一戦一勝
この作品は、新年度へ臨む始まりの希望を春の酔いに任せてお送りいたします。
春。部活も委員会も何もやっていない為特に接点や思い出のある人がおらず、実に乾燥した気分で校門から昇降口までの道に並ぶ桜の蕾と共に二つ上の先輩方を見送ったのが先月。春の風に盛大に舞い散る桜の花びらが新入生を迎え、同日午後に我々在校生の進級もそのご相伴に与らせて貰った、新学期の始まりが一昨日。
普通の高校で普通にバカな学生生活を送り恙無く二年生へと進級を果たし、窓から見える景色が一階分高くなった教室で見知った顔が随分減ったクラスの新しい仲間とのファーストコンタクトに下階でも溢れているだろうトギマギとした緊張を一年越しに再体験する……かと思いきや、何の因果か真隣と真後ろに着いたヤツらが丁度一年前と同じ顔で、ついでに座席の場所も壁際ではあるのだが目の前の交通量の多さ故にグッドともバッドともつかないザ・ベスト・オブ・微妙ポジション、ドア真ん前の角席と去年のまんま。担任も変わらずだから最初の席順が似たような感じになるのは仕方がないのだと納得するも、お蔭で新学期の風情はすっかり冷めてしまった。
俺、上園恭介がそのとんでもない先輩と出会ったのは、そんな普通の新学期の普通の昼休みだった。
「よっし、将棋やろ将棋」
素行普通、学力普通、部活普通と普通三拍子を誇る我が県立瀬和高等学校は入学式及び始業式の翌日から普通に六限までの平常授業が始まる。
四限の先生が教室から去るとすぐに、隣の席の尾形直人はガラガラと椅子を足に掛けて引き摺りながら俺の席の前に回り込んだ。
俺は「おー」と気の抜けた返事をしながら弁当を取り出し、机の真ん中を空けるように端に置くと直人はでーんと新学期早々に持ち込んだ折り畳みの将棋盤をバカッと広げた。箱のようになっていて、中に駒が収納されているヤツだ。
「恭介王と玉どっちがいい?」
「どっちでもいいぜー」
「じゃオイラ玉ー」
適当に言い合いながらパチパチ自陣に駒を配置していく俺達。そうしながら直人は椅子の位置を微調整する。直人の後ろでは次々と同級生達が行き交っていた。
まだ新しいクラスになったばかりだからか、昼休憩に入ると普通にトイレとか購買に向かう生徒に加え、別々のクラスになった友人を訪ねて来る生徒や訪ねに行く生徒でドア前は結構混雑する。
そんな時間にこんな場所へ椅子を持ってくるのは少々交通の邪魔になるのだが、コイツはやや小柄な為最小限のスペースしか取らず、そもそもドアも二枚の引き戸を重ね合わせた物だから奥のドアを使えばいいだけで、気にする奴はいない。
こちらは並べ終わり、直人がパチパチ並べているのを待ちながら弁当を開けていると、後ろの席の川島二郎が椅子を持って俺の隣まで移動してきた。二郎はとても家庭的な弁当を手に頬を膨らませる。喋る為に口の中の物を頬の内側に詰めたらしい。
「負けた方次俺と交代な」
「あいよー」
相槌を返して俺も食べ始める。こんな昼休みの過ごし方を俺達は去年の三学期にしていて、三人また揃ったしなんとなく惰性的に昨日から再開したのだった。
と、直人の頭越しで通り過ぎる女子達が二郎をチラリと横目で見てすぐに目を逸らしていくのに気が付いた。
二郎の外見は日本人離れなくらいの明るい茶髪でブレザーを全開にしてワイシャツのボタンを上から三つも開け、奇麗に日焼けした胸元から鎖で提げたアクセサリーをさり気無く覗かせている。瀬和高は服装に関して割と大らかな校風だから、今日のように春の陽気で汗ばむ日ではこんな格好になっている生徒も別段珍しくない。
しかし二郎はその中でも浮いていた。
どう浮いているのかというと、超絶に美形過ぎてただいるだけでもどっかのファッション誌の表紙撮影でもしている最中か何かに見えてしまうのだ。しかも髪の色は地毛らしい。
もう自然の摂理みたいなもんだから、今更それについて何か言う気は起こらない。
……まあ、今日はたまに俺が見られている気もするが、それはどちらかというと敬意とか好奇とかそんな目だ。
「やっぱ、興味持たれてるなあ、お前」
二郎がボソボソと口に物を詰めたまま呟いた。聞こえた直人も自分の後ろを振り返り、ああ、と納得すると俺に視線を戻してしみじみ頷く。
「そりゃあアレだけ大々的に表彰されればな。嫌でも有名になっちゃうって」
一昨日の事でも思い出してるのか妙に得意そうにする直人。俺は溜息した。
「うーん、せっかくカッチョつけて名も告げずに去ったのに、ほんとに何故バレたんだ? なんか逆に居た堪れないし」
「言っとくけどオイラじゃないから」
「それはもう聞いた。いや、いいんだけどよ」
今朝の臨時朝礼を思い出し、俺がカバンの中の一枚の表彰状に目を向ける。すると二郎がご飯を飲み込みつつ呆れてきた。
「誰か知り合いが見てたんだろ。人命救助に貢献した学生と同じ高校の制服着てりゃ、駅員辺りに知り合いかどうかぐらい訊かれてもおかしくないし」
一昨日の始業式の日の下校中の事だ。瀬和駅のホームで電車を待ってたら横の方からザワめきが起こって、何事かと思ったら爺さんが気絶してぶっ倒れていた。俺は反射的に走ってって爺さんに救命措置を施した訳だ。
ほとんど無我夢中だったからあまり細かくは覚えてないのだが、救急車が到着した時に、真面目に緊急救命の講習会受けててよかったと本気で思ったもんだ。
あと、
「俺のファーストキス……」
強く記憶に残っているもう一つの事実を思い出すと、話とは切り離せない所で落ち込んでしまう。「ノーカンにしちまえって。キスじゃなくて人工呼吸だってよ」と二郎が肩を叩いてくるが、なんてったって冷静になったあと一番強烈に残ってしまった印象がソレだったのだ。
まさかファーストキスをドコの誰とも知らない出会い頭の爺さんに捧げる事になろうとは夢にも思ってなかった。ああ……。
「うーん、そういや確かに何人かいたかなあ。あの時間だから少なかったけど」
沈む俺を尻目に直人は隣の席へ立ちながら呟いていた。自分の机の横にぶら下がるカバンに手を突っ込み、弁当を引っ張り出そうとしている。
あの場には直人もいた。というか俺と直人は電車の方向が同じだから基本的に一緒に帰る。そして確かあの日は駅員と救急車を呼びに走らせた思い出がある。ちなみに二郎はいつも放課後はバイト三昧で、それ以前にチャリ通だ。
一昨日も二郎のバイトまでの時間潰しに付き合ってダラダラと教室で駄弁ってから下校したのだが、言われてみれば救命中の俺を囲んでいた人達の中にウチの生徒も何人かいた気がする。中途半端な時間だったからかそんなにいなかったが、やはりその中に俺と知り合いの奴がいたんだろう。
お蔭で、なんとなく流れで一緒に救急車に乗り込み病院まで付いてって、爺さんの命に別状はないと知らされた瞬間我に返った所で滅多にないシチュエーションに恥ずくなり、その場で考え得た最もイカす去り方として名を告げずに去るなんて清ました態度で誤魔化して逃げたのに、今朝ほぼ俺の為に臨時朝礼が開かれてわざわざやってきた瀬和駅長から表彰されたりその後の超ご機嫌な校長に壇上で延々と讃美され続けるハメになったのだ。
あそこまでやられると、正直何の嫌がらせかと思ったさ。褒めてくれるにしてもせめて校庭の列の中に戻して欲しかった。あの心労と言ったらもう、俺の常識の中で善行に括られる行いは実は全て罰を受けるべき行いなのではないかと疑いたくなったくらいだ。特に俺としては単に逃げただけなのに、黙って去った態度が見返りを求めないうんたらと校長に酷く気に入られたようで、余計精神的に辛かった。今日廊下で会った知り合いが俺に向けてきた感情の七割は労りだったと付け加えておこう。
とまあここまでは、一年から連んでいる三人で新しい話題に深い考え無しの会話をしながら無為に過ごす、普段通りの昼休みだったのだ。
そして直人が弁当の発掘に成功し、俺の机の前に置いた椅子へ戻ろうとしたその時、その人は突然現れた。
ズバーン! と自己主張激しく目の前のドアが開かれた。教室にいた同級生達が驚いてこちらを振り向く中、俺も驚きに顔を上げる。
セミロングの黒髪をポニーテールにしている気の強そうな女子生徒が立っていた。ブレザーの胸ポケットに付いたバッジの色からして三年生――つまり先輩らしい。挑むような目付きで我が2-2の教室を見回す先輩は、次第に不機嫌そうな顔になっていったが、ふと目線を下向けて俺を見付けると凄く嫌な予感を叩き付けてくるニヤリ笑いを見せた。
「上園恭介ね。丁度いい席にいるじゃない」
どうやら俺に用らしい。しかし生憎俺はこの先輩と知り合いになった覚えはない。どこかで会っただろうかと必死でこれまでの人生に出会った顔名簿をバララララと捲り、そういえば今朝校長に思いっきりクラスと名前の個人情報を流出されたのを思い出した。
先輩はズシンと音が聞こえてきそうなくらい堂々とした足取りで教室に踏み込んできて、俺の真正面にムンと胸を張って仁王立つ。一瞬えらく強調された胸部の力強い膨らみに目がいってしまったのは決して俺がスケベだからではない。寧ろ一瞬で目を逸らした紳士的自制心を褒めて貰いたい。逸らした先で好戦的な視線とぶつかってしまったが。
「はあ、そうすけど。初めまして……すよね? え……と、先輩」
尋ねると、先輩はますます不敵な笑みを深くした。
「もちろん初対面よ。言うまでもないでしょ。それとも私の顔をどっかで見た覚えでもあるの、上園恭介?」
「あ、いえ、ないです。すいません」
「気にしてないわ」
一々偉そうな人だった。なんか暗に非難された気がして謝ったら、さらに不遜な御言葉を頂いた。ふふん、と得意げに鼻なんか鳴らしていらっしゃる。いや、今どっか自分を誇れる遣り取り、ありましたっけ?
俺は困惑して何も言葉が出てこない。すると先輩はそれをどう理解したのか、
「私の名前は一条咲よ。一等賞の一に勝利条件の条に咲き誇るの咲くで一条咲。名乗らせたからには今覚えなさい。訊き直す権利は認めないわ」
などと勝手に自己紹介を披露した。何となく、漢字の例だけでこの人の性格が分かり易く伝わってくる。
「えーと、それで先輩は……」
言い掛け、先輩がギロリと目付きを鋭くさせた。気圧され、何が間違っていたかを数秒必死で考え、言い直す。
「一条、先輩は」
「苗字か。ま、いいわ。何」
これでもギリギリの及第点らしい。他に何が求められていたんだろうと疑問しながら、俺は慎重に言葉を選んで続けようとして、選ぶも何も単刀直入に訊くしかない事実に気付いた。それをそのまま口にする。
「それでえーと、何か用すか?」
一条先輩はおかずを残さず食べた幼稚園児によくできましたと褒める時のような顔で満足気に頷き、腰に手を当ててキッパリと言い切った。
「上園恭介。アンタに告白しにきたわ。私と付き合いなさい」
……。
…………。
……………………へ?
教室全体が呆気に取られる。一条先輩の登場でこちらに集中していたどよめきすら一瞬凍りつく。
次の瞬間。
『おおおおおおおぉぉぉぉおおおぉぉおおおおおおおおぉおおおぉぉぉおおおおお!?』
後方一面の野次馬魂が興奮しすぎて爆発した。成り行きをもっとはっきり見届けようとどやどや集まってくる。女子のキャーキャー声が物凄く俺の耳をつんざいた。携帯取り出してパシャパシャしてる奴までいやがる。しかし俺にそれを気にする余裕はない。
一条先輩は周囲の雑音など気にせず、事態についていけていない俺を見降ろすと細い片眉をつり上げた。
「何よその顔は。言いたい事があるならはっきりと言いなさい」
「え? あ、えーと……」
どもりながら助けを請う思いで隣の友人に目を向ける。俺と目が合った二郎は肩を竦めて首を傾げた。傍観者を決め込むつもりらしい。ならばとさらに奥、隣の席の傍らに立っているやや小柄の友人に目を向ける。直人はがくーんと顎が外れたように口をあんぐり開けて、完全に思考停止していた。
友人二名が使い物にならず、頭を抱えたくなりながら一条先輩に視線を戻すと、俺から目を離さない彼女は気味悪そうに一歩退いていた。
「なに、オトモダチに視線で打診してるのよ。まさかアンタ達、そういう関係な訳?」
「は?! いやいやんな訳ないじゃないすか! 適当な事言わないで下さい!」
必死に身の清純を主張する俺から無言で距離を取る友人の気配がイスを引き擦る音に乗って届く。この野郎何逃げてやがる! と内心で罵倒したがもうこれ以上不名誉な解釈をされるのは嫌だったので今は無視する事にした。てめぇ後で覚えてやがれ。
一条先輩はむぅ、と疑い深げにジロジロ観察してきたが、取り敢えず酷い誤解は流して下さった様子だ。不遜な態度を取り戻した一条先輩は、
「そうね、じゃあこうしましょ。上園恭介。私と勝負しなさい。そして私が勝ったら、アンタ私と付き合いなさい。種目はそうね……丁度将棋が用意されてるじゃない。コレにするわ。ちなみに拒否は許されないから。新大陸に上陸した異国民が戦意の無い原住民を侵略して奴隷にしたように、戦わないならそれはそのまま不戦敗を意味するのよ。そして敗者は勝者に屈する他生きる術がないの。これは人類が歩んできた長い歴史が証明しているわ。いいわね」
勝手に方針を決め付け、足元の椅子に腰かけた。唖然としていた直人が「あ」と自分の椅子を占領されてようやく意識が覚醒したようだが、最早この友人にできる事は何もない。
「ん」
一条先輩が拳を掲げてきた。俺にとって、そこだけは拍子抜けしてしまうくらいいつも通りな流れだった為、つい同じように拳を持ち上げてしまう。
「先攻後攻ジャス」
一条先輩の掛け声に合わせて拳で音頭を取り、二つの拳が形を変える。
俺、チョキ。
一条先輩、パー。
「どっち」
決定権を勝ち取った俺に一条先輩が口先を尖らせて催促してくる。
「あ、じゃあ後攻で」
反射的に答えた一秒後に、バチンと自身満々な音を響かせて対局相手の歩が一歩進攻してきた。
……弱かった。一条先輩は将棋がとんでもなく弱かった。開始一分でもう玉がガラ空きだった。序盤こそ誘う作戦か何かかと警戒した俺だが、今や悪いかなと思ってできるだけ回り道を試みている始末だ。だがこれ以上は長引かせる方が悪い気がした。
『…………』
皆無言。観衆に見守られた盤上で、一条先輩の駒は玉と歩三枚しか残っていなかった。俺の龍王とか成金とかが、これでもかというくらいに玉を包囲していた。実際の戦争なら、リアル四面楚歌だ。
「…………」
先輩が悔しそうに顔を真っ赤にして口を引き結んでいた。呼吸に合わせて震える肩が妙に可憐に見える。そんな、親の仇を見るような目で睨まれても俺は絶対に悪くないと思うんですが。
周囲の空気もなんか、対局の行方とは違う理由で張り詰めた糸のような緊張っぷりだ。
俺は慎重に、ゆっくりとトドメを、最後の一手を、打つ。
「詰みです」
一条先輩はもうどこに逃げても敵の餌食になり、また動かなくても助からない玉を凝視している。俺からは見えないが、一条先輩は腕を真っ直ぐにしてスカートの端を握り締め、悔しさを堪えているようだった。
「えーと、俺の勝ち、すよね?」
「そうね」
一条先輩は喉を震わせた声で小さく認めた。
俺は絶対に悪くないのに、耐え難い罪悪感に苛まれながらホッと息を吐く。ここで負けを認められなかったら、もう救いようのない所だった。
じゃあ、と俺は勝利者権限でお引き取り願おうと口を開こうとした。寸前。
先輩が勢いよく立ち上がる。ついに決壊かと周囲が予想される最悪の事態に身構える中、先輩はキッと俺を睨み据え、
「覚えてなさい、上園恭介!」
捨てゼリフを残して教室を飛び出していった。
一気に緊張が抜けて周囲からとても他人事な声が掛けられる。去年は全く関わりのなかった新クラスメートまで俺を茶化してきやがった。
俺は心労を如実に表現した対応で投げ掛けられる言葉を躱しながら、心からの感想をドアの向こうに吐き出した。
なんだったんだ、一体。
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