表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Ghetto Angel 少女が世界を変えるまで  作者: 天野椿/あおたか
2 君が想像する愛よりも
28/31

大火の前

「僕は、僕は納得していないからな!」


 机に手を叩きつけ、怒りから小刻みに震える澤井に『彼女』は冷ややかな視線を向けていた。脂汗を浮かべながら『彼女』を睨みつける澤井。感情に任せた怒声が、暗い会議室で響く。

 黒いスーツに身を包んだ『彼女』は、その声量にも全く臆する様子を見せない。


「『Pod026』? 馬鹿らしい! 君たちの都合だろ!? 僕は、ゲットーでの雇用創出も支援もずっとやってきていたんだ! 知らないふりをしてきた君たちが、今更何を!」


 そこまで言うと、肩で息をし始める。椅子に座った『彼女』の目つきは変わらない。澤井の大声もどこ吹く風といった様子だった『彼女』は、彼が再び話す前に口を開く。


「ずいぶん達者な方便を使うのですね、澤井さん。よりによって『支援』ですか?」

「ふぅ……ふぅ……君、何を」

「その『支援』で、何人の女児にトラウマを植え付けたのですか?」


 『彼女』の言葉に、澤井の体が強張った。革張りの椅子がきしむ音、彼の目が一瞬見開かれ『彼女』に向けられる。


「……何が言いたい」

「『Pod026』を経て行われる移民と、あなたがしていたゲットーの『買い上げ』は、性質が全く違うものだとご理解いただきたい――そういう話です」


 澤井の拳が振り上げられる。しかし、行き場のないそれは頭の上で震えるばかりで、ゆっくりと机上に戻された。

 澤井は、そこで初めて理解した。この女は、自分のやっていることをよく知っている

 アップマーケットでの生活を誘い文句に、無垢な女性を選んで食い物にしていた自分のことを。

 知ったうえで、文句を言う機会を作ったのだ。

 自分と『彼女』の間にある「差」を、理解させるため――自ら落ち着かせるように、額に浮かぶ脂汗をハンカチで拭う。

 机上で手を組む『彼女』は、澤井に続けた。


「それに、私一人を言いくるめたところで『Pod026』が止まることはありません。ビックテックによるプラットフォーム提供、同時翻訳による全世界対応。私がいくら出資していようが、そのほとんどはあくまで初期費用――イニシャルコストです。走り出してしまえば、あとは誰にでも賄える程度で済みます。……もちろん、澤井さんでも」

「僕では『Pod026』のイニシャルコストは賄えなかったと、そういう話か?」

「それが出来なかったために、あなたは一人ずつを食い物にしていたのでは?」

「……」

「……失礼。とにかく、私ならそれを『支援』とは言わないというだけです」


 睨むような視線。虫を見るような視線が澤井に向けられて、彼は怖気づいた。怒りに任せて話していたときとは性質の違う汗が、広い額から一筋伝う。

 表情から自身への感情を読めなかったこれまでとは違う。明確な怒りと嘲りが伝わるそれは、続けようとしていた言葉を差し止める。 

 攻め手に欠けるどころか、こちらが追い込まれている『彼女』との会話。緊張感と焦りは、澤井に出すつもりのなかったカードを出させることになった。



「そ、その『Pod026』で見つかるといいなぁ、君の娘さんも!」

「……ご存じでしたか」

「あぁ、知っているさ!」


 『彼女』の目がわずかに動く。見逃さなかった澤井は、にやつく口元で続けざまに言い放った。


「君が怖くて逃げたんだろう? 望まない生活を与えられるという点で、僕と君は何も変わらない! いや、僕は彼女たちに言ったとおりの生活は提供していた! ただ少し抱かれていればいいだけで、それに耐えられなかったあの女たちが――!」

「……これ以上は」


 冷たい声音に、勝ち誇ったような澤井の表情が止まる。再び視線を合わせた先で『彼女』の目はしんとこちらを見つめていた。


「お話にならないみたいですね」

「はぁ? 君、都合が悪くなったところで」

「話すことはないと、言っているのです」

「っ……!」


 『彼女』の声は、澤井の耳にひときわ冷たく聞こえた。椅子から立ち上がり、澤井のところを横切る彼女は、漆塗りの扉を前に一度振り返る。


「それでは、こちらでお暇させていただきます」


 浅い礼をしたのと同時に、外から扉が開かれる。ボディガードの男たちを横に従えながら、赤絨毯の廊下をゆっくりと歩き去る『彼女』。その様子に、フラストレーションの残る澤井は怒声を吐き捨てた。


「こっ、このままで、うまくいくと思うなよ!」


 振り返らない『彼女』に、続ける。


「東京ゲットーの人間なら、僕は好きに扱えるんだ! 君が考えている計画だって、めちゃくちゃにしてやることもできる! 僕につかなかった君も、カレンも、必ず後悔させてやるからな……!」



 怒りに満ちた声は『彼女』が歩くにつれ遠ざかる。何も聞こえなくなったところで、胸ポケットに挟んだ眼鏡をかける。

 眼鏡の柄のところを数度触れると『彼女』の視界いっぱいに動画のサムネイルが浮かび出した。

 画面左上には、黒い背景の上に、フォーマルにデザインされた文字が浮かんでいる。


 これが、彼女の出資により生まれた「Pod026」と呼ばれる動画視聴サービスだ。


 いくつもの静止画の下に、動画のタイトルと再生回数が並ぶ画面。格闘技とは名ばかりの喧嘩の録画や、投稿者自身モデルにしたポルノ、歌やダンス。人目を引くためのコンテンツがいっぱいに広がっている。

 目線の移動に合わせて、最適化された画面が意のままにスクロールされる。閲覧を続けながら『彼女』は隣のボディガードに訊いた。


「まだ、見つからない?」

「はい、申し訳ございません。ゲットーで調査をしている他、ほとんどの動画をフレーム毎に解析しているのですが……」

「お気になさらず、その調子で続けてちょうだい。あの子が見つかるまで、私はここに滞在しますから」

「承知いたしました。必ず……」


 話し終えた『彼女』は、一室の前で立ち止まる。


「では、ここで。明日の時程については、また転送してください」

「承知いたしました」


 ドアの前で手首を見せると、認証されたドアが開かれる。白を基調とした一室は奥行きがあり、埃一つ見えはしない。クローゼットのハンガーにスーツをかけて奥へ歩き、大きなベッドに腰掛ける。ワイシャツのボタンをいくつか外してベッドに手をつくと、


「ふぅ……」


 緊張を解くよう、大きく息を吐いた。

 しみの無い白いカーテン、ライオンをあしらった彫刻、ギリシャ調の装飾。

 高級感のある部屋は、東京における数少ない客室の一つで、高層ビルの一フロアの中にある。眼鏡に向けて数度瞬きをすると「Pod026」は落とされ、レンズにはホーム画面が映る。


「……どこにいるのかしら……」


 幼子を抱えた、今よりも若い『彼女』。

 青い髪をまとめた少女が、青い空の下で輝いている。『彼女』の胸元に寄り添った少女は白い歯を見せていて、画面に向けてピースサインをしていた。

 笑顔で細くなった目元は、その両方が違った色をしている。


「早く、帰ってきて頂戴……」


 ベッドに倒れ込んだ『彼女』は、眼鏡を外す。瞳を閉じると、居心地の悪い暗闇が視界を埋め尽くした。


X:https://x.com/G_Angel_Project

次回更新:6/21 18:05前後

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ