ポッド・ゼロニイロク
目的地へゆっくりと走る軽トラの中で、私は今までのことを沢山話した。
せんせいのこと、東京に来た理由。死にたがりになるまでの経緯。騙されていたこと。
彼女は「訊くつもりもない」と言っていた。
けれど「これから話したいこと」を話すためにも知ってほしくて……知らない単語とか、恥ずかしいことだけ取り除いた私のあらましを、彼女に話し続けた。
「……それが『先生』って呼んでた人だったんだ」
「うん……あ、着いた」
「ここって……電波塔?」
小学校を超えて、工場を超えて――私が車を停めた場所にあったのは、赤くそびえたつ電波塔の前だった。折れた先端部が土台に寄りかかり「人」の字のようにも見えるそれは、ゲットーの象徴になっている。
灰がかった視界の向こう側には、汚い世界の景色を綺麗に反射する高層ビルがいくつも建っている。アップマーケット――サワイの住む場所も、あそこのどこかなんだろうか。
鞄を持って降りた私に付き添うよう、カズハも一緒に降りる。「これから話したいこと」は、どう話せばいいんだろうか――考えはまとまり切らなかったけど、思い切って口火を切る。
「……私、ここに来てからの夢は、ずっと……あそこで暮らすこと、だった」
「さっき話してたね。だから、お金も沢山貯まったって」
私が指を差す先は、雲に隠れて何も見えない。視線の先を見つめていたカズハは、手をかざしながら目を細めた。
「でも、今は、私がここから抜け出すよりも……もっと、違った夢ができて……まだ、ゲットーにいなきゃいけないなって、思った。だから、えっと……」
「……うん」
指を下ろして、肩にかけていた鞄を手に持つ。
「その……新しい場所を探すより、誰かと一緒の方が、落ち着くというか……やっぱり、一人は寂しい、というか……」
あぁ、ぐだぐだだ。顔もまともに見られない。
視線を地面に向けたまま目を瞑って、彼女の方に鞄を差し出した。
「こ、これ! 全部あげる、から……私も、あそこに住みたい……です……」
頭が熱い。どきどきする。腕だけで支える鞄がやけに重たくて、ぷるぷると震えだす。緊張を緩ませたのは、全身に感じる冷たい感触だった。手に持っていた鞄が、ぼとりと落ちる。
――両腕で、体を抱き寄せられている。肩に顔が押し付けられて、顔は見えない。
「……え?」
「……一人が寂しいのは、私も一緒」
小さな声が聞こえた。
優しくて、柔らかくて、静謐な声音が、かすかに上ずっている。
今の私には、彼女がどんな表情をしているのかうかがい知れない。
でも、喜んでいたらいいな――そう思いながら、背中に回された手に逆らわず、体を寄せた。
「『いつでも待ってる』って言ったでしょ。私は……嘘つかないから」
「あ……」
――仕事が無い日とか、できれば……!
――そうだね。いつでも待ってるから。
「……うん」
「……嬉しい」
カズハの両腕に力がこもる。けど、痛くない。
ひんやりして心地良い感覚に身を任せながら、首筋に頭を置いて。私は、落ち着かせるように両目を閉じた。
♪
公園脇の駐車場に車を停めて、トレーラーまでのゆるい傾斜を歩く。入り口でドアを開けると、出る前と変わらない空間が広がっている。
「……おかえり」
促すように言う彼女に、私は返す。
「た、ただいま」
「ふふっ……言い慣れてないね」
どことなく落ち着かない言い方に、カズハはくすくす笑う。仕方ない、ここを出る前と今で、彼女との関係は全然違ったものになった。
もっと言えば、数日前は名前すら知らなかった。レジ越しにただ、綺麗な人だな、と嫉妬交じりに見ていた彼女と、今は同じ屋根の下にいる。
恥ずかしいけど、慣れるんだろうか。ため口も、呼び捨ても、今はまだ少し緊張する。
私が鞄を床に置いている間、彼女はソファに座って、脇のパソコンを起動させていた。ファンの音がかりかりと鳴る中、画面を凝視するカズハ。
稼働しているパソコンなんて、初めて見た。詳しそうに触る彼女の様子に興味が湧いて、私から声をかける。
「そのパソコン、ちゃんと動くんだ」
「ジャンクパーツの有り合わせだけど、一応……。――ねぇ、カレン」
「……うん?」
視線の向きは変わらないまま、少し改まった声音で呼ばれる。
「急でごめん。車の中で言ってた『願い』や『夢』のこと……話したくて」
「あ、サワイさんの……。でもあれは――幻覚性のドラッグだ、って」
「それも、その男の嘘だとしたら?」
カズハは変わらずモニターを見つめながら、マウスを何度かクリックする。
――噓だったら? ってことは、本当にそれを叶える手段が、あるってこと?
答えを出しあぐねている私を見て、彼女は覚えのある言葉を口にした。
「『ポッド・ゼロニイロク』って……聞いたことない?」
――『ポッド・ゼロニイロク』の話も嘘だって信じ込ませて――。
――カレンちゃんは『ポッド・ゼロニイロク』が始まる前に――。
オノデラ、サワイ。彼らの話していた言葉が記憶をかすめる。
胸がざわつく。思わず身を乗り出して、パソコンを触ってる彼女の隣に座った。
「あの二人、言ってた……! それ、カズハも知ってるの?」
「……昔馴染みから、聞いたことがあるの。そういうのが始まる、って」
ほんのわずかの間、視線がキッチンへ向く。今朝洗われたばかりのフォークが二人分、水を滴らせていた。けれどそれもつかの間、瞬きを一つした彼女の視線は、すぐ私に向かう。
素っ頓狂な質問を、それに見合わない真剣な表情になって、私に問いかけた。
「例えば……『どんな夢も叶えられるオーディション』があったとして、カレンは……参加する?」
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