30.待ち合わせ
準備は万端。
そう、その相談相手とは、かつての恋敵(?)であり、前世でこの世界を舞台にした物語のヒロイン、エレナである。
あの後、授業が終わってからエレナを王城の私の部屋に招き、アナも交えて、あれでもない、これでもない、と服や靴、帽子などを相談しながら共に選んだのだ。
だから、今の私に、死角はないのである!
さあアレク、どんとこい! 状態なのである!
待ち合わせ場所の噴水は、広場の中心より少し、馬車を降りた側寄りの所にある。
その噴水には、その昔、雨が降らず作物が枯れ飢饉に陥っていた時に、あらゆる試練を乗り越え、女神カリーネ様のご加護を得て恵みの雨をもたらしたという伝説を持つノエル様が祈りを捧げている像が真ん中にある。
ノエル様は、男だったか女だったかすらもあやふやなほど、神話レベルの昔の話だが、この像では女性として象られている。
祈りの図は、女性の方が絵になるから、とかだろうか。
エレナの事を思い出すうちに、そのノエル様像が見たことないほどどんどん大きくなっていく。
遠くから見えるこの噴水は、いつも、噴水もノエル様もお小さいのに。
「ノエル様、いつの間にか大きくなられましたねぇ……」
そう、思わず口から漏れるほどに大きい。
「ふっ……マリアンナ……マリー、このノエル様は、成長なさらないよ。でも、気持ちは分かる。近くで見ると、思ったより高くて、大きい」
初めて間近で見るノエル様を見上げていると、やってきた方向とは反対の方から、聞き覚えのある声をかけられた。
「そう、遠くからしか見たことなかったから…って、え! もう来てたの!? というか、聞いてた!?」
そちらに身体を向けると、黒いトラウザーズに、落ち着いた深い緑のジレを着ていて、黒い帽子を目深に被っている男性が真隣に立っていた。
ちょっと裕福な、王都の若者風にしてきたつもりなのだろうこの男性は、今日の待ち合わせの相手、アレクシスだ。佇まいから漂う品の良さが、ただの町人には見えないが、どこかのやんごとなき貴族のお忍びくらいには擬態できているとは思う。
「ついさっきここに着いて待っていたら、大きな帽子を被っていても分かるくらい、すごく好みな子を見つけたんだ。おそらく深窓のご令嬢のお忍びなんだろうね、歩きなれない広場を危なっかし気に、きょろきょろしながら歩いているからさ。そのあまりの可愛さに見惚れていたら、聞こえちゃった」
どうやら、完璧に擬態できていないのは、お互い様だったようである。
髪があまり見えないように帽子を被っているので、遠くから見たら、私って分からないかも……と、待ち合わせをすることに、期待と一緒にわずかな不安があったが、すぐ見つけてくれたようで、嬉しい。恥ずかしいけれど。
「私が知っているノエル様は、これくらいだったから、ついつい感慨深くなっちゃったの」
私は人差し指と親指で、指一本分のスペースを顔の前に作ってみせる。
「そうか。でも今日は、初めての街歩きをする君のエスコート役には、ノエル様より、私を選んでもらえるかな?」
そう言って、アレクシスは手を差し出した。
口調は格好をつけてエスコート、なんて言っているけれど、実際に差し出した手は、格式ばったそれではなく、どこにだっているカップルのような自然な手のつなぎ方。
今日は、どこにでもいる、初々しいカップルの初デートなのだ。
「よくってよ」
そう実感しながら、私も格好つけた返事で、アレクシスの手に、自分の手を絡めた。
手を繋いで、慣れない人ごみの中を、ぶつかりそうになりながらも、なんとか並んで歩いていく。
時折ある、大きな人の流れがある時は、手を固く繋いでアレクシスの後ろを歩くけれど、それも収まると、必ず歩みを緩めて、私が隣に並ぶのを待ってくれる。
アレクシスも意識してやってはいないだろうし、ほんの些細な事だけれど、普通の女の子になったみたいで嬉しかった。
それに、これは本当にアレクシスとデートをしているのだ、と実感が湧いた。デートの幕開け、一ページ目だ。
いくらか歩くと、高級店の立ち並ぶ通りに出た。
そのうちの一つ、何の看板も取り付けられていない、一見では店なのかどうかも分からない建物の前でアレクシスは立ち止まった。
「ここの宝飾店だよ、紹介でしか入れない、王族御用達のお店らしい」
茶目っ気を含ませてアレクシスから紹介されたその店には、馬車止めのスペースもいくらかあり、直接乗りつける事もできそうである。
「まあ、あのアレクシス王太子殿下もご利用になるのね? 殿下は馬車で乗り付けていらっしゃったりもするのかしら?」
アレクシスも一人で来ることあるの? と聞きたくて言っただけだけれど、馬車でも来られたのね、と言っている風に聞こえたらしい。
「ああそう、城からここに直接来てもよかったんだけれど、それじゃ味気ないというか……あ、でもマリーは歩くより馬車で直接来た方が良かったかな? って、今更言っても仕方ないか……」
さっきまで冗談を言い合っていたのに、突然の一人反省会開催に目を丸くすると、アレクシスは、ばつが悪そうに右手で顔を覆った。
「うう……ごめん、……浮かれているね」
浮かれている。
……浮かれている。
ああ……浮かれているのか……!
「それなら……私も浮かれているわ。私も、待ち合わせをして、二人で歩く方が楽しいから」
私も、自分の今の気分は? と聞かれたら、浮かれています! という返答が一番しっくりくる。
「そっか、マリーも浮かれてくれたんだ。じゃあ……僕たち、一緒だね。似た者同士で、助かったよ」
この時、すぐ扉の向こうで、店員さんが扉を開くタイミングを計って聞き耳を立てていた事は、私たちは知る由もなかった。




