20.断罪
心なしか、アレクシス様の声は、固い。
「マリアンナさまぁっ、ひどいですぅ……!」
アレクシス様の声の傍には、涙をにじませた庇護欲をそそる少女の声。
何もしていない。私は、今日は通りがかりに盗みぎ……、漏れ聞いてしまっただけで、何もしていないのだから、断罪は始まらない。そもそも、咎められるのは、この学内夜会での公の面前ではない。……はずだ。
自分にそう言い聞かせて、自分の瞳より落ち着いた色の苺ジュースの入ったグラスを近くのテーブルに置き、なるべく冷静に見えるよう、落ち着いて、ゆっくりと振り返る。
「まぁ……。どのようなお話でしょう? 私、気が付かないうちに、エレナ様に何か失礼をしてしまいましたでしょうか?」
なるべく、何も思い当たることはない、と見えるように微笑む。本当に今回はないのだけれど。
「マリアンナ──君に、エレナ嬢に重大な怪我をさせた疑いがかかっている」
エレナ様が、アレクシス様の腕に、しなだれかかるようにふらつく。
「あ……っ。ごめんなさい、アレクさまぁ……、大丈夫ですぅ、がんばれますっ」
アレクシス様はさっきエレナ様には特に何も尋ねていなかったが、一人で答えている。だが、心配そうに眉をひそめてエレナ嬢を見つめているし、二人だけに通ずるものがあるのかもしれない。
かろうじて、微笑みは絶やしていないが、きっと私の顔色は今、真っ青だろう。
青い暗がりに浮かぶ暁……、今こそ暁月の名を冠するにふさわしいに違いない。
「……特に心当たりがないのですが、怪我とは、いつのことでしょうか?」
うろたえて思考が逃避していても、口が勝手に状況を冷静に聞くのは、前世を思い出したお陰だと思う。
「今日の発表の部でのことだ。君は、エレナ嬢の発表の番のとき、パフォーマンスを始めようとするエレナ嬢に向かって、妨害魔法と攻撃魔法を使用したのだろう?」
今日の発表の部……? 私は、そんな魔法使っていないし、そもそも会場にも行っていない。遠隔での魔法は繊細なコントロールが必要なので、得意ではない。私の技術では届かない場所にいた。
「エレナ様が怪我、ですか……? 今、初めて知りましたが……怪我の具合、大丈夫なのですか……?」
そう言って私がエレナ様に視線を向けると、怯えるように身体を跳ねさせ、彼女の羽織っていたショールがはらりと落ちた。むき出しになった華奢な彼女の右の二の腕に、痛々しい包帯が巻かれてある。
……若干、わざと落としたようにも見えたけれど。
「そんな……大丈夫か、なんてぇ聞くなんてぇ……、マリアンナ様に、こ、攻撃されたこと、言っちゃったから、怒ってるんですかぁ……っ?」
私に問うのではなく、濡れた瞳で、アレクシス様を見つめながら訴えている。
「あくまでも君は、やっていないと白をきるのか……?」
そう私を問いただす殿下の顔は険しい。アレクシス様のいつも才気あふれる瞳が、失望に染まっていく。
震えそうになる両の手を、お互いの手で抑える。
「すぐに、謝ってくれたらぁ、すぐに許してあげようとぉ、思ってたんですけどぉ、エレナ、勇気を出して、言っちゃいますぅ」
甘ったるいがよく通る声は、周囲の視線を集める。
その声の主のエレナ様が、アレクシス様からそっと手を離して、決心したように、一度私と目を合わせ、しかし何故かすぐにそらして、私の肩辺りまで目線を下げると。
「私ぃ、治癒魔法が一番得意なんですぅ~!」
一呼吸置いて、全校生徒――いや、王都に住んでいる者なら大体が知っていそうな事を、エレナ様がカミングアウトした。
「……ええ、存じておりますわ。エレナ様の治癒魔法は、とても素晴らしいですもの……?」
「あっちがう、じゃなくて! ……あ、ちがいますぅ、えっとぉ、だからぁ、エレナ、魔力が欠乏状態にならない限りぃ、自己治癒はぁ、寝ていても勝手にされちゃうんですぅ! だからぁ、よっぽどお強い攻撃魔法じゃない限りぃ、ここまで怪我が残ることないんですぅ!」
一瞬、間延びした喋り方が抜けていたような気がするが、今は指摘する場面ではないと思うので、やめておく。
「……だから、よっぽど強い攻撃魔法を繰り出せる私がエレナ様を故意に傷つけたとおっしゃりたいのですね?」
アレクシス様が、エレナ様を私から見えなくなるように、……かばうように、一歩進み出る。
「そうだ。貴族令嬢として負ってしまった怪我など見られたくないだろうに、彼女は勇気を出して私に見せてくれた。……あの怪我を彼女に負わせられるのは、この学園には……いや、叔父上以外に、君しかいないんだ」
叔父上、とは王弟殿下のことだ。私が生まれるまでは、この国一番の火の魔法使いだった。彼は、今、外交で国外にいる。
「……それだけ……、で、私だと決めつけるなど、いささか早計では?」
それだけで、簡単に私に失望してしまうの?
「もちろん、それだけではない。……目撃者がいるんだよ。しかも、複数人いる」
「そうですぅ! 私も、見たって人から聞きましたぁ! マリアンナ様がぁ、会場の近くで呪文を唱えてたってぇ!」
すると、会場から、自分も見た、という声がぱらぱらと出た。
やっぱり、殿下を信じず何が何でも逃げ出せば良かったのだわ。逃げていたら、こんなに、裏切られたような気持ち、知らずにすんだのに。……信じてくれないのだ、アレクシス様は。
物語の中ではまだ中盤なのに、もう私はアレクシス様に断罪されて、命を落とすの?
アレクシス様に信じてもらえないのなら、こんな悪役令嬢を信じてくれる人なんて、他に……。
ああ、駄目よ、今こそ冷静にならなければ。
……そうだ、いるじゃない。私はそのとき、ずっと王妃様や、ロザリア様たちといた。お二方は今、いないけれど、今も演劇部の面々がいる。少しは打ち解けたから、証言してもらえるはず。
すがるように演劇部のメンバーが固まっていた方に目を向ける。
しかし、私の希望は虚しくもすぐに潰えた。
話を交わした生徒、そしてエマ様ですら、そっと私から目線をそらしたのだ。
──……え? ……なんで……?
この状況で、言い出しづらいのだろうか?
後からお願いしたら、証言してくれる?
……それとも、少しでも仲良くなれたと思ったのは、好意があると思ったのは、まやかしだった?
──お前に、味方なんていないのだ! 黙って従えばよいのだ!!
いるはずのない、父のどなり声が、耳に響く。
「私もぉ、マリアンナ様のお姿見ましたもんっ! 怪我をした私を見て、わ、笑って、おられましたぁ!」
一歩、また一歩と、アレクシス様が私に近づいてくる。
ゆっくりと、自分に罪なき鉄槌が振り下ろされていくのを見ているようだ。
「──これ以上……彼女が傷つくならば──」
ああ、とうとうあの台詞を言われる。
ああ、お父様、ごめんなさい、お父様の言う通りだったのだわ。私に味方なんて、いない。お父様の言う通りに、孤独に死んでいくだけ──
指先は凍ったように冷たいのに、身体が燃えるように熱くなっている気がする。心の激しい揺れに連動して、魔力が暴れようとしている。
こんなところで、暴走するわけにいかない。傷つけたいわけじゃない。大丈夫、できるでしょう、マリアンナ──
必死に魔力を制御しようとしていたそのとき、がたがたと震えていた私の手が、大きな温もりに包まれた。
。
「──たとえ僕でも、許せそうにないよ、マリー……」
「……え……?」
雫をこぼしはしまいと揺れる視界で、アレクシス様が、私の手の甲に口づけているのが見える。
柔らかな感触が、ふわりと当たる。
挨拶のそれというより、大切に愛でている宝物に対するような口づけだった。
「ごめんね、後できちんと説明するから、今は僕を信じてほしい」
何が起こっているのか、全然分からない。
それでも、温かいアレクシス様の手に、冷え切った手が体温を取り戻し、身体の熱が下がっていくのを感じる。
アレクシス様のカフスボタンが、私が先程まで持っていた飲み物と同じような色をしていて、それを見ていると、不思議と一層気持ちが落ちついていった。




