嘘
信じたくなくて、一瞬出した顔をすぐに引っ込めた。心臓が痛い、どくん、どくんと嫌な高鳴りをする。
幸いなことに、角の向こう側の二人は気づかなかったらしい。オノデラさんと、サワイおじさま――に声が似た誰かは、そのまま話し続ける。
「まぁ、俺は俺で得してるんでいいんですけどね? あ、あと一か月でしたっけ? そしたら、また新しいガキ探さんとなぁ!」
「……うん。こんなになってもまだ『東京には仕事がある』なんて考えて上京する子をピックするのは、大変だろうね」
「ずいぶん減りましたよ……『上納』できるレベルのは」
「僕からそれなりにバックしてるし、いいじゃない。特にあの子は、期待した以上に働いてくれたでしょ?」
声。
信じたくない。
「期待した以上だったし、俺にとっても都合いいんで、もうちょっと……『ポッド・ゼロニイロク』の直前までは飼い殺したかったんですが……高架下のじゃダメなんですか?」
「あぁ全く……何度も言わせないでくれ!」
それなのに、嫌になるくらい声が似ている。
――サワイおじさまなんですか? 本当に?
「僕は、小さい稼ぎを貯め込んで、体を売らず、希望と夢を持った子が……絶望しながら僕に体を預けてぼろ雑巾になる……そういうのがね、大好きなんだよ」
「――はぁー、俺にはよくわからないですわ!」
何を言っているのか、わからない。
今にも吐き出しそうな嫌悪感が体中に走る。
嫌だ、いやだ。
「まぁ、共感を求める気はないよ。とにかく、あの子――」
いやだ。
名前を言わないで。
信じたくない。
「――カレンちゃんは『ポッド・ゼロニイロク』が始まる前に、こっちで引き取るから。使い込んで死んだら、事後処理は頼むよ」
「サワイさんのご用命とあらば! ……あーぁ、誰だか知らない『先生』の送金分って言えば、今までの女より抜けたんだけどなぁ……」
♪
体中に虫が走るような、気持ち悪さ。走り出した体をそのままに車に乗り込む。エンジンをかける手が小刻みに震えて数度、やっとの思いで鍵を捻った。
「あれ、どうしたの――」
先ほど話した男からの声が背中で聞こえた。
返事ができない。
こみ上げる吐き気を口元で抑えながら、アクセルをべた踏みする。噴き出したエンジンがうなるようにして急加速して、ここじゃないどこかへ向かう。
「わ、わ、たし、わたしは、わたしは――」
騙されていた。
私の日給の一部が『せんせい』の支援に使われている――嘘。
お金を貯めて戸籍が手に入れば、サワイさんが養子縁組してくれる――嘘。
この世界から抜け出せる――噓。
全部が嘘で、抜かれたお金はオノデラへ、養子縁組はされず、サワイのもとに向かった私の体は――。
「し、しし、し」
アクセルを踏む脚、ハンドルを握る手、どちらの震えも収まらない。
震える喉がどもり続け、言葉が出てこない。
やっと形になった言葉が、狭い喉奥で叫ぶように発された。
「しにたい……!」
今までの何倍も早く着いたアパートの駐車場で、倒れ込むように車から出る。這いずりながら駐車場を出て、言うことを聞かない体を抱きしめる。
どうして、どうして。
オノデラの違和感に、気づけばよかった。
サワイの視線の意味を、もっと考えればよかった。
真意に気づかず、善意だと思い込んで、頑張ればなんとかなるなんて信じて。
「だれか、だれか……」
青白い空の色が、ひしゃげたアスファルトに色を付ける。冷たくて、固い。体にそれを感じながら、呻きが出る。
「ころしてよ――!」
刹那、私の視界が真っ暗になった。
なに、これ――真っ黒いビニール袋だ。
気づいたのと同時に両手を後ろに回され、手首がきつく締めあげられる。
「だれ、だれ!?」
「おい、動くなよ店員!」
強張った、少し若い声が聞こえる。あの二人のものでもないし、当然カズハさんのものでもない。
体を捻りながらじたばたとしても、手首の紐は緩もうとしない。
「だれ! あなた――」
「うるせぇ!」
お腹に鈍い痛みが走る。靴だろうか、蹴られた痛みで、ビニール袋の中に唾が飛ぶ。
「うぇっ、うっ」
「おとなしくしろっての!」
私の嗚咽を聞いた男は、もう数度お腹を蹴ってきた。痛い。空気が抜けて、呼吸ができなくなる。真っ暗な視界がじんじんと揺れて、目が反射で閉じる。
少し経って、意識が消える。真っ暗闇の中で、私の世界が閉ざされた。
X:https://x.com/G_Angel_Project