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八十二戦八十二勝

 ズバーン!

「勝負よ上園恭介! 私が勝ったら私と付き合いなさい!」

「……毎日元気すね、一条先輩」

「ふん。その様子ではちゃんと調子を戻してきたようね。ま、当然だけど。私の厚いお情けを受けておいて、今日もつまらない泣き言なんかしてきたら“タマ”もぎ取ってやるところだったわ」

 昼休み開始三秒で自己主張激しく2-2に召喚した一条先輩は力強く胸を張ってとても恐ろしいセリフを堂々と言い放った。

 その悪魔予言に、クラスの男子達が恐怖に戦いて一斉に内股になり、女子達は頬を薄く染めて目の遣り場に困っている。直人なんかガタガタ震え上がってあろう事か俺に合掌してやがる。おい待て友人。誰がこんな闘争ガールの人身御供になどなるものか。

「念の為今日もアンタが朽ち果てたボロ雑巾状態のままって可能性を考慮して、今日はちょっと長めの一戦で許してやろうと思って来たけど、要らない気遣いだったかしらね。でも今日はコレしか持って来てないし、ま、病み上がりだから今日は一戦で許してやるわ。感謝しなさい」

「ワーイアリガトウゴザイマス一条先輩ハマルデ僕ノ聖母様デスヨー」

 俺は素直に超棒読みで万歳してやった。もし復活していなければ息子をもぎ取った上で勝負を仕掛ける気だったらしい、残虐非道の大魔王に対する最上の感謝の気持ちを込めて。

 そして都合良く解釈し偉そうに鼻を鳴らす一条先輩である。腹立たしい。

 しかもそのちょっと長い一戦とやらは本当に気遣いの(あらわ)れなのだろうか?

 一条先輩の脇に抱えられたボードゲームをげんなりと見詰めていると、一条先輩は見れば分かる本日の勝負種目を誇らしげに俺の机に叩き付けて、自信満々に言い渡してきた。

「今日は人生ゲームで勝負よ! ソコ、いつもヒマそうだから参加してもいいわ。多人数向けに作られたゲームをやるからにはそこそこの人数で盛り上がってやんないと、この素晴らしい勝負を考案した製作者とこのゲームに忍びないもの」

 昼休み中に一戦終われるかどうかという過去最大級の大戦役に二郎と直人も巻き込まれていた。

 今更この程度ツッコム気も起きない俺は、直人に彼の机を俺の机とくっ付けさせてボードを広げテキパキと準備を整えていく一条先輩を従順に手伝い、物の一分も掛からずスタンバイ完了。

 いつの間にかしっかり強奪していた直人の椅子に俺と対面の位置で踏ん反り返る一条先輩と、ボードを見易い位置に移された二郎の机に腰掛ける友人二名、そして俺の四人は自分の駒を選ぶ段となり、さー今日も平穏な昼休みを取り戻す為に勝ちますかと俺が緑の車に青い棒を一本立てたその時。

「さー行け乙女! チヅならやれるさグッドラック!」

 ドパーン! と目前のドアが元気よく開かれ、


 上園一条大戦史上最大のイレギュラーが発生した。


 何者かに廊下から2-2の教室内へ突き飛ばされ、咄嗟の素晴らしい反射神経で制服のスカートの中が見えないような尻餅をついた女子生徒は縋る目で教室の外を見上げ、何かを訴えようと口を開き掛けたが言葉が出る前にドアは無情な音を立てて閉じられた。

「あ……」

 信じていた希望みたいなモノが途切れたかのような泣きそうな顔になる短髪の女子生徒。

 彼女は自分の居場所を恐る恐ると確認する風情でこちらに首を回し(というかここは壁とドアに挟まれた教室の隅なのでこちら以外に首を向ける方向がない)、都合俺達と目を合わせるとピョンッと居住いを正して泣き笑いみたいな引き攣った笑みを見せた。

「ど、どうも……」

「誰アンタ」

 一番間近にいた一条先輩が椅子の背凭れ越しに見降ろす。

 ははは……と弱々しく愛想笑いしながらキメ細やかな短髪を揺らす女子生徒は一条先輩の眼光に明らかにビクビクしていた。この辺はやはり体育会系の精神からくる年長者に対しての絶対的な畏れが有るのだろうか。

 俺は唖然と彼女の名を呼んだ。

「宝さん?」

「あ、上園……えと、お邪魔します」

 ペコリと頭を下げる宝さん。

 廊下の方からドア越しにくぐもった声で「コラー! 気圧されるなー! 立て、立つんだチヅ――――!!」「マルちゃん、それ誰のマネ?」とか聞こえてくる。

「何。コレアンタの知り合い?」

 廊下の二名は取り敢えず無視して、一条先輩は初対面の宝さんをいきなりコレ呼ばわりしなさった。

 しかし俺は俺で突然の宝さんの登場に脳が機能不全を起こし、指摘もできず普通に頷いてしまう。

「去年同じクラスだった、宝智鶴さんです」

「ふーん」

 空返事を寄越し宝さんを注視し続ける一条先輩。

 数秒、その場の誰もどうすればいいのか分からない沈黙が続き、何故か俺が一条先輩にギロリと睨まれた。

 瞬間的に俺は何を求められているのかを理解し、慌てて宝さんに紹介する。

「宝さん、この人は一条咲先輩。……えーと、……三年生」

「何それ。アンタの先輩なら三年に決まってんでしょ。他に何かない訳?」

 凄くつまらないご指摘を頂いてしまった。

 いや俺もそうは思いましたよそりゃ。でも他に、どう言えと。よく考えたら俺は一条先輩について三年生である事以外実はクラスすら知らないんですけど。これ以上言える事といったら、毎日俺に付き纏ってくる例の迷惑な先輩とはこの方です、くらいなんですが。これ言ったら絶対不機嫌になりますよね。

 内心で愚痴る俺を鼻であしらい、一条先輩は何を思ったのかいつも俺に向けるような挑む目付きを宝さんに向けた。

「で? アンタはコレに用な訳?」

 親指で俺を指す一条先輩。

 すると宝さんが答える前に「その通り! さあチヅ! ここはビシッと言っておしまい!」とドアの向こうが勝手に応じた。

 一条先輩はドアに一瞥をくれてから、

「そういう事ならお生憎様、今からコレは私と勝負すんのよ。他の用事にかかずらってる暇はないの。急ぎの用なら放課後まで待ちなさい」

「え」

 思わず声を漏らす。

 ちょっと持って下さい一条先輩何勝手に俺の方針決め付けてるんすか。俺以前宝さんの用事を、あなたのせいで、時間の都合がつかなくて聞きそびれたりもしてるんで、もし本当に急ぎの用ならここは可愛い後輩に譲って貰えませんか。

 と、抗議するつもりで慌てて立ち上がる俺には目もくれず、一条先輩はさらに「それとも」と続けてこう言った。

「アンタもやる? 駒はあと三色余ってるから、特別に参戦を許可してあげてもいいわ」

 え。

 周囲が呆気に取られている中、後輩の教室で唯我独尊を貫く最上級生はガラリとすぐ横のドアを開け、

「アンタ達もさっさと入ってきなさい。さっきっから耳障りなのよ。言いたい事があるならちゃんと顔見せて正面から正々堂々と主張しなさい。選挙の候補者が演説に顔も見せないままで選挙に勝てるとでも思ってる訳? それと同じよ。いつまでもそこにいるんなら、アンタ達はただの騒音PとQね。Aどころか人間をやらせるのも勿体ない端役だわ。ただし、私は今忙しいの。邪魔になるようなら今すぐ消えて貰うわよ。私の用事を手伝うんなら、片手間にでも聞いてあげるわ」

 廊下では丸さんと鈴木さんが一条先輩に圧倒されて棒立ちになっていた。

 こうして二郎、直人に加え、宝さん、丸さん、鈴木さんをも巻き込んだ人生ゲームが今日の俺と一条先輩の勝負種目となった。

 え。



 銀行家の丸さん、鈴木さんによって俺、一条先輩、二郎、直人、宝さんにそれぞれ$3,000が配られる。

 本来はプレイヤーの一人が銀行家を兼ねるルールだが、そもそも四人で一時間が標準時間の人生ゲームを昼休みの時間内にやろうと言うのだ。車型の駒は七色あるけれど、七人全員がプレイヤーになっては終わる訳が無い。

 ゲームマスターのような役目を銀行家の丸さんと鈴木さんに一任する事で、ゲームをスムーズに進め何とか昼休み中に決着がつくようにする魂胆らしい。

「じゃ、オイラからいっきまーす」

 直人がゲームの開始を告げるルーレットを回す。

 公正なるジャンケンにより、最後まで勝った直人から座席順に時計回りだ。ちなみに一条先輩はいつものように真っ先に単独負けしていた。

 4。

 直人が乗車人数一人の黄色い車を四コマ進める。

 一マス目からビジネスマンコースと専門職コースに分岐する人生ゲームは、最初にルーレットを回す前にどちらに行くか宣言しておくルールだ。

 直人はコツコツ堅実なビジネスマンコースを選んだ。

[おしゃれな美容室へ行く。$1,000はらう。]

「むぅ……幸先悪い」

 直人がガックリしながら、主に紙幣を管理する鈴木さんに$1,000を手渡す。それから[ビジネスマンになる。]の赤マスを通過していたので、主にカード類を管理する丸さんからビジネスマンの職業カードを受け取った。

 という作業をしている間に、さくさくゲームを進行すべく次の人がルーレットを回す。

 席順は俺と直人の机を連結した場を囲むように、まず普通に自分の席に座る俺、その左隣が直人の机に並行するような位置に移された二郎の机に腰掛ける二郎と、並んで足をブラつかせている直人、直人の机の余ったスペースには銀行のトレーやカード類が置かれ、銀行の前、直人の机の横の側面に持ってこられた二郎の椅子に丸さんと鈴木さんが仲良く半分こして収まっている(窮屈でもなさそうなので、二人共見た目通りお尻の小さな女の子らしい)。そして二郎、直人と机を挟んだ対面に、教卓の裏に置かれていた先生用の椅子を使用して貰っているのが宝さんで、彼女の左隣、俺の対面が強奪した直人の椅子に踏ん反り返る一条先輩だ。ついでに、いつもとは少し違う雰囲気に釣られたのかヒマなクラスメーツが十人程外周を囲んでいる。

 つー訳で二番手は宝さん。

「ていっ」

 宝さんがルーレットを回す。

 3。

 白い乗用車がハイリスクハイリターンで個性豊かな専門職コースを三マス進む。

[スポーツ選手になれる。給料$40,000。気に入れば職業カードを取り、8マス進む。]

「わっ、スポーツ選手かぁ」

 宝さんが嬉しそうに両手を合わせた。指を交差させる仕草がなんともかわいい。

 陸部エースの宝さんに、俺は思ったまま感想を述べた。

「宝さんにピッタリじゃん」

「ありがと、上園」

「チヅ、なる?」

「うん。なる」

「私ね!」

 素敵過ぎる笑顔を俺にくれ、丸さんから職業カードを受け取る宝さんの一連の会話を打ち消すように一条先輩が声を挟み、ルーレットを回した。なんか早くも若干不機嫌だ。

 白い車が最初の給料日に駒を進め、[$5,000で生命保険に入れる。]を余裕で支払い生命保険カードの受け渡しがなされているとルーレットが止まった。

 1。

 赤いロンリーカーが専門職コースを一歩進む。

[料理教室に通う。$3,000はらう。]

 一条先輩は早速一文無しになった。

 悔しそうに手持ちの現金を丸ごと鈴木さんに支払う一条先輩に、俺は思ったまま述べる。

「なんか一条先輩らしいすね」

「黙れ上園恭介次はアンタの番よさっさと回しなさい時間が押してるのよ分かってる訳?」

 ……やっぱりなんか不機嫌だった。「黙れ」とか、(じか)の命令形を使われたの初めてだ。

 気を取り直して俺はルーレットを回す。

 7。

 ここまでで一番大きな数字に「おお~」と周りから軽くどよめきが起こった。

 緑の車はビジネスマンコースを駆け抜け、専門職コースとの合流地点から一足飛びで広大な社会という名のフィールドに進み出た。

[英会話合宿をする。$2,000はらう。]

「はっ! アンタ、全然人の事言えた義理じゃないわね!」

 一条先輩が嬉々として噛み付いてきなすった。俺はやれやれと肩を竦める。

「一条先輩と一緒にしないで下さい。俺はちゃんと就職もして給料も貰ってるんすよ。これは仕事をより円滑にこなす為の投資って奴です」

[ビジネスマンになる。]と給料日の赤マスを通過した事で銀行から貰った職業カードとお給料の現金を見せびらかしてやると、一条先輩はふん、と鼻を鳴らして偉そうに、

「私だってパティシエになる為の職業訓練だったのよ! 見てなさい、個性の欠片も無い一ビジネスマンなんかじゃ、到底足元にも及ばない収入を得る人気パティシエになってやるわ!」

 まあ確かに一条先輩の言う通りパティシエの給料はビジネスマンの二・五倍である。次で一条先輩がパティシエのマスに進んだらきっと俺はとても悔しい思いをするのだろうが、

「そのペースで進んでたら、いつパティシエになれるんでしょうね」

 パティシエは専門職コースの中でも最奥に近い位置にある。

 スタート地点の隣のマスで待機中の赤い車を見ながら言ってやると、一条先輩は無駄に自信満々に力強く胸を張った。

「ふん。ちょっと先にいるからって調子に乗ってられるのも今の内よ。すぐに追い付いてその緑の車をポンコツに変えてやるわ」

 ポンコツ? どういう意味ですか。追い付かれたら、一体俺の愛車は貴女に何をされてしまうのでしょうか。

 この人なら強引に新ルールを適用してきそうだ。そう考えればある意味一番恐かった。

 俺は黒煙を吐き出してタイヤが歪み窓とライトが割れてボディが凹み捲った愛車を想像し、苦い顔をする。

 と、ふと俺と一条先輩のいつもの押し問答をチラチラと窺ってくる……というか偉そうに組まれた一条先輩の腕より少し上辺りと自分の胸元辺りに頻りに視線をさ迷わせている宝さんに気付いた。

 俺はどうしたのかと視線で尋ねる。

 宝さんは俺と目が合うと、ハッとした様子で作り笑いを見せ、目を逸らしてしまった。

 えーと、胸の大きさを気にしてるのかな? 大丈夫ですよ宝さん。確かに一条先輩はとても力強くしかもここだけは無駄なく自己主張してるモノをお持ちですが、宝さんも全体的に細身なので際立っていて、十分思わず目が釘付けになってしまいそうになりますから。

 などと口で言ったらただの変態ヤローなので心に留める紳士・上園恭介十六才。思ってる時点で自分自身若干引く感が否めないが。

 とかやってる横では二郎が橙色の車を専門職コースへ俺と同じく七マス進め、[タレントになれる。]のマスで止まれば丸さんを始めとしたギャラリーが盛大に(はや)したが学年が認めるイケメン野郎はそれに猛反発して断固拒否、丸さんの勿体ないコールを隣のマスの医者狙い宣言で封殺していた。

 一周回って順番が直人に戻る。

 10。

 ルーレット最大数だ。

「よっしゃー!」

『おお~』

 ギャラリーの歓声をバックに万歳で喜びを表現し、直人はご機嫌に1、2、3とカウントしながら黄色い自動車を進めていく。トップだった俺を大きく追い越し、止まったマスは二度目の給料日。さらに[$2,000で株券を一枚買える。]この回で一度目の給料日も通過していた為二回分の給料を貰った直人はこれを購入した。

「このままぶっちぎってやるぜい」

「ははん、何言ってんだ直人。まだ始まったばっかだぜ? すぐに追い抜いて置き去りにしてやりますのことよ」

「医者になれさえすりゃ、俺の時代到来だ」

「言っていたまえ後続の諸君。ふははははー」

「わっ、やった。[作ったボードゲームが売れる。$15,000もらう。]だって。やりいっ」

「「「ぬお!?」」」

 総合的に見て直人より遙かに幸先いい宝さんがいつの間にか俺を追い越し、ついでに人生ゲームを作った人の実体験が反映されてるっぽい臨時収入を鈴木さんから贈呈されていた。

 男三人が学年一番人気のスポーティ少女に脅威を感じていると、ぐい、と俺の視界を遮るように一条先輩が身を乗り出してきた。

「私の番よ。見てなさい上園恭介。一気に挽回してやるわ」

「いや、どう頑張っても今回でそこから俺を追い抜くのは不可能かと」

 俺と一条先輩の差は十マスを大分超えている。俺は呆れた表情で答えてやった。一条先輩は鋭い目付きで俺を睨みつつ、

「分かってるわよ。ここからって意味に決まってんでしょ。楽しみにしてなさい。三ターン後にはアンタは私の遥か後方で這い蹲っているんだわ。廃車同然と化して苔()した車の上で、ね!」

 言い切ると共にルーレットを指先で勢い良く弾いた。その恐ろしいセリフに俺はガタガタンと後退さる。

「な、何をする気だっ! 追い付いたらアンタ本当に、俺の愛車に何をする気だ?!」

 想定し得る闘争女の凶行に震え上がる俺の言葉にピク、と眉を跳ねさせる一条先輩……と、何故か宝さんが反応して顔を上げてきたが、俺は愛車の庇護に必死で気に留める余裕がない。

「アンタ? アンタねぇ……ふーん」とかよく分からない事を妙に口角を浮かばせて呟く一条先輩に俺はファミリーゲームをやっている時のノリで「あと俺の愛車のグリーンは苔が生えてるんじゃない! この色は地球に優しいエコカーの証なんですー!」と続けた。

 が、

『おおおおおぉぉおおおぉおおお!!』

 突如他のプレイヤー及び外周から上がった大歓声に俺の声は後半ほぼ押し潰されてしまった。

「あ」

 一条先輩が信じられない物でも見たかのように目を丸くしている。同時に俺も硬直した。

 10。

 ルーレットがその数字を示して止まっていた。

 あの一条先輩が、最大数字を叩き出したのだ。直人が出したのとは訳が違う。

 一条先輩は嬉しさのあまり興奮を抑え切れないといった感じに椅子を跳ね退け立ち上がると、

「ホッ、ホラ見なさい、上園恭介! 今まで散々私に勝ってきて油断してたんでしょうけど、それがアンタの命取りよ!」

 余程嬉しいのだろう。片腕を机に突っ張って自慢に満ちた笑顔を俺に見せ付けるように前のめりになりながら、赤色の車を一マス一マスジャンプさせて進めていく。

「ま、これも全部作戦だったんだけどねっ! 今日この勝負でアンタを負かす為の! さあ、覚悟はできてるかしら? 分かってると思うけど、負けたらアンタが何と言おうと私と付き合って貰うからね! 当然敗者に……拒否権…………は……………………」

『…………』

 しかし尻窄んでいく一条先輩。同じように興奮が瞬間冷却されていく場。

 十マス進んで赤い車が到達した場所は、赤いマスだった。

 ビジネスマンコースと専門職コースの合流ポイント。最初の給料日。

 マスの枠外に吹き出しで添えられている但し書きにはこうある。

[職業が決まっていなければフリーターとして社会に出る。給料はルーレットを回し、出た数×$1,000。]

 一条先輩はズラリと並んだ、各種専門職に就けるマスを一気に全部スッ飛ばしてしまい、就職できなかった。

「ふ、ふん! まだよ! ここでもう一度10を出せば、アンタにはまだ負けてないわ!」

「いや、もういいすから。なんか先が笑えないくらい見える気がして……」

「うるさいわよ上園恭介! 黙って見てなさい!」

 強気な態度を崩さない一条先輩が給料を決めるルーレットを回す。10が出れば、ビジネスマンの給料が$10,000なので、まあ、対等と言えなくもないが。

 1。

 寧ろ鈴木さんの方が泣きそうな顔で$1,000紙幣一枚を手渡していた。

 生命保険に入れるマスでもあるが、当然一条先輩は入れない。手持ち金の四倍足りない。

 俺の回したルーレットは、やけにカラカラと空虚な音を教室に響かせた。

 ちなみにこの回で俺は[リカちゃんと動物園に行く。$3,000はらう。]という、我が駒のクセして妬ましいリア充っぷりに(おど)けて空気の解凍を試み、宝さんと丸さんがそこに養護教諭の内城戸(うちきど)梨華(りか)先生を絡めて笑いを誘ってくれた。皆、とても苦しい笑いだった。

 乾いた空気の中、二郎はうまくパティシエに就職していた。



 人生ゲーム最後の強制ストップマス、決算日。俺の緑のファミリーカーは、トップを走る二台の億万長者争いに何とか滑り込んだ。

「いらっしゃーい、上園っ」

「なんとまあ、よくここまで喰らい付いてきたもんだ」

 宝さんがニコやかに、二郎が呆れ顔で俺を迎える。

 俺は決算日マスに並んで停車している橙と白のファミリーカーに緑の車を横付け、ふー、と袖をたくし上げた腕で額の汗を拭うと、ニヒルに微笑んだ。

「最後に報われるのは、コツコツ地道に生きる人間なのさ」

 そう。思い起こせばこの四十分弱、とても堅実な人生だった。

 宝さんみたいに何の脈絡もなく山道でUFOの修理を手伝ったり、双子を含めて四人もの子宝に恵まれたり、飼い猫がどこからか$50,000という大金を拾ってくるような、ご都合主義にも程がある順風満帆な人生でもなければ、二郎のように序盤で颯爽とトップに躍り出て独走を始めるも、各地のお宝を根こそぎ買い漁り、周りからは勢いを止める狙いでガシガシ金を毟り取られ、挙句の果てに突然自分探しの旅に出るとか言い出してそれまでの支えであったパティシエの職を放り出し、ついにはトップを走りながら何故か破産寸前にまで追い込まれたところで自暴自棄になったのかギャンブルの道へ、そしてそこで恐ろしい大ブレイク、一コマずつしか進めなくなったせいで宝さんに追い付かれたが、代わりに今までの逆襲とばかりにゲームマスターたる銀行すら破産の危機に陥れるまでの大勝ちを見せて返り咲き、一番乗りで決算日に到達すると調子に乗って必要もないのに人生最大の賭けを敢行、見事勝利し、ほとんどすっからかんの鈴木さん銀行からさらに大金を絞り上げ、今や全ての意味で億万長者に最も近い位置にいるという、荒れに荒れた波瀾万丈の人生でもない。いや、二郎の快進撃は実に盛り上がってゲーム的には一番おいしかったが。

「人生最大の賭け……やる?」

「いいえ。俺は、堅実に生きる人間なのです。崖っぷちでもないのに、これまでコツコツと積み上げてきた人生の成果と、愛すべきリカちゃんと二人の子供達を賭けた大勝負になんて、出ません」

 控え目に訊きながら、これ以上お金を持っていかれちゃったらほんとにこの銀行潰れちゃう、と涙を滲ませた視線で訴えてくる鈴木さんに、俺は序盤から引っ張り続けている内城戸先生ネタを混ぜ丁寧な口調で答える。

 鈴木さんは心の底からホッとした表情で胸を撫で下ろして微笑んでくれた。

「んだよー。やれよ男ならー。大きなリスクを踏み越えて、巨大な栄光を掴み取ってこその億万長者ってヤツだろー」

「そうよ上園恭介! アンタそれでも男な訳? こういう場面で勝負に出れない人間に、真の成功なんて掴み取れないのよ!」

 大金を手にし始めてから人間性に少々歪みを感じられる二郎と、恐らく俺の開拓地行き超希望の一条先輩が何か言ってくるが、黙殺してやった。

 折角ここまで平穏な人生だったのだ。堅実に家を持ち、堅実に家族サービスして思い出を作り、堅実に出世して着実に蓄えを増やし、付かず離れずの距離でトップ二名の後ろを走ってきたのだ。ここで余計な波風立てて自滅するなんて、愚の骨頂である。

「ふん、まいいか。それなら平凡は平凡らしく、俺の通った後の道をなぞって来るがいいぜ」

 どこか一条先輩に通じる尊大な態度も、二郎にやられると一条先輩以上に殴りたくなってくるのは何故だろう。相手が男とか女とか、そういうのとは多分関係ない部分で思う。

 人間、身に余る大金を急に持つと腐れ外道に染まるらしい。金に溺れるって、こういう奴の為にある言葉なんだろうな。

 このゲームが終わった後の友人の人格を案じながら、俺は億万長者への最後の道へ始めの一歩を踏み出す、二郎のルーレットを見詰めた。

 5。

[豪華客船で世界一周の旅をする。$130,000はらう。]

「はっ! 痛くも痒くもないわー! さながら勝前旅行ってヤツだな。わははははー!」

 もう、誰だコイツ。すでに億万長者の貫録をぐいぐい押し出して貧乏銀行の鈴木さんにバサー、と札束を放るこんな下衆野郎と、友達になった覚えはないんだけどなぁ。

 気のいい丸さんも、紙幣の回収を手伝いながら流石に表情が引き攣っていた。俺は隣でおかしくなっているクソイケメンの代わりに、可哀想に縮こまってしまっている鈴木さんへ誠心誠意謝罪の気持ちを込めて手を縦に立てた。

 鈴木さんはバタバタと両手を動かしてぶんぶんと首を横に振った。

「大丈夫。オイラならまだ巻き返せる。大丈夫だ……、大丈夫だ……、よし」

 直人は直人で病んだ人みたいに自分に言い聞かせつつ、ルーレットを回していた。

 直人は前半まではずっと俺と抜きつ抜かれつで堅実な人生を送っていたのだが、後半に入って、やっと仕事の功績が認められ昇進した直後、[気が変わり、ギャンブルコースへ。ギャンブル入口へ進む。]という訳で二郎がほとんど法外な利益を得た後の道を一マスずつ辿るハメになり、二郎とは逆に真っ当に大損失を被って前回やっと解放された所だ。心持ち手元の紙幣の枯れ具合に比例して、直人のベビーフェイスも()けて見える気がする。

 そして、

 1。

[家にあった骨董品を鑑定。ルーレットを回して1か8が出れば$120,000もらう。]

 直人の頭上に光明が差した。

「これは、ここだけは逃せない! ここから先より激化する困難を乗り越えて行くのに、この金は必要な金なんだ! じゅうにまん! じゅうにまん!」

 直人も二郎と同じくらい全力で人生ゲームを楽しんでいた。そして結果は、

 4。

「みゃ――――――――――!!」

 直人は順調に転落街道を歩み始めているようだ。

 母性本能を擽られたギャラリーが直人へ送る励ましの声援に包まれる中、次のプレイヤーはテンポよくルーレットを回す。

 3。

 生命保険満期と大きく標された赤マスに、宝さんの定員一杯の白い車が進み出た。

[生命保険に入っていれば$100,000もらう。]

「わぁ、凄い! またお金こんなに貰っちゃった!」

「うぅ、チヅ~」

「あーごめんごめんスズ、でもほら、さっき川島から十三万貰ってたでしょ? それの一部をそのまま横流ししたと思えば、ね?」

「よしよし、スズは悪くないスズは悪くない」

 ゲームマスターっぽい立場なのに爆走するプレイヤー二名に追い詰められる鈴木さんを丸さんが抱き寄せて慰める。宝さんも鈴木さんの手を握って優しく言い宥める。

「女子グループの仲のいい様子って、本当に見てて和むよなぁ……俺らなんか、顔突き合わせりゃバカ話に大口開けて騒がしくしてるのが精々だもんなぁ」

 しみじみ呟く。俺の友人二人は返事さえくれなかった。一人は札束の扇子で顔を仰ぐのに忙しく、一人は手持ちの残金を繰り返し数えて嘆きを叫ぶのに夢中のようだ。うん。ちょっと寂しいぞ君達。ていうかくたばればいいよ隣の成金。

 ほんわか気分と荒んだ気持ちが半々の心で女の子達を眺めていると、ふいに宝さんと目が合った。宝さんは嬉しそうに生命保険満期で得た金をちょこっと掲げて、

「なんか、出来過ぎだよね。こんな所で運使っちゃって、現実がダメダメになったらどうしようっかな?」

「ははは、そんな事になったら大変かもしんないな。でも、宝さんは運なんか実力で引き寄せちゃうんじゃないか? こんな風に」

「え、ええっ?! なにそれ、もう。変な事言わないでよ上園~」

 短くない距離から手を伸ばし宝さんがパシンと俺の腕を叩いてはにかむ。

 俺は楽しくてつい、ほんの数日前までは宝さん相手には絶対できなかった気安い笑いを零していた。

 それは場の空気がホームパーティー染みていたからかもしれない。だがもし宝さんと以前より親しくなれているというのが理由なら、ここは一条先輩に一応感謝しておかなくてはならなそうだ。

 ところでよく見たら宝さんの資産もドエライ額に達しているなぁ……。始終順風満帆に進んで来た宝さんの持つ資金は、確かに二郎の足元にも及ばない額だが、次ぐ現在三位の俺では足元にも及ばない額だった。ここまで順位間に格差が激しい人生ゲーム、初めてだ。

 そう。全順位間に、だ。

 二郎と宝さんの間も、宝さんと俺の間も、俺と直人の間も、凄い格差社会の縮図だった。

 そして、直人と一条先輩の間も、例外ではない。というかある意味ここが一番越えられない壁と化していた。

 明るい雰囲気は持続する。しかし、そこに微妙に演技臭いモノが混じり始めた。

 一条先輩がルーレットを抓む。これまでになく不機嫌を放出させて俺の方を斜視で睨みながら。

 10。

『…………』

 歓声など上がらない。皆気にしまいと必死で別の話題に喧騒を維持する。

 誰か一人でも「またか……」なんて不用心な一言を口にしようモノなら、そいつは周囲からアメリカ大統領付き黒服さん達並の手際で速やかに排除されるだろう、重い気配が隠匿された明るさだ。

 一条先輩は未だに旅の中盤をウロチョロしていた。結婚しても誰からもお祝い金は貰えず、高速道路に乗れば渋滞にはまり一回休み、キャンプに入ればマウンテンバイクで転倒し入院で一回休み、退院すればハチに刺されて治療費を取られ、バーベキューをすれば羊が乱入してさらに手痛い出費、というか生命保険に入れなかったので入院やら治療の段階で約束手形が(かさ)み始め、果てはようやく訪れた二度目の就職チャンス、転職・ランクアップゾーンに一歩足を踏み込めば$20,000の費用が必要な転職セミナーのマス。当然払えず、フリーターを続行する赤色の車が今回の10で導かれたのは――給料日。

[$5,000で株券を一枚買える。]

「買えないってのよ――――!」

 とうとう一条先輩が吠えた。今にも約束手形の束を投げ捨てそうな勢いだ。

 耳に音で蓋をする勢いで賑やかな陰に、あの懐かしい妙な緊張がズルリと広がる中、そろそろ肩の震えが隠し切れなくなってきた一条先輩が給料を決めるルーレットを回す。

 1。

 ちなみにこれまで、給料は全部1。

 鈴木さんが声も出せずに$1,000をトレーから引き出し掛けるが、丸さんがその手を止めた。約束手形の返済に、接収されたのだ。

 鈴木さんが何かを言い募ろうとするが、丸さんは神妙に目を伏せるのみ。逆にこれで約束手形一枚分の納金が終わり、一条先輩から丸さんへ、約束手形一枚が差し出された。

 手元に大量の約束手形を残し、何かが決壊寸前の一条先輩は憮然と腕を組む。

「何見てんのよ上園恭介。アンタの番よ。早くしなさい」

 そこでハッと我に返った俺は慌ててルーレットに指を引っ掛けた。いつもならここで「まだ勝負は続いてるのよ。時間が押してるって何度言えば分かる訳?」くらいには続きそうだが、そこまで一息に言う覇気もない感じだ。

 代わりに、ルーレットが回転している最中に一条先輩は、喧騒に紛れて対面の俺がなんとか聞こえるというくらいの声量でこんな事を言った。

「あまりにも出来過ぎよね。こんなのに運使い捲っちゃったら、返ってこれからの現実が怖いわ」

「……あー、えー、……そうすね……」

 咄嗟にいつものノリで「どこがすか。寧ろ楽しみにすればいいんじゃないすかね」的な返しをしてしまいそうになり、直感でそれはダメだろうと口籠った俺は、しかし頭が空白になって曖昧に濁してしまった。

 一条先輩はギュッと眉間に皺を寄せると、

「ルーレット、止まってるわよ。さっさと駒を進めなさい上園恭介時間がないの」

「あ、す、すいません」

 一条先輩はそれきり口を閉ざしてしまった。俺は緑の四人乗り乗用車を進め、

「あ」

『あ』

 全員唖然と声が揃う。

 出た数字は9。

 丁度行き止まりにあるゴージャスな館の上で止まった。

 数瞬の空白を置き、まさかの逆転に拍手喝采称賛祝辞を爆発させる周りに応えつつ、俺の耳にははっきりと、震えた鼻息を啜る音が机越しから聞こえていた。

 チラと遥か後方の駒に目を遣る。

 後部座席に誰もいない赤い車の、夫婦水入らずの借金デートは全く見えてこないゴールを頑なに見指していた。



現在の勝率:100%


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