25.信じる
ひと悶着もふた悶着もあった展覧会も無事に(?)終わり、学園も平常に戻った。
その学園が休みのある日、アレクシス様が私の部屋を訪ねてきた。
「マリー、散歩に行かない?」
そのお誘いを了承し、城内の薔薇園を有する庭園を少し歩くことになった。最近は冬が近づき肌寒くなっていたが、その日は比較的暖かく、過ごしやすい小春日和だった。
春に比べるとほんの一部ではあるが、秋に咲く薔薇も栽培されており、ほのかな薔薇の香りに鼻腔をくすぐられる。
「久しぶりだね、こうして二人でゆっくり話すのは」
学内夜会のあわや断罪イベントで逆にアレクシス様に謝られてから、二週間が経つ。
騒動の後処理が忙しく、顔を合わせてもゆっくり話す余裕はなかった。そのせいで、少し緊張している。でもそれは私だけで、アレクシス様は鷹揚としていると思ったけれど、その口ぶりからすると、もしかしたらアレクシス様も緊張しているのかな……?
「そうですね、展覧会中も、アレクシス様はエレナ様の件の対応でもお忙しかったでしょうし。……エレナ様は、もう寮に入ったのですよね」
リントン男爵は少なくともエレナ様が成人するまで、エレナ様との接触禁止・王都の立ち入り禁止を命じられている。
成人後は、エレナ様の意思が考慮されて決まるらしい。
やりたくないことを強制されていたとはいえ、実の親。簡単に切り捨てられるものではない。しかし、親といえども毒となるならば、時には心から血を流してでも切り捨てるべき場合もある。
……現実は、そう簡単に割り切れるものでもないけれど。
他人事ではない気がして、複雑な気持ちになる。今はずるずると、アレクシス様や王族の方々のご厚意に甘えてしまっているけれど、いつかは決着をつけなければならない。
その事を考えると、気が重くなって歩みが遅くなってしまっていた。
「……怒ってる?」
「え……何をです?」
展覧会で事が起こる前に何も聞かされていなかった件については、既に謝ってもらっている。
「……少しばかり、強引だったかもしれない。ここに住んでもらっているのも、夜会での事、許してもらったのも……」
相変わらず、しょんぼりしたこの顔で謝るのはずるいと思う。
「……まぁ……そうですね。困っていたところに手を差し伸べてもらったことには感謝してはいますが、多少……いえかなり強引だった記憶はありますね」
「う……分かっている」
アレクシス様は、姿勢を正して、真っすぐ私の目を見る。
「怖い思いをさせて……傷つけて、申し訳なかった。マリアンナ。……あと、すまない、王城に住んでもらっている事は謝れない。だって駄目だよマリー、許可できない、寮に住むなんて」
謝らないことを謝られたことは初めてだ。
「譲りませんね……」
心から真摯に謝ってくれている事は伝わる。
だが……私の中に、まだモヤモヤが残っている。
もう認めよう。私は、アレクシス様に恋をしている。多分、出会った頃からずっと恋をしていると思う。だって、小さい頃からずっと大好きな幼馴染だったのだ。洗脳されていた頃の言動は、きっと洗脳だけではなく、私自身の独占欲や嫉妬もあって、行動していたと思う。
しかし、胸にくすぶるこのモヤモヤのせいで、私はアレクシス様が好きだけれど、アレクシス様を完全に信頼することが出来ないでいる。
「……もう謝罪なんて、いらないです。……というか、傷つけた、って私がどう傷ついたと思っていますか……?」
先ほどまで青空が多く見えていたのに、いつの間にか雲が太陽を隠していて、心なしか少し肌寒くなった。
「……君が、強がっている事は分かっていたのに……寄り添えなかった。……マリアンナには事前に伝えないように言われていたことも本当だけれど……たぶん私は、頼って欲しかったんだ。マリーはずっと僕の近くにいたはずなのに、いつの間にか遠くなっていた。……また昔みたいに、『助けてアレク』って手を伸ばしてくれないかな、ってきっと知らないうちに心のどこかで期待していて……言えなかった」
そこまで話すと、アレクシス様が跪いて私の手を取った。
「……そのせいで、マリアンナを一人にして追い詰めて、そしてあの時、皆がいる前で傷つけてしまった」
……そうじゃない。
確かに、最初から教えてくれていたら、とは思わないでもないけれど、状況を考えれば私でも私には教えないだろう。あの頃の私なら、鬼の首を取ったようにエレナ様に詰め寄ったに違いない。
それに、アレクシス様が王太子としての分別や矜持があるように、王太子妃教育を受けてきた者としてわきまえているつもりだ。……少なくとも今は。
……そうじゃないのに。
「……マリアンナ?」
分かってくれない。
私が、苦しかった、傷ついたこと。
……アレクシス様は、分かってくれていない。
──まぁ、マリアンナ、何でも分かってくれると思っていてはだめよ。感情を表に出さず、胸に秘めることは貴族として当然だけれど……覚えておいてね、大事な人へ本当に伝えたい思いは、自分の口でちゃんと伝えることも大事なの。……でも一緒ね。私もそう言われたのよ?昔、あなたのお母様から……。
勝手に失望しかけていたそのとき、心の中で諭してきたのは、継母の言葉だった。
まだ父の優しさと愛を信じていた頃、隣国との国交復活に若き王太子として一役買い、とても忙しそうにしていたアレクシス様に、会えはしなくとも自らの手作りお菓子の差し入れをしよう、と私は厨房に向かった時の事だ。
厨房に立つ私を、料理人たちの邪魔をしてはいけない、と父に注意された。もういたずらに使用人の邪魔をするほど幼くはない、アレクシス様の為に何かしたいのに、とその頃の私はすねてしまった。
そのとき、すぐに諦めてしまった私を慰めつつ、もう一度きちんと説明してお願いしたら、とお継母様が言ってくれた際の言葉だ。お継母様は私の実のお母様とは少し年の離れた友人だったから、一緒に思い出を語れる人でもあるのだ。
結局、あのときはアレクシス様に迷惑をかけてはいけない、と父に更にこっぴどく叱られて実現はしなかったけれど。
お継母様は、その時の事だけではなく、私が大事な事は自分の口で思いを伝えられるようになって欲しかったのだと、今となって分かる。亡くなった母の代わりに、伝えてくれたのだ。
「嘘つき」
「マリー? ……嘘、つき……?」
アレクシス様が困惑してこちらを見上げている。
「アレクシス様は……アレクシス王太子殿下は、平等に皆の味方だわ」
「それは……王太子と言われると、公平な判断を下さなければならない時もあるけれど、ただのアレクシスとしては、君だけの」
「嘘つき! 八方美人!」
アレクシス様の言葉に、感情が高ぶってしまい子供の喧嘩のように遮ってしまった。
「嘘……!? ……あ、君のお父上の従僕のジョンのこと!?」
アレクシス様が立ち上がり、今度は私が見上げる形になる。
「それじゃない! ……ていうか何それ! ジョンのことって何!?」
「違うの?! ああ、分かった、寮の事? 身分や住まい関係なく才能ある者を集めるために管理体制を見直して、風紀が良くなってる事やっと知っちゃった?」
「え、そうだったの? ……って、やっとって何!? ちょっとバカにしたでしょ! 友達いないからって!」
「違うの!? やぶ蛇だった!? ……ごめん、マリー、降参だ、教えてもらえない……? 八方美人って何のこと……?」
君だけの、なんてよく言えたものだ。
……仔犬みたいなその顔しても、今回は絆されてやらない。
「誰にでも言っているんでしょう……? 君だけの味方だ、なんて調子のいいことを」
「え!? マリーの中の僕、そんなエセフェミニストみたいなチャラい事態になってるの!? 何で!?」
「マリーだけだよみたいな雰囲気を醸し出しておいて!」
「マリーだけだよ! ……いや、確かにマリーだけを優先できない場合も、起こりえる。今回もエレナ嬢を優先してしまった時はあったし、それは立場上否定できないのは確かだ。……でも、どんなことがあっても、僕はマリーの味方だよ。……それだけは、信じて欲しい」
……でも、やっぱり立場や場合によっては、エレナ様の味方にだってなるのでしょう? 王太子様なんだもの……。
「……エレナ様にだって同じことを言ったんでしょう?」
睨みつけていた目を逸らして、アレクシス様の後ろでひっそりと咲く秋の赤薔薇に目線を落とす。
赤薔薇の、鮮血のようと揶揄される私の瞳と、よく似た紅。
「エレナ嬢に? ……言ってない。僕は君の味方だ」
「……ごめんなさい。聞いてしまったの。学内夜会で、騒ぎの前にエレナ様と二人で出て行ったでしょう? そのとき、王族控室でアレクシス様がおっしゃっていたわ。……エレナ様の……君の味方だ、って、つい前の夜に私に言ったのと同じ風に」
「え? ……ん? ……言って………ないよ?」
白を切るつもりか、もしくは無意識に出た言葉なのだろう。アレクシス様は認めない。
「でも、確かにおっしゃっていました。味方だ、って」
アレクシス様が、顎に手を当てて考え込み始めた。
「え? えー……と……あ!」
やはり、心当たりがあるのだ……。
目線がアレクシス様から薔薇の花へ移り、とうとう地面に向けて俯いた。
「あれはエレナ嬢に言ったんじゃない! あの時はエレナ嬢はもういなかった! というか王族控室には彼女は入れていない!」
「……じゃあ、別のご令嬢におっしゃっていたと?」
「何でそうなるの!? あれは、マイク・レイガーに言っていたんだ! お互いの目的に関して敵じゃない、ということを言っていた。本当だよ? マイク・レイガーに確認してもらってもいい」
力強く宣言するアレクシス様の言葉に、そっと顔を上げる。
「……そうなの? 本当に……?」
アレクシス様は大きく頷く。
「ああ。誓ってエレナ嬢には言っていない。……でも、マリーが不安になっているときに誤解を与えるような発言をしたことは僕の落ち度だ。……ごめんね、謝ってばかりで……」
アレクシス様の必死なその様子は、適当に胡麻化しているようには見えない。そういえばあの時、エレナ様の声は聞いていない。
つまり、私の早とちり……?
──自分の口でちゃんと──
……不安になっていたのなら、伝えれば良かったのだ。その時、逃げずに。
アレクシス様は、たぶん、いつだってちゃんと聞いてくれた。
「……ごめんなさい。私も、勝手に聞いて勝手に不安になったりして……。ちゃんと、アレクに相談すれば良かったんだわ」
「いや、マリーのせいじゃない。僕が不安にさせたんだ」
いつだって、アレクシス様は私に甘い。洗脳されて、私が私じゃなくなっていた時から味方でいてくれていた彼を、物語に囚われて信じられなかったのは私だ。
「……ううん、アレクのせいじゃない……」
「……もう少し、歩こうか」
いつの間にか止まっていた歩みを、二人連れ添って進めた。




