私はここにいます
「うん……うん、ふーん……ここ、最初のと一緒?」
「あ、そうそう……」
インストを流しながら歌詞に目をやり、何度も確認するカズハ。隣に座った私は脚を閉じて、背をぴんと張ったままになっている。
緊張する。それに、恥ずかしい。
書いたこともない歌詞――やってみてと言われて私が考えたのは、ここに来るまでと来てからのことだった。
先生と見た星のこと、死にたくなったいくつもの夜、そして――「君」がいた朝に、これからのこと。
もしどういう意味か聞かれれば、しどろもどろになって答えられないかもしれない。私のそんな不安をよそに、最後まで読み切ったカズハは満足げに頷いた。
「うん、いいと思う。メロディについては後で一緒に考えるとして――なるべくこのままでやりたいかな」
「よ、よかった……」
ほっと胸をなでおろす。自分をつまびらかにしている分、もしも問い詰められたり、あまつさえ否定なんてされたりしたら――と、嫌なことばかり考えていた。
「――じゃあ、寝よっか。録音は明日、寝て起きたらで。ご飯を食べると声が出にくくなるから、録音の後でいい?」
「う、うん……」
「そしたら……」
そう言って、カズハは私に立つよう促す。私が従うと、カズハはつっかえ棒を取り出して、天井をとんとんと小突いた。
天井がゆっくりと降りてくる。そこにはしごをかけた彼女は、
「先、上がってるから」
それが当然、という口調と共に、ベッドへと上がっていった。
「……え」
二人で? 返そうとしたけど、周囲に横になれるスペースは見当たらない。おとなしく従うのがいいだろうけど、言いたいことは一つ、
「どうしよ……」
意識のないまま持ち上げられて寝かしつけられた時とは、まったく話が違う。
……シャワー、少し長く入ろう。
いつ以来かのお湯を体に浴びて、おあつらえ向きに用意されたTシャツを着ながらベッドに上がる。そこには、待つように肘を立てて横になった彼女がいた。
「じゃあ、おやすみ」
「お、おやすみなさい」
頭を抱え、四つん這いになりながら隣まで寄り、仰向けになる。薄いシーツの感触が背中に伝い、体が落ち着く。枕代わりの出っ張りに首を置きながら、目を閉じる。
カズハに助けられた後の私も、今のように眠っていたんだろうか。寂しさと痛みと、死にたさを抱えた朝の記憶を引きずって――。
「……カレン、起きてる?」
頭の横から声がする。囁き声は湿り気を帯びたまま、掛け布団が擦れる音と一緒に近づいてくる。
「……起きてる」
「……」
私の声を聞いた彼女の腕が、首元に回ってくる。首筋が冷たい。肩から肘に柔らかさが伝って、人がいる実感がする。
こんな夜は、いつぶりだろうか。
「……今日は……このまま、寝てもいい?」
囁き声と共に、耳元に髪の毛のさらさらした感触がする。少しだけくすぐったいけど、嫌いじゃない。
「……うん」
「……」
体に絡まった腕が、ほんの少しだけ力むのを感じた。
――お人好しで人助けするほど、いい性格じゃないから。
――一人が寂しいのは、私も一緒。
彼女の言葉を思い出す。
そのたびに、暗闇の中で体が温かくなる。
私より大人びていて、綺麗で、いろんな表情をしていて……今、隣にいるこの人に、私がどんな気持ちでいるのか。
歌詞を読んだカズハは、わかっているんだろうか。
それとも、思わせぶりなだけなのか。
もし、そうだとしてもいい。せめて今くらいは、このままで。
ひんやりした感覚とまどろみが意識を包み込んで、頭が重くなる。
この感情を口にするだけの勇気は、まだ持ち合わせていない。でも、それでこんな時間が続くなら、悪くない。
がさごそと鳴る物音がきっかけで、私は起きる。目を開けた隣にカズハの姿はもうなくて、階段を下りたところで段ボールを漁っていた。
ベッドから眺めると、そこで小さな箱を見つけたようだった。振り返った彼女と、視線が合う。
「おはよ」
「う、うん……おはよう……」
微笑む彼女の視線が眩しい。どもりながら返して、私もはしごを下りる。
「……それは?」
「これ? 録音用のマイク」
箱を開けたカズハの手には、黒と銀でできた、手のひらより少し大きいマイクがある。もう片方の手で持っていたコードをマイクに差し込んだ彼女は、ベッドを天井に格納すると、パソコンの横に座り込んだ。
モニター横の小さなデバイスにそれを差し込んで、キーボードとマウスを操作し始める。ぼんやりと眺めていた私に、作業を終えたらしいカズハが問いかける。
「水を飲んだら、録音始めるね。……準備はいい?」
「……うん」
寝ぼけ眼がはっきりと覚醒する。
――そうだ、ご飯の前に、だった。
マイクの前に立つ。私とマイクの間は、細い格子状のガード――ポップガードと呼ぶものが遮っていた。気持ち程度だけど、録る音の雑音が減るらしい。
ヘッドホンを耳に当てて、深く深呼吸をする。視線の先のカズハは、モニターを見ながら、手元に置いてある細長いマイクに声を入れた。
『あー、あー、聞こえる?』
ヘッドホン越しに、ノイズ交じりの声が入った。
「うん、聞こえる」
『そう、じゃあ、カレンも声を出して』
「……あー、あー、あーー……」
マイクに向かって声を上げる。ほとんど同時に、ヘッドホンへ声が小さく返ってきた。
普段の私に聞こえる声と少し違って聞こえて、違和感がひどい。
それに、少しだけ恥ずかしい。
「あー、あー……あ」
「大丈夫。かわいく録れてる」
私の声が上ずったのを、彼女は聞き逃さなかった。いつの間にか拳骨になっていた私の手が、ソファにいたカズハの両手に包まれる。
手は冷たくて、だけど胸は温かくなる。
「……ね?」
茶色い目が、私に向けて細くなる。
大丈夫。
信じよう。
「大丈夫。うん……大丈夫」
「……じゃあ、始めよっか。まず、最初はイントロ。メトロノームが頭に四回入るから、そこに合わせて」
手を離したカズハは、そう言ってマウスをクリックした。
大丈夫。
死ぬ勇気に比べたら、大したことじゃない。
今の私に必要なのは、誰かを信じて、生きていいって思える勇気だ。
これからのために。新しくできた「夢」のために。
私は、生きていていい。だから――
――私は、ここにいます。
深く息を吸い込んで、それを証明するように声を上げた。
「『ルージュより濃いうっ血痕――』」
それから、一カ月が経った。
空から降ってきたスマートフォンを持って、私たちはドアを開ける。
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