40.疑い
私が、湯浴みも終わった後にアレクシスの元へ訪れるのは、初めてのことだ。
本当はもっと早く訪ねたかったのだけれど、私のことでアレクシスの公務の邪魔をしてはいけない。そのため、こんな時間になってしまった。
外はとっくに闇に包まれ、月明かりと魔石を使った灯りによって、城は外も内も煌煌と照らされている。
そんな中、私はアナを連れてアレクシスの部屋へ向かっている。
普段ならば未婚の学生の身として絶対にしないことだが、早く話をする場を設けたかった。
「……マリアンナ様、今からでも先触れを……」
「出さないわ。大丈夫よ、あなたたちに必要以上に責任がいかないようにするから」
内容は別にして、メアリの口の軽さは咎めるべきではあるが、新人であることを鑑みると、訓告くらいで良いと思う。その為の見習い期間なのだから。
アナやメアリがアレクシスへ報告しなかったことは、私が押し切ったことだ。命令違反かもしれないけれど、事後対応については、咎めさせはしないつもりだ。
「いえ……分かりました。……こう申しては、侍女失格なのですが……こうなって良かったのかもしれません」
「え?」
「アレクシス殿下のことですから、おそらくマリアンナ様の為を思っての事情がおありだと思いますが、それを差し引いても、何も知らせずに渡さないのはいかがなものか、と生意気にも内心思っておりましたので……」
「アナ……」
「だから、私にも咎がありますので、無理に庇ったりなさらないでくださいね」
普段、仕事に徹して、私情や自分の感情を表に出すことないアナの言葉に、少しかっかと血が上っていた頭が冷静さを取り戻す。
「それじゃ、万が一のときは一緒に怒られてあげるわね。それは譲ってあげない」
橙色の優しい灯りに包まれている廊下を、くすくすと笑いながら歩いていると、王太子の部屋の前までたどり着いた。
アナのお陰で、冷静にアレクシスと話すことができそうだ。
部屋の前にいた衛兵に取り次ぎを頼むと、すぐに入室の許可が出た。
アレクシスはまだ湯浴みは終えていないようで、昼間に会ったときの服のままだった。
「マリー、どうしたの? 何かあった?」
ソファに私を座らせた後、その隣にアレクシスも腰を下ろした。アナは、私のすぐ後ろに控えてくれている。
「これを届けに参りました。手違いで私の方へ先に届いてしまったようですよ?」
慇懃無礼に両手でうやうやしく、実家から届いた手紙を差し出す。あえて、手紙は未開封にしてある。
「え……? あ……! ……ごめん、違うんだ! 違うっていうか、言い訳にしか聞こえないと思うけど、ちゃんと話そうと思っていたんだ!」
宛名と差出人を確認して、すぐ状況を理解したであろうアレクシスは、必死な様子で私に訴えている。
アナとのやり取りで、感情的な怒りは落ち着いていた私は、アナの方を一瞥することもなく、責めるのでもなく、ただ私の方を気にしてくれたことに不覚にも……チョロくも、機嫌が上向いてしまった。
そうだ、ここでへそを曲げて謝らせる為に来たのではないのだ。
ちゃんと、話してほしくてきたのだ。誤魔化しの言い訳を用意する時間を与えないように、先触れを出さずに訪ねたのだから。
「ねえアレク、アレクのことだもの。私の為に隠していたのでしょう?」
自惚れではないはずだ。それは疑っていない。
「……うん。申し訳ないけど、ロッテンクロー伯爵家からの手紙は、先に検めさせてもらう必要がある。まだ、伯爵家がどの程度、ドールベン侯爵に関わっているか分からないから」
「言ってくれたらちゃんと先に渡したわ。それに、お父様からの手紙は分かるけれど、お継母様もだめなの? お継母様は、お父様の……言いなりになっているっていうの?」
しばらく帰っていない実家の様子が気になると同時に知るのが怖くて、少しためらいがちに尋ねる。
アレクシスは、眉間に皺を寄せて逡巡していた様子だったが、決心したように私を見つめた。
「今、警戒しているのは、父君より……カリサ殿だ」
カリサ……カリサ、は、お継母様の名前と同じだ。
「どういうこと……? カリサ、って、お継母様のこと……?」
お継母様は、どちらかというと被害者のはずだ。同情こそすれ、警戒する事なんてないはずだ。
「お継母様も、お父様に……毒されている、というの? それなら、お願いだからお継母様もあの家から……」
「……違う」
私のお願いを、アレクシスは静かに、しかし力強く否定した。
「違うって……何が……」
混乱する私の頭の中でふと、前世でのこの物語がよぎった。
読んだときは、悪役令嬢の背景なんてあまり気にしていなくて、流し読みしていた台詞。
それは、物語の終盤、嫉妬と憎悪にのまれて抑えきれず、悪役令嬢マリアンナの力が、ヒロインのエレナに牙をむく場面。
『アレクも……おとうさまも…………おかあさまですら、私を愛してはくれなかった……私ももういらないイラナイイラナイ……!』
読んだときは、アレクという呼び名、そして両親のひらがな表記に、マリアンナの精神が崩壊して、子供に逆行してしまった故の表現だと思った。
それも間違いではないだろう。しかし、私の前世の記憶が蘇る前にも、実のお母様から愛情を与えられた覚えは確実にあった。お母様は、最後まで私を愛してくれていた。
そうなると、愛してくれなかった『おかあさま』は、実母ではなく、継母、ということになる。
――愛してくれているかは確かに分からないし、自信はない。でも、確かに私を心配してくれていた。友愛か、親愛か、同情かは分からないけれど、確かに『情』はあったわ。
なのに、彼女は、おかあさまですら、と言っていた。
「……マリアンナの父君が、君に辛く当たるようになってしまった原因は、前伯爵夫人の事だけではない。それもあるかもしれないけれど……」
アレクシスは、そこで言葉を切り、一度目線を外し、そして覚悟を決めたかのように、顔を上げた。
「カリサ殿が、そうなるように誘導したのではないか、という疑いがかかっている」




