26.赤い瞳と赤い顔
「小さい頃は、よく手を繋いだよね。そんなに入り組んだ造りの所は行ってないのに、マリーには迷子の才能があったから」
「小さい頃の話だわ、さすがにもう手を繋いでもらわなくても、迷子にはなりません!」
「そうかな? ……でも僕が、勝手に不安になっちゃうんだ、マリーと離れていると。だから、僕の我がままを聞いてくれないかな……? ねぇ、手、繋いでいい……?」
『手繋いでいい?』と同時にアレクシス様が私の手を取って繋いできた。
「……お気づきでないかもしれませんが、もう繋いでますよ……?」
「本当だ。……だめだった?」
「だめ……ではないです……」
その聞き方は、ずるいと思う。
だめなんて言えないもの。
……まあ、だめじゃないんだけど。
薔薇の生垣の中を歩いていくと、少し小さな丘になっているところに、白い漆喰のガゼボが見えてきた。
「あそこで休憩しようか」
会話が聞こえない程度に離れたままついてきていた、城の侍女のアナにお茶の用意をしてもらい、ガゼボのベンチに座る。
「アナの淹れるお茶は美味しいだろう? 城でも寛いで過ごしてほしかったから、よく気が付いて、一番美味しくお茶を淹れられる侍女は誰か、と聞きまわったんだ。元々王妃付きだったのを、母上に頼んでこっちに付けてもらったんだ」
それは初めて聞いた話だった。わざわざ考えて選んでくれていたのか。道理でやたら美味しいと思った。
「ありがとうございます。お城の侍女はさすがだなって舌を巻いていたのですが、アレクシス様が選んでくださっていたのですね。おばさまにもお礼を言わなくては…」
日が落ちる時間が近づき、肌を撫でる風もまた少し冷たくなってきた。そろそろ、この散歩も終わる。
「……話があるって、言ったよね」
話……そうだ、展覧会の前日、終わったら話があると言われていた。色々ありすぎて頭から頭から抜けていた。
――断罪……
話があると言われ、その二文字がよぎった、あの時の気持ちが一時、去来する。
「……はい。覚えております」
あの時とは状況が一変している。でも、それは私の立場からであって、アレクシス様にとっては想定していた事態だったはずだから、話の内容は、あの時と一緒だろう。
どの木にとまっていたのか、鳥の羽ばたく音が聞こえてきた。
しかし、そちらには目も向けない。
だって、熱を帯びてきたようなアレクシス様の瞳から、恥ずかしいのに、目が逸らせなくなっていたから。
「正式に……婚約者になって欲しい。……け、結婚を前提に」
――それは、期待しない方がいい、と自分を牽制しつつも、心のどこかで待ち望んでしまっていた言葉。
「あ、いや、婚約者になったら結婚を前提は当然なんだけど」
「……どうして……?」
かの物語では、終ぞなる事はなかった、『候補』のつかない『婚約者』。
兵器としてしか、求められていなかったマリアンナ。
「……マリーのことが……好きだから。だから、ずっと一緒にいて欲しい。一生、君を守りたいし、隣で支えて欲しい。……ああなんか……恰好つかなくてごめんね……」
いつも隙のない微笑みを浮かべているアレクシス様が、顔を真っ赤にさせ、少しつっかえながら話し、最後には手を自分の顔に当てて照れている。
そして顔に当てていた手で、私の頬にそっと添えた。
「マリー……、その涙は……どっちの涙かな……?」
そう言われて、アレクシス様の手がない側の目に触ってみると、知らないうちに頬に涙が伝っていた。
「う、うれ、嬉しい、方……」
声を発してみてから、泣いて上手くしゃべれないことにも気づく。
アレクシス様が、そっと私を包み込み、私の顔を自分の胸に押し付けた。
「アレクの服が濡れちゃう……」
それでも、アレクシス様の手は緩まず。
「いいよ、僕の服で拭いて」
そして、私が落ち着くまでそのまま抱きしめてくれた。
「……それで、返事を聞かせてくれるかな……?」
しばらく私の背をなでてくれていたアレクシス様が、涙が落ち着いてきたところで、私の顔を覗き込んできた。
不安そうな顔で。
「……はい。私も…アレクのこと、好きです……」
そう告げた私の顔も、たぶん、さっきのアレクシス様と一緒で真っ赤になっていると思う。
「……!あ、ありがとう……!」
ここ最近は特に王太子として感情をあまり表に出していないアレクシス様が、喜びを前面に出した笑顔で言った。
「苦労は……かけてしまうと思うけど。絶対、幸せにするから……」
幸せになりたい。幸せにして欲しい。それは、多くの人々が願うこと。
でも、幸せにしてもらうだけじゃ、足りない。
「じゃあ私は、アレクのことを幸せにしてあげるね」
「マリー……」
アレクシス様の端正な顔が少しずつ近づいてくる。
それが間近に迫ってきて、私はそっと目を閉じる。
唇に、柔らかい感触が軽く触れて離れ、すぐに、次はさっきより少しだけ、長い口づけを交わす。
「……マリーがいてくれるだけで、僕は幸せだよ」
晴れた日の夜空を映したような瞳を間近で見ながらそう言われて、私は、もう少しだけこの温もりに包まれていたくて、アレクシス様の胸に顔を埋めた。
すると、私の背中に回っている手に少し力が込められて、そう思っているのは私だけではないんだ、と思えた。
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次話で、第一部が終わります。




