どこにもいかないで
人探し、神隠し。
すっきりしない話ばかりの現状は、私たちの過ごし方にも少しだけ変化を生み始める。
窓辺からの明かりがわずかに入るベッドの中で、部屋着に着替えたまま寝転がる。ジャージ姿で隣にいるカズハは、スマートフォンをタップしながらチャットを打っていた。ライトに照らされた顔が、生来の白さもあって青白くなっている。
「ほんとに……連絡が取れない」
「誰も?」
「うん。北東京にいる人たち、みんな」
「……そうなんだ」
呟いたカズハは、しばらくそうしてチャットを送っていた。返す言葉を見つけられないまま、ベッドにはタップ音だけが響き続ける。握りこんだ毛布を口元まで寄せて、顔を隠す。
私たちの知らないところで起きた出来事が、私たちに変化をもたらしている。
今の話に限らない。「Pod026」もそうだ。
誰かの思惑や意思によって動かされる世界の、一番端っこ。私が生きている世界はそんな場所で、中心にいる人々にそれを感知されることはない。
でも、だからこそ――ここを変えたい。
もやもやする気持ちも、不思議で変なことも、すべて納得できるように変えることができたなら……一人でいたときには考えたこともないような夢が、ぼんやりと頭に浮かぶ。
それはきっと、一人ぼっちのときよりいくらか心の余裕ができたからかもしれない。
「……ふぁ……」
カズハのあくびが聞こえる。
スマートフォンを枕元に置いた彼女は、毛布にくるまって少しだけ体に巻き付けた。ぴんと引っ張る感触が手元に伝う。譲るように距離を縮めると、向こうの呼吸音が小さく聞こえた。
「おやすみ」
「……うん」
目を閉じて、いずれ訪れる微睡みを待ちながらふわふわと頭を鈍らせる。毛羽立った毛布を足に絡めて、自分の熱を移したそれに体を委ねる。
しばらくそうして眠気を待っていた私だけど――静寂の中で、囁くような声音が聞こえる。
「……もう、寝てる?」
腕に、かさついたジャージの感触がする。力を抜いていた手をなぞるように触れる、冷たい彼女の手。耳元をくすぐるような声は、ほんのりとした温もりを持っていた。
「……起きてる」
私の返事に、数秒だけ動きが止まった。けれど、すぐに吐息と共に返事が聞こえる。
「……そっか」
「……うん」
力なく開かれたままの手に、指が絡められる。ひんやりした指の腹が、私を確かめるように手の甲を柔らかく撫でられた。
囁き声が聞こえる。
「……カレンは、いなくならないでね。……みんなみたいに」
言葉に合わせて、握っている手がきゅっと力強くなる。
吹けば消し飛んでしまうようなそれは、少しだけ震えているようにも感じた。
みんな――昔馴染み、ここで出会った人たち、それに私。
過去を詳しく知らないけれど、一人で生きていた私より多くの別れを経験している彼女の言葉。それは胸の奥でずんとのしかかって、どう返せばいいのかわからない。
迷いに迷った末に出てきたのは、本音と言うにも取り繕いのない、寝言のような言葉だった。
「……うん……だって、ここにいたい、から」
――手、汗かいてないかな。
閉じたままの瞼の横で、彼女はどんな顔をしていたのか。それを聞いたカズハは
「ずっといていいから。だから……」
ぴたりと体を寄せたまま、それきりだった。
肩口に感じる吐息。等間隔に訪れるそれと、手にぴったりと振れる冷たさは安心できて、間もないうちに眠気が訪れる。重くなる瞼に思考がまとまらないまま、心地良い暗闇に身を委ねた。
♪
目を覚ました私の視界で、カズハと視線が合う。垂れた髪の毛が、寝相で乱れた腕の上に乗っていた。腕枕みたいな姿勢だったけど、私を起こさないよう、頭をわずかに浮かせている。
「んぇ……かずは……?」
「お、起きた」
瞳に映る私が見える。寝ぼけまなこの私を微笑みながら見ていたカズハの顔は、寝る前に思わせた不安げな雰囲気を全く感じさせない。
柔和な表情、つかみどころのない様子。着崩していたジャージの肩口からは、白い首筋と赤い傷痕が覗く。
目が覚めたはずなのに、まだ夢のなかにいるみたいだ。
「あ……おはよ……」
「おはよ。私も、今起きたところだけど……んん~っ」
天井の低い中、背中を反らして伸びをする。ずいぶん寝覚めのいい彼女は、ぼやけたままの私をまたいではしごを下りる。
冷蔵庫の水をコップに注ぎながら、半目の私を見上げるカズハ。
「二度寝する?」
「ううん、起きる……」
目を擦りながら、ずるずると毛布から這い出る。
はしごに足をかけて下りようとしたのと同時に――ベッドの奥から音が鳴った。
それは、まだ夢の中にいた私を、一気に現実へ引き戻すバイブレーション。
ベッドの奥には、カズハのスマートフォンがある。
「ごめん、それ持ってきてくれる?」
「う、うん……」
はしごに掛けていた足を戻して、四つん這いになりながらスマートフォンを手に取る。それを手渡されたカズハは数度タップして画面を凝視すると、コップを持ったままわずかに眉根を寄せた。
中の水が、わずかに波打つ。
「……『逃げて』……?」
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