また明日
男は薄暗い店内を一歩一歩確かめるように進みながら、私と彼女しかいないことを再確認する。ざらついた音を立てる砂利付きの靴は、ゆっくりとレジの前まで近づいてきた。
私と彼女より十数センチは高い黒マスク。
マシンガンからは金属の臭いがする。黒くて、長い。
怖い。
手が震えて、頬に汗が伝う。
見下ろす視線は値踏みをするように細くなっていて、息もできない。
男は私をしばらく見た後、もう片方へ手持ちのマシンガンを向けてきた。
「おい……火傷女、その荷物下ろせ」
「……」
両手を上げていた彼女は、上からの視線に戸惑うことなくそのままの姿勢を取っていた。泰然自若と言ったその様子に男は苛立ちを覚えたのか
「聞いてんのか! 下ろせ! 今すぐだ!」
「ひっ……!」
地面を強く踏みしめて、銃口を彼女に向ける。
悲鳴が喉奥から漏れる。
いやだ。
殺されるの見たくない。
目を背けた私の耳に入ってきたのは、バッグが床に落ちるかさついた音だった。
「……これでいい?」
恐る恐る目を開けると、肩からのバッグを床に置いた彼女が再び手を挙げ直していた。腰のポーチとジャケットだけになった彼女は、睨みつけるような目で男を見つめていた。
心臓の音が耳まで聞こえてくる。跳ね上がった緊張の行き先を見失った体は、どうしたってこわばったままだ。
「よし……おい店員!」
「え、あ、えっ」
「パニクってんじゃねえよ、金出せ、全部!」
下ろされていた銃口は私に向けられる。
あ。
どうしよう。
私は、
「は、は、はい、い、いま! いま、やります。だから!」
――殺さないで。
言葉を出し切るより前に、体が動いていた。レジのボタンを操作して、整理された紙幣を震える指でまとめ上げる。
男はそれを確認しながら、腰に結んでいたビニール袋を片手で叩きつけた。
大きな音で肩が震える。体の操作がままならない。小刻みに震える私に苛ついた男は、もう一度銃口を私に寄せてきた。
「早くしろ! 殺したっていいんだぞこっちは!」
「はい、は、はい――!」
怒号が押し寄せるたび、体が思うように動かなくなる。早く持っているものを渡せばいいだけなのに、そうすれば楽になるだけなのに、どうして。
やり場のない感情が胸に押し寄せる。
苦しい。
なんで私、こんなことしてるんだろ。
どうして――。
目頭がつんと熱くなる。耳鳴りを切り裂くように男の怒号は続く。
「泣いてんじゃねえ! 早くしろ! 殺したって――」
「殺したっていいのは」
白くなる視界で、私と男以外の声が聞こえる。
冷たくて、だけど澄んでいて、凛とした声。併せるように、金属の擦れる音が響く。
慌てて目を拭い、視界をはっきりさせると――いつの間にか男の横に立っていた『彼女』が、こめかみに向けて拳銃を向けていた。
「こっちも一緒だけど」
「お前! いつそんなもん」
「買い物かごに武器なんて入れてたら、誤射するかもしれないでしょ?」
「……あ」
男よりも先に、私が気づく。
彼女の右腰。紙幣を取り出していたポーチのボタンが外されていた。財布代わりにしていると思っていたそれは、ホルスター代わりだったらしい。
彼女は続ける。
「トリガー、指掛かってないよ」
「あ? あ――」
「指を掛けたら撃つ。動作しても撃つ。こっち。今お前ができるのは――それを机に置いて、消えることだけ」
冷たい声音と共に、銃口が男のこめかみに強く押し付けられる。男の冷や汗が顎まで伝い、滴になって床へ落ちた。彼の銃口が震える中、より一層低い声音で彼女は言った。
「……どうする?」
「……わかった! わかったから!」
銃口を私から逸れて、銃身は机にそっと置かれる。丸腰になった男はそこで始めて、彼女と視線を合わせることができた。
「お前、なんなんだよ……」
前髪越しに見える、茶色く仄暗い視線。男の頭部に照準を合わせたままぴくりともしない姿。その立ち振る舞いは、男を数歩の後ずさりの末、四つん這いになって走らせるには十分だった。
ドアを開くやいなや、男はすぐに飛び出していく。手動でないと閉じないドアの先で、豆粒みたいに小さくなっていく男の姿は、しばらくすると廃屋の中に消えていった。
店は、私と彼女の二人になる。
「……はぁっ! あっ……はぁっ……」
やっと深く息ができる。安心感からくる弛緩で、私は膝から崩れ落ちた。手に持っていた紙幣がぱらぱらと揺れ落ちていって、花吹雪みたいに周囲で散り散りになる。
いつの間にかセーフティをかけてホルスターに戻していた彼女は、少し申し訳なさそうに眉根を寄せていた。
「……ごめん、怖がらせちゃった」
「ううん……あ、いえ、助かり、ました……」
先ほどまでの声音とは打って変わった、優しさを感じる穏やかな声音。一方の私は、力の抜けきった体があちこちでぷるぷると揺れていて、比例するように声がまだ震える。
「ほんとはもうちょっとカレンさんと話したかったけど……今日は帰るね」
床に置きっぱなしにしていたハンドバッグを掛け直し、私を覗き込む彼女。立てない私を数秒見つめたのち、空いている方の手を差し出してきた。
しなしなになった肩を精一杯動かして、私はそれを取る。一息置いて、きゅっと握られた手は、立ち上がらせるように引き上げられた。言いなりの体はそれに従うように持ち上げられる。
ジャケットがぐちゃぐちゃになった私を見て、彼女はうっすらと微笑む。
「また明日」
それが、彼女が店を出る前に言った最後の言葉だった。
こちらこそ、また明日――なんて。
そんな返答もできないまま、薄暗い店内で一人きりに戻ったのに――胸はやけに熱くて、虚脱感でいっぱいだった全身に、少し力を入れられるようになっていた。
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