夜更かしの道のり
私がここに来て知ったのは「カズハの夜更かしには理由がある」ということだった。
その「理由」――ここに来てから何十回も体験した「イベント」は、いつの間にか私にとっても楽しみなものになっていて――その日の夕方も私をそわそわさせる。
「カレン、これだけ持っておいてくれる?」
「あ、いいよ」
冷蔵庫からアルコール瓶を取り出したカズハ。腕ほどの大きさの瓶の中で琥珀色のお酒がたぷたぷと揺れて、明かりを乱反射させる。
何本かを片腕に抱えたまま冷蔵庫を閉めたカズハは、そのまま出口の前で靴を履く。ロングブーツに脚をはめて、片手で器用に紐を結ぶ。
それが終わったところで、
「じゃ、いこっか」
「うん。誰か、先にいるかな?」
「多分。準備してる人はちょっといるんじゃない?」
振り返ってくる視線に頷いて、私も靴を履く。
扉を開けると、出会った頃より少しだけ温もりを帯びた空気が広がっていた。つま先を土で叩きながら、私を待つ彼女の隣まで歩く。
酒瓶と、いくつかのプラコップ。落とさないように気を付けながら向かう先には、小さな雑木林と小道がある。
「足元、気を付けてね」
カズハが言う。
かつて――「ネガティブ・ワン」が起きる前は遊歩道だったのだろうか。なだらかな曲線を描くアスファルトはひび割れがいくつも生まれていて、踏み場によってはぐらぐらと揺れる。塩害の影響で枯れた木が何本か倒れていて、虫に食い尽くした幹はぽっきりと折れていた。
「ありがと……あ、もう誰かいるね」
大股でそれをくぐると、暗がりの先に光が見える。
ぼうぼうと茂った雑草やまだ立っている木の間から、うっすらとこぼれている赤い光。近づくたびに大きくなっていくそれ目がけて歩き、林を抜けると
「わ……明るい」
声が漏れる。ドラム缶の中から生まれる炎が、強い揺らめきと共にごうごうと音を立てていた。
暗がりの中で、煌々と照る光。その周囲にいた何人かの男女は、私たちを見つけるや否や声をかけて近寄ってくる。
「お、カズ! カレンちゃんも! おはよう!」
「サノさん、おはよ」
「お、おはようございます」
この「イベント」の主催をしているサノさん。彼の気の抜けた高い声に、私たちも返す。
――夜なのに。そう思いながらする挨拶は、なかなか慣れない。
サノさんは、目尻のしわを深くしながら私たちの目の前にやってくる。極彩色のバケットハットを頭に被り、水色の作業着を纏った彼の年齢は、夜の視界ではわかる気がしない。
彼はカズハと私を交互に見ると、その手に握られた酒瓶を見て一層高い声を上げた。
「カズ、まぁたこんなに持ってきて……! ほんとにいいの?」
「いいよ。一人だと飲まないし」
「あー……」
ハットの上から頭を掻くサノさん。ほんの少し寂しそうな顔をした彼は、私がいることを思い出すとすぐに元の陽気な様子に戻った。
「んじゃ、ありがたく! カレンちゃんもありがとうね!」
「あ、私は別に……カズハの分なので」
「それでもだよ――今日も来てくれて、ってこと!」
差し出された両腕に酒瓶を置くと、軽やかな足取りで炎の先にある机へ向かっていく。置かれたそれを見て、数人が歓声のような高い声を上げていた。その間を、重たそうな板を持った人たちが通り過ぎる。
雑然とした人の動き。これから始まるイベントの「準備」にしては非効率で、のんびりとした様子だけど――みんなはその非効率を楽しんでいるようなきらいさえある。
それは、私も一緒かもしれない。盛り上がっている彼らを見て、つい口角が上がる。
「みんな、本当にお酒好きだね……」
「うん。こういうイベントに来る人は、大体ね」
両手が開いたカズハは、すでにたばこを吸い始めていた。その横顔はかすかに微笑んでいて、細まる目元は炎の先へ向いている。視線をそちらに向けたまま、カズハは私に話しかけた。
「ほんと、みんなやかましくて、うるさくて……楽しそう」
「……そうだね」
私より年上の人たちが、はしゃぎ騒いで、盛り上がっている。みんなの持っている無邪気さや明るさは、カズハといる時とは違ったベクトルで、私の心を温かくする。
暗がりの中、私たちの焚き火とは比にならない火花が空を舞い、その数だけ消えていく。遠くから何人かが歩いてくる音が聞こえて、やがてその輪に近づいていった。
今夜も、もうすぐ始まる。
私の目の前で起きているこれは、彼らが呼ぶところの「レイヴ」というイベント――その準備だ。
♪
レイヴ、フリーパーティ、スクワットパーティ。
ネガティブ・ワン以前から世界中であったそのイベントは、夜中に始まり朝に終わる。
野外の広場や巨大な廃屋に、音を流し続ける――DJと呼ばれる人がダンスミュージックをかけ、開催の報を噂で聞いた人々が集う。
お酒を飲みながら遊ぶ、ただ人と話す、人に言えないようなことをする、夢中になって踊り続ける――何をするかは当人の自由。
ルールもない中、どう振舞うか。それすらも、やってきた人次第。
かつては警察に怯え、時に抵抗する覚悟を持ちながら開催されていたそれは、ネガティブ・ワンにより野放図にされ、より多くの広がりを見せたらしい。
トレーラーでの生活に慣れだした私は、すぐ近くで開催されているそれにカズハから誘われて――今では、開催している彼らからも「カズと一緒にいる子」として覚えられるようになった。
♪
私たちが着いてから数十分も経つと、勝手を知る人々がどんどん増えていく。大きな広場を人影が埋めていき、炎に照らされた顔は熱に浮かされていた。
大きなガソリン式発電機が稼働する中、その電気で動くスピーカーが爆音を鳴らし続ける。やかましいはずの発電機の音は、それ以上の音量にかき消されていた。
離れた私の体までびりびり伝わる低音は、ハイテンポなリズムを打ちながらそのジャンルを変えていく。
人の波はそれに合わせて盛り上がり方を変え、発煙筒が蛍光色の煙を打ち上げる。どこからか停められた車はフロントライトを真っ白に照らしていて、彼らの熱をより高めているように見えた。
そんなうねりの少し外。
踊りたくなったら踊るし、あの熱の中に行きたくなったら行くけど――。
「お酒……飲んだことなくて」
「ふぅ……そうなの?」
「うん。お酒も、たばこも。せんせいが『二十歳になったら』って」
「そう……ごめん、気にしてなかったけど、副流煙とかって」
「あ、それは大丈夫」
隣のカズハと遠目でそれを見ながら、なんとなく他愛もない話をしたい気分だった。
遠目でも十分に熱気は伝わるし、ここにいて寂しさを感じることなんてきっとない。
「嫌いじゃない……っていうか、あの匂い――甘くて、好きだから」
「……よかった」
何本目かのたばこを吸い切った彼女は、体育座りのまま私の横に体重を預けてきた。
「……カズハ?」
「ここ、落ち着く」
カズハの言う「ここ」が、この空の下なのか、それとも――。
そんなこと、真正面から訊くのは少し恥ずかしくて、
「……」
今はただ、向こう側の熱気を受け止めながら、冷たい体を支えるので精一杯だった。
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