31.初めての
入った宝飾店では、個室に通され、カタログや、実物の商品を見せてもらい、それらを参考に、デザインから宝飾デザイナーと相談した。
何に加工するかは、色々迷ったけれど、タイピンにする事にした。
それを話し合っている間、いくら口を出さないと言っていたとはいえ、隣にいるのだから、と本人の意見も取り入れようとした。
しかし、
「僕は、いないと思って。今は空気になるよ。マリーを見つめる空気になるから、今だけはこちらを見なくていいよ、マリー」
と言って、本当に何一つ口を出そうとしない。
こんなにきんきらした空気を私は知らないので、見つめられると落ち着かない、と主張してみたが、お願い気にしないで、と柳に風と受け流されてしまった。
デザインで迷ったときに、アレクシスの方を伺ってみたりもしたが、にこにこと見守るばかりで、本当にデザインには興味を示さない。
だから、『王太子ってダサいカフスがお好きなんだ……』と思われないよう、デザイナーと吟味に吟味を重ね、時には討論にも発展した事が、少しだけ馬鹿らしくなってしまって、ペンを立てて倒れた先のデザインにしてやろうか、と思ったのは内緒だ。
時間をかけながらも、ようやっとデザインも決まり、店を出たのは、いつもの昼食の時間を少し過ぎた頃だった。
「お昼は、歩きながら、ここに入ろうか、ここで買おうか……って相談しながらって妄そ……相談しながらでも楽しいかな、とは思ったんだけど、さすがに個室を予約したよ」
と言って、大通りから一本それた通りにある、隠れ家のような雰囲気を持つ店の二階の個室で昼食をとった。
「どこか、行きたいところとかある?」
食べ終わり、私が紅茶を飲んでいると、アレクシスがコーヒーを飲みつつ、私の希望を聞いてきた。
「そうね、いつも目的のお店の近くに止めていて、大通りを歩いたことってなかったから、大通りを歩いてみたい。あ、それで、久しぶりに『アンの雑貨』に行きたいし、あと、食べ歩きもしてみたい……って、それはさすがにはしたない……?」
今まで、お忍びで自由に歩きたい、なんて考えた事はあまりなかったけれど、聞いてくれると、すらすらと願望が出てくる。人間の欲望ってすごい。自分でも知らなかった願望が出てくる。
「いいね。マリーのやりたい事、全部やろう」
「いいの? 食べ歩きも? アレクは、何かしたい事とか、行きたいところはないの?」
私の希望だけじゃなくて、アレクシスのやりたい事もしたい。
「僕は……マリーのしたい事をしたい」
「それじゃ、結局私の意見しかないじゃない。優しいけど、ずるいわ。私は、アレクシスのしたい事したい」
「僕のしたい事をしたい……えっと、いや、違う違う、そういう意味じゃないよね、じゃなくて……ほら、一遍に済ますともったいないだろう?次は、僕の行きたい所に行こう」
「分かった、約束よ? 考えておいてね」
そういう意味じゃない、ってどういう意味があったのだろう。気になるけれど、アレクシスの耳が真っ赤なので、深くは追及しない方が良い気がする。そんな予感がする。
「――きゃっやめてください!!」
その料理店を出て、大通りに出ようと歩いていると、逆方向の入り組んだ脇道の方から、女の子の悲鳴が聞こえてきた。
すると、ここまでいるのは知っていたけれど、特に気配も姿もなかった護衛が姿を現し、声の聞こえた方へ駆けていく。
――あれは……聞き覚えのある声だったわ。
あの声は、つい最近まで大げさな間延びを一生懸命していた声にそっくりだった。
「エレナ……?」
友達の声に、思わず私もエレナの声がした方に駆けだそうとしたが、アレクシスに腕を取られる。
「エレナ嬢か……!……マリアンナ、待って。危ないからここにいて。ちゃんと護衛が向かったから」
そう言って私を落ち着かせようとするアレクシスも、やはりエレナの事が気になるようで、そわそわと護衛の向かった方を窺っている。
「アレク、私たちも行きましょう!とてもここで落ち着いて待っていられないわ。ね? アレクもそうでしょう?」
エレナは、国にとっても貴重な人材であり、万が一にも攫われるような事はあってはならないはずだ。
何より、友達の悲鳴が聞こえて、じっとして待っていられる訳がない。
「……いや、待って。僕だけ行く。マリアンナはここで待っていて。ユアン!」
今日は一回も見かけていないユアンが、どこからともなくすぐに現れた。側近のスキルって忍者みたいなスキルも必要なようだ。
「はい。殿下、お気をつけて」
私のすぐそばに立つユアンは、制止する事なくアレクシスを見送ろうとしている。
「アレク!」
「エレナ嬢は必ず助けるから、待っていて、お願い」
そう言いおいて、アレクシスはあっという間に姿が見えなくなった。
「……やっぱり、私も……」
「いえ、お願いですから、マリアンナ様はここでお待ちください。殿下もマリアンナ様がここでお待ちになっているから、エレナ嬢を助けに行けるのです」
「……私は、そこらの暴漢や人さらいに負けるほど、弱くはないわ」
むしろ、城の騎士たちにだって負けるとは思えない。
「……マリアンナ様は……恐れながら、人を平気で傷つけられるほどお強いとは思えません。その心配だと思いますよ」
王太子殿下の側近候補は、痛いところを突く。
そう思った。
私は強い。私を傷つけられる人は、そうそういない。それが可能なのは、魔法にも精通している、この国の騎士団長や、よっぽど、とびぬけて戦術や魔法学に長けた人など、ごく限られている。
しかし、その一方で、私が傷つけた人は、まだ皆無だ。
ある程度、戦う術は学んでいるものの、実践経験はもちろんない。
それに、戦いにおいて、この過ぎるほど強い魔力が、どう影響し、作用してしまうのだろう、と考えてしまう。
私は、臆病だから、いつもアレクシスの後ろで、縮こまって、目をふさいで、守ってもらっているのだ。
私には、人を守れる力があるはずなのに、人を傷つける事で、自分の心が傷つく事を怖がっている、卑怯者なのだ。
アレクシスは、それを見抜いていて、優しいから今も私を守ろうとしてくれている。
マリアンナ・ロッテンクロー伯爵令嬢は、色持ちで、皆から恐れられていて……強い。
そんなのは、嘘っぱちだ。
大事な、友達の危機にも駆けつけられない人が、強いわけない。
「……いいえ、ユアン。私を誰だと思っているの。マリアンナ・ロッテンクローは、誰より強くあらねばならないのよ」
そうだ、マリアンナはこんなところで、目をふさいで、頭を抱えて震えているような少女であってはならない。
友達を、大事な人を守れる強さを持っているはずなのだ。
私は、アレクシスの隣で、この国を守っていくのだから。
「しかし……マリアンナ様」
ユアンの制止の声を、私は遮って駆けだす。
「そんなに心配なら、ついてきなさい」
待っていて、エレナ。
私の、初めての友達。




