素直なまま
深い夜の終わりと入れ違いに、空は青白さを写し始める。
ドラム缶の炎はすっかり勢いを失っていて、焦げたような黒い煙が薄く昇るだけだった。それに比例するように、好きに遊んでいた人々も各々帰路を歩き始める。
視界いっぱいの広場は、すっかりがらがらになった。
今晩のレイヴもまた、終わろうとしている。
寝込んでいる人や吐いている人はいくらか残っていたけれど、彼らも誰かに立たされて、ずるずると這うように公園を立ち去っていく。
残っていたのは、最初からいた運営の人々と、私たちだけだった。
「……空っぽだ」
持ち上げた瓶を目の前で軽く振っても、滴の一つも残っていない。ガラス越しのカズハは、たばこを咥えながらビニール袋にゴミを詰め込んでいた。
「ん、ふぁ……」
私もあくびを噛み殺しながら、空き瓶や吸殻、片方だけの靴を無造作に入れていく。本当は後始末までする必要はない。だけど、カズハに付き合っていくうち、自然とこういう役回りに収まっていった。
「若い子がこういうことちゃんとやってくれると、嬉しいねぇ!」
サノさんが笑顔でこちらに寄ってくる。両手で持っている大きな板には、丸いでっぱりが二つあった。
「いえ、全然……それって」
「あ、これ? これね、DJコントローラー!」
そう言って、出っ張りの方を見せてくる。
いくつものボタンとつまみがあって、どこが何の機能を果たしているのかもさっぱりわからない。黒くて大きな本体にはいくつもの擦り傷がついたままで、武骨な印象を感じさせる。
「これで、音が出てるんだ……」
「カレン、興味あるの?」
「あ、カズハ」
いつのまにか隣にいたカズハが、コントローラーをじっと見る。サノさんは彼女に目を移すと、
「カズも、DJそろそろまたやらねぇ?」
「え、やってたんですか?」
「あれ、知らなかった?」
カズハを見ると、伏し目になったまま口をつぐんでいる。私の反応に意外そうなサノさんは、それに気づかないまま続けた。
「一年くらい前まではね、ここでよく回してくれてたんだよ! 結構評判も良くて」
「へー……」
聞いたこともなかった。
あれだけの人がいて名前を覚えられていることや、早くから手伝っていることに納得する。カズハは驚く私を横目に
「まだ、いいかな」
ぼそりと呟いた。
サノさんは、遅れて彼女の表情に気が付く。少しきまりのわるい表情をしたのち、
「……まぁ、またやりたくなったらいつでも言ってよ! もちろんカレンちゃんも!」
「え、は、はい!」
「それじゃ、俺たちも機材出したら帰るわ!」
そう言って、私たちの前から車の方へ歩き出していった。
大きなスピーカー、折り畳み式の机。準備されていたものが次々と撤収されていく。
ゴミの回収を再開した私たちの間、先に口を開いたのはカズハだった。
「カレン、やってみたい?」
「えっと……DJ?」
「うん。もしやってみたいなら、教えてよ」
「うーん……」
吸殻を拾いながら、少し考える。
やってみたくないわけではない。大勢の人がいる、熱狂に包まれた空間。その最前線で身振り手振りを交えながら、操るように人を踊らせて、狂乱じみた時間を作り出す。
視界いっぱいに広がる人の海。そこに私が立っている、なんて――想像もつかないけど、わくわくする。
けど、もし失敗したら。そう考えると、やっぱり怖い。私のミス一つで彼らの時間が止まり、ネガティブな視線が一斉に突き刺さる。あいにく、そんな想像だけははっきりとできた。
それに、カズハの表情を思い出す。かつてあそこに立っていた――それなのに、言外でやりたくない意思をはっきり感じさせた、物憂げな表情。
なにがあったのか。聞きたい気持ちはあるけど、少し無遠慮な気がして。
やっぱり、怖いかな――言いだそうとした私の声は、カズハに遮られる。
「もう察してる気がするから、言うけど」
「え?」
「私はあそこに立ちたくない――けど、それを理由にしなくていいからね」
「……でも」
「自分ではやりたくない、ってだけだから……私は、素直なカレンの言葉が聞きたい」
琥珀色の眼が、私を見据える。
うぐ、と漏れるような声が出かかって、喉元で何とか止まった。
――それなら、なんでカズハはあそこに立ちたくないのか、教えてよ。
私、知りたいよ――カズハのこと。
聞こうとした言葉は、湿度を帯びた視線に気圧される。
――私だけ素直でいて、なんて、ずるい。からかうくせに。
けど、結局それを受け止めてくれるってことを、私は十分知っている。
「……じゃ、じゃあ、ちょっとだけ興味ある……かも」
「……ふふっ、よかった」
絞り出すような声に、彼女の目は少しだけ細まった。夜明けの白んだ空気の中、鈴のような笑い声が響く。
そんな空気が心地良いのが、一番気恥ずかしい。
誤魔化すように触っていたビニール袋の口を、慌てて指で縛り始めた。うるさい鼓動を収めるため、別な話題へと切り替える。
「そ、そうだ! もうそろそろ来るよね、回収」
機材や道具の回収に合わせて、最後にはゴミ袋を持っていかれる。広場に乗り入れた何台かの車は、大きなものを載せては立ち去っていく。
「そうだ、もうそろそろ……あ、あれだ」
指を差す先から、一台の軽トラックが入ってきた。黒い車体はこちらを見つけるとのろのろと近寄って、私たちに背中を向けて停車した。運転席の窓ガラスから、サノさんが顔を出す。
「じゃあ、後ろに乗せちゃって!」
ぎっしりと詰まったゴミ袋が二つ。それを後ろに置くと、荷台からは軋む音がした。使い込まれた様子の軽トラは車体のほとんどに厚く埃をまとっていて、高い音に併せて少しだけ舞う。吸い込まないように離れつつ、運転席のもとに寄ると、
「お、お疲れ様でした……!」
「お疲れ様! 今晩もありがとうね! 多分、次は明後日とかかな?」
サノさんがはにかんでいる。夜の時より少しだけしわが深く見えるけれど、それでも年齢の読めない顔つきだ。
「ってことは、明日は一回休み?」
「そうそう。またわかるようにするよ!」
カズハの言葉に返しながら、ポケットをまさぐる。そこから取り出したのは、黒いスマートフォンだった。
私たちも持っている、黒い板。
それは一ヶ月ほど前、空から降ってきた「Pod026」に応募するためのものだ。
「最近は、これもあるし!」
カメラと、映像編集。加えて、Pod026へのアップロード機能。それ以外には、番号伝いでメッセージを送る機能しか解放されていない。
それでも、これまでに比べたらはるかに生活しやすくなった。サノさんからすれば、レイヴを開催するための手間も減っただろう。
「『ポッドナントカ』のためらしいけど……受けなきゃ罰ゲームがある訳でもねぇし、出来ることもねぇからさ。昔のと違って、ソシャゲもないし」
――そしゃげ? 知らないけど、昔はそういう機能があったらしい。
首を傾げる私を見て、サノさんは「あ」と漏らす。
「そうかぁ。二人とも、スマホは初めて?」
「初めてです。正直、最初は起動方法もわからなくて」
「私も」
「は〜! ジェネレーションギャップ!」
ソシャゲもわかんないよなぁ、とこぼすサノさんは、そのまま私たちに訊く。
「二人はあの『ポッドナントカ』ってやつ、参加したの?」
「私は、一応……音楽で」
「おぉ、すごい! じゃあ、カズも?」
サノさんの視線の先には、手を叩きながらゴミを払うカズハがいる。彼女は少し黙った後、視線を空に向けながら答えた。
「私は、やらないかな」
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