1_3 名前を教えてよ
今の住み処から少し南にある小さなコンビニエンスストアが、私の昼の働く場所だ。割れた窓ガラスはガムテープで塞がれていて、自動ドアのボタンを取っ手にして横へ開かないと店内には入れない。
レジ前の椅子に座ったまま、たまにしか来ない客を待つ。隙間風がテープを揺らし、陳列されているジャンクフードや飲用水がかたかたと揺れていた。
都内ではかつて無数にあったらしいこの手の店は、ネガティブ・ワンに伴ってほとんどが消えていった。今ではその設備や空間を利用して、個人レベルで似たような店へ改造していることが多い。
私が働いているのはそんな店のひとつ。夜勤と日勤、ワンオペで交代するシステムを取るこの店舗で、店長の顔はほとんど見ない。
電気のついていない店内は外の光だけで薄暗い。冷蔵庫だったスペースは冷水の代わりに腐らないクッキーや缶詰がずらりと並んでいて、砂埃がついた雑誌は数年前から並びが変わっていない。
かつてのコンビニと変わらずに使われていて、なおかつ商品の陳列が更新されているのは、私の後ろだけかもしれない。
手のひらサイズの箱が番号を振られてずらりと並ぶ、たばこ一面の壁。仕入れ値の高騰に従いどれだけ値上がりをしようとも、これだけは売れているし、定期的にカートンで仕入れないと空きが出る。
壁掛け時計を見ると、ちょうど昼過ぎを示そうとしていた。長針と短針が重なりそうになったところで、私の脳裏に一人の顔が過ぎる。
「あ……もうすぐか」
特に理由もない。ふとした思い付きで、私は壁の高いところに手を伸ばす。赤と白を基調にした箱を一つ取ったところで、ドアがきしむ音を鳴らしながら開かれた。
「……いらっしゃいませ」
「ん、どうも」
ぼろを纏った金髪の女性が、今日もまた眠たそうな表情で入店してきた。彼女は私の挨拶に会釈をすると、そのままかごを手に取り奥へ歩く。飲用水や袋麺、ウイスキーを手に取りながら、ふらつく足取りであちこちの陳列を眺めていた。
「ふあぁ……」
ショートカットにした後ろ髪を搔きながら、あくびを噛み殺す彼女。
名前も、どんな人かも知らない。毎日ちょうど昼過ぎの似たような時間帯にやってきては、酔い覚ましの散歩をするように店内をうろついては適当なものを購入している。
レジに出してくるものに、規則性はない。今日もいつものように雑多なものを持ち込んで、使い古されたハンドバッグと一緒に置いてくる。
「袋は大丈夫。あと、赤マルをちょうだい。えっと――」
「……こちらで」
番号を確認しようとする声を遮り、入店前に取っておいたそれを見せる。
少し驚いたような表情をした彼女は、私の手を一瞥すると少し目尻を下げて顔へ視線を上げた。
「ありがと。お姉さん、優しいね。覚えててくれたんだ」
「あ……ど、どうも」
たばこを吸っているのに、やけに澄んだ声。合わせてくる両目がこそばゆくて、私は手元に集中する。バーコードがあるものは読み込んで、書かれていないものは手打ちで金額を出す。
レジの金額が増えていく間、私は腰のポーチを探る開く彼女の様子をちらりと見た。
キャミソールとダメージジーンズの上から、ペンキのついたジャケットを腕までで羽織っている彼女。肩から腰のベルトにかけては、火傷のようなあざが赤茶色に走っている。
茶色い瞳にかかった前髪はきらきらしていて、耳周りの黒いピアスまで隠していた。
あざは見るからに痛々しいのに――綺麗だな、と思う。メイク無しでこれか、とも思う。ざらついた感情が重みを増す前に、かごの中の総計がレジの画面に映った。
「えっと……十二ドルと、八十セントです」
「じゃあ……これで」
二枚の紙幣を手から受け取って、つり銭の硬貨を出す。
「お釣り、二ドルと――」
「お姉さんにあげるよ」
「……はい?」
思わず素っ頓狂な声が出た。顔を上げると、バッグに中身を詰めていた彼女が続ける。
「嬉しかったから。チップってことで」
「あ、えーっと……い、いいんですか?」
「ふふっ……もちろん」
「あ、ありがとうございます」
コインをしまいながら、頭を下げる。一通りバッグにしまった彼女は、そんな私を見て問いかけてくる。
「ねえ、お姉さん」
「は、はい」
「言いたくなかったらいいけど――名前、教えてよ。チップの分ってことで」
「え、え? えっと……」
予想もしていなかった角度の質問に、反応が少し遅れる。ポケットで紙幣と擦れる硬貨の感触。向けられた両目に返すだけの私を見て、彼女はバッグを肩にかけた。
「ごめん、ちょっと卑怯だったか。また――」
「カレン! …………です。あけほし、カレン」
自分が出したとは思えないくらい大きな声。一瞬びくついた彼女は、私を見て
「……ふふ、びっくりした。カレンさん、ね。私は――」
続けようとしたところで、入り口が開く音が聞こえる。彼女が入店した時とは違う、けたたましくて乱暴な音。思わず目を向けると、すぐに音の主は現れた。
「――動くな!」
「――!?」
わめくような怒号。黒い目出し帽、黒基調で白いラインの入ったジャージを着た男の両手は、黒光りする長物で武装されている。
この世界で生きていれば誰でも知っている、フルオートマシンガン。
「わ、運の悪い」
私の目の前で両手を挙げていた彼女の呟きが、やけに乾いて聞こえた。
X:@G_Angel_Project
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