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Ghetto Angel 少女が世界を変えるまで  作者: 天野椿/あおたか
2 君が想像する愛よりも
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過去と今

 ゲットーにいる私たちは「Pod026」からの反応がどのようなものか、他にどんなものが投稿されているのか、どちらも見聞きすることはできない。

 誰が何を投稿しているのかについては、本人に聞くしかない。

 だから、サノさんがカズハに訊いたのは自然なことで、数秒生まれた沈黙も仕方ない。

 それでも、彼は申し訳なさそうに口を開いた。


「……あー、そっかそっか」

「……今は、カレンの手伝いができれば、それでいいかなって」

「まぁ、無理してやるもんでもないからな……」


 彼女の態度に納得して、含みを持ったような言い方をする。


 ――私の知らないカズハのことを、この人は知っている。


 隣にいた私からの視線に気づいたサノさんは、少し大きな咳ばらいをして


「あ……んんっ! とにかく、二人ともまた明後日ね!」


 そう言って、アクセルを踏みだした。遠ざかっていく軽トラの窓から、彼の手がひらひらと振られる。

 二人きりになった公園。私がちらりと向けた視線にカズハが気づくと、物憂げな雰囲気を誤魔化すよう笑いかけた。


「じゃ、私たちも。帰ろっか」

「あ、うん……」


 カズハの隣で、トレーラーへ向けて歩き出す。等間隔に鳴るブーツの音はやけに固く聞こえて、私のスニーカーの音は土で消えていった。


 彼女が時折見せる、陰りを落とした物憂げな表情。それが出るのは、私が知らない過去の話になったときが多い。

 ここでDJをしていた頃の話や、人づてに「Pod026」の存在を知った――かつてトレーラーにいた「昔馴染み」といた頃の話。

 どんな人か、何があったのか――どうして、カズハのところからいなくなったのか。

 私が彼女のことをもっと知ろうとしたとき、いつもそこに大きな壁を感じる。


 ――気になる。けど、カズハが私に話していいって思うまで、我慢したい。


 なんにも話さない私を守ってくれて、ここにいていいと言ってくれたカズハ。そんな彼女に、隠し事一つとってやいのやいのと騒ぎたくない。

 それに、過去を話さない分、今――私といる時間を大切にしてくれている、気がする。


 ――もちろん、気になるし、我慢できなくて訊きかけることもあるけど。


 少しだけもんもんとした気持ちを抱えていると、トレーラーが目に入る。先んじて扉を開けたカズハは、ブーツを脱ぎながら私に目を向けた。


「シャワー、先に入っていいよ」

「ありがと――ただいま」


 この言葉も、意識せず自然に出るようになった。

 バスタオルを手にしながらスニーカーと服を脱いで、狭いシャワー室の戸を閉める。

 人ひとりでいっぱいの白い部屋にある銀色の栓を捻ると、少しの間を置いて頭上からお湯が降り注いだ。

 天井に固定のシャワーヘッドへ顔を向けると、顔いっぱいに粒だった熱を感じる。


「きもちー……」


 思わず声が漏れる。こんな温かみと安心感は、ここに来るまで感じたこともなかった。


 ガソリン発電機と蓄電池を駆使して、料理やシャワーの熱に活用する。

 発電用にガソリンスタンドで買い付けるのに合わせて、生活用水も買い込む。

 排水は、彼女が契約しているダンプ業者によって処理される。

 ゲットー(こんな世界)なのに、安心できて、ご飯と環境に温もりのある生活。


 それは全部、カズハが私にくれたもので……私から彼女にお返しできることなんて、何があるのか。

 水とガソリンを買うときに使っていた台車が、軽トラになったことくらい?

 でも、その程度で返せている気になんて、これっぽっちもなれない。


「……考えないとな……」


 髪の毛にお湯を当てながら、ふと呟く。

 いつまでも、彼女の厚意に甘えっぱなしじゃいられない。「Pod026」だって、彼女がいなければ何もできなかった。

 もし、カズハの中にやってみたいことや欲しいものがあるなら、それを叶える助けになりたい。そうしないと、貰ったものの大きさに対してずっと不釣り合いな気がするから。

 彼女がそれでいいと思っていたとしても、私には返したい気持ちがたくさんある。


「……『Pod026』の結果が出るまでには、知りたいな……」

 今までのことも、これからのことも。


 途切れた言葉に合わせて、栓を閉じる。出会った時より少しだけ伸びた毛先。それを手の平で握りこんだまま軽く絞って、バスタオルを体に巻く。

 そのままシャワー室を出て、タオルと入れ替わりでジャージに袖を通す。湯気が立つ体に服を着こむと、ぽかぽかした熱が体に留まって気持ちいい。

 首元までジッパーを閉めて、あざを隠す。鼻先に当たった襟元から、かすかに彼女と同じ匂いがした。


 ――抱きしめられているみたいで、落ち着く。


「いやいや、私は何を……。あ、カズ――」


 私、もう出たよ――呼びかけようとした声は、カズハの様子に止まる。


「すぅ……すぅ……」

「……寝てる」


 ソファに座って足を投げ出していた彼女は、その姿勢のまま眠っていた。小さく開いた口からは涼しげな寝息が聞こえ、金髪越しの両目は閉じたまま、こくりこくりと頭が揺れている。


「……ぉーい、カズハー」


 スリッパに通した足で歩み寄り、隣に座る。背もたれに体を預けて、油断しきっているように見える彼女の格好。

 真横でそれを見ていると、気にしないよう抑えていた感傷が再び熱を帯びる。


「……なんとか言ってよー」


 普段私をからかうから――心で言い訳をしながら頬を数度つついても、端正な寝顔は目覚める気配を見せない。

 半開きの唇は、呼吸に合わせて小さく動く。吐息からは、たばこの甘い残り香がこちらに伝ってきた。

 意識の無い彼女に、訊けていない本音がぽろぽろとこぼれる。


「……『Pod026』で叶えたい願い事とか、なんにもないの」

「すぅ、すぅ……」

「私、鈍いから……言ってくれないと、わかんないよー……」


 ――カレンは、生きていいんだよ。誰かを生きる理由にしなくたって、カレンが生きる理由になってる人だって、いるから。

 ――私もって言ったら、どう思う?

 ――一人が寂しいのは、私も一緒。


 彼女の言葉が柔らかく刺さったまま、私の胸から抜けようとしない。


「……カズハに、願い事があるなら、叶えたいよ」

 だから、もっと教えてよ、あなたのこと――。



 ぶーっ、ぶーっ。


 パソコン机でスマートフォンが震える。二人きりの静けさを切り裂いたその音で、自分のしていることに冷静になる。

 目を瞑ったままのカズハ。白い顔が、数センチ先。

 私の口元に、たばこの匂いがかかる。


 私、今何をしようとした?


「あ、えっ、えっ!」


 飛び跳ねるようにそこから離れて、ソファの端に座る。顔に熱が集まる感覚がして、恥ずかしさで息が浅くなる。

 私が落ち着かない間も続いていたバイブレーションで、彼女の目はぼんやりと開かれた。


「んん……あ、寝てた……?」

「お、おはよう!」

「うん、おはよ……顔、赤くない?」

「えぇっ? そうかな! そんなこと、ないと思う!」


 上ずった声が空虚に響く。目をこすりながら不思議そうに私を見るカズハは、しばらくすると自分が起きた理由に目を向けた。

 正直、もう少し詰問されていたら、危なかった。


「誰からだろ……」


 パソコン机の上で、少し止んだかと思えばまた震えだす。通知が連続で来ているスマートフォンに、カズハはのんびりと手を伸ばした。

 ブラックアウトした画面を開き、何度か指で叩く。再び距離を縮めた私は、声音に気を遣いながら、おずおずと訊いた。


「……私も、見ていいやつ?」

「うん、サノさんからだし」


 隣に座った私を気にしないまま、カズハの人差し指が動く。彼女の画面で「佐野さん」と表示されたチャットを開くと、そこには数行の文字と、一枚の写真が届いていた。


『カズ

 この女 知ってる?』



X:https://x.com/G_Angel_Project

次回更新:6/18 16:05前後

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