42.父と継母と、母と
――お父様が、いる。
最後に会ったときは冷静でいられたはずなのに、久しぶりに会うと、震えが止まらない。
どうして、ここに……。
「マリアンナ……」
以前に軽く事情を話したことのあるエレナが、庇うように私の前に立った。
目の前が私より小さい少女の背中でいっぱいになったことで、はっと我を取り戻す。
――震えている場合じゃないわ。しっかりしなくちゃ。
「旦那様、お話ししましたでしょう? お声を和らげてくださいませ」
私の耳に微かに届くくらいの小さな声で、お継母様がお父様の耳元で呟いた。
「あ、ああ、そうだったな……」
「ごめんなさいね、マリアンナ。あなたと連絡も取れなくなったから心配で、ここで教員をしている知り合いに頼んで、来園許可もらって来てしまったの」
私は、驚きに目を見開いた。
お父様が、素直に耳を貸して従うなんて。私の言う事は、全て怒鳴り声でかき消していた。
お継母様が諫めるところを、今まで直接は見たことがなかったけれど、お継母様も聞く耳を持ってくれずに怒り出す、と言っていたのに……。
「……話が、したいんだ。……今までのことを……謝りたい」
覇気のない様子でそう私に言うお父様。
それは、娘が家出してうなだれる父親、というには、どこか目の焦点が合っていないように見えた。
ちらりとお継母様の方をみると、変わらず私を心配するような表情を向けている。
一緒に住んでいた頃と、変わらずに。
「……分かりました」
「マリアンナ! 殿下がいらっしゃらない時に、大丈夫なの……?」
こちらを振り向いて、声を潜めて心配をしてくれるエレナ。
「大丈夫よ。家出してしばらく経つし、家に帰りはしないから。何を言われても」
何を言われても、アレクシスに黙って連れ戻されたりはさせない。
「だから、マイクのところに戻っていて?ね?」
「……分かった。気を付けてね。マイクのところで、待っているから」
「うん。ありがとう」
心配そうに見守るエレナを置いて、私はその知り合いの教員が借りてくれたという応接室に、お父様とお継母様と三人で入った。
「お友達ができたの?」
先ほどの私とエレナのやり取りを見守っていたお継母様は、今までいた裏庭の方を見ながら私に尋ねた。
「……うん。何でも話せる、大事な友達ができたの」
「……そう。良かったわ。あなたにも、相談ができるようなお友達が……」
ずっと一人だった私に友達ができたことに喜色を浮かべていたお継母様は、尻すぼみに視線を下に落とした。
「……お父様の、お話とは?」
昨日のアレクシスとの話から、なんとなくお継母様と目を合わすのが勝手に気まずくて、お父様に話を促す。
「ああ……そうだな……マリアンナ、家に帰ってはこないのか……?」
……やはり、その話か。
「……今は、王太子妃教育を城で本格的に始めていますから、私だけの判断で帰ることはできません」
「ああ、そうか、マリアンナは、もう王太子妃に決まったのかい……?」
どういう意味だろう。
もちろん王太子妃にはまだなってないが、婚約者にはなった。しかし、婚約者は家同士の手続きもあるから、お父様もこの婚約に許可を出して、サインをしたはずだ。
「……はい。アレクシス殿下の婚約者として励んでいますので、お父様もご安心なさってください」
お父様からすれば、念願だったことでしょう……? あんなに、アレクシスに嫌われるなと、王太子妃になるのが私のためだ、と言ってきたのだから。
「そうか……お母様も待っているのだがな、マリアンナの帰りを……」
――おかあさま。
お父様のおっしゃる『お母様』は、尋ねなくても分かる。亡くなった、実の母のことだ。
お継母様は実母とは元々お友達で、一緒に悲しんでくれた人だから実の母のことが禁句にはなっていないけれど、流石にこれは配慮がなさすぎるのでは……。
そう思いお継母様の様子を窺うと、お父様の心無い言葉など聞こえていなかったかのように、さっきと変わらぬ表情を見せている。
「あなたがいなくなってからだんだん落ち込んできたみたいで、最近はずっとこんな調子なのよ」
「お父様……」
背中を丸めて、応接室のテーブルをぼんやりと見るお父様。
昔は頼りなくても大きく見えたのに、今は、心なしか小さく見える。
「ね? だから、戻ってきてくれないかしら?」
お継母様は、困ったように眉尻を下げながら、懇願してきた。
確かに、青筋を立てて雷をおとしていたお父様からすると、今の様子は心配だ。
でも。
「……アレクシス殿下に相談してみます」
お父様が心配だから、と独断で帰省を決めるのは浅慮と言えるだろう。
一旦、保留という形にして、アレクシスに相談したい。
今のお父様を見ると恐れより心配の気持ちの方が出てくるし、そんなお父様やお継母様からの手紙を勝手に留め置いていたアレクシスだけれど、私はそれを差し引いてもアレクシスを信頼しているし、アレクシスからの信頼を裏切りたくない。
そんな私の返事に、お父様の反応はない。
「そう……」
お継母様は私の保留の返事を聞くと、窓の方を向き、ぽつりと相槌を打った。
「……分かったわ。返事を待っているわね。それならせめて、あなたの最近の話だけでも聞きたいわ。アレクシス殿下は、優しくしてくださっている?」
「ええ、アレクはもちろん王家の方々は、私が不自由なく過ごせるようにとても良くしてくださっているわ」
「そうなの、ありがたいことね……」
そこから、お継母様と学園の話や、伯爵邸の私づきのメイドの話など、たわいもない話をして、二人は帰ることになった。
「長居してしまったわ。そろそろお暇しなくてはね。帰りましょう、旦那様」
「ああ……そうだ。マリアンナ……お母様が待っているからな、父様は、先に帰るよ……」
「……ええ、お父様」
「……ごめんなさいね」
「え? ううん、お継母様の謝ることじゃないでしょう……?」
さっきの話ぶりだと、私が出て行ったのが原因なのだから。
「……旦那様が、早くあなたのお母様の元へ帰りたい、と言っているから、もう見送りはいいわ。……マリアンナ、それじゃあね」
何故か、お父様がうわ言のように呟いた言葉を、お継母様は繰り返した。
「……? ええ、お気をつけて、お父様、お継母様」
お父様と共に帰ろうとしたお継母様は、ふと歩みを止めて振り返った。
「そうだ、忘れるところだったわ。これを渡そうと思っていたの」
お継母様は、持っていたハンドバッグから、小さな小箱を取り出した。ピンク色の幼いデザインのそれは、私が幼い頃から大事にしている物だった。
「これ……ありがとう、お継母様!」
それは、伯爵邸の自分の部屋に大事にしまってあった物で、機会があれば取りに行きたいと思っていたものだ。
「あなたの、宝物だものね。……大事に持っておきなさい」
「はい」
私は、とりあえずそれを制服の左のポケットにしまいこむ。
そして、今度こそお父様とお継母様は去って行った。
こう思うのは親不孝かもしれないけれど……食い下がることなく、早々に帰ってくれて助かった。
そう安堵して、エレナとマイクのところへ向かおうとしたときだった。
廊下の方から、バタバタと複数の駆けてくる音が聞こえ、だんだん大きくなってきた。
何事だろう、と不審に思いながらも、この応接室の前を通るなら通り過ぎてから様子を窺おうと待っていると、その大きな音はこの部屋の前で止まり、がらりと扉が開いた。
「なあ! エレナを見なかったか!? どこを探してもいない!」
現れたのは、今までにないほど焦りの顔を浮かべたマイクだった。




