4.焦った(アレクシス視点)
ああ、久しぶりに焦った。
逃げるように学園の中庭から去り、校舎内へ入る。学園の保健室や教員室が並ぶ廊下を足早に歩いていると、後ろから、黒髪の青年が駆け寄ってきた。
「殿下、マリアンナ様はなんと?」
側近候補のユアンだ。私と同じ学年だが、側近の仕事とは言えない任務に当たってもらっている。その為、最近は学校にいることの方が珍しくなってしまった。学生の身分で心苦しいが、一番信頼の置ける彼に任せたかった。
「ああユアン、いいところに来た。伝達魔法で、侍従長と侍女長に連絡を。一室、準備をするように、と。マリアンナは王城から通うことになった。今日帰るのも、城だ。ああ、ロッテンクロー伯爵家にも使いを出さなければ。そちらには、私が手紙を書こう」
いつもは何事にも動じない対応のユアンが目を丸くしている。幼い頃からよく一緒にいる私でもあまり見ない表情だ。
「それは……殿下からマリアンナ様にお命じになったのですか?」
「いや、マリアンナから、家を出て寮に入ると言い出した」
「マリアンナ様が? それは……何か思惑があって?」
「いや、そうではないようだ。聞く限り、自ら環境を変えようと家を出たかったらしい」
ユアンは、かの令嬢――エレナ・リントン男爵令嬢へのあらぬ振る舞いを懸念しているのだろう。最近のマリアンナは、ユアンがそう思うのも仕方がないほど様子がおかしかった。本来は自分が持つ魔力を一番恐れ、他者を傷つけまいと誰より己を律している性格なのに、必要以上に、件の男爵令嬢を排除しようとしていた。
もしや、嫉妬してくれているのでは? と思ったものだが、それにしても私には目もくれず、頑なに男爵令嬢を追う。見ていて、痛ましかったほどだ。
たとえ嫉妬してくれていたのだとしても、それだけであのような振る舞いをする彼女ではないことは、自分が一番よく理解しているつもりだ。
何かが、おかしい。
「……なるほど。私も、マリアンナ様の周りを注意して見ておきましょう。それでは、殿下の部屋のお隣……王太子妃の部屋を整えたのでよろしいですか? 何分急ですから、間に合わせになりますが……」
「何を、何を言っているんだユアン! そんなわけないだろう?王太子妃の部屋だなど……私たちにはまだ早い!」
王太子夫妻の共通の寝室はもちろん使わないとしても、すぐ近くの、寝室を隔ててつながっている部屋にマリアンナがいて、湯浴みをし、夜着に着替え、可愛い寝息をたてていると思うと……ああ、だめだ。今から眠れる気がしない。
まず、さっき恥じらいながらお礼を言われたときも、危なかった。幼い頃は無邪気に笑いかけてくれていたが、この年頃特有の、簡単に素直になれない中でも気持ちを伝えようとしてくれていて、近頃は特に笑顔もあまり見れていなかったから……とにかく、非常に、大変、可愛らしかった。
ああ、でも、寝起きの顔を見られて恥ずかしそうにしながら、おはようアレク、と言ってもらえたら……いや、やはり危険だ。学園への行き帰りを共にできるだけでも良しとしなければ。
「もちろん冗談です。殿下、顔がゆるんでらっしゃいますよ。どうせ初々しい妄想をしていたのでしょう。十八にもなって」
「それ以上のことを学園内で考えだしたら、マリアンナの前でも考えてしまうからな……それはまずい」
「そうですね、まだ正式に婚約すらしていないのに」
「ああ、そうだ。婚約。本来ならば、もうしているはずなのに……」
主をからかう未来の側近を咎める余裕もなく、肩を落とす。
本来ならば、マリアンナが十六歳になったらすぐ婚約発表する予定だった。そして、二年と数か月後、マリアンナが学園を卒業すると同時に結婚する予定だった。これは、幼い頃に初めてマリアンナに出逢ったときからほぼ決定していたことで、余程の事がない限り実現するはずだった。予定調和であっても、きちんと自分の言葉でプロポーズはしたい、など呑気に考えていた。
だが、その『余程のこと』が起こってしまった。
魔力を使える人の中で多くは、幼い頃からその力を発揮できるが、たまに成長してから魔力が使えるようになる者がいる。それは大抵魔力が強い者で、魔力のコントロールが精神状態に大きく左右される為だと考えられている。
深い青の瞳をもつ私や、燃えるような赤の瞳のマリアンナは、幼い頃から精神が安定していたのか、はたまた二人とも精神力が強いのか、幼い頃から使えた。大変貴重で、もう今代では現れないと思われた濃い色の瞳の発現だが、一年半ほど前に濃い紫の瞳を発現させた娘が現れたのだ。
より強い魔力を継承するため、王家は、より濃い色を持つ瞳の娘を妃に迎える。
この慣例によりマリアンナは唯一の婚約者候補だったのだ。それが、婚約発表間近になって、候補が二人になるという事態に陥った。もう少し、後に発現してくれたら、もう婚約は取り消せなかったのに。
「同じくらいの魔力なのだから、マリアンナに決まりでいいじゃないか、まして伯爵家の出なのだから……」
「まぁ、マリアンナ嬢の力より、エレナ嬢の力の方が受けはいいですからねぇ……」
そう、もう一人の候補、エレナ嬢は男爵家の娘で、身分や王妃としての教養はマリアンナの方が上だ。しかし、マリアンナの能力は攻撃魔法においてその力が最大限に発揮されるのに対し、エレナ嬢は治癒魔法に特化しており潜在能力は誰より秘めていて未知数。マリアンナは銀髪に釣り上がり気味の目という冷たい印象を与えてしまうことも相まって、民衆の中ではマリアンナより、ふわふわとしたピンク色の髪と垂れ下がった大きな瞳の、癒やしの力をもつエレナ嬢を押す声も大きいと聞く。
「ああ、しかし、私は妃にするのはマリアンナ一人と決めている」
「それを私ではなくマリアンナ様の前で言えたらいいんですけどねぇ……」
「うるさい」
それは、自分が一番分かっている。ユアンをじとっと睨んでから、嘆息する。
「それより、何か掴めそうか?」
ユアンは、ヘラっと笑った顔から真剣なものに切り替えた。
「なかなか、シッポは掴ませてくれませんが、ほぼ黒でしょうね」
「そうか……。ご苦労。引き続き頼む」
「仰せのままに、殿下」
ユアンは、臣下の礼を取ってから、今度は友人として友を鼓舞するかのように、軽く胸を小突いて去って行った。
「マリアンナ、君を傷つけたくは、ないのだがな……」
窓から、空を見上げる。
マリアンナと出逢ったあの日も今日のような雲一つない空で、冬の気配が近づくこの季節とは違い、うららかな春の柔らかい日差しが降り注いでいた。
お読みくださりありがとうございます。
誤字を訂正しました。報告してくださった方、ありがとうございます。