「グギャギャッ!?」
さすがに驚いたらしく、混乱した敵が誤ってナイフから手を離した。そのナイフを後ろに投げ捨てたあと、ゴブリンの首を掴んで地面に押し倒す。そのまま敵の腹に乗っかり、マウントポジションを取りながら両手に魔力を収束。悲痛に歪んだゴブリンの顔面を、穴が空くまで何度も殴る。殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る。繰り返し殴打するたびに、敵の顔面から汚らしい血が飛び散る。敵の口からか細い呻き声が漏れるが、気にせず長い鼻をへし折った。相手の顔面が痣だらけになった頃合いになると、そのゴブリンは微動だにしなくなった。
残るゴブリンはあと一匹。そのゴブリンに視線を向けた。戦況を理解した敵が、血相を変えて踵を返した。撤退するつもりだな。そうはさせるか。
俺は近くに落ちていた石を拾い上げる。その石を持つ手に全魔力を集めて、ピッチャーよろしく大きく振りかぶって左足を上げた。
「逃げんなよ。まだ死合いの途中だろうが」
慌てふためきながら逃走するゴブリンの頭めがけて投擲。石の弾丸が凄まじい速さで空中を飛来し、ゴブリンの頭を木っ端微塵に粉砕した。首のなくなった死体は糸の切れた人形みたいに制御を失った。
うし、この場にいたすべてのゴブリンを殺したぞ。他の魔物の気配はしないが、万が一に備えて周囲を警戒しよう。
龍氣を解除した俺は、小さく縮こまったままの女の子にそっと近づく。片膝立ちで目線を合わせて、なるべく優しい口調で話しかけた。
「悪い魔物は俺がやっつけたから、もう怯える必要はないぞ」
魔物を退治したことを簡潔に述べた。その言葉を聞いた女の子が、恐る恐る顔を上げた。赤くなった目元から涙が流れた。
「ほんと? 本当に倒したの?」
「ああ。とりあえず、ここは危ないから村まで一緒に行くぞ。名前はなんて言うんだ?」
「ソフィア……」
「そうか。いい名前だな」
ソフィアのことを褒めた。俺より小さいその頭を撫でたあと、サリーに「この子のことを頼む」と命令した。「かしこまりました」と命令を受諾したサリーは、ソフィアを背中におぶった。俺もソフィアのお母さんを運んで上げないとな。
ぐりんぐりんと右肩を回した俺は、お母さんの遺体に歩み寄る。遺体を持ち上げて背中に背負い、腰に力を入れながら立ち上がった。うん、軽いな。これなら問題なくいけそうだ。ソフィアのお母さんを供養するためにも、村まで丁重に送り届けてあげよう。
サリーに目配せした俺は、村がある方角を目指して一緒に歩き始めた。
***
ゴブリンの一件から一週間が経過した。
自室で日課の筋トレを終わらせた俺は、父上からの調査報告書に目を通していた。
『お前の指摘通り、防壁の一部が破壊された痕跡を見つけた。おそらく魔物の仕業だろう。この穴から他の魔物がなだれ込んできたに違いない。近隣の村にも被害が及んでいることを調査過程で発見した。我が王国軍が事態の対処に当たる。訓練中のお前は事態が終息するまで本邸で待機しなさい』
事務的な文面の書かれた羊皮紙にため息をこぼした。となりで紅茶を淹れてくれたサリーが「旦那さまはなんと?」と訊ねてきた。俺はその質問に「留守番していろ、ってさ」とぶっきらぼうに返事した。予想していたとはいえ、こうしてはっきりと待機を命じられるのは堪えるな。調査報告書をサリーに預けた俺は、あの日起きたことを振り返ってみた。
ゴブリンの群れを倒したあと、俺たちはソフィアたちを背負ってスーラン村まで運んだ。事の経緯を村長に説明し、ソフィアのお母さんを埋葬して一緒に黙とうした。
そのあと、村長に「父上にこのことを報告します。早ければ一週間後に兵士が派遣されますので、しばらくのあいだ森に入るのを極力避けてください」と釘を打っておいた。
急いで本邸に帰宅した俺たちは、セバスチャンに先の一件を報告し、父上への取次を要望した。すぐに了承したセバスチャンは、召喚魔法で呼んだ伝書鳩を父上の元へと飛ばした。それから一週間が過ぎ、先ほどの調査報告書が俺の元に届いた訳だ。
本日二回目のため息をついた。結局、プロテインの材料を見つけることはできなかった。ゴブリンと鉢合わせしたんだから当然と言えば当然か。あれのせいで飲まずじまいだ。ちくしょう。
それに加えて、父上にお預けを食らってしまった。防壁を破壊した例の魔物の存在は無視できない案件だ。障壁魔法で補強された防壁を破壊した魔物の実力は計り知れねぇ。あの堅牢な壁に傷をつけた魔物と手合わせしたかった。父上の待機命令がなければ、いますぐにでも屋敷から飛び出して例の魔物と一戦交えていたところだ。くそ、やりてぇ。
極め付けは、俺がお茶会に行っていないことが母上にバレてしまったことだ。勝手にスーラン村まで行って危険な魔物と戦ったことを追求されて、いま俺は自宅謹慎を受けている。いつも「貴族に相応しい気品ある淑女を心掛けなさい」と口酸っぱく言ってるひとだ。武張った家柄を差し引いても、身勝手な行動を取った俺に頭を悩ませているはずだ。
なんだか気分が落ち込んできた。またため息が出てしまった俺は、湯気の立つティーカップに手を伸ばした。ティーカップの取っ手を持つと、ずっしりとした重みが身体全体に伝わった。特注のオリハルコン製ティーカップだ。総重量は50キロある。淑女らしく筋トレするにはどうすればいいのか。いろいろ考えた結果、このティーカップに行き着いた。屋敷の使用人全員から「重い」と不評を買っているけど。
芳醇な香りのする液体を啜りながら、俺は今回の一件について思考を巡らせる。こうしているあいだにも、例の魔物が村や街に襲撃して罪のないひとびとを殺しているかもしれない。ソフィアみたいな被害者を出すのは御免被りたい。貴族としての自覚が芽生えている俺にとって、民草の命を守りたいと思うのは当然だと思う。
なにかないのか。家のしがらみを断ち切って、未知数の強敵と相見える方法はないのか。ティーカップに残った液体を呷り、ソーサーの上に置いた。
……こうなったら、父上と母上の命令を無視しよう。あのふたりを論破できる交渉材料がないのであれば、俺ひとりで例の魔物をぶっ倒してやる。母上やサリーにバレないように屋敷から出たあと、こっそりと村に行って例の魔物を迎え撃つ! 村には父上直属の兵士がいるから、その兵士にもバレずに例の魔物を捜索しよう。
そうと決まれば善は急げ。今日の夜中、みんなが寝静まったのを見計らって屋敷を出よう。移動中は松明を掲げれば進めるはずだ。村に着いたあとは、兵士に見つからないように森の中を捜し回ろう。
待っていろよ。必ず例の魔物を見つけ出して、この手で殴り倒してやる!
***
そうして夜中の時間がやってきた。太陽が西に沈み、母上やサリーを含めた使用人が眠りに入った。みんなが寝静まったのを確認した俺は、ベッドから身体を起こしてネグリジェを脱いでいく。お忍び用の質素なドレスに着替え、静かにドアを開けてゆっくりと廊下を歩く。みんなを起こさないように息を殺して階段を降りる。裏口に向かい、音を立てないように開けて外に出た。前もって茂みに隠しておいた松明を持ち、屋敷の外を出てから火打石で火をつけた。轟々と燃える松明を掲げて、目的地のスーラン村を目指していく。
明かりを持っているとはいえ、辺りは暗くて足元を踏み外しそうだ。ときおりフクロウの鳴き声が聞こえる。幽霊が出てきてもおかしくないシチュエーションだ。いや、別にビビってないけどな。幽霊なんてへっちゃらだぜ……ひゃあ! い……いま首筋を触られた!
そう思い、首の後ろを探ると毛むくじゃらの感触があった。毛虫だった。なーんだ、お化けと思ったらただの毛虫か。驚かすんじゃねえよ。毛虫を葉っぱの上に置いて移動を再開した。
それから約三時間かけてスーラン村の入り口に到着した。だんだんと空が白み始め、村人が畑仕事をするために家から出てきた。どの住民も不安げな表情を浮かべ、周囲を注意深く確認していた。先の一件で村人が警戒しているな。被害者がひとり出ている現状を鑑みて用心しているんだろう。
警戒しているのは村人だけじゃない。村の中を巡回しているのは、無骨な鎧と兜を装着した兵士たちだ。彼らは身の丈を越す槍を持っていて、みなピリついた雰囲気で周囲を注視している。父上の兵士たちだ。小さい頃、父上に連れられて防壁に訪問した時に顔を合わせたことがある。あのひとたちに見つかると、俺がここにいることを父上にバレてしまうな。幸い、兵士たちはこちらには来ていない。いったん村を出て森の中を突っ切り、適当なところで野宿の準備を進めよう。踵を返し村を出ようとすると、「お姉ちゃん?」と声をかけられた。そちらに振り返ると、先日助けたソフィアがいた。
「ソフィア? なんでこんなところにいるんだ?」
「お父さんの畑仕事を手伝いしに行こうとしたらお姉ちゃんを見かけたんだ。お姉ちゃんこそ、そんなところでなにしているの?」
「このまえソフィアを殺そうとした魔物の親玉がこの近くにウロついているだろ? その親玉をぶっ倒しに来たんだ」
「ええ? 危ないよ。いくらお姉ちゃんが強くてもやられちゃうよ」
「心配すんなって。俺を誰だと思っているんだ? 無敵のフィリアスさまだぞ。魔物の親玉なんかコテンパンに退治してやるよ」
不敵な笑みを浮かべながら、右腕を上げて力こぶを作ってみせた。でも、俺の力こぶはまったく盛り上がらなかった。しっかりしてくれよ、ジョニー。お前は俺の上腕二頭筋だろ? もっとしっかりしてくれよ。
ソフィアに「お姉ちゃん? どうしたの?」と小首を傾げられていると、
「て……敵襲ぅぅぅぅ! 敵襲だぁぁぁぁ!」
村の中央から空気を震わせる大音声が轟いた。同時に警告を知らせる鐘の音が辺り一帯に広がる。事態を察知した村人が急いで教会のほうに避難していく。臨戦態勢に入った兵士たちが、櫓の見張りの指し示す方向を凝視する。ソフィアを庇える位置に躍り出た俺は、茂みの向こうに視線を飛ばした。
茂みから現れたのは、あまりにも巨大な体躯の熊だった。体長は3メートル以上あると思われる。ドス黒く染まった体毛がその凶暴性を体現している。額から突き出た二本の角、凶器と見まごう爪と牙が恐怖をかきたてた。
間違いない。あれは鬼熊だ。図鑑で読んだことがある。非常に獰猛な生態を持っており、いちど獲物を見つければ息の根を止めるまで執念深く追いかけ回すそうだ。あの魔物が一匹いれば都市ひとつはほぼ壊滅する。三十年前の大戦では魔族側が放った生物兵器として猛威を振るった。当時、大戦に参戦していた父上はあの魔物に手を焼かされた、と恨めしく語ってくれた。大戦が終結し、王国軍が鬼熊の掃討作戦を決行した。魔族領に生息している鬼熊を、子熊もろとも一匹ずつ駆除していった。約五年かかって、ついに鬼熊の根絶を確認できた。図鑑にはそう記載されていたが、まさかその生き残りがいたとは。父上、ちゃんと仕事しろよ。
あれが本物の鬼熊なら兵士では太刀打ちできないぞ。あれを討伐するには師団長クラスの戦力が必須だ。第二師団長の父上はいまここにいない。下手すると村人も兵士も鬼熊に虐殺されるぞ。
その鬼熊が動いた。のっそりと前足を踏み出した鬼熊は、正面の兵士を睨みつけて駆け出した。あの図体から想像できない身のこなしの軽さだ。目にも留まらぬ速さで兵士に頭突きした。
「ぐあぁぁっ!?」
兵士の身体がぶつかった衝撃に押されて家屋の壁に衝突する。木材のひしゃげる衝突音が鳴り響く。壁にめり込んだ兵士は、その場でくずおれたまま動かなくなった。
「おのれぇぇ! よくもやってくれたなぁ!」
仲間をやられて逆上した兵士が、側面から回って鬼熊に槍を突き刺した。しかし、槍の穂先は肉を通さず毛先を切るだけに留まった。兵士の攻撃に唸り声を上げた鬼熊が、振り返りざまに前足を薙ぐ。ナイフと同等の長さの爪が兵士の首に当たり、いとも容易く首を刎ねた。くるくると宙を舞う首が地面に落ち、胴体に残った切断面から血が噴き出した。
「総員、包囲陣形!」
壮年の兵士が部下の兵士に号令をかける。命令を受け取った兵士たちが鬼熊の周囲を包囲する。壮年の兵士が「かかれぇぇ!」と突撃を命じ、部下の兵士たちが一斉に槍を突き刺す。だが、やはり彼らの攻撃は鬼熊の毛皮を打ち破れなかった。
何度やっても無駄だ、と言わんばかりに鬼熊が吼えた。後ろ足で立ち上がり、丸太よりも太い腕を掲げて薙ぎ払った。風切り音を鳴らした一撃が、兵士たちの首を一気に刎ね飛ばした。だるま落としみたいに放り出された大量の首が地面を転がる。
「ひ……ひぃぃ! ば、化け物ぉぉ!」
圧倒的な鬼熊の強さに壮年の兵士が腰を抜かしてしまった。彼は歯をカチカチと鳴らしながら後ずさっていく。
鬼熊は殺したばかりの死体に近づき、血臭ただよう身体を食べ始めた。や……やばい。兵士がほとんどやられちまった。早く父上にこのことを知らせないと。そう思い、食事中の鬼熊に気づかれないように後ろに下がろうとした。
べき。固い感触のあるものを踏み、視線を下げてみた。木の枝だ。不運にも音の鳴るものを踏んづけてしまった。
その音に気づいた鬼熊が、こちらに意識を向けてきた。途端に、異常なまでの濃密な殺気が俺の産毛を逆立てさせた。
「ひっ!」
ソフィアがおもわず嘆声を漏らした。俺の服にしがみつき、目の端に涙を溜めていく。俺はそんな彼女を庇いながら、懸命に平静を保って後ずさる。
怖い。あの鬼熊が怖い。前世の俺が死んだ原因になったあの熊と対峙するのが恐ろしい。ぶわっと全身から鳥肌が立つのを自覚した。初めて熊と対決した光景が、フラッシュバックとなって俺の心を苛む。心臓の音がうるさくてたまらない。
「はあ……はあ……」
呼吸が苦しくなってきた。早くここから逃げたい。尻尾を巻いて逃げたい。世界中の人間から否定されてもいいから、あの理不尽な暴力から逃れたいよ。
無意識に背後を振り返る。そこにいたのは、怯えた表情で俺を見つめるソフィアだった。彼女の目は俺に救いを求めていた。
…………ああくそ。俺はなにを考えているんだ。俺は貴族令嬢だろ。王国の民草を守るクロムベルト辺境伯の娘だろ。だったら、いま助けを求める女の子を救い出すべきだろ!
こんなところで弱腰になっていたらダメだ。いっぱしの貴族なら貴族の務めをまっとうしてみせろ! ソフィアを守るために、目の前にいる脅威を退けるんだ! 腑抜けるな俺の心! 世界最強の漢になるために努力し続けてきたんだろ! トラウマなんてぶっ壊してやる! 親父に一歩でも近づくために、あの鬼熊を倒すんだ!
俺はフィリアス=フォン=クロムベルト。世界最強の漢を目指す貴族令嬢だ!
「うぉぉぉぉ! やってやらぁ!」
天を貫く雄叫びを上げた俺は、ソフィアに「物陰に隠れてくれ」と言い含める。こくん、と頷いたソフィアは家屋のほうに避難する。確認後、俺はファイティングポーズを取りながら龍氣を纏った。
対する鬼熊は、こちらの気迫に負けじと咆哮を上げて突進してきた。ドシンドシン、と地響きを立てて俺のほうに向かってきた。
鬼熊を正面に捉えたまま、冷静に自分と相手の力量差を分析した。いまの俺にある手札はふたつ。龍氣、極真空手を主軸に据えた総合格闘技。これらふたつの手札を使い、あの強敵に勝つための道筋を描く。
俺と鬼熊が正面衝突する寸前、俺は右手にありったけの魔力を注ぎ込んだ。その右手で突進する鬼熊の顔面をぶん殴った。
「ぐぉぉっ!?」
「くっ!?」
疾風の如く振り抜かれた右手が鬼熊を押し留めた。硬ったぁぁ!? なにこいつのおでこ! 硬すぎるぞ!? カルシウムの取り過ぎだろ! いちおう俺の攻撃は効いてはいるが、敵の意識を刈り取る威力に至ってない。やはり奴を殺すためには、感覚の鋭い目や鼻、動脈が集中している喉元を狙う必要があるな。
その鬼熊が俺を押し切ろうと前足を踏み出す。鬼熊に対抗するべく、俺は右手の拳に魔力を絶やさず送る。敵に押し負けないように体幹を意識して押し返していく。が、急に鬼熊がステップを踏んで一歩下がった。その直後、鬼熊が口を大きく開けて俺の右腕を咬みちぎらんと迫ってきた。こいつ! こんな小細工もできるのか! しゃらくせえ!
俺は素早く右腕を引っ込めてバックステップを踏む。鬼熊の噛みつきが空ぶったのを確認してから、低い体勢になって敵の懐に潜り込んだ。真下から敵の喉元を狙いすまし、最大出力の魔力で敵の喉元にアッパーを繰り出した。
「グォォァァッ!?」
急所を打たれた鬼熊がくぐもった絶叫を上げた。よし! 効いてるぞ! このまま押し切ってやる!
だが、鬼熊も黙ってはいなかった。左の前足を上げたかと思ったら、その前足で俺の右腕を押さえつけた。直後に俺の右腕が万力で固定されたような激痛が走った。
「痛って!? くそっ! 離せこのやろ!」
必死に拘束を解こうと右腕に力を加える。しかし、一ミリも右腕を動かせない。そのあいだに、鬼熊が怒声を上げながら右の前足を振り下ろした。爪の届く範囲にいる俺の上半身に裂傷が入った。
「がっ!?」
いまの一撃で意識が飛びそうになった。ぐぁぁ!? 痛え!? 傷口から血がたくさん出てるし、痛みがひどくて集中できねぇ!
鬼熊が追撃しようと前足を高く掲げた。俺はまた負けるのか? また夢の途中でつまづいて、親父のとなりに並び立つことができなくなるのか? 熊という最大の壁に阻まれるというのか?
俺では世界最強の漢にはなれない、と無慈悲に突きつけるのか?
……嫌だ! 絶対に嫌だ! たとえ目の前の壁にぶち当たったとしても、俺はその壁を正面からぶん殴ってやる! 俺はあの日誓ったんだ! 必ず親父のような人間になってみせる、と。だったら、俺はこんなところで諦めたりしない! 俺の夢は絶対に終わらない!
「世界最強の漢になるのは、俺だ!」
俺は臨界点まで魔力を練り上げたあと、右足に一ミリたりとも残さず集めた。熱くてたまらない右足の痛みに堪えつつ、鬼熊の腹部を狙ってトゥーキック。蹴りの勢いに押された鬼熊の身体が宙を舞った。
「グゴォォァァッ!?」
嘘みたいに鬼熊の身体が上空へと飛んでいく。混乱した鬼熊が、空中に放り出されたままバタバタと手足を動かしている。その隙に起き上がって投げの体勢に入る。真上にいる敵を捉えながら、こちらまで巨体が落下するのを待つ。
俺の腕が届く間合いに入った瞬間、
「おりゃあぁぁぁぁっ!」
両手で鬼熊の右腕を掴んで背負い投げをぶちかました。落下速度を上乗せした投げ技が鬼熊に直撃した。
「グォォッ!?」
鬼熊の背中が地面と衝突し、周囲に地響きの音を鳴らした。俺に投げられた鬼熊が仰向けに倒れる。いまがチャンスだ。
天を仰ぐ鬼熊の腹部に乗っかった。マウントポジションを確保したまま、両腕に魔力を集める。敵の目や鼻、喉元を狙いすまし連打。敵が完全に絶命するまで殴り続けた。
「うおおおおぉぉっ!」
鬼熊の真っ黒な目を、平べったい鼻を、肉厚な喉元を何度も殴り続けた。殴って殴って殴って殴って殴って殴って殴って殴り続けた。拳が当たるたびに敵のうめき声が耳朶を打つ。さらにぶん殴ろとした、次の瞬間。
「グガァァァァッ!」
やられてたまるか、と言わんばかりに鬼熊が仰向けの体勢から俺の腕に噛み付いた。右腕が半ばから食いちぎられた。
「ぐっ!」
鬼熊に食べられて右腕の先がなくなった。血液が断面から止めどなく流れる。全身に走る激痛が思考を鈍らせる。
それでもなお、俺は最後の力を振り絞り左腕に魔力を一点集中。肩を引いて正拳突きの姿勢を取る。
そして、
「ああああぁぁぁぁ!」
裂帛の気合いで鬼熊の喉元を貫いた。断末魔の叫びを上げた鬼熊は四肢を投げ出した。その瞳から光が消え失せた。
……ついに、ついに倒せた。俺は倒したんだ! 悲願だった熊殺しを成し遂げた。最初の関門を突破できたんだ!
「……いよっしゃぁぁぁぁ!」
鬼熊の腹の上で立った俺は天に向かって勝利の雄叫びを上げた。やっとの思いで世界最強の漢への道を一歩進めた。これ以上の悦びがあるだろうか。いまだゴールへの道のりは険しいが、最初の一歩目を踏めた俺は止まらないぞ。このまま最短距離で突き進んでやる!
「見ていろ親父! いつかきっとあんたと同じところに立ってやる!」
高々と両腕を上げた俺は、世界最強の漢である親父まで聞こえるように声を張り上げた。
***
鬼熊の襲撃から二週間後。クロムベルト家の本邸にて。
ベッドの上でくつろいでいた俺は、父上からの報告書を読んでいた。
『お前が鬼熊を討伐したことは聞き及んでいる。当該魔物が防壁を破壊した犯人なのは疑う余地もないだろう。その点を踏まえて、お前が私の命令に背いたことを不問にする。他の魔物も我ら王国軍がすべて駆除した。防壁の修繕工事も無事終了した。鬼熊を倒したお前のことを誇りに思う。よくやった』
サイドテーブルに報告書を置いた俺は、背中からベッドに倒れこんだ。
鬼熊を倒したあと、壮年の兵士に村人の安否確認と父上への報告を頼んだ。当然こちらの正体に気づいていた。が、それを追及されることはなく俺の頼みを聞き入れてくれた。そのあと、俺は生き残りの兵士たちと一緒に殉職者の亡骸を埋葬した。ソフィアに別れを告げ、本邸まで身体に鞭を打って帰還した。帰りを待っていた母上が叱責しようとしたが、満身創痍の俺を見て絶句してしまった。その母上に経緯を説明し、俺が鬼熊を倒したことも伝えた。あの鬼熊から領民を守った俺のことを強く戒めようとしなかった。あれ以来、母上とすれ違っても目を合わせてくれない。よっぽど気まずいんだろうな。
「鬼熊に食われた右腕も完治したし。終わりよければすべて良しだな」
右腕を目線まで持ち上げて見つめる。鬼熊によって受けた負傷は、クロムベルト家お抱えの回復魔法使いに直してもらった。なくなった右腕も元通りになった。本当に魔法ってすげえな。
「お嬢さま、ハンナさまがお見えです」
自室に入ってきたサリーが手短に用件を伝えた。
「おっ、もうそんな時間か。いま行くよ」
「……お嬢さま、くれぐれもハンナさまに無礼をしないでください」
「なんだよその言い草は。まるで俺がやらかしているじゃないか」
「その通りでございます。先日も魔法の訓練後、ハンナさまを絞め技の訓練相手にしたのを目撃しましたよ?」
「ははは、なんのことだか」
白々しくすっとぼけてみせた。さすがに隠し通せないか。今度は上手くやろう。
ベッドから跳ね起きた俺は、身なりを整えてから演習場へと向かっていった。
さあ、世界最強の漢になるために今日も努力するぞ!
お気に召したら星☆と感想をお願いします。




