二戦二勝
「さあ、勝負よ上園恭介!」
ズバーン! と自己主張の激しい音を響かせてドアが開かれ、一条先輩が再び現れた。
奇しくも俺の机の上に将棋が用意され、二郎が隣に椅子を持ってきて、直人が俺の前に持ってきた椅子を立ち弁当を取り出そうとしている、昨日と全く同じ構図となる訳だが……
「なんだ、アンタ毎日将棋してるの? それなら昨日私が負けたのもしょうがなかったわね。嵌められたわ。だから今日は私が用意してきてあげたわ。それがフェアってもんよね。大貧民やるわよ。私が勝ったら、私と付き合いなさい上園恭介」
先輩は当たり前のように直人の椅子を占領し、もう感心してしまうくらいの勝手な言い分で決定するとせっかく並べた将棋盤をひっくり返してテキパキ片付け脇にどけ、スカートのポケットから取り出したトランプの山をさくさく切り始めた。
「えーと、先ぱ……一条、先輩」
途中凄い剣幕で睨まれ、言い直す。一条先輩は尊大に踏ん反り返って俺を見返した。
「何」
「えーと、俺、昨日勝ちましたよね?」
「そんなの訊かなくても分かるでしょ。じゃなきゃわざわざリベンジしに二年の教室になんか来ないわよ。それとも、昨日の事ももう忘れてしまう程アンタの脳は揮発性メモリーな訳?」
さて。そろそろ怒ってもいい頃と思うのだが、一体どこから怒ったらいいだろう? 取り敢えず新学期早々下級生のクラスの平穏な昼休みを乱しに来てる辺りからか?
昨日の再現のようにわらわら集まってくる新しいクラスメート共を横目にそんな事を考えていると、一条先輩は反論を許さない調子で付け加えてきた。
「もちろん拒否は許されないわ。国に支配された民衆が革命を起こした時、国がそれを相手にしないのならそのまま下剋上されるだけだもの。だからどこの国も暴動の鎮圧には多少荒っぽい解決法でも正当化されるのよ。世のルールを定めるのは常に勝者よ。敗者になりたくなければ戦うしかないわ」
大貧民を持ち掛けてきたのは、下剋上と掛けてでもいるのだろうか? 俺がこのお方を支配していた時期など、一秒も思い出に無いのだが。
とにかく俺は今日こそこの傍若無人な勢いに流されないよう一つ咳払いし、言葉での説得を試みようと意を決した前で、
「ソコの二人。上園恭介の友達なんでしょ。大貧民で一騎打ちなんてやってもつまらないからアンタ達も参加しなさい」
友人二名が巻き込まれていた。
しめたと俺は内心で意気を強くする。流され易い直人はともかく、二郎は自分が面倒臭い事に巻き込まれそうになるのを感じるとはっきり拒絶する奴だ。援護を求めればきっと味方に付いてくれるだろう。
説得の成功を確信しながら俺は反撃に出た。
「一条先輩。昨日はいきなりで俺も戸惑ってたので言い切れませんでしたが、この際はっきり言っておきます。俺は一条先輩と付き合う気は毛頭ありません。はっきり言って迷惑なんで帰って下さい」
ギャラリー共が俺のセリフに盛り上がるがそれは覚悟の上だ。俺は外野の野次に一切応えず一条先輩をまっすぐ見据える。
一条先輩は動じなかった。つまらない物でも見るような目で俺を見返し、はん、と鼻で笑って俺の言い分を切り捨てた。
「そういう事は勝ってから言いなさい。宣戦布告はしたわ。勝負はすでに始まっているの。戦いの最中に自分の意見を主張した所で、まかり通るとでも思っているの、上園恭介? 無駄口叩いてないでさっさと自分の手札を取りなさい」
トランプを四組の手札に配りながら机に並べ、その内の一つを手に取った一条先輩の強気な態度に周囲の女子がキャーキャー喜んでいる。
他人事だと思ってコイツら! と叫び散らしたくなる衝動を抑えながら俺は面倒臭い事に巻き込まれかけている二郎に、お前も言ってやってくれという想いを込めて目を遣った。
頼もしい頷きを返してくれた二郎は自然な動作で机の手札を一つ手に取り、ざっと引き当てたカードを確認すると、
「おっしゃ、結構いい」
「おいいいいいい!!」
手札を入れ替えてペアを揃えながら呟く二郎に俺は思わず大声でツッコんだ。
「お前! 何! 普通に参加している!」
裏切られた気持ちで迫ると、
「まあいいだろ恭介。どうせ昼休みの暇が潰せりゃいいんだ。面白いじゃないか、大貧民」
「他人事だと思ってこの野郎!」
凄いイイ笑顔で返された。楽しんでやがる。俺が面倒臭い事になってるのを、寧ろ率先して一番近くで見物しようとしてやがるこのイケメン野郎! そして二郎の笑顔に喜ぶな女子!
ちなみに二郎の横では椅子を占領された直人が自分の机に腰掛け、選び取った手札に「うげぇ」と苦い顔をしていた。
おかしい。2-2は俺のクラスのハズなのに、何故か完全にアウェーだ。これがクラス換えの効果か。
理不尽を感じながら、結局俺は机に残された手札を取った。そうするしか、なかった。
渋々カードの並びを整えていると、一条先輩が拳を突き出してくる。
「順番決めるわよ」
という訳で四人でジャンケン。
俺と二郎と直人、グー。
一条先輩、チョキ。
不満そうな一条先輩に睨まれながら、勝ち残った三人で続ける。
結果、俺から時計周りに決まった。
「これはあくまで私とアンタの勝負だからね。私とアンタで、早く上がった方の勝ちよ」
一条先輩が言い添えてくる確認を聞き流し、俺は最初のカードを切る。
「じゃ、まずは3から」
「ほい、5」
二郎のダイヤの5が俺のクラブの3に被さる。
「んー、9」
直人が少し悩んでダイヤの9を出す。
順番が回ってきて、一条先輩はニヤリと不敵に笑った。早速何か仕掛けてくるのか? と身構える俺。一条先輩は返せるものなら返してみろと言わんばかりに、自信満々に自分のカードを場に叩き付けた!
「ジョーカー!!」
『!?』
初っ端からジョーカー単体だった。さっき配ってるのを見てた時、確か一枚余分に配られたのが一条先輩の手札だけだったので――よくジョーカーが二枚入ってるトランプもあるが――一条先輩が持ってきたトランプにはこの一枚だけのハズだ。
「あー、スペ3」
遠慮がちに二郎がスペードの3を出す。大貧民に於いてジョーカーを破る唯一のカードに、
「!! そ、そんなバカな……!」
一条先輩は酷く動揺していた。
いやいや。そりゃ返されるでしょうよ。もう一枚のジョーカーを警戒する必要がないんだから。
「四人なら、スペ3持っててもペアになって崩すのが勿体なくなると思ったのに……っ」
一応考えてはいたらしい。それにしてもいきなりジョーカーですか。他に出せるカードは無かったんですか。
悔しそうに唇を噛む一条先輩を窺いながら、スペ3で流れて仕切り直し。
「4のツーカード」
「良心的だなあ、二郎。しかしオイラは鬼なのだっ。くらえ、7のハート片シバ!」
「む、これは無理ね」
「甘い、9! しかもここから両シバ!」
「エース」
「なんだとぅ!?」
「ああ! くそぉ、パス」
渾身の一撃を二郎にあっさり覆され驚愕する俺。直人も9ならまだ出せたのか、大いに悔しがる。一条先輩は一周前の時点ですでに無理と言っていたので、ここで流れて、
「んー、この手札だとさっさと単品を処理してえな。7」
「うわ、数字がリアルでコワッ。じゃ、10」
二郎の底知れない手札に戦きつつ、直人がスペードの7の上にダイヤの10を乗せる。
シバリも何もないただの10で順番が回ってきて、一条先輩は、
「くっ……パスよ」
『…………』
ペアを温存しとくとか、そんな感じじゃないような気がした。なんか単純に、もう絵札が無いんじゃなかろうか。
昨日と同じ妙な緊張感に包まれながら、この回は柄のシバリと数字の階段シバリをかけた上にすでに10が出てる場でのイレブンバックを発揮した俺のダイヤのJで流れ、大貧民は続いた。
一条先輩はあっさり大貧民になった。
俺が二郎との接戦の末一歩の差で大富豪で上がった時点で、俺と一条先輩の勝負はすでに決していたのだが、止めればいいのに一条先輩は断固として最後までゲームを続けると主張した。
その際「今の私とコイツの差を見極めるのよ!」という御言葉を頂いたのだが、さて。結局直人との一騎打ちにも手札五枚を残して大貧民となった一条先輩と、大富豪の栄冠に輝いた俺の差は、一条先輩の基準でどれくらいなのだろうか。尋ねる前に一条先輩は光速でトランプを回収し聞き覚えのある捨てゼリフを残して走り去ってしまったので、全ては闇の中だ。
ていうかまさか本当に最初のジョーカー以外絵札が無かったとは、恐れ入った。
「それにしても、真正面からはっきりフラれたってのに全く心が折れないなんて、中々逞しい神経してるよな、あの先輩」
パチンと銀将で王の防衛を堅くした二郎がポツリと零す。
一条先輩が撤退した後、俺達は普段通り将棋を始めて昼休みの残りを無為に過ごしていた。野次馬根性丸出しのクラスメート達もすでに捌けている。興味本位の問答も二日続けばすぐにネタが切れるというものだ。
むむむ、と唸る直人の駒を眺めていた俺は二郎に恨みがましい視線を向けた。
「貴様、よくも裏切りやがったな」
「俺に当たるなよ。お蔭でこの新しいクラスで早くも自分のキャラ位置が確立したんだから、良かったじゃねえか」
「こんなキャラ位置など求めていない!」
他人事だと思ってこの野郎! と二日合わせて何度目になるか分からない魂の叫びを上げると、直人も顔を上げて乗って来る。
「やっぱ、昨日の朝礼で好きになったのかなあ」
「それしか考えられないだろ。これまで関わりなかったんだし」
「急に倒れたご老人を助けて、しかも名も告げずに去るなんて素敵っ。みたいな?」
「はははっ。どこのラブコメキャラだっつの、それ」
勝手な想像を抜かす友人二名。
いやまあ、正直俺もそんなハッピーなイベントの一つくらい起きないかなーという妄想を全くしなかった訳ではない。それは認めよう。
今のご時世、頭より先に体が動いて人命救助しちゃいましたなんてできる奴は滅多にいないのだし、自分がそういう事をやったんだと自覚してしまえば唐突な嬉し恥ずかし素敵な出来事を期待してしまうのは健全な男子高校生として当たり前だと開き直ってやるさ。やるけれど。
いざ起こってみると非常に嬉しくなかった。ただただ心労だけが嵩んでいく気分だ。
憮然としていると、直人が桂馬を攻め込ませながら水を向けてきた。
「もう付き合っちゃえば? 結構美人だし、いいと思うよオイラは」
「ふざけるな。俺は見た目で彼女なんか作らない。真っ直ぐと一本芯の通った内面美人が俺は好みなんだ」
「いつまでもファーストキスの相手を引き摺ってる男なんかよりゃ、よっぽど図太い性格していると思うが」
桂馬がいなくなった穴に角を斬り込ませる二郎に痛い所を突かれ、俺は思わず口を手で隠して目を逸らした。ああ、またあの時の感触が蘇ってくる……
頭を振って必死で散らし、嘆息。それからぐむむむむと腕を組んで唸る直人の出方を観戦しながら、俺は二郎に懸念を明かしてみた。
「あの人、来週も来ると思うか」
「来るんじゃないか。昨日と同じパターンなら」
県立瀬和高等学校は、明日から土日の休みである。
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