七十五戦七十五勝
「「グリンピース」」
俺と一条先輩で声を合わせて手を出す。
俺、グー。
一条先輩、チョキ。
最初に勝った俺の音頭で、勝負は続行される。
「グリン、グリン、パリン、ドン」
「あ!」
もう決着がついた。
互いの手は両方パー。俺の勝利宣言に、一条先輩が悔しそうに唇を噛んだ。
最初にジャンケンでどちらかが勝つまで続けて、勝った方の音頭でひたすらジャンケンを続ける。途中で勝者が変わったら音頭も交代。それであいこになった瞬間に「ドン」と先に宣言した方の勝ち。というジャンケンの応用、グリンピースだ。
普通は音頭を取る方が一瞬不利なのだが、こんな面でも哀れなくらい最弱な一条先輩は最初も負けから入り、次のあいこで反応できなかった。ジャンケンも弱ければ、それ以上に勝負自体に弱いらしい。
こういうあいこになるまでエンドレスにジャンケンが続く勝負だと終わらなくなってしまうのではないかという俺の一抹の不安は、開始二秒で杞憂に終わった。
大型連休が明けて二日目、その昼休みだ。
一週間近い連休が挟まっても何も変わらず2-2の教室に自然召喚した一条先輩だが、提示される勝負種目は昨日から少し毛色が変わっていた。
連休前までは昼休みの時間をフルに使っても三、四戦、たまに二戦で一杯くらいの、全国探せばそれで昼休みの時間を潰してる学生はたくさんいるだろう種目を続けてきたのだが、一条先輩が昨日から提示してくる種目は、グリンピースのように、終わる時は秒殺で終わる刹那的な勝負が中心になっていた。
連休中に溜まっていた分を一気に放出しているかのような、その勢い。
「数撃ちゃ当たる戦法にでも切り替えたんすか? 一条先輩」
次の勝負種目を何にしようかと腕を組んで首を捻っている一条先輩に尋ねると、
「そんなチンケな戦術、私は採用しないわ。相手を疲れさせて、集中が切れた隙を突く作戦に決まってるじゃない」
その作戦、考えたと同時に企画倒れてますよ。一月にも及ぶあなたへの積み重なった心労も、一昨日までの連休ですっかりリフレッシュできましたから。
俺は白い恋人の代わりに買ってきてやった鎌倉の鳩サブレーをおやつに頬張っている直人と二郎を眺めながらそんな返答を思い浮かべたが、言わないでおいた。
理由は、特にない。
ちなみに当然の事ながら、一条先輩の分の鳩サブレーは買って来なかった。
「それ、俺に言ったら台無しになりませんかね」
「優秀な戦術はたとえバレていても十分な威力を発揮するの。それでこそ広く知れ渡る作戦なのよ」
世界の誰が最初にその作戦を確立したのかは知りませんが、少なくとも一緒になって連戦している内は自分も同じくらい消耗していくんじゃないでしょうか。
それとも今は手を抜いていて、後の為に力を温存しているのだとでも言うつもりだろうか。はたまた――俺はついに俺にとっての真の意味での勝利が近付いている前兆だと期待を膨らませているのだが――一つの勝負に掛かる時間が短くなっている代わりに勝負と勝負のインターバルが長くなっているのは、実は勝負のネタが切れてきたのではなく、負けて大きく削られたHP的なモノの回復でもしているつもりなのだろうか。それだと結局俺も一緒に回復する事になるのだが。
二郎と直人、時折り一条先輩とも雑談を交えながら超適当に頭の足りてない予想を脳内で並べていると、一条先輩が次なる種目を宣言した。
「よし。決めたわ。次は軍艦よ。さあ上園恭介」
一条先輩の一存で決定された勝負はまたしてもジャンケン系だった。
差し出される左手を見ながら、俺は脳が白熱するのを感じた。
軍艦とは、互いの手を握り合い、空いた手でジャンケンして、「戦争」の合図でグリンピースと同じように最初に勝った方が音頭を取り、あいこになるまで続くゲームだ。
しかし、グリンピースという平和的な名称とは対極に位置する名のこのゲームは、一度あいこになったくらいでは終わらない。
音頭を取る側には攻撃権が与えられ、あいこになった瞬間、「一本取って」の掛け声と共に握っている相手の手の甲を引っ叩くのだ。そうして、先に手を離そうとしたり、痛みに声を上げた方の負けという、恐怖のチキンレースである。
それを、女子相手と?
俺は掌を制服のズボンにゴシゴシ擦り付けてから、ゆっくりと、しっかり、一条先輩の手を握る。
公衆の面前で女子生徒と真正面から向き合って。
一条先輩は、正直、ここだけは認めてもいい。平均よりは確実に整った容姿をしている。繋がれた手はとてもすべすべしていて、冷やかだった。未知の感触が手の触覚を伝わってくる。
「「セーンーソッ」」
声を合わせて勝負を開始する。
俺、チョキ。
一条先輩、パー。
攻撃権を得た俺の音頭で継続。
「チョウセン、チョウセン、グンカン」
俺、グー。
一条先輩、グー。
次の瞬間。
「一本取ってえええええ!!」
「ぃぅっ! ……たぁ~」
バチィィン! と皮を裂くような高い音が教室に響き、一条先輩が小さく苦痛を漏らした。
手を離し、真っ赤になった左手の甲を右手で庇うように擦りながら、目尻に雫を溜めて睨んでくる一条先輩に、俺は大きく右手を振り切ったままの恰好で、告げる。
「勝利」
「男としてどうだそれ」
鳩サブレーの包装袋を片手に丸めた二郎が若干引いていたが、無視。
そもそも俺は一条先輩の勝負種目をさっさとネタ切れにする為に積極的に勝負を受けているのだ。手を抜くなんて有り得ない。
あいこになった一瞬逃げ出そうとしたターゲットを予め汗を拭き取っておいた手で決して逃がさないようにがっちり捕まえ、渾身の力を込めて引っ叩いてやったのも、その結果に過ぎない。手首にスナップを利かせ、ピンと伸ばした指の面をヒットさせたのも然り。
特に今回は、軍艦を持ち掛けられた瞬間、絶対悲鳴を上げさせてやろうと決意していた。いつもいつも好き勝手振り回してくれるお礼に。
当然、俺が一条先輩如きの手を握ったり引っ叩いたりするのに、躊躇う理由なんかコレっぽっちも存在しない。
「さ、一条先輩。次の勝負は何ですか?」
どこか清々しい気分で俺は先を促した。一条先輩は相当痛かったのか未だに左手を擦りつつ、
「殊勝な態度ね上園恭介。いいわ。なら早速校庭に出なさい。次は一対一、正々堂々と、」
悪意に満ちた目付きで、懐かしい単語を口にした。
「達磨さんが転んだ対決にするわ」
軽くトラウマになるくらい恥ずかしい思いをさせられました。
一条先輩はやっぱりとんでもなく弱かったけど。
六限終了を知らせるチャイムが鳴り、ぐ~、と伸びをした途端、ピンポンパンポーンと校内放送が俺の席真上のスピーカーから流れ出した。
『二年二組上園恭介ー、二年二組上園恭介ー、授業が終わりましたらすぐに校長室まで来なさい』
ん? と俺はスピーカーを見上げる。学年主任の声はもう一度同じ内容を繰り返し、ブツッと切れた。
自分を指差しながら後ろの席の二郎に視線で尋ねると、
「の他にこんなに愉快な目に遭ってる奴と同じ名前の奴はここにはいねえよ」
男らしい胸板にゴスッと拳を突き込んでやった。
咳き込む二郎を無視してよっと俺は席を立ち、直人に向く。どうせ二郎の時間調整に付き合うからすぐには帰らないのだが、呼び出されたのは校長室だ。どんな要件か分からない、ただならぬプレッシャーを感じる。場合によっては何時間も拘束されるかもしれない。
「じゃ、ちょっと行ってくるから、俺が帰って来ないようなら先帰っててくれ」
「そ、そんな、恭介……これから死ぬみたいな事言うなよ!」
「お前は何を言ってるんだ」
直人は俺に勝手に死亡フラグを立てておきながらグッドラックサインを振っていた。
俺は友人二人に見送られて教室を出、廊下を歩いて行く。
そして2-3の教室も通り過ぎようとした所で、目の前のドアがガラリと開かれた。
「あ、上園」
現れたのは宝さん。
不意打ちの登場に俺は心臓の鼓動が強くなるのを感じつつその清流のように流れる短髪の毛先に釘付けになった。
「お、おう、宝さん。あ、ゴメン」
しどろもどろ答えてから、ドアの前で立ち止まってしまっている自分に気付き、俺は慌てて一歩下がる。
「ううん、気にしないで。あたしこそいきなり出てきちゃって、ゴメンね?」
首を振りながら宝さんは俺を追ってくるように廊下に進み出た。
ああ、その謙虚な心、どっかの傍若無人に一毛でも見習って貰いたい。
俺は脳内に一面の花畑が咲き乱れる感動に包まれた。
と、宝さんは少し考えるように目を横向けてから、
「放送、呼ばれてたね。校長室」
ハッと俺は現実に引き戻される。危ない。一瞬完全に頭から消し飛んでいた。
触れられた話題に対し、俺は敢えて冗談めかして振舞った。
「う~ん、怒られるような事は何もやってないと思うんだけどなあ……、いや。そうでもないか?」
よくよく考えてみればしょっちゅう校則違反な事ばっかりやっている気がしてきた。主に昼休みに。
おや? とこれまでの校則違反に当たる行いについて少し真剣に悩み始めた俺を見て、宝さんはくすくす口に手を当てて控え目に笑った。
「呼び出しってなるとまずは怒られることありきなんだ、男子って。でも、それで校長室って、ちょっとシャレになってないよ?」
うわ、超可愛い。
グラッと頭が体から離れて空を浮かび上がっていきそうになる夢想感を受けた。
フワァと開花する花びらのように広がる素敵な笑顔を至近距離で見せられ、俺の頭はポアァァァアアとああもう自分でもどんな感想を述べているのかさっぱり分からない!
内面世界が百花繚乱に咲き乱れている中、表面上だけは理性を取り繕っている俺は宝さんの抱えている荷物を認めて質問を返した。
「宝さんは部活?」
「え? あ、うん。そうそう、部活。そうだった」
何故だか自分に言い聞かせるような口調で頷く宝さんは恐らく陸上用の競技シューズが入っているのだろう細長の袋を掲げて見せ、一瞬前までとは僅かに色合いの違う笑みを浮かべながら、
「じゃ、じゃああたし急ぐから。ゴメンね、呼び止めちゃって」
「あ、いや、こちらこそ。えーと、頑張って」
「うん、ありがと。またね!」
最後には明るく手を振りながら、宝さんは廊下を走っていった。
その後を、俺は校長室に向かって歩いていく。
「失礼します」
学校で唯一木製観音開きの豪奢な扉をノックし、返事を貰ってから俺は校長室へ控え目に足を踏み入れた。
「やあやあ。待ってたよ上園君。まあ一先ずこちらに来て座りたまえ」
短く返事をし、ニッコニコと超ご機嫌の校長先生に従って委縮しながら逆に座り心地の悪い革張りのソファーに腰を下ろす。
学校という世界観の中では明らかに一線を画した趣向の部屋を落ち着かない気分で見回し、俺は校長に目を向けた。
「そんなに緊張しなくてもいい。もっと楽にしていてくれて構わないよ」
「はあ」
無茶を言ってくれる。こんな部屋で、裕福でもない家の一般男子高校生がリラックスできるとでも思っているのかこのカーネル髭メガネは。
おまけに約一月前、朝礼の壇上で俺にあるトラウマを植え付けてくれた張本人はあの時俺の中に芽生えた苦手意識を微塵も察していないらしかった。寧ろ大いに気に入られている節がある。
いやまあ俺も、そりゃ気に入られるだろうなという働きをした自覚はあるが。
「それで、えーと、どういう?」
授業を担当するような先生に対する少々砕けた敬語なら心得ている俺も、教員陣のトップという高過ぎる地位の人間にはどんな言葉遣いをしていいのか分からない。
ブツ切りな俺の言葉を受け、校長はコホンと一つわざとらしい咳払いをした。
「実はね、今日ここに上園君を呼び出したのは、君に会わせたい人がいるからなんですよ」
そう言って見るからにご機嫌に、廊下と繋がる扉とは違う、隣の小部屋と繋がるドアに「どうぞ」と声を掛けてノックする校長。すると向こう側からドアが開かれ、一人の老人が校長室へと入ってきた。
あ、と俺は目を丸くした。
三つ揃いをピッチリ着こなした爺さんが丁寧なお辞儀を披露する。
「初めまして、ではないのかもしれませんが。私にとっては、初めましてですね。森照造と申します。やー、ようやくお会いできましたな。お久し振りです。命の恩人さん」
俺にとってはファーストキスの君が、満面の微笑みを向けてきた。
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