かわいい声
もちろん、こんな堅苦しくて怪しい話を、カズハがつらつらと話していたわけじゃない。彼女がぽつぽつと話す内容に、私が知っていることから推測した想像が入り込んだもの――言ってしまえば、これも都市伝説だ。
一通り話し終えたところで、彼女はため息をつく。ちらりと視線をやる先には、やっぱり二人分の食器があった。
「……変な話だよね。正直、本当に信信じ切ってるわけじゃない……けど、これを言ってきた昔馴染みも、嘘をつくタイプじゃなくてさ」
自嘲気味に笑うカズハ。ポケットから取り出したたばこに火を点け寂しそうに話すその目は嘘をついているように思えなくて、私も少し考える。
「……ポッド・ゼロニイロク。でも、同じこと、サワイさんも言ってた」
あの時の二人の会話は、私がいないことを前提にした――嘘や方便の必要が無いもののはずだ。
――カレンちゃんは『ポッド・ゼロニイロク』が始まる前に、こっちで引き取るから。
目の前の彼女に一つ確認したくて、私は問いかける。
「……もし、私がそれを知ってたとして……カズハが見ていた私って、その『Pod026』にチャレンジしそうに見える?」
「……」
皮肉に思われないか……少し不安だったけど、そう解釈する素振りもせずにカズハは私をじっと見る。灰混じりの息を吐いた彼女は、思案の後に答えた。
「……私は、すると思う」
「やっぱり、そうだよね……」
私もそう思う。もしもそれがあると知ったら――お金を切り詰めて、寝る時間以外ずっと夢のために働かなくても、アップマーケットに進める可能性があると知ったら――サワイやオノデラのもとで働かず、彼の養子にもなろうとしなかったかもしれない。
サワイの目にも、私はそう映っていて――だから、先手を打った。
私が「願い」や「夢」への道に誘われたとき、聞く耳を持たないように。
残されていた色々な辻褄合わせが、答え合わせをするように整っていく。何より、カズハが信じていた人が、彼女に伝えた内容だ。
――私は……嘘つかないから。
冷たい感触に、澄んだ声が過ぎる。
もう誰にも騙されたくない。けど、だからと言って何も信じたくないわけじゃない。――私は、この人のことを信じたい。
ソファに座って身を寄せた私の目を、彼女はきょとんとした顔で見つめていた。
「……カレン?」
「私……私、信じる。カズハが言うなら、私は信じるし、参加したい――その、『Pod026』」
まっすぐ目を合わせていると、彼女の顔が少しほころんだ。安堵したように息をついて
「ありがと――こんな馬鹿げた話、誰にも言えなくて」
「……その、教えてくれた昔馴染みの人、って」
「いなくなった」
私の問いかけに、小さくつぶやく。ソファの上に足を置いたカズハの背中が、きゅっと丸まった。
――あ、これはだめだったかも。
慌てて彼女から視線を逸らし、天井を向きながら上ずった声を出した。
「でも『何でもあり』なんて言われると、困っちゃうよね……! なにしよっかな……あんまり面白いことも言えないし! 人に見せられる体も、体も自信もないし! あー、どうしよ――」
「それで、提案があって」
「え、提案?」
「うん――これ、聞いてくれない?」
そう言って、彼女はマウスを数度クリックする。画面には色とりどりの帯に囲われた波線がいくつも並んでいて、虹色に輝いている。なんだろうと思うより早く、両横に置かれたスピーカーから音が鳴り始めた。
「……これ、音楽……?」
「――『インストゥルメンタル』って言って、声が入ってない状態だけど」
聞いたこともない音がいくつも重なり、波の大小に合わせて響きを変える。身震いするような低い音を中心に、透明で、切なくて、かと思えば急に荒々しくなって……掴みどころのない音楽だけど、あえてそうしているようにも感じた。
聞き入っている私に、カズハが声をかけた。
「普段、こういうのを作って、歌いたがり相手に売ってるんだけど……今回、カレンにこのボーカルをやって欲しいの」
「ぼ、ボーカ……え、歌?」
私が? 自分に指を差す姿に、彼女は頷いた。
「そう。これを歌って、動画にして、メディアにアップしたら……Pod026に申し込んだことになるから」
「え、でも……歌でしょ……?」
歌なんて、東京に来てからやったこともない。毎日車の中で同じ曲をかけて、気分を上げたいときは鼻歌を鳴らして――それくらいだ。そんな私が、歌?
「いやぁ……いや、もっと、こう、ないかな?」
「……カレンの声、かわいいけど」
手をぶんぶん振りながら断ろうとする私を、彼女の直球が追い詰める。なにそれ――はじめて言われた。
私の反応を見て目を細めたカズハは、ため息交じりに私を攻め続ける。
「このトラックも、カレンの声を乗せたくて作ったんだけどな。かわいくて、ちょっとハスキーなカレンの声にちゃんと合わせて、入れる音もちゃんと選んで……」
「カズハ、ちょっと、ちょっと……」
「私もカレンのかわいい声聞きたいし、やってくれれば、カレンの夢も叶うと思――」
「わ――わかった! や、やる!」
火照った顔で叫ぶのを見たカズハは、満足げに笑う。
「ふふっ。……ありがと。一緒にものが作れて、嬉しい」
「……むぅ……」
はにかみながら、遠慮なしにこういうことを言ってくる。それにしても――自分の声のことなんて、考えたこともなかった。
今のうちに、喉のトレーニングでもしておいた方がいいのか。火照った体を抑えるように手で仰ぎながら考えていた私に、カズハから追加の指令が飛んでくる。
「そしたら、まず歌詞を書かないとね」
「……え、歌詞も私?」
「うん。サポートはするけど、基本はカレン」
「でも、歌詞なんて、書いたこともないし」
「――今のカレン、言いたいことなんて沢山あるでしょ?」
言いたいこと、考えていること、これから叶えたいこと――確かに、山ほどある。「歌って」と頼まれるよりも、その言葉はすとんと腑に落ちた。
「……歌詞、書いてみる」
納得のまま漏れた言葉に、カズハは頷く。
「じゃ、待ってるね。メロディはなんでもいいから、書けたら見せてよ」
♪
そこからしばらくの間は、紙とモニター相手にずっとにらめっこをしていた。再生の方法だけ教わって、少し書いては巻き戻し、また書いては巻き戻す。書き進めて違うと思ったら、すぐに二重線でかき消してまた新たに紡ぐ。
うんうんと唸りながらペンを握り続ける。手にくっついたみたいに離さず、思いついた言葉をすぐさま紙に書き写していると、時間はあっという間に過ぎていった。
その間にカズハは散歩を始めたり、キッチンでたばこを吸ったり、外のキャンピングチェアに座りながら焚き火を始めたり――私の意思に任せるように、ほとんど関わってこなかった。
そうしてどれくらいの時間が経ったか、自分でも分からない。
最後に、イントロからラストまでを聴きながら足りない場所がないかを確認する。真っ暗な部屋で煌々と照るモニターを前に、つぶやきながらメモを追う。
メモの終わりと共に、インストゥルメンタルは無音になった。
ぴったりちょうど、過不足なし。
外で火の後始末をしているカズハに向かって、自分でも驚くくらい大きな声が出た。
「――書けた!」
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