3.まずは噓泣きから始める
『癒しの乙女は溺愛王子に護られる』
これは、前世の私が、覚えている限り最後に読んだ小説のタイトルだ。初出勤に向け、幸せな物語を読んで自分の気分を上向きにしておこうと思ったのだ。
物語は、ある男爵の私生児だが市井で育ったヒロインが、国で一、二を争うほど強い魔力の持ち主だったと判明し、男爵に引き取られ、王立の魔法学校に入り、そこでこの国の王太子と出会って、紆余曲折を経てハッピーエンド! な話だったと思う。ざっくり。少なくともハッピーエンドだった事だけは間違いない。
この物語に登場する、最強にして最凶の悪役令嬢が、私、マリアンナ・ロッテンクロー。王太子の婚約者を気取り、学園に高等部から入学したヒロインと王太子の距離が縮まっていくのが許せず、犯罪まがいの嫌がらせを行い、断罪され、その有り余る魔力を強制提供させる為、移送中に馬車が事故に遭い、命を落してしまう。
「もう話の中盤だわ……」
そう、既に物語は進んでいる。
私はアレクシス殿下と親しげに話す、物語のヒロイン、エレナ・リントン男爵令嬢に嫉妬し、王道にも放課後に呼び出しをし、言いがかりをつけるべく口を開いた瞬間にタイミングよく現れた殿下に話を逸らされ、ダンスの練習の時間にヒロインを転けさせようと足をサッと出したら、殿下にスッと手を取られて方向転換させられたりしている。
「殿下のお陰で何一つ成功はしてないけど、これ、嫌がらせしようとしてること、殿下には、多分……いや、絶対、完全にばれてるよね。今まで全く気づかなかったけど……」
前世の記憶を思い出したことによって得たのは、今のマリアンナの状況を、客観的に見る視点だ。
「物語には悪役令嬢の背景なんて描写は簡単にしかなかったけど、百パー家庭環境だな、こうなっちゃった原因。でも、今思い出せて助かったわ……」
今の時点では、やってはいけないことではあるが、まだ断罪されるほどのことはしていない。そもそも成功もしてない。全て殿下が妨害してくれた。だが私は、ちょうど一週間後、決定的に断罪される餌をまこうとしていた。
「マリアンナ!! 聞いたぞ! 何を休んでおる! 練習を続けないか! 来賓もいる魔法展覧会で、あの娘を貶めるのだ!もう失敗は許されんぞ! ……いいかマリアンナ、すべては、お前の、為なのだ!」
そう、このノックも無しにお年頃の娘の部屋に突撃する父親のせいで。
一週間後は、優秀な選ばれし学生が、普段行っている魔法の練習や研究の成果を一般公開する日だ。ヒロインは、一年生ながらに大抜擢されている。私はそこで、周りに分からないよう、攻撃魔法を応用してヒロインが披露する魔法を妨害して失敗させ、その会場からヒロインが去ったところで、誰にもばれないよう遠隔で攻撃魔法をヒロイン本人に向ける予定だ。無茶だ。これは、お茶目なお父様の指示だ。
物語では結局、ヒロインは悪役令嬢の妨害魔法を乗り越えてパワーアップする。また、魔力は天井知らずであるが繊細なコントロールは苦手なマリアンナは、遠隔は完璧ではなかった。ヒロインと力が拮抗し悪戦苦闘しているところを、幾人かに目撃されてしまう。その中に、殿下の側近もいて、断罪の一端を担うのだ。
殿下も殿下で、私の持つ力ゆえにそう簡単に排除はできず、今後は自分がヒロインを守ることを誓い絆を深める、というエピソードだ。
「分かったか! すべては、お前の、為だ! それ以外にお前が幸せになる道はないのだ! お前は、私の言うことを守れば、幸せになれるのだぞ、いいか! 分かったら、練習を続けろ!!」
この二年ほど、こうやって言い聞かされている。もはや洗脳に近い。
「はい、分かりました、お父様」
父――ダニエル・ロッテンクロー伯爵は、素直な返事に納得したのか、ドタバタと足音を立てて去っていった。
たかだか十数年しか生きていない少女が、親にこうも毎日同じことを大きな声で威圧的に言われていたら、これはおかしい、と気づけなくなるのも無理ないな、とため息が出る。
しかも、執務室などに呼び出されるのではなく、わざわざ私の部屋に訪れて言うのだ。自分の部屋も心休まることはない。
二十二歳分の記憶が追加された私でも、吠え続けられるとまた良からぬことを吹き込まれ、思い込まされるかもしれない。冷静な判断ができなくなってしまう前に、現状を打破する対策を講じなければならない。
「うん。よし、家を出よう」
別の方法として父に隠居してもらったとしても、女性の爵位継承は認められていない。ここ数年、まともな親戚には最初こそ諌められていたものの、今では父は、養子になる予定だった跡継ぎ候補を含め遠巻きにされている。近づいてくるのは、継ぐだけでお金が自動で入ってくると思っている爵位目的の人か、未来の王妃候補の実家にすり寄る人たちだ。
そもそも、跡継ぎもいないこの状況で隠居してもらうには、身体に支障をきたすか、何かしらの不正が発覚するか、何かしらで脅すか、だ。被害が出てしまう。父は、領地経営に関しては真っ当に行っている、と思う。多分。
「やっぱり、私が家を出た方が早いよね」
脳内で繰り広げていた作戦会議だったが、今度は控えめなノックが聞こえて中断される。
「あ、どうぞ」
現れたのは、継母のカリサだった。
「マリアンナ、大丈夫なの? お父様から、また何か言われていたようだけれど……」
お継母さまは父の猛攻のあと、ほぼ毎回、部屋を訪れて心配してくれる。
父とは十三も離れているこの継母の優しさがなければ、マリアンナの心はとうの昔に壊れていただろう。後妻で我が家に嫁いできた彼女は、マリアンナと十二しか離れていない。
無理に母として振る舞い何くれと言ってくるのではなく、邪険にするのでもなく、優しい姉のように私の話をきちんと聞いてくれ、意思を尊重してくれる。それだけでなく、元々実母の友人だった継母は、昔から、大人すら恐れる私の目を見て笑ってくれる貴重な人だ。
仲睦まじかった実母が亡くなって思い出すと辛いから、と叔父夫婦にそれまで住んでいたタウンハウスを譲って引っ越しまでしたにも関わらず、一年も経たないうちに父は再婚した。そうして嫁いできた継母カリサだが、あまり時間を置かずにすんなりと受け入れられた。それとは反対に、父への不信感が芽生え始めたのがその頃だ。
よし、まずお継母様に相談だ。
まず、ウッと声を漏らして手で顔を覆う。涙を出す技術はまだないので、もう顔をあげられない。
「お、おかあさ、ま……! わ、私、怖いの……!」
お継母様が、駆け寄り背中をさすってくれる。
「マリアンナ、可哀想に……。お父様は、あなたにまた何か無茶な言い付けをなさったの……?」
「うっ……はい……。エレナ様に、き、危害を加えろ、と……でも、私、と、とても無理……」
嗚咽を織り交ぜながら、私はお継母様に訴える。ノックに対する返事との感情の落差に気づかない事を願って。
「お継母様、私、そのような人道にもとる行為、したくはないわ……!」
「ええ、ええ、そうね、そうよね。あなたは優しい娘だもの。今までもずっと良心の呵責に耐えてきたのよね。お父様も、あなたの為を思ってのことだとは思うのよ。ただ、心無い親戚の方がたの言葉に影響されているだけなの、きっと。そんな恐ろしいことしなくてすむように、私からお父様を説得してみるわ」
心無い親戚とは、おそらく、私を王太子妃へと推し進める親戚たちの一派だ。親戚と言って良いのか迷うほどの遠い血のつながりも含まれている。王太子妃の親戚、その名を冠するだけで、商売をするにしても宮廷や社交界での繋がりを求めるにしても、大違いだ。
「いいえ、お継母様、お継母様は何度も、私に無理を言わないよう、お父様を諌めようとしてくれたもの……。もう、きっと私の言葉も、お継母様の言葉もお父様には届かないのだわ……」
「そんな、そんなことは……。それならば、どうするの。人を害するなんて恐ろしいことを、あなたにさせるなんて……」
お継母様も、まだ父に言葉が届くとは言い切れないのだろう。それほど、最近の父は私や継母の話など全く聞かない。昔は、気弱だけれど優しくて、マリアンナのたわいない話もよく聞いてくれていたのに……。
私は、落ち着き、泣き止んだように見せかけ、ハンカチーフで目元を拭ってから顔をあげる。
「私、やっぱりそんなことできないわ。一度、お父様と離れた方がいいと思っているの」
「え? 離れるってあなた……」
「はい、私は、マリアンナは……家を出るわ」
お継母様が、目を真ん丸にして、ぽかんと口を開けている。それはそうだ。今まで、父に従順で、自分の身体も洗ったことのない貴族の令嬢が、自分の意思で家を出るなどと突然言い出したのだから。
「まぁまぁ……、そんな、家を出て、どうするの?」
「学園の、寮に入るの」
王立魔法学園には、寮がある。王都にタウンハウスを所有していない地方の貴族や平民が主に入っていて、上位貴族はあまり寮には入っていないが、希望すれば入れるはずだ。
「寮だなんて、あなたが住むようなところではないと聞くわ。それに、お父様がお許しになるか……」
「ええ、だから、アレクシス殿下から父に言うように、殿下に頼んでみます」
それくらいは、まだしてくれるだろう。アレクシス殿下も、父の様子がおかしいことは薄々察している。
そして許されるならば、市井で、空いた時間に働いて、自分で小遣いを稼いでみたい。
ヒロインも、バイトみたいな事をしていた気がする。
「……わかったわ。あなたもよくよく考えて決めたことだろうから……。でも、これだけは覚えておいてね。何があったとしても……、私は変わらずあなたの味方よ」
お継母様の言葉に、胸が温かくなる。私には、一人でも、無条件に味方になってくれる存在がいる。
「ありがとう。お継母様、大好きよ」
お継母様は、ぎゅっと私を抱きしめてくれた。
このときはまだ、まさか王城に住むことになろうとは、露ほども思ってはいなかった。
誤字報告をくださった方、ありがとうございました。