34.物足りないのはお互い様
四人でドールベン侯爵の話をした後は、エレナはマイクと護衛と共に帰って行った。
一方で、私とアレクシスのデートは、結果的にトラブルには発展しなかったが、思いがけず深刻な話し合いになってしまった。
「マリー、大丈夫? ちょっと、疲れた顔をしてるよ」
アレクシスが、心配そうな顔をして、覗き込んできた。
「大丈夫よ、私は話を聞いていただけだし」
心配をかけないように、私はなるべく明るい声を出して答えた。
「……もう、馬車を呼ぶね」
私、そんなに疲れた顔をしているのだろうか。
色々あって、精神的に疲れた部分はあるけれど、これでもう城に帰ってしまうのは、寂しく感じてしまう。
……初めての、デートだったのに。
でも、アレクシスが私の事を思って言っているのは伝わるし、帰る所は一緒なのだから、まだデートを続けたい、と言うのは、私の我がままになってしまうのかな。
「……そうね。……やっぱり、ちょっと疲れたかもしれないわ」
ほどなくしてユアンが、馬車の準備ができた、と呼びに来てくれた。
そして今は、二人で並んで座り、揺られている。
「ねえマリー、僕は本当に、マリーが自分では、くだらない小さな愚痴って思うような事でも、言って欲しいって思ってるからね」
「……うん」
アレクシスには、何でもないふりは通じないようで、蜂蜜をたっぷりいれたミルクのような彼の言葉に甘えるように、本音がポロっと漏れてしまう。
「私……、この力があったからこそ、アレクとこうやって今、婚約者として隣にいられているでしょう?」
「最初のきっかけは、そうだね。その運命に関しては、心底感謝してる」
アレクシスが、私を気遣うように、私の肩に手を回してくれたので、素直にアレクシスの肩に、頭を預けた。
「なのに、私は、誰の事も守れない。エレナは、自分や周りを守るような魔力は持たないのに、自分のお母様を、あの小さな体でずっと守ってきて……すごいよね」
私は、自分の持つ力が怖い。
「マリーだって、ずっと守ろうとしていただろう?」
「え?」
私は、ずっと、自分の事を、自分が傷つかないようにしてきただけ。
「マリアンナも、伯爵を……家族を、守っていたよ」
私は……、お継母様を残して、お父様から逃げたのに?
そう反論しようとした時、馬車が止まり、ユアンが到着を告げた。
しかし、アレクシスが足を向けたのは、王宮の方向ではない。
「アレク、どこに行くの?」
「マリー、疲れているところ悪いけど……もうちょっとだけ、付き合ってくれる? ……せっかくのデートだから」
このままそれぞれの部屋へ戻るのは寂しい。
そう感じていたのは、私だけじゃなかったんだ。
アレクシスに連れられてたどり着いたのは、遠い日に、二人で遊んだ事もある、温室だった。
温室にあるソファに腰掛け、アナにお茶を淹れてもらう。
「この温室、久しぶりに来たわ。昔は、よく来たけれど、最近は南の温室を使うことの方が多いから」
王妃様やロザリア様と温室でお茶をする時は、専ら南の温室を使う。
「こっちの方が、植物は少なめだけど、ひらけていて子供が走り回っていても、見失わないからね。子供たちを遊ばせる時は、よくここを使うみたいだよ」
そうだったのか。そういえば、隅に蔦のまく小さなブランコがある。
「走り回っていたのは、アレクよね。私はあのブランコ、アレクシスやお父様に背中を押してもらってよく遊んだわ。懐かしい……」
「あれ? 僕の記憶では、マリアンナも走っていたけどなあ……僕の後ろを、一生懸命ついてきてくれて」
「そう……だった気もするけれど。でも、それもアレクが走るからじゃない?」
「そうだね。でも、マリーも楽しそうにしていたよ? マリーが走っても、僕からすると歩いているくらいのスピードで」
「小さい頃の二歳差って、大きいもの」
でも、私はアレクシスが速くて追いつけない、とか、早くアレクシスと同じくらい大きくなりたい、なんて思った事はない気がする。今思えば。
「だけど、僕がマリーに合わせて歩くと怒るから、走っているように見せて歩くの、大変だったよ」
「アレクの話で聞くマリーって、ずいぶん、横暴な子ね……。アレクは紳士なのに」
悪役令嬢の幼少期っぽい。実際、そうなのだけれど。
よく、愛想を尽かされなかったものだ。
私は、自分に感心しながら、お茶うけのチョコクッキーを口に入れた。
「僕だって、あの頃はガキだったよ。君は、他の子と接するのを怖がっていた。マリーが自分だけに笑ってくれるのが嬉しくて、マリーと仲良くするのは、僕だけでいい、って思っていた。……まあ、今も思っているけどね」
チョコクッキーで甘くなった口内に、甘くない紅茶を含ませる。
「そんなに昔から……?」
確かに、王城へ遊びにきたとき、他の子どもを見掛けた事はない。たまに、子供たちのお茶会に参加した時だって、常にアレクシスが傍にいた。
「そうだよ。ロッテンクロー伯爵にだって嫉妬したくらいだよ」
「まあ、お父様にも?」
大げさなアレクシスが可笑しくて、くすくすと笑いがこぼれた。
「大げさな、と思っているかい? 本気だったよ。あの頃、マリアンナは、伯爵が迎えにくると、大喜びで伯爵に抱きついていた。僕には、伯爵が、お姫様を連れ去る魔王のように見えていたさ」
あの頃。
頼りなさそうに、眉尻を下げて笑いながら、マリアンナ、可愛いマリー、と私を呼ぶお父様の事を、私は確かに愛していた。
いや、今でもそうかもしれない。
「アレクは……、私の家の状況、察していたの? だから、ユアンを差し向けたのでしょう……? いつから、知っていたの……?」
カップに口をつけるアレクシスに、私は恐々と問いかけた。
我が家は、いつからおかしかったの……?
私は、いつから洗脳のような、呪いのような怒鳴り声を聞くのが当たり前になっていた……?
なぜ、あなたは、ユアンを我が家に送り込んだの……?
アレクシスが、音もなく、静かにカップをソーサーに置いた。
扉を閉めている今は、温室には静けさが横たわっている。
二人でいるのに、今、どんな感情なのか何も伝わってこないアレクシスに会うのは、少しだけ、久しぶりだった。




