過去と今
ゲットーにいる私たちは「Pod026」からの反応がどのようなものか、他にどんなものが投稿されているのか、どちらも見聞きすることはできない。
誰が何を投稿しているのかについては、本人に聞くしかない。
だから、サノさんがカズハに訊いたのは自然なことで、数秒生まれた沈黙も仕方ない。
それでも、彼は申し訳なさそうに口を開いた。
「……あー、そっかそっか」
「……今は、カレンの手伝いができれば、それでいいかなって」
「まぁ、無理してやるもんでもないからな……」
彼女の態度に納得して、含みを持ったような言い方をする。
――私の知らないカズハのことを、この人は知っている。
隣にいた私からの視線に気づいたサノさんは、少し大きな咳ばらいをして
「あ……んんっ! とにかく、二人ともまた明後日ね!」
そう言って、アクセルを踏みだした。遠ざかっていく軽トラの窓から、彼の手がひらひらと振られる。
二人きりになった公園。私がちらりと向けた視線にカズハが気づくと、物憂げな雰囲気を誤魔化すよう笑いかけた。
「じゃ、私たちも。帰ろっか」
「あ、うん……」
カズハの隣で、トレーラーへ向けて歩き出す。等間隔に鳴るブーツの音はやけに固く聞こえて、私のスニーカーの音は土で消えていった。
彼女が時折見せる、陰りを落とした物憂げな表情。それが出るのは、私が知らない過去の話になったときが多い。
ここでDJをしていた頃の話や、人づてに「Pod026」の存在を知った――かつてトレーラーにいた「昔馴染み」といた頃の話。
どんな人か、何があったのか――どうして、カズハのところからいなくなったのか。
私が彼女のことをもっと知ろうとしたとき、いつもそこに大きな壁を感じる。
――気になる。けど、カズハが私に話していいって思うまで、我慢したい。
なんにも話さない私を守ってくれて、ここにいていいと言ってくれたカズハ。そんな彼女に、隠し事一つとってやいのやいのと騒ぎたくない。
それに、過去を話さない分、今――私といる時間を大切にしてくれている、気がする。
――もちろん、気になるし、我慢できなくて訊きかけることもあるけど。
少しだけもんもんとした気持ちを抱えていると、トレーラーが目に入る。先んじて扉を開けたカズハは、ブーツを脱ぎながら私に目を向けた。
「シャワー、先に入っていいよ」
「ありがと――ただいま」
この言葉も、意識せず自然に出るようになった。
バスタオルを手にしながらスニーカーと服を脱いで、狭いシャワー室の戸を閉める。
人ひとりでいっぱいの白い部屋にある銀色の栓を捻ると、少しの間を置いて頭上からお湯が降り注いだ。
天井に固定のシャワーヘッドへ顔を向けると、顔いっぱいに粒だった熱を感じる。
「きもちー……」
思わず声が漏れる。こんな温かみと安心感は、ここに来るまで感じたこともなかった。
ガソリン発電機と蓄電池を駆使して、料理やシャワーの熱に活用する。
発電用にガソリンスタンドで買い付けるのに合わせて、生活用水も買い込む。
排水は、彼女が契約しているダンプ業者によって処理される。
ゲットーなのに、安心できて、ご飯と環境に温もりのある生活。
それは全部、カズハが私にくれたもので……私から彼女にお返しできることなんて、何があるのか。
水とガソリンを買うときに使っていた台車が、軽トラになったことくらい?
でも、その程度で返せている気になんて、これっぽっちもなれない。
「……考えないとな……」
髪の毛にお湯を当てながら、ふと呟く。
いつまでも、彼女の厚意に甘えっぱなしじゃいられない。「Pod026」だって、彼女がいなければ何もできなかった。
もし、カズハの中にやってみたいことや欲しいものがあるなら、それを叶える助けになりたい。そうしないと、貰ったものの大きさに対してずっと不釣り合いな気がするから。
彼女がそれでいいと思っていたとしても、私には返したい気持ちがたくさんある。
「……『Pod026』の結果が出るまでには、知りたいな……」
今までのことも、これからのことも。
途切れた言葉に合わせて、栓を閉じる。出会った時より少しだけ伸びた毛先。それを手の平で握りこんだまま軽く絞って、バスタオルを体に巻く。
そのままシャワー室を出て、タオルと入れ替わりでジャージに袖を通す。湯気が立つ体に服を着こむと、ぽかぽかした熱が体に留まって気持ちいい。
首元までジッパーを閉めて、あざを隠す。鼻先に当たった襟元から、かすかに彼女と同じ匂いがした。
――抱きしめられているみたいで、落ち着く。
「いやいや、私は何を……。あ、カズ――」
私、もう出たよ――呼びかけようとした声は、カズハの様子に止まる。
「すぅ……すぅ……」
「……寝てる」
ソファに座って足を投げ出していた彼女は、その姿勢のまま眠っていた。小さく開いた口からは涼しげな寝息が聞こえ、金髪越しの両目は閉じたまま、こくりこくりと頭が揺れている。
「……ぉーい、カズハー」
スリッパに通した足で歩み寄り、隣に座る。背もたれに体を預けて、油断しきっているように見える彼女の格好。
真横でそれを見ていると、気にしないよう抑えていた感傷が再び熱を帯びる。
「……なんとか言ってよー」
普段私をからかうから――心で言い訳をしながら頬を数度つついても、端正な寝顔は目覚める気配を見せない。
半開きの唇は、呼吸に合わせて小さく動く。吐息からは、たばこの甘い残り香がこちらに伝ってきた。
意識の無い彼女に、訊けていない本音がぽろぽろとこぼれる。
「……『Pod026』で叶えたい願い事とか、なんにもないの」
「すぅ、すぅ……」
「私、鈍いから……言ってくれないと、わかんないよー……」
――カレンは、生きていいんだよ。誰かを生きる理由にしなくたって、カレンが生きる理由になってる人だって、いるから。
――私もって言ったら、どう思う?
――一人が寂しいのは、私も一緒。
彼女の言葉が柔らかく刺さったまま、私の胸から抜けようとしない。
「……カズハに、願い事があるなら、叶えたいよ」
だから、もっと教えてよ、あなたのこと――。
ぶーっ、ぶーっ。
パソコン机でスマートフォンが震える。二人きりの静けさを切り裂いたその音で、自分のしていることに冷静になる。
目を瞑ったままのカズハ。白い顔が、数センチ先。
私の口元に、たばこの匂いがかかる。
私、今何をしようとした?
「あ、えっ、えっ!」
飛び跳ねるようにそこから離れて、ソファの端に座る。顔に熱が集まる感覚がして、恥ずかしさで息が浅くなる。
私が落ち着かない間も続いていたバイブレーションで、彼女の目はぼんやりと開かれた。
「んん……あ、寝てた……?」
「お、おはよう!」
「うん、おはよ……顔、赤くない?」
「えぇっ? そうかな! そんなこと、ないと思う!」
上ずった声が空虚に響く。目をこすりながら不思議そうに私を見るカズハは、しばらくすると自分が起きた理由に目を向けた。
正直、もう少し詰問されていたら、危なかった。
「誰からだろ……」
パソコン机の上で、少し止んだかと思えばまた震えだす。通知が連続で来ているスマートフォンに、カズハはのんびりと手を伸ばした。
ブラックアウトした画面を開き、何度か指で叩く。再び距離を縮めた私は、声音に気を遣いながら、おずおずと訊いた。
「……私も、見ていいやつ?」
「うん、サノさんからだし」
隣に座った私を気にしないまま、カズハの人差し指が動く。彼女の画面で「佐野さん」と表示されたチャットを開くと、そこには数行の文字と、一枚の写真が届いていた。
『カズ
この女 知ってる?』
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