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1_2 生きるためにはお金がいる

 現在から十八年前、日本は断続的な巨大災害に見舞われ続けた。

 地震、噴火、台風、大規模火災。二カ月ほど続いたその期間で、日本は都市国家としての機能の大部分を喪失した。

 一連の期間は、後年の経済学者により『ネガティブ・ワン』と命名され、先進国から後発開発途上国へと変化した、世界で唯一の例となっている――『せんせい』は私に、そう教えてくれた。



 生きるためにはお金がいる。

 寝床にしているアパートは『ネガティブ・ワン』で管理されなくなった空き家だけど、持ち主がいる水や食べ物は盗むわけにはいかない。せんせいとの約束だ。


 朝一番の仕事のため、私はメーターがカンストした軽トラを走らせていた。ひび割れた道で揺れる中、社内オーディオでは同じ曲が繰り返し流れている。前任のドライバーが残していった白いCDに焼かれていた、たった一曲。

 車が跳ねるたび途切れかけるそのメロディへ沿うように、鼻歌が出始める。


「ふんふふん……ふんふーん……♪」


 道を進むたびに見える浮浪者も、薬の禁断症状でおかしくなっている人も、音楽と一緒に過ぎれば怖くない。点灯しない信号が立った十字路を目視で確認しながら、ぼろぼろの道を進む。

 しばらくすると、かつて小学校だった廃墟と、そこを歩き回る数十人の男たちが見えた。校門を通り抜け、人が集まる校庭の前で停める。

 降車した私を見つけた一人から、野太い声が聞こえてきた。


「おぉ、カレンちゃん!」

「は、はいっ、今日も、受け取りに来ました……」


 校庭には鉄筋や木材の他、黒板や机に使われていた鉄パイプまで、なにかしらに使えそうな資材が材質ごとに細かく分けられ、それぞれ山積みにされていた。


 廃墟の調査、及び資材の再利用。建物の外郭だけを残して内側のすべてを解体することから、ゲットーにおいてこの仕事は『シロアリ』と呼ばれている。

 私の仕事は、抜き取られた資材が必要とされる次の場所へ持っていくこと。合わせて言うなら働きアリだ。

 男の元へ近づくと、黄色い歯を見せながら私に指示を出す。


「じゃああそこの山、いつものとこに送ってくれる?」

「わかりました、そしたら……」


 鉄パイプの山を指差す彼は、オノデラというこのシロアリにおける責任者だ。五十ほどに見える小太りの彼は、ぱつぱつになったTシャツを油で黒く汚している。歯と同じ色をしたヘルメットの下から整えていないもみあげとひげが長く伸びていて、茶色い顔の怖い印象を和らげている。


「……あれ、カレンちゃん?」

「え、えっと……まだ、お金貰えてなくて……」


 返事をした私が動かないのを見て、彼は気づいたようにポケットをまさぐりはじめる。


「あーはいはい! そうか! そしたら……」


 手に握られていたのは、くしゃくしゃになった海外の紙幣だった。十数枚あるそれを手で押し広げて、オノデラさんは数え始める。


「今日運んでもらう分がこれで……」


 眼前で扇子のように広げられた紙幣。私を納得させるように、彼はゆっくりと続ける。


「で、これが管理費。これが手数料、これが経費で……」


 告げるたびに一枚ずつポケットに入り、紙の擦れる音がポケット越しに聞こえる。少しずつ減っていく金額の中で、最後に数枚が見せつけられた。


「これが『送金用』。大丈夫?」

「――はい、大丈夫です」


 私の言葉を確認してから、それがポケットに突っ込まれる。最初に見せられたものからは、もう半分ほどしか残っていない。

 差し出した手に置かれた紙幣は軽くて、微風で揺らめく紙の音はやけに乾いて聞こえた。表情に出さないようにぐっとこらえて、それをジャケットに突っ込む。

 しょうがない。手数料や管理費も、文句を言ったら私の居場所がなくなる。


 それに『送金用』のお金は減らしたくない。銀行口座のない私にできることは、オノデラさんに毎日送金用のお金を積み立てて、送ってもらうようお願いすることだけだ。


「ほい、じゃあ今日もよろしくね」

「あ、ありがとうございます……」


 受け取ったまま仕事を始めようとした私の背中に、オノデラさんから声がかかった。


「……そういえば! 『先生』から手紙が来てたんだった! 喜んでたよ! よかったなぁ、カレンちゃん!」

「――は、はい! ありがとうございます……!」

「今度見せるよ!」


 ――よかった。せんせい、喜んでくれてたんだ。

 曲がっていた背中がぴんと張る。車を寄せて、荷台に鉄パイプを乗せきったところで、外に向けアクセルを踏みなおす。そんな私に気づいたオノデラさんから、もう一度声をかけられた。


「あ、ガソリンはそん中から出しといて――!」



 そんな言葉を背に車を走らせ、校門を出る。

 どこが通行できなくて、どこが走りやすいか。大まかに覚えている道のりをゆっくりと北上して、たまに並走する車を避けながらしばらく進む。


 背中からは積み込んだ鉄パイプが高い音を鳴らし、車の揺れがそのまま反映されていた。CDの音がかき消されそうになる車内で、かき消されないように鼻歌を再開する。


「ふんふん……ふんふふーん……♪」


 小さな声はかろうじて私の耳に届いて、その後すぐに雑音にかき消される。

 がれきを避けて、倒れた電柱を迂回して――そうやって進んだ先には、臭気と煙を放ち続ける工場があった。熱を放ちながら稼働し続けるその工場で、暇も作らずに制服の男たちがあちこちを駆け巡っている。

 私が持ってきた鉄パイプはここで融かされ、どこかの誰かが使う何かに再利用される。何に使われるのか、どうなっていくのかは知る由もない。


 積み荷を降ろしてサインを済ませ、帰路へ走る。朝一番の仕事はこれで終わりだけど、ここからは昼の仕事に入らないといけない。さっきまでより軽くなった車体の速度を上げて、次の目的地へ進んでいく。


 ぼろぼろの廃アパート、『シロアリ』の巣窟、臭気を放つ工場。沿道のジャンキーに混じるように死体が転がったままになっていて、その周囲をハエが飛び交っている。煤けた車窓越しに映る景色は地獄の様相を呈していて、仕事を終わらせた安心感でふと気を抜くと、喉元までこみ上げてくる吐き気で息ができない。


 周囲に人気が無いのを確認して、歩道沿いに一旦車を停めた。ハンドルに頭をつけると、壊れかけのクラクションが不規則に鳴り響く。


 息が荒くなる。

 こんな場所に、ずっといられない。


「っはぁ……はぁっ……」

 必ず、必ず――ぜったいに、

「こんな世界、抜け出さなきゃ……」


 頭を持ち上げ、車内のミラーに目を向ける。さっきまで私がいた工場、煙が煙突からもくもくと昇り続けて、折れた電波塔を煙で隠そうとしている。


 そのさらに向こう側には、シルエットだけになった高層ビル群がうっすらと見えた。電波塔より高く見えるそれは、雲と煙の入り混じる空を突き抜けるようにそびえ立つ。

 この町に残された、ごくわずかな富裕層の世界。ゲットーの人間からは『アップマーケット』と呼ばれるその場所は、私の目指す先。


 私は、このゲットーを抜け出して、向こう側へ行く。

 お金を貯めて、どんな方法でもいいから身分を作って――。

 『せんせい』に貰った、仮初の「明星華怜」を本物にしなきゃいけない。

 それが出来ないとわかった日に、きっと私の勇気は満ち足りる。バンダナで隠した首元が、じんじんとうずく感覚があった。


X:@G_Angel_Project

次回更新:5/21 17:05前後

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