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第8話 約束と想定外

「お邪魔しま~す」


 俺の家の玄関で、白雪さんの楽しそうな声が木霊する。

 靴を脱いで丁寧に揃える彼女の姿に、俺はこれでよかったのか胸中で頭を抱えていた。


 俺の家に泊まるという白雪さんの提案はなんとかすんでのところで断れた。

 これまで彼女の魅力的な提案に、流しに流され続けていた俺だが、その一線は流石に越えるわけにはいかないという理性が勝ったのだった。


 不満げな白雪さんは、「それなら」ということで譲歩する形で今日の内に俺の家に来ることとなった。


 ……いや、譲歩というのはすこし違うな。

 彼女からすれば俺の家に来て俺を寝かしつけることにメリットなんてないんだから。


「わ~、ひっろーい」


 部屋に上がった白雪さんは室内を見回して楽しげに声を上げる。

 ……なんだか照れくさいな。


 見慣れたいつもの自宅に制服姿の白雪さんがいる。

 そんな状況に俺はドギマギしていた。


 この家で一人暮らしを始めてから誰かを家に呼ぶことなんて今まで一度もなかった。

 まさかその初めての相手がクラスの女子、それもあの白雪さんになるなんてな……。


「あんまり見ても楽しくないだろ? 物は少ないし」


「そんなことないよ。私、男の子の家に来るのって初めてだからなんだか新鮮」


「……今、それを言うか」


「え、なに?」


「なんでもないよ」


 彼女に聞こえないように小さくごちる。

 白雪さんはどうにも無防備すぎる。

 入学以来、異性から告白され続けている彼女はその手の話に敏感だと思っていたが。


 小さくため息を零しつつ、俺も彼女に続いて家に入る。


「何か飲むか? といっても、コーヒーぐらいしかないけど」


「お構いなく」


 何が嬉しいのか、白雪さんはふふっと笑う。

 それから悪戯っぽく続けた。


「それに時間も限られてるから。今日は遊びに来たわけじゃないし、のんびりするのはまたの機会にお願いしようかな」


「またの機会って……」


 もしかして今後遊びに来ようとしていないか?


 嫌な予感を覚えつつ、彼女が時間について忘れていないことに安堵する。


 彼女を家に招き入れるにあたって、とある条件を取り付けた。

 それは、俺が寝付けても寝付けなくても、19時になったら家に帰ること。


 寝付けなかったら家か、もしくはバス停まで送れるし、寝ていたとしてもそれほど危ない時間でもない。


「それだと意味がないよ」と抗議する白雪さんだったが、俺はなんとか説得した。

 そもそもが昼休みは45分しかないのだ。

 対して今の時刻は17時30分。およそ倍の時間あれば、十分だろう。


 俺がそう説得すると、ようやく白雪さんは折れてくれた。


「あ、そうだ。これ先に渡しておくよ」


 俺はそう言って、白雪さんに家の鍵を手渡した。


「もし俺が寝てたら、出るときにポストにでもいれておいてくれ」


「それって危なくない?」


「一応オートロックだから住人以外は入ってこれないだろうし、こればっかりは仕方ない」


 わざわざ他人のポストの中を確認するような住人はこのマンションにはいないと信じたい。


 なんとなく複雑な面持ちで白雪さんは「わかった」と鍵をポケットに仕舞った。


 いつもは食事をしたり風呂に入ったりストレッチをするが、そんなことをしていたらあっという間に白雪さんが帰る時間になってしまう。


 なので、俺は保健室のようにブレザーとネクタイを外すと、すぐさま寝る準備に取りかかった。


 ヘッドボードの上に置いてあるアロマストーンに精油を垂らしていると、白雪さんが不思議そうに覗き込んでくる。


「それ、なに?」


「精油。リラックス効果のある香りで入眠を促進するらしい。……今のところ効果はなかったけど」


 言いながら、アロマストーンを白雪さんに近付ける。

 彼女は猫みたいな仕草でくんくんと嗅ぐと、ぱぁっと表情を咲かせる。


「すごくいい匂いっ。これ、どこで買ったの? 私も欲しいな~」


「近くに商店街があっただろ? そこの花屋さんのもの」


「へぇ~、お花屋さんってこういうのも売ってるんだね」


「俺もそこでバイトするまでは知らなかったけど、あるところにはあるらしい」


「バイト……?」


「……ぁ」


 つい口が滑ってしまった。

 バイトの話まではするつもりはなかったのに。


 窺うように白雪さんを見ると、彼女はキラキラと目を輝かせている。


「神原くん、お花屋さんでバイトしてるんだ。やっぱりお花好きなんだね」


「やっぱり……?」


「~~っ、な、なんでもない!」


 突然顔を背ける白雪さん。

 わけがわからないまま、俺は部屋の電気を暗くする。


「――っ」


 その瞬間に、俺は否が応でも意識する。

 薄暗い自宅の寝室に、白雪さんと二人きりでいるということを。


(落ち着け、そういうことは考えないって決めただろ)


 白雪さんの信頼を踏みにじるわけにはいかない。

 行動に起こさないことはもちろん、そういうことを考えること自体が裏切りだ。


 精油の香りに意識を傾ける。

 ふわりと、白雪さんの匂いも漂ってきた気がした。


「それじゃあ、よろしくお願いします……」


 思わず敬語で頼み込む。


「うん。……触るよ?」


 先ほどまでの元気でテンションの高い声ではなく、落ち着いた、優しい声が耳元で囁かれる。


 保健室の時にはなかった緊張感が襲ってくるが、彼女に撫でられているうちに、次第に遠のいていく。


 学校のような雑踏はなく、お互いの息遣いと、時折身動ぎする気配だけが感じられる。

 それは、なんとなく懐かしい感覚だった。



 ……不思議なことに、すんなりと睡魔が襲ってくる。

 昼休みという短い時間制限も負担になっていたんだと、薄れゆく意識の中で朧気に思った。



 そして。



 気付く間もなく俺の意識は溶けていた。




 ◆ ◆ ◆




「――ぁ」


 何かに導かれるようにして、意識が浮上してくる。

 ゆっくりと開かれる視界。

 慣れ親しんだ天井をぼんやりと眺めながら、自分が眠っていたことを悟る。


 顔だけを動かして壁際の時計を見れば、時刻は22時頃だった。

 何時に寝たのか定かではないけど、三、四時間ほど寝れたということになる。


 普通の人からすれば短いかもしれないが、俺の中ではここ数年で一番の睡眠時間だった。


 再び天井に視線を戻して、余韻に浸る。


 清々しい気持ちだ。

 風呂に入っていない気持ち悪さとか、ご飯を食べずに寝た空腹感とか、そういうものが些細に感じられるほどに。


「……ん?」


 ふと、自分の右腕に重みを感じて視線を向ける。


「――はぇ?!」


 余韻が一気に吹き飛ぶ。

 心臓が飛び跳ねて、息がひゅっと詰まる感覚がする。


 俺の視線の先。

 そこには、ベッドに上半身を覆い被さるようにして眠っている白雪さんの姿があった。

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