21.断罪(アレクシス視点)
今にも零れ落ちそうだ。
いつも毅然としてみえるマリアンナの瞳が、いや、今日も凛とこちらを見据える瞳が揺れている。
必死にこらえているのだろう。
今すぐ駆け寄りたい。包み込んでしまいたい。
だがどんなに胸が痛くても、今すぐそれをしたら、すべてが台無しだ。
油断すれば勝手に動いてしまいそうな足を必死に留める。
罠にかかっていないうちから、仕掛けを回収しては意味がない。
「私もぉ、マリアンナ様のお姿見ましたもんっ! 怪我をした私を見て、わ、笑って、おられましたぁ!」
──そう、待っていたよ。
無事、罠にかかってくれたので、すぐにマリアンナの手を取る。
かすかに震えている。孤立無援に思えて怖かっただろう。それなのに、必死に涙はこぼしはしまいと一人で立っているマリアンナ。
「な……アレクさま……? 何をされてるんですかぁ? こわいのは、エ、エレナのほうですぅっ!」
公衆の面前で抱きしめる代わりに、血の気の引いているマリアンナの、震える手からまず温めようとしていると、後方から罠にかかって吠える甲高い声が聞こえてきた。
「そうだね」
「だからぁ、早く、エ、エレナの傍にぃ、戻ってきてほしいですぅ……!」
まだ偽りがばれていないと思っているのか悪あがきか、一層間延びした懇願をしてくる。
だが、もうそれも終わりだ。
給仕や、警備に紛れていた王立騎士団にさりげなく目配せをして、先程、エレナ嬢の主張に同調していた者たちに目を光らせる。
「マリアンナ、エレナ嬢の方が怖かったね。──エレナ嬢、自覚があるなら、あまり怖がらせないでやってくれないか?」
自分のことは一旦棚に上げてそう言うと、エレナ嬢は、こぼれんばかりに大きな目を見開いた。
「ち……っ、私は、……エ、エレナが、マリアンナ様に怪我をさせられて……!」
「……違うよね? マリアンナは、あのとき会場にいなかったのだから」
「そんなはずありません! 確かにマリアンナ様の魔力の気配が……!」
「──ああ、そうだったね。マリアンナを会場で見たのだよね?」
「そ……そうですっ! た……確かにいましたっ!」
安易に、二回も誘導に乗っかってしまうエレナ嬢は、人を陥れるには向いていない。
──君は「見た」と証言してはいけなかった。
気配だけなら、マリアンナの魔力の気配は、確かにしただろう。
「そんなはずありませんわ。マリアンナ様は、今日の発表の部の時間中、ずっと私たちと共にいらっしゃいましたもの」
突然、会話に入ってきたのは、この学園の中では珍しい、短めに髪を切りそろえたある一人の令嬢だ。
「アレクシス殿下、お話中に割り入ってしまい、申し訳ございません。ですが私たち、恐れながらマリアンナ様の無実を証言したく…」
「かまわないよ。むしろ、こちらからお願いしよう。聞かせてくれ」
「はい、殿下。私、エマ・クレイをはじめ演劇部の一年生十名ほど、今日の午前中、発表の部の開式宣言から終了するまで、ずっとマリアンナ様と共にいました。必要があれば他の者にも証言させることも可能です」
「……う、嘘よ。嘘! きっとマリアンナ様に、証言を、き、強要、されて……!」
意外な介入者にぽかんと呆気に取られていたエレナ嬢が、はっと我に返り、取り繕うことを忘れた必死の形相で反論をした。
「彼女は、強要されはしない。そういう立場なんだ。だからこそ、頼んだのだから」
彼女は、というよりクレイ一族は、王家の「目」であり、王家の陰の「監視役」でもある。興国時の影の立役者であるクレイ一族は、表向きは政治には関与せず、大きな権力も、高い地位ももたない代わりに、裏に徹して国を支え、王家が道を外せば、大鉈を振るう役目がある。
「それに、王妃殿下と我が妹も、一緒にいたようだからね。彼女の証言を疑うということは、王妃を疑うことにもなるよ」
一緒にいた、という証言は、母上と妹だけでは、表立って口に出せずとも、身内贔屓と取られかねない。
だから、彼女たちにも頼んだのだ。
「……私……エ、エレナぁ、ショックで勘違いしちゃったみたいですぅ、こんなに痛いのぉ、初めてでぇ、ショックうけちゃってぇ……」
さすがにこの状況では、主張を押し通すより、謝罪して引いた方がいい、という判断をするくらいの冷静さは残っているようだ。
「それで、パフォーマンスも披露できなくて、残念だったね」
「そうなんですぅ。ステージに上がったところで怪我しちゃってぇ……」
「ちなみに、何を披露するつもりだったのかな?」
「え? えっとぉ、それはぁ……」
エレナ嬢が、右腕をさすりながら、返答に詰まっている。
「ああ、包帯が気になるの? ……包帯の上から触ってももう平気なら、火傷は大分治癒したみたいだね? 良かった」
「あっ……そうみたいですぅ……後で見てみますぅ……」
エレナ嬢は先ほどまでの勢いを無くし、取り繕うような笑みを作って包帯から手を離した。
「それなら、せっかくだ。今日の発表の部でするはずだったもの、今ここで、披露してみてくれないか? それか、どんな内容だったかだけでも教えてくれるかな?」
「……それ、は、ちょっと、エレナ、そんなつもりじゃなかったからぁ……」
「内容を教えることも難しいのかい? ──ああそうか、最初から何も、披露するつもりなんて無かったから準備していないのだったね」
そうだ。彼女は、発表の部で自分が披露することにはならない、と知っていた。
無駄になると分かっているから、最初から何も準備なんてしていなかったのだ。
「そんなっ……っ……わけがぁ……えっと、内容……」
ときたま甘ったるい口調が抜けメッキがはがれ始めたエレナ嬢は、言い訳を探しているのか、顔を蒼白にさせてやたら床に視線を彷徨わせている。
「……アレクシス殿下、どうかもう……」
エレナ嬢のすぐそばで見守っていたマイク・レイガーが、幼馴染の窮地を見かねて前に出てきた。
話が違う、と言いたいのだろう。
少しやりすぎたかもしれない。そもそもマリアンナの心を守れなかった自分は、本来はエレナ嬢ばかりを責められない立場なのだ。冷静でいるつもりでいて、もっと上手く立ち回れなかったのかという自分への憤りの気持ちが、多少なりとも八つ当たりになってしまった事は否定できない。
と、そこに、ずっと成り行きを黙って見ていたマリアンナが、僕の手をそっと解いて、横をすり抜けていった。
「マリアンナ、何を……」
そして、マリアンナは落ちていたエレナ嬢のストールを拾い、軽く畳み、持ち主に手渡し、僕に向き直った。
「続きのお話は、別の部屋にしましょう? 私も、動揺してしまっております。お互い、ここでは落ち着いてお話しできませんもの。……ね? エレナ様」
……その慈愛の微笑み、僕にも向けてほしい。
私は少し追い詰めすぎていたから、優しいマリアンナは見ていられなかったのだろう。
止めてくれて、張り詰めた空気を和らげてくれたマリアンナには、感謝だな。
──本当の敵は、エレナ嬢ではない。エレナ嬢を操っていた者なのだから。
ありがとうございます。
誤字報告くださった方、ありがとうございます。




