表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/12

十戦十勝

 四限の終鈴が鳴り、担当の先生が出ていった直後、ズバーン! と自己主張激しくドアが開かれ一条先輩が現れた。

 新学期が始まって二週間弱。アレ以来毎日押し掛けて来る一条先輩にクラスの皆もすっかり慣れてしまい、逆にこれで今日も午前の授業が終わったと実感している節がある。

 学年違うクセに、下手すると友達少ないクラスメートよりクラスに馴染んでいた。

 俺はうんざりする気分を隠しもせず、机越しで相変わらず自信に溢れた笑顔の一条先輩を見上げた。

「もう、いい加減諦めませんか」

「諦めたらそこで試合終了だと、偉い先生も言っているわ。勝負よ上園恭介。私が勝ったら、私と付き合いなさい」

 机の上にはもう将棋盤は用意していない。一条先輩は一度やった勝負はもうしない主義でも持っているのか、出してても勝手に片付けられてしまうのだ。というか今週に入ってからこっち昼休みが始まると間髪入れずに現れるようになったので、今やどっちみち用意する時間すらないのだが。

 ちなみに一条先輩は土日明けから負ける可能性を想定し始めたらしく、種目を複数用意してくるようになった。月曜はジェンガとダーツ、火曜はおはじきで机上ホッケーと戦艦ゲームと黒鬚危機一髪、とまあ、そんな感じだ。携帯ゲーム機をわざわざ二台持ってきて格ゲー対戦とかもやった。

 (ことごと)く、一条先輩はとんでもなく弱かったが。

「という訳で今日はバスケのフリースロー対決にするわ。体育館行くわよ」

「え」

 偉い先生ネタの前振りから尊大に決定された本日の勝負種目に、俺は硬直する。教室から出る勝負を持ち掛けられたのはこの日が初めてだったのだ。

 道理で今日は何も小道具を抱えてないと思ったら。

「え、って何よ。何か問題でもあるの」

「いや、まだ弁当」

 これまでは勝負の合間合間に抓むように弁当を食べていたのだが、体育館ではそうもいかない。俺がカバンから取り出しかけていた弁当を示し空腹を訴えると、

「何でまだ食べてないのよ。前から思ってたけど、男だったら決戦に備えて早弁しときなさいよ」

 先輩が後輩にナチュラルに校則破りを要求してきましたよ。なんか約束もしてないのに今日も勝負する事が当然の決定事項であったかのように扱ってるし。いや、どうせ来るとは思っていたけれど。

 今までは撤退した後に昼を食べているものと思っていたのだが、どうやら一条先輩は毎日早弁してここに通っていたらしい。そういや授業と関係ない物の数々をこの教室に持ち込んで来ているのを確認済みだった。

 決定。一条先輩は校則によって守られるべき秩序とは別の枠組みの次元に棲息しておられる。

 取り敢えず、男子高校生にとって昼をお預けになるのはそれ即ち午後への死刑を宣告されるのと同義だとなんとか理解して貰い、俺が弁当を食べ終わるまで待って頂いた。

 比較的大きな瞳で強く睨まれながら、俺は掻き込むように二分で完食した。

 こんなに落ち着かない食事をしたのは初めてだ。



 弁当の中身を空にした刹那、一条先輩に手首を掴まれ強制的に立たされると早足にぐいぐい廊下へ引っ張られた。言葉にされずとも、アンタのせいで貴重な昼休みの時間が削られたわああもうさっさと歩きなさいという非難がバシバシ伝わってくる。

 反論もできず、がっくりと付いていく俺の後ろには二郎と直人を始め特にやる事のないヒマなクラスメート達がぞろぞろ付いてきていた。

 好き勝手な後ろの雑談を聞き流しつつ、体育館への連絡通路に出た所でふと俺は一条先輩とまともに会話をした試しが無い事実を思い出し、もしかして今は会話するチャンスなのではないかと気が付いた。

 チラと後ろを見、最前列の二郎と直人がこちらに注意を向けていないのを確かめてから、俺は今まで訊かなかった核心を尋ねる事にした。

「一条先輩は、なんでこんな事やってるんすか?」

「こんな事って?」

 ずんずん体育館への距離を縮めていく一条先輩は振り向きもせずに質問を質問で返す。

「あー、こんな、なんで毎日俺と勝負して勝とうとするのかと」

「アンタと付き合う為よ」

「いや、負けても俺、一条先輩とは付き合わないすよ」

「アンタが何と思っていようと、私が勝てば関係ないわ。敗者に拒否権は認められないのよ」

 もう、分かり合う努力をする方が間違っているのだろうか。

 挫けそうになりながらも、俺は偉い先生の名言を思い出し、もう少し頑張ってみる。

「じゃあ、そうまでして俺と付き合おうとする理由って何すか。俺達、一週間前まではホントにただの初対面したよね」

「そんなの……」

 一瞬何かを口走りかけ、一条先輩はやや瞼を下げて言い直した。

「今は?」

「え?」

 質問の意味が掴めず頓狂な声が滑り出てしまう。一条先輩は大きく空気を吸ってから、吐き出す息と共に補足した。

「今の私達は、初対面じゃなくなって何になったのかしらって」

「そんなの、本来なら接点の無い筈のただの先輩と後輩でしょう」

「……、そうね。全くその通りよ。確かめるまでも無い事だわ」

 やっと質問を理解し、俺の見解を正直に答えると一条先輩は低い声で頷いた。同時にその横顔が物凄く不機嫌なものになる。

 俺、何か間違っているだろうか。強いてより詳細に言うなら、受験生だってのに毎日下級生の教室に入り浸る先輩と、理不尽に勝負をふっ掛けられて辟易している後輩、といった関係に過ぎないと思うのだが。少なくとも俺にとっては。

 一条先輩はそれきり黙ってしまったので、俺は問いを重ねる。

「あの日の朝礼がきっかけだろうって周りからは言われてんすけど、本当にそうなんすか?」

「付き合う気が無いって言うなら、アンタには関係無いでしょ」

「一条先輩が何も言わないからすよ」

 カチンときて少し強い口調で返す。すると、一条先輩の歩調が僅かに乱れた。ジロ、と横目で俺の顔を睨め付けてくる。

「教えれば、考えるとでも言う訳?」

「そんなつもりは毛頭ないですが」

 即答すると一条先輩はフンと鼻を鳴らして視線を前に戻してしまった。若干大きくなった気がする足音を鳴らして進む速度が上がる。

 その態度にいよいよムッとして、俺は不愉快の感情を(さら)け出し細い肩を捕まえた。

「こっちはすでにいい迷惑を被ってるんすよ。理由くらいは訊く権利があるハズじゃないすか?」

 足を止めて振り向かせる。俺の背にぶつかってようやく事態に気付いた直人が俺と一条先輩の様子の変化に戸惑い、先頭が止まった事で後ろの連中もこちらの様子を窺おうとしている気配を感じたが、俺はそれらを無視して一条先輩の言葉を待った。

 これまでにない俺の強硬な反抗に一条先輩も狼狽えたのか、口端をもごもごと動かし、

「別に、私だって……」

 出そうになった言葉を(すんで)で飲み込むと、俺の手を振り払って切り返してきた。

「いいわ。そんなに気になるなら教えてあげる。感謝しなさいよね」

 腰に手を当て偉そうに言ってくるが、いつもなら呆れるだけのその姿勢も今は余計に俺の神経を逆撫でる。俺は無言の視線で先を促し、一条先輩は調子を崩さず続けた。

「確かにアンタの言う通り、きっかけは先週の朝礼だったわ。でも、勘違いしないでよね。直接の理由はそこじゃないわ。アレはあの日にアンタの教室に行く事になった、ただのきっかけ。本当はね、あの日、私はクラスの友達と勝負して、負けたのよ。その時の敗者に課せられたバツゲームが、指定の男に交際を受け入れさせる事。もしその男に彼女がいるなら、奪い取ってでもね。それで、私に指定されてたのが、朝礼で英雄扱いされてた奴、つまりアンタだったって訳。だから私はアンタを彼氏にしなきゃいけないのよ。分かった?」

 訊き直す権利は認めないわ、と言わんばかりの瞳で俺を睨み返す一条先輩。

 何だそれは。

 まず思ったのはそれだった。一体そのバツゲームとやらにどれ程の強制力があるのかは知らないが、今の話で全部なら俺はただ、全く知らない先輩達のお遊びに巻き込まれて、負けたこの女のとばっちりを受けているだけじゃないのか。

 ハタ迷惑にも、程がある。

「よく、分かりました」

 やはり訊かなきゃ良かった。初日以上に心を離した事で、この一週間で多少この女に心を開きかけていた自分に気付かされた。要らない痛みを胸に感じさせられ、後悔に奥歯を噛み締める。

「そう。それならさっさと来なさい。勝負する時間がなくなるわ」

 クルリと回ると、ポニーテールの先輩は早足で体育館の扉に歩み寄り手を掛ける。

 重い音を上げて鉄製の引き戸を開けようとする女子生徒の姿を睨み付けたまま、俺はその場に留まっていた。脇を通り抜け、直人が手伝いに駆け寄るのも黙って見送る。

「恭介」

 横から二郎が声を掛けてきた。イケメンの友人は俺を気遣ってくれているようだ。

「大丈夫」

 俺は無理矢理微笑を作って友人の肩に手を乗せた。キレやしないさとアピールしながら、

「さっさと終わらせてやる」

 呟いて、体育館に踏み込んでいった迷惑な先輩の後に続いた。

 できるだけ長く、俺達の平穏無為な昼休みを取り戻す為に。



「まあ、よく考えれば当然だよなー」

 体育館の中を見回し、直人が期待外れだと言うように嘆息した。

 確かに、と野次馬一同が同調する。

 そりゃそうだ。直人の言う通り。

 昼休みが始まってからすでに十分くらい経っている。体育館に来て遊ぼうなどと考えるようなエネルギッシュな連中なら、初めっから早弁して四限終了と同時に走ってくるだろう。

 つまり体育館のコートは先客で全て埋まっていた。

 まさかどこぞの身勝手さんでもバスケに興じている十人近くの男子生徒集団に対して今からここ使うからどけ、などとは言えないだろう。

 バスケのフリースロー対決は中止にするしかなさそうだ。

「あー使えないっぽいすねー。も帰っていいすかー」

 俺はわざわざここまでのこのこ付いて来てしまった徒労にうんざりし、気怠(けだる)くごちた。

 どこぞの身勝手さんは鬱陶しそうな目付きを向けてきて、何も言わずにずんずん壁沿いに体育館を進行していく。

 仕方なくぞろぞろと続く俺達だったが、やがて一番奥のコートを使用していたグループの一人が先頭を行くポニーテールに気が付いた。

「おー、遅かったな一条。何やってたんだ?」

「ちょっとね。それより、コート取っといてくれてありがと」

 ふつと俺は眉間に皺を寄せた。

「へー。友達は多いみたいだな、あの先輩」

 二郎が俺にだけ聞こえるような声で耳打ちしてくる。

 どうせ俺らが使うついでだから気にすんなと鷹揚に笑う体育会系の爽やかな男子の先輩と随分親しげに話す自信の権化のような先輩を眺め、俺は無意識に舌打ちしていた。

 直後に何故かイラ立っている自分に気付き、少し考えて、自己完結する。

 あんなに自分勝手なクセに、いい友人もいたもんだ。お蔭で昼休みがさらに短くなってしまいそうだ。腹立たしい。

「上園恭介。何か言ってたかしら?」

 フリースローの為のゴールを一つ明け渡す運動好きの先輩方を背景に、友達がたくさんいるらしい先輩は無意味に自信に満ちた笑みを浮かべ、明るいオレンジ色のゴム製ボールを抱えて力強く胸を張ってきた。

「別に」

「そう。なら始めましょ。サドンデス有りの五回勝負でいくわ。私が勝ったら、問答無用で付き合って貰うからね」

「勝手に言ってて下さい」

 吐き捨てるように戯言を流す。ウチのクラス連中はもう先輩の宣言にも慣れたのかその程度では反応しなくなっていたが、見慣れていない周りの先輩方は『お~』とやや色めき立っていた。

 いつもとは違う舞台で、先攻後攻ジャンケン。

 俺、パー。

 先輩、グー。

「先攻」

「むぅ、ほら」

 下唇を突き上げながら渋々放られたボールを受け取り、フリースローラインの手前に立つ。俺は高校でこそ運動部には所属していないが、小一から中学の引退まではサッカーをやっていた。バスケはコレと言って得意という訳ではないけれど、フリースローくらいなら十本に九本は入れられる程度の運動神経を自負している。

 数回ボールを床について感覚を確かめ、狙い澄ます。投げる。

 回転を掛けたボールはボードに当たって下向きに跳ね返り、ネットを通過した。

 ギャラリーの拍手を受けながら俺は下がる。

「私の番ね」

 代わりにフリースローラインの手前に立った無暗に自信有り気な先輩は、ゴール近くにいた直人からボールを受け取り、俺と同じように何度かボールをついてから、構えに入る。

 そのフォームに、俺は思わず少しだけ瞠目した。

 えらい様になる、奇麗なフォームだった。凛、とはこういう時に使う字なのだろうと思わされた程に。

 考えてみれば女子ながらにここまで多くの体育会系男子達と、小用の協力を頼めるくらい親しいのだ。もしかしたら実はこの人は男子に混じれるレベルのスポーツ少女で、特にバスケは相当に得意な部類なのかもしれない。

 他のコートの喧騒が遠くに聞こえるように感じる空気の中、静かにボールが放たれた。

 素人目に見ても綺麗なフォームで投げられたボールは物理の教科書に載っているような滑らかな放物線を描き……

 ダム、ダム、ダムダムダム――

 と、全然ネットの手前で床をバウンドしゴール下を行き過ぎていった。

『…………』

 結局、三回で勝負は決した。

 この日の勝負はこの一種目で終わった。俺の対戦相手が五回まで続けると頑なに言い張るから俺は五回までしっかり決めてやったが、その後自分の五投目が終わった時点で相手の五投目を見ずにさっさと撤収してきたからだ。

 最後の投球まで見届けた直人の報告によると、律義に五投目も全く惜しくも無かったらしい。

 はっきり言って俺は欠片も興味なかったが。



現在の勝率:100%


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ