八十一戦八十一勝
四限の終礼が済み先生が教室から出ていった五秒後、恒例行事のように教室のドアがズバーン! と自己主張激しく開かれて一条先輩が2-2にやってきた。
いつも通り尊大に三歩下級生の教室に侵入する最上級生は腰に手を当て力強く胸を張ると、
「……どうしたのよコレ?」
怪訝そうな声で俺のすぐ後ろに尋ねた。若干不機嫌な表情になって人差し指を下に向けている姿が目に見えるようだ。
「さあ。なんかあんま寝付けなかったようで、今日は朝からずっとこんなですよコレ」
一条先輩に倣って友人をコレ呼ばわりする二郎。
それら一切に何の反応も示さず、俺は力尽きていた。机に突っ伏し、魚の干物のように呆然と開けた口からは涎が垂れ、半分白目の下には酷い隈。
先週末、森さんと再会し色々話ができたのは俺にとってとても良い経験だったと思う。こんな普通の高校に通い、どこの部活にも所属せず勉強も特筆する程優良とは言えない、ちっぽけでつまらないただの男子高校生の俺でも、人命を救ったなんて大仰な言葉は抜きにして、自分の中に人として誇ってもいいモノがあるんだという思いから、以前より自分を好きになれたような気がする。
ただ、問題が一つ。
あの日から、どうにも宝さんの事が頭から離れなくなってしまった。
それまで宝さんは俺にとって高嶺の花であり実現味の薄い憧れの人という、好きと言えば好きだが本気の恋心を抱くには魅力的過ぎる存在だった。会えば話す程度に近しい仲、という部分では他の多くの男子生徒達より何歩か前にいるのだろうが、憧れの想いという面では他と多分さして変わらなかった。
しかし森さんとの会話の中で、「想い人」というワードにはっきりと宝さんが見えてしまってから、俺は自分の気持ちをどう整理していいのか分からず混乱状態に陥っていた。
今まで単に憧れていただけだと思っていた気持ちが実は本当に恋という気持ちだったのか。宝さんを前にすると内心緊張して仕方なかったのも、ふと視界の端に宝さんの姿を見掛けると思わず目で追ってしまったり妙に気分が高揚し出したりするのも、どっちの気持ちでも説明がついてしまう気がした。
ならやはり「想い人」のワードで宝さんを連想したのだから、俺のこの気持ちは憧れよりも本当の恋寄りなのかもしれない。
そう思い切れたらいっそ楽なのに、そうしようとするとどうしても三日前の最後に感じたあのモヤモヤが邪魔をする。
どこか違うという感じが強烈に胸の内を圧迫する。
いくら考えてもすっきりしそうにないので取り敢えず保留にしようと、別の事を考えようとしたのだが結局一分も持たずにこの泥沼に戻ってしまう。
そこで俺は強引に忘れるべく、近所の中古店でRPGの有名タイトルを購入。普段は埃を被っているテレビゲームを引っ張り出し、意図して必死に没頭してみた。
お蔭で金土日と三日間、俺はまともに眠れなかったという訳だ。
プレイ時間実に五〇時間超。エンディング後のスタッフロールを終えると共に、平日朝に設定されている携帯電話のアラームが俺を邪悪な闇の脅威から解き放たれ再び平和が訪れた世界から呼び戻した。
当然、午前の授業はついに襲い掛かってきた、毎ターンHPとMPを二万程回復して超強力な全体攻撃をバカスカ撃ってくる一ターン二回行動のラスボスよりも攻略の糸口が見付からない睡魔との鍔迫り合いに全てを費やされ、現在心身共に疲労困憊な私上園恭介でございます。
登校時から余程酷い顔だったのか、今朝顔を見会わせた途端に二郎と直人に驚かれたので、友人二名には朦朧とした意識で簡単に事情を説明した記憶があるが、恐らくあまり伝わっていないだろう。
そしてそれよりもっと事情を把握していない一条先輩は、
「まあ何でもいいわ。勝負よ上園恭介。常に自分が万全の状態でしか戦いが起こらない保障なんてどこにも存在しないの。すでにボロ雑巾のようにズタボロだからって言い訳で戦いを回避しようなんて甘い考えだわ。寧ろ相手に万全の状態を作らせないような条件を揃えてから攻め込むのが戦いのセオリーってもんよ。戦いを仕掛けられた以上、自分がどんな状態であろうと戦わなければならないのよ。文句を言う余地はないわ。やらなければやられるだけだもの。分かったらさっさとシャキッとしなさい。言っとくけど、私が勝ったら容赦なく付き合って貰うからね」
俺の様子などお構い無い調子で捲し立てながら俺の襟首を掴み、強引に顔を上げさせた。俺の顔は今や今朝以上に他人にはお見せできない有様になっているハズだが、それを見た一条先輩はあーもーだらしないわねとかぐちぐち言いつつスカートのポケットから取り出したハンカチを俺の口に押し付けごしごしやり始めた。
近付いた一条先輩から香る甘い匂いやら布と皮膚の摩擦やら副次的に首がガクガク揺さぶられるやらで刺激され意識がはっきりしてくる俺の耳に、
「おお。なんかもう恋人通り越して夫婦みたい」
「そうか? 俺的にはだらしねえ弟とツンケンしつつ甲斐甲斐しい姉だな」
「一条先輩すみませんもう大丈夫すから止めて下さい」
直人と二郎の世迷い言に一瞬で覚醒した。重い瞼をカッと抉じ開けて、ハンカチを押し付けてくる細い手首を掴み、丁重に押し返す。
一条先輩は「あっそ」と言ってあっさり引き下がった。直後、俺の涎が付いた面を内側になるように軽く畳み直してスカートのポケットに再び収められようとするハンカチに気付き、俺は慌てて口を挟む。
「あ、すいませんそのハンカチ、ウチで洗って返すんで――」
「安心しなさい。帰ったらすぐに洗濯籠に放り込むだけだから」
「いや、でも人が使ったモンを持ってるのって気持ち悪くないすか。俺的にもちょっと悪いですし」
「ああ、そっち? 別に大丈夫よ。私はそんなの気にならないわ。そもそも私はアンタの彼女になる為に毎日ここに通ってんのよ? 今更このくらい嫌な訳ないでしょ」
「…………、」
思わず言葉に詰まる。
えー、こういう時、俺は何を言えばいいんでしょうか。一ヶ月近く毎日散々勝ったら付き合えとは言われてきたけど、こういう変化球な言い回しをされたのは初めてなんですが。
と、俺が停止している隙にハンカチは躊躇いなく一条先輩のスカートのポケットに仕舞われた。
「なんか、今まで中立の立場で友人の行く末を見守っていたオイラですが、今この瞬間に先輩を応援したくなった尾形直人です」
「奇遇だな。俺も今日まで中立の立場で友人の面白い姿を観賞してきたが、ちょっと先輩側に傾きたくなってきた川島二郎です」
横で友人二名が懐柔されかかっていた。
思惑外の効果に一条先輩はきょとんとしていたが、やがて不敵な笑みに表情を変える。
「ふふん。どうやらついに大勢が私の味方に流れ始めたようね。今日こそ覚悟を決めた方がいいんじゃない上園恭介」
「この程度で逆転できる戦力差だといいすね」
「強がってられるのも今の内よ」
自信満々に早くも勝利者気分の一条先輩。
しかし、今日に限っては万が一が起こり得るかもしれない。友人達のまさかの裏切りはさて置き、俺は今、気を抜いた瞬間に寝てしまいそうなコンディションなのだ。
「てか、安心しろとかそっちとか言ってましたけど、俺が何を懸念してると思ったんすか?」
現実から切り離される寸前の曖昧な意識でワンテンポ遅い質問をする。
一条先輩は直人から献上された椅子に腰を降ろしつつ、誇らしげに胸を張った。
「女の子にだって彼氏にしたい男が使ったハンカチには色々と使い道があるのよ」
「やっぱそれ是非自分で洗濯させて下さい熱湯消毒してアイロンを掛けた上で新品同様に綺麗にして返すので」
「だから、変な事には使わないで帰ったらすぐ洗濯籠に放り込むから安心しなさいって言ったでしょ。それよりもう目は覚めたわよね。だったら勝負始めるわよ」
結局昼休み含め午後も俺の頭はほとんど使い物にならなかった。
一条先輩との勝負は先週に引き続き短期決戦の種目をいくつかやった。しかしインターバルの度に俺は意識が飛び、勝負の最中も半分寝た状態だった。
で。寝惚けて反応が鈍い俺に一条先輩は「ああもう張り合い無いわね。仕方ないから今日はここまでにしてやるわ。明日にはちゃんと回復しときなさいよね!」と言い残し、昼休みの時間の約三分の二を残して本日は撤退していったのだった。それでも全戦秒殺されたクセに。
「ふあ、よく寝た」
「午後の授業完全に死んでたもんな」
起き抜けのテンションで心地いい欠伸を噛み殺す俺に、直人が苦笑する。
「あーこれ昼夜があべこべになりそうで怖いなー」
追い越して行く多くの瀬和高生を眺めながら、俺は頭を掻いてぼやいた。
学校を一日中半寝で過ごしたお蔭で、俺は今更ながら完全に目が覚めている。
瀬和高から瀬和駅までの通学路。瀬和は田舎の畑と都市郊外の住宅地がごっちゃになったような町だ。雑然とした住宅路から一本逸れると道から段差で区切られた畑が現れ、その道を真っ直ぐ進むとすぐにまた住宅路に戻っている。
ダラダラ歩いて瀬和駅に向かう俺と直人の周りには、同じく下校に就く瀬和高の生徒達で溢れていた。今日は二郎がシフトが早いからと言って六限終わるなり飛んでいった為、珍しく下校ラッシュの流れの一部になっている形だ。
「や。上園君に尾形君っ」
人の波に埋もれながら二人で談笑していると、後ろから声と共に肩をポンと叩かれた。振り返る前に回り込んできて笑顔を見せたのは、去年同じクラスだった女子生徒の丸さんだ。
「ちょ、ちょっとマルちゃん!」
続いて慌てた声が聞こえ、今度こそ振り向く。瞬間俺の心拍数が跳ね上がった。
そこには、少し頬が紅潮しているように見える女子生徒がいた。
目下俺の悩みの種である、宝さん。
三日間俺を悶々とさせた言葉がフラッシュバックしてきた。
「お、おー。宝さん。丸さんに鈴木さんも。下校中に会うなんて珍しいな」
平静を装おうと努めて普通の挨拶をする俺。
この前偶然昼休みに会った時もそうだったが、宝さん、丸さん、鈴木さんは去年からよく三人一組でいるトコを見掛ける女子グループだ。
宝さんの隣で、少し引っ込み思案な鈴木さんが小さくこくりと頷き、そーだねーと丸さんがニコやかに答える。そんな中、
「ほ、ほんとにね。うん。珍しいよね」
と返してくれながら強引に丸さんの手を掴んで引き戻す宝さんにやや不自然を感じたが、きっとそれは俺が宝さんを変に意識してしまっているからだろう。
そのまま俺達は場の流れとして合流した。会話も、すぐに直人が宝さんに問い掛けて始まる。
「宝今日は部活休みなの?」
「う、うん。土日に試合があって、今日はオフになったの」
「それで珍しくチヅが放課後フリーだから、私達これから二俣沢で遊ぼうって話になったんだー。あ、そうだ。丁度だから上園君と尾形君も一緒に来る?」
「っ?!」
丸さんの一言に宝さんが驚愕していた。
「ちょ、ほんとマルちゃん、そんな急に言っても上園と尾形が困るだけだよ」
宝さんが丸さんの腕を引いてなんか必至だ。丸さんは「やーでもこっちはこないだ下手な事言っちゃった手前ここらでフォローさせてくれないとー」とか言って悪びれない調子だけど、でも確かに俺も今は困る。
いつもなら正直願ってもない提案なのだけれど、今宝さんと遊びに行くなんて事になるともう意識し捲って楽しめる所じゃないと確信できる。宝さんの反応は、気にすると若干落ち込んでしまいそうなので考えないようにしつつ、
「うーん、折角だけど、遠慮しときます。二俣沢って家と逆方向だし」
「でも、チヅも家と反対方面なんだよ?」
「スズー!」
鈴木さんのフォローに宝さんが泣き付いていた。
流石に無視できなくなり、俺は悲しくなった。
そうか。宝さんはそんなに嫌なのか。まあ久し振りにフリーの放課後で友達と遊べるって言うのに、そこに予定外のメンバーが入ってくるのは本意ではないだろう。
傷付いた気持ちで俺は付け足した。
「いや、ほら、女子三人で遊びに行く予定だったのに、いきなり男が入っていくのも悪いしさ」
「んー、恭介が行かないならオイラも遠慮するよ」
男二人が謹んで断ると、宝さんは安堵したのか残念そうなのかよく分からない表情を浮かべた。すると丸さんが溜息混じりに宝さんに半目を向ける。
「あーあー。チヅが嫌がるから、上園君に気を遣わせちゃったじゃん」
「っ! やや、別にあたしは嫌って訳じゃなくて、その、あ、悪い気分にさせちゃってたら、ゴメンね? ホントに、あたしも全然上園達が良ければ構わないんだけど」
優しい宝さんが焦った様子で誘ってくれる。だけど、
「いや、勿体ないけど、やっぱ遠慮しときます」
「その……ホントに、気にしないでね?」
「あ、うん。いや寧ろこちらこそそんなに気にしないで遊んで来て欲しいって言うか」
俺と宝さんが譲り合いの無限ループに突入しそうになった所で、丸さんが「あーはいはいじゃもうこの話はここでお終い! ところで君らこそいつもより帰りが早いみたいだけど?」と強引に話題を変えてくれた。
そうして五人で一貫性の無い雑談をしながら瀬和駅に着き、俺と直人は二俣沢方面のホームに降りていく女子三人を見送って逆方面のホームに降りる。
かと思いきや。
「ごめんマルちゃん、スズ。やっぱりあたしも今日は帰るよ」
改札を通ると突然宝さんがそんな事を言い出した。
予想だにしなかった発言に俺と直人が目を丸くしているのを尻目に、
「そか。じゃ遊ぶのはまた今度の機会にしよっか」
丸さんは妙にすんなり納得して頷いた。何故か満足そうな笑顔で。
鈴木さんもあっさり承諾したようだが、宝さんに向けてぐっと拳を小さく握っている意味は俺にはよく分からなかった。
丁度その時、二俣沢方面に電車が来た旨の放送がホームの方から流れてきた。
「おっと。急ごっかスズ」
「うん」
丸さんと鈴木さんは目を見合わせてホームに降りる階段に走り出した。逆方面の俺達は二人と同じように走り出した多くの瀬和高生に道を空けるように移動しつつ、宝さんが二人に手を合わせる。
「ホントにゴメンね? マルちゃん、スズ」
「いいよチヅ。また明日ね」
「そん代わし明日お話があるから朝ちょい早めに来なさいね~」
「ちょっともうマルちゃん!」
宝さんの怒鳴りを丸さんは高らかに笑ってスルーし、
「上園君と尾形君も、まったね~」
一応手を振っていた俺と直人に手をグッパしながら、丸さんと鈴木さんは連れ立って階段の下に消えていった。
「良かったのか宝? 陸部って滅多にこういう休みないんでしょ?」
直人が心配そうに訊くと、宝さんは少し考えてからうんと頷いた。
「元々試合疲れを抜く為のオフだからね。遊び回って疲れを残しちゃうのは、ちょっと違うかなって。オフと言っても、しっかり休養するのが部活みたいなもんって事で」
まるで誰かに言い訳するみたいな言い方だったが、降って湧いた宝さんとの下校イベント延長に俺の内面世界は大嵐に荒れ狂っていて、この時は気にならなかった。
下で電車がホームに入ってくる音を耳にしながら俺達も丸さん達と反対側の階段を下りる。ホームに出た時向かいのホームでは電車がやっと停車した所で、もしかしたら車内にいる丸さんと鈴木さんを発見できるかもと思ったのだがこっち側の窓際にいるのは知らない生徒だらけだった。二人を探すのを早々に諦めて、いつしか習慣になっていた電車を待ついつものポイントに足を向ける。階段を降りた後そのまま二車両分程進んだ位置だ。
と、そこで宝さんが一瞬俺や直人と違う方へ進み掛け、ハッとして足を閊えさせたのに俺は気付いた。
電車を待つ位置というのは電車通学に慣れてくると大抵皆、電車が止まった時に降車駅の改札や駅舎への階段に近い位置で降りられるような車両の止まる位置が習慣になる。二俣沢みたいな人の多く集まる駅を利用する場合は人混みを避ける為敢えて離れた位置で待つ人もいるが、つまり宝さんにとっては階段の裏へ回った方が都合がいいらしい。
ふと、三日前森さんに「想いの人は大切にしてあげなさい」と言われた事を思い出した。
「あ、ごめん。ついいつもの癖で。宝さんはいつもどこで電車待ってるんだ?」
別にあの言葉を強く意識したからという訳では無いけれど、俺は立ち止まって宝さんに向き直る。おお、と直人も気付き、宝さんを振り返った。
宝さんは自分の癖に少し赤面しながら、
「い、いいよ。上園達のいつもの所で」
「いやいや。こういう時はレディーファーストって決まってるのさ。で、宝いつもどこ?」
直人がいてくれて助かった。遠慮する宝さんを納得させるのに、こんなストレートな言い方俺にはできん。
直人にも同じ問いを繰り返され、「……いいの?」と顔に書いてある宝さんが窺う上目遣いを向けてくる。むちゃくちゃ可愛いその姿に俺の内面世界はビッグバンが五回くらい起こったって言っても過言じゃない事態に追い込まれたが、強固な意志の力でそれの漏洩を抑え込みつつ俺は首肯した。
「その、ありがと。じゃあ、」
はにかんだ表情で踵を返す宝さん。俺は弛緩寸前の頬をピクピクさせながら続いた。位置関係上直人が宝さんと並んで歩く。
横で反対側ホームの電車が動き出し、次の駅へと去っていった。それから程無くして宝さんが足を止める。
「最寄り駅の改札前とか?」
「うん。ぴったり真ん前」
「へー」
そんな直人と宝さんの会話を聞き流しながら、俺は周囲を見回した。一年以上通い続け、すっかり見慣れた筈のホーム。
しかしいつもの場所からこれだけ離れると、同じ駅でも見え方が違って結構新鮮だった。
これが毎日宝さんが眺めている瀬和駅か、なんてプチ感動していると、直人が「あれ?」と言って俺の肘を突いてきた。
「ここ、あの時の場所だよな」
「あの時?」
俺は直人がいつの話をしているのか分からず、首を傾げる。
何故か直人が呟いた瞬間、宝さんが微かに体を震わせた気がしたが、多分、首を傾げたせいだろう。
直人はほら、と人差し指を立て、
「倒れた爺ちゃんを恭介が助けた時」
「……、あ~」
言われてみればそうだった。始業式の日、気絶して倒れた森さんにファーストキスを捧げた場所だ。周りに目がいってなかったからあまり覚えてないが、場の明るさや雰囲気は確かにこんな感じだった。
「そういや、先週末あのお爺さんに会ったって、話したっけ?」
「今朝になー。ほとんど何言ってんのか分かんなかったけど」
適当に答える直人に俺は愛想笑いするしかない。すると宝さんが控え目に口を挟んできた。
「あ、あたしはクラス別だから……」
「あ、だよね。えーと、金曜に俺校長室に呼び出されてたじゃん? あれ、森さんが会いに来てくれてたんだ。あ、森さんって俺が助けたお爺さんの名前なんだけど」
「へー、そうだったんだ。なんか、凄いね」
「いや、うん、まあ……でも、俺も森さんと色々話せて良かったよ」
「結構長かったよな。オイラ先帰ったけど、結局何時まで学校にいたんだ?」
「あー、何時だったかな……多分五時半から六時の間くらい」
「そんなに? 金曜は試合前だったから軽い刺激だけだったけど、あたしももう帰ってたよ、その時間」
「まあ、半分以上は学校通信向けのインタビューもどきだったけどな」
「学校通信に載るの? 凄ぉい。ねえ、どんな事話したの? あたしにも聞かせて?」
「そう。実はオイラもあまり聞けていない。何故なら恭介は今日朝からずっと死んでいたから」
「え? 死んでいた? どういう意味?」
「えーっと、ちょっと待って――」
俺もあの日の話をするのには吝かではない。しかしこの場ではどうしても話せない部分もある。主に授かった細やかな人生のアドバイスとか、そのせいで眠れなくなったとか。
その辺りを誤魔化しつつ、今日は森さんと再会した時の事を直人と宝さんに聞かせながらの下校となった。直人はいつも通りだったが、俺達のノリに合わせようとしてくれたのか宝さんもなんとなくいつもより積極的に親し気な受け答えをしてくれて、お蔭で凄く楽しい帰路となり、俺は宝さんと一緒に下校しているってシチュエーションもいつの間にかすっかり気にならなくなっていた。
やがて三人の中で一番早く最寄り駅に着く俺が一足早く下車した時には、宝さんにも自然な笑顔で手を振れた。
宝さんも眩しい笑顔で手を振り返してくれていた。
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