二度目の音
「この人、知ってる?」
カズハがスマートフォンの画面を私に見せる。そこには、青みがかった髪の毛を伸ばした女性の顔が写っていた。
どこで撮られたものなのだろうか、水色の背景の前で真顔の彼女は、丸っこい目でこちらを見つめていた。両目は紫と緑で、それぞれ違う色をしている。
長い髪の毛は写真越しにもわかるくらい艶やかで、肩から下に着ているドレスもきらきらとライトを反射していた。
もし、ゲットーでこんな人で見たら、しばらく忘れられないと思う。
「……ううん、見たことない」
「そうだよね」
私の返事に、カズハは再びスマートフォンを指でタップする。文字配列にも慣れた様子で、両手でぽちぽちと打っている普段の私よりもずっと早く、返答される。
『見たことない。カレンにも見せたけど、見たことないって』
そのメッセージに、しばらくの間を置いて返事が来る。
『わかった
ありがとう
もし見つけたら 教えて』
直接会うサノさんに比べると、文章がずいぶん冷たく感じる。けれど、意に介していない様子のカズハは、チャットを続けた。
『この人、どうかしたの?』
『今日から ゲットーで
男どもが探してる
ケガさせず見つけるだけで 報奨金が出るらしい
誰かも 知らないけど』
『そうなんだ、いくら?』
『知らない けど
しばらくは遊んで暮らせるくらいって
聞いた』
「報奨金、ね」
『ありがとう。
もしこっちで見つけたら、連絡するよ』
『ありがとう 待ってる』
チャットを切り上げたカズハは、スマホの画面を閉じると、パソコン机に置き直す。思案するように眉根を寄せながら、おもむろに口を開いた。
「誰なんだろうね、あの人」
「うーん……こんな探され方する人には、見えなかったよね……」
報奨金。
各ゲットーのギャングじみた組織に対して不義理を働いた人間が、こうして探されることはたまにある。生死は問わず、本人を連れてくればそこで報酬の支払いが済まされる。
そんな現場は見たことがないけど、東京に行くと決めたとき『せんせい』が教えてくれたことだ。
だけど、写真の彼女は、そんな雰囲気でもない。それに、サノさんからのメッセージには「ケガさせず」と書いてあった。
わざわざそんな但し書きをする必要のある人間――そんな人が、この世界にいるのか。
腕を組みながら思案する私よりも早く、カズハの声が漏れた。
「――あ」
「え、なにか思い当たることあった?」
「一応、あてが一つ」
そう言いながら、再びスマートフォンを手に取る。私が目で追いかけるよりも早く文章を書き終えたカズハは、すぐ彼にチャットを送った。
『その人、見つけたらどうするかって聞いた?
捕まえて、誰かに引き渡すとか、そういうの
間違ってたらいいんだけど
Pod026に写真付き動画をアップしろ、って言われてない?』
それほど時間の経たない間に、彼から返信が来る。
『カズ すごいな』
――「Pod026」に? なんで?
予想していない方向からの言葉に、考えるより早くカズハが種明かしをした。
「多分この人――アップマーケットの人だ」
アップマーケット。
ゲットーがほとんどを占める日本において、数少ない富裕層が生きる場所。私たちにスマートフォンと「Pod026」というチャンスを与えて、画面の向こうで私たちの動画を見ている人々。
振り返ったところで、ようやく私も気づいた。
「……『Pod026』って、私たちは」
「そう――私たちは、他人の動画を見られない。見られるのは、向こう側の人間だけ。――写真の人は、攫われたか消えたかして、探されてるんじゃない?」
ゲットーにおいて、警察や軍隊はほとんど機能していない。それよりは、ここで生きている人々に人探しをさせた方が見つかる可能性も高いし、効率もいい。
今までとは違って、私たち一人一人が「Pod026」に参加するためのスマートフォンを持っている。記録するためのデバイスが爆発的に増えれば、それに比例して監視の目の数も増える。
――そっか。
私は、このスマートフォンを「私が世界に繋がるもの」だと思っていた――けれど、それは私に限った話じゃない。
スマートフォンを持っているゲットーの人々は同じだし、それを見るアップマーケットの人々も、私たちと繋がっている。
「『捕まえたら』じゃなくて『見つけたら』か……」
そうつぶやくカズハのスマートフォンは、再び女性の写真を写していた。
きらきらした服装に、波打つ光沢を切り取られたような髪の毛。それは、私の知るアップマーケットの人間――サワイとはまるで違った印象をしている。
「アップマーケットの人って……」
こんな人も、いるんだ。
そう続けようとしたのと同時に、トレーラーの外から異音が鳴り始めた。人の声や銃声とは違った、空気を切り裂く嫌な音。
スマートフォンを持つ前にも、こんな音を聞いた記憶がある。
「カズハ、この音……!」
私が訊くより早く、カズハが立ち上がった。ドアへ向かう彼女について、スリッパのまま外へ出る。
そこには、
「これって……!」
「……今度は、何を降らすの」
黒いドローンが一機、トレーラーの真上を浮遊していた。
あの時――スマートフォンとチャンスを降らせたときと同じ、知らないロゴがべたべたと貼られたドローンは、外に出てきた私たちに気づくと少しずつ高度を落とす。
比例してけたたましくなるプロペラの音、思わず耳を塞いだ私をかばうよう、カズハが間に立った。
「大丈夫だから」
「……カズハ」
ドローンは、そんな私たちに向けて数度ちかちかと中心を光らせる。直後、わずかに回転したそれは、トレーラーの外観に向けて同じように光った。
何をしているのか――理解が追い付かないまま視線を離さないでいると、ドローンは再び空へ再浮上する。
用は済んだと言わんばかりに高く浮かぶそれは、あっという間にトレーラーから離れていった。人ほどの大きさだったそれは、公園を離れてより遠くへ進み、どんどん小さくなっていく。
「……撮影してたみたい」
「撮影、って……」
「私たちと、ここを」
消えていくドローンを見ながら、カズハが言う。
突然降って湧いた人探し、報酬を受け取るための特殊な方法、そしてあのドローン。
何も繋がっていないと言い切るには無理がある現実が、私たちの周囲を固めていき――ふと気づいたことが、口をついて出た。
「『Pod026』って……世界中の人が、見てるんだよね……」
「……うん」
「それを、人探しに使えて、あのドローンも出せて、って……」
「もしそうだとしたら『ただの人探し』は、無理があるよね」
きっと「Pod026」には、私が想像もできないようなお金がかかっていて、同じくらいの人々が関わっている。
それを、私的に利用できるレベルの人が、彼女を探しているとしたら、
「……あの人って、なんの人なの……?」
写真の人の顔が、頭をよぎる。
「……」
黙ったまま、豆粒ほどになったドローンを見続けるカズハ。私を守るように広げていた手がひとりでに握られて、強張ったように固まる。
私たちの周囲を取り巻く環境は、その日を境に一変することとなった。
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