10.お忍び
いよいよ、魔法展覧会当日になった。
展覧会と言っても、展示物だけではない。このイベントを開催した当初は、魔法を使った発明品やモニュメントなどを展示しているだけだったが、今ではそこから派生して、目の前で研究成果や観客を楽しませるような魔法のパフォーマンスや、魔法騎士を目指す学生達の試合など、二日間にわたって様々な催しが行われる。
クラスや、クラブ単位で模擬店の出店も認められており、今では学園祭の様相を呈している。
私が父にエレナ様への妨害と加害行為を命じられているのは、発表の部だ。二日目の午前中、円形状の客席に囲まれた舞台で、魔法を使ったパフォーマンスが行われる。個人とグループ、どちらでも参加が認められ、事前のオーディションで選ばれる。しかし、エレナ様は特別枠としてオーディション無しで選ばれたらしい。類まれな才能を持つ瞳の発現者として。
その選出理由でいえば私やアレクシス様もそうなのだけれど、アレクシス様は、生徒会会長であると同時にこの展覧会の生徒責任者なので、運営側として表舞台には出ない。と、いうか忙しくて出られない。
エレナ様と同様、私も正式には生徒会に所属してはいないので出ることは可能だが、いかんせん、能力が他の生徒より抜きん出て攻撃力が強いので、私が参加すると、姿を現した時点で怯える観客が出るのは必須なので、出ない。当然、参加要請もない。
同じ色持ちなのに、表舞台で称賛を浴びているヒロインと、その能力を持て余し、陰に徹さざるを得ない悪役令嬢。そういった背景も相まって悪役令嬢は嫉妬し、鬱屈した気持ちを、“攻撃”という形で、ヒロインにぶつけるのだ。大勢が見守る発表の部で。
その後、後夜祭にあたる学内夜会にて、まだ公開断罪とまではいかないものの、アレクシス様に釘を刺される。
――これ以上彼女を傷つけるつもりならば……たとえ君でも、許さない。……失望させないでくれ。
小説だったから、文字でしか知らないはずの台詞が、アレクシス様の声で蘇る。
つきん、と胸に痛みが走る。
――大丈夫、私はもうお父様の洗脳から覚めたのだから、そんなことはしない。物語の中のマリアンナと私は、違うの。ヒロインなんて、関係ない。
そう自分に言い聞かせるように、心の中で唱えた。
それまでの思考を振り切って周りを見渡すと、模擬店が立ち並び、客寄せの声があちこちから聞こえ、楽しそうな生徒や、その生徒に会いにきた家族の姿もたくさん見られる。
いつもとは違う、お祭りのような雰囲気や、楽しそうな人達を見ると、私も自然とわくわくするはずだ。楽しもう。
「まぁ、ロッテンクロー伯爵家のご令嬢だわ」
「本当に真っ赤な目をしているのだな……」
……こっそりこちらを盗み見て、ヒソヒソと囁き合う声に気づかないふりをすれば、だけれど。
この人の多さで、気と声が大きくなっているのか、結構話し声がちゃんと聞こえる。自分の悪評に尾ひれがつくだけなので睨んだりなどはしないけれど、私だって一応まだ一六の小娘なのだから、せめて聞こえないように話してほしいものだ。
見回りをするために、生徒会の腕章を付ける。本当はただの手伝いの私にそんな仕事はないのだが、うちのクラスは特に何も出店や参加をしないので、立候補した。畏怖や好奇の目で見られるだろうな、とは予想していたので、どこかで大人しく隠れておこうかとも思ったが、もしエレナ様に何か起こった時、私の姿を誰も見なかったら疑われるに違いない。それならば、堂々と皆の前に居た方が、証言者がたくさんいる。例の、発表の部の時間は、意識して全く別のところでジロジロチラチラ見られたらいいのだ。そして何より、せっかくの展覧会を楽しみたい。暇だし。
「マリアンナ、やっと見つけた。さっそく見回りしてくれているんだね、ありがとう。でも、ちょっと頼みたいことができたんだ、いいかな?」
さぁどこの模擬店から行こうかな、キョロキョロと見ていると、後ろから声をかけられた。
振り返ると、キラキラと光を反射するプラチナブロンドが、三つ、並んでいる。いや、真ん中の小さめのブロンドはアッシュブロンドか。
「マリアンナお姉さまー!」
一番背の低いアッシュブロンドの少女が、ぼふん、と突進してきた。
「おっ……」
危ない危ない。何が危ないって、小柄な美少女にタックルするように抱きつかれたことではない。
おぉう……!
と、大きな声が出そうになったことが、である。前世の記憶に引っ張られたのだろう。友達に消しゴムを貸して、と投げてもらったけど取り損ねたときのような声が出た。今の私は楚々とした淑女だ。物を投げたり投げられたりしないし、そんな間抜けな声は出そうにも出ない。そのはずだ。
「ロザリア、いきなり走り出すな。危ないだろう?」
愛らしい妹を心配して、麗しい兄が窘める。思わず見とれてしまうワンシーンだ。
「だって、一緒のお城にいるのに、なかなか会えないから、とっても久しぶりなんだもの!」
私の胸元あたりに顔をうずめながら、ちらりと上目遣いでアレクシス様を伺い見る。うん、とっても可愛らしい。私の吊り上がり気味の目尻だって下がるってものだ。
「三日前に会ったのは、久しぶりとは言わないぞ。ごめんね、マリアンナ。ロザリア、離れなさい」
「あらお兄様、よくご存知ですねぇ、私とお母様とお姉さまの三人でお茶したの。力ずくで離してくださってもよろしいのよ?」
そう言って、ロザリア様はますます私にぎゅっとしがみつく。うむ、可愛い。年上の令嬢やご婦人だって私には近づかないのだ。年下の、年端もいかないくらいの令嬢は近づいただけで恐怖に倒れる子もいる。ロザリア様も最初は怖がっていたものの今は屈託なく慕ってくれる。それはもう可愛がるしかない。思わず、私もロザリア様の背に両手を回す。
「ぐっ……、マリアンナ、迷惑だったら、遠慮なく私に言ってね?」
アレクシス様の声が引きつっているように聞こえたが、気のせい?
「いえ、問題ありませんわ、殿下」
言いながら、ロザリア様の頭を撫でる。
「ロザリア、もう満足でしょう? きちんと挨拶なさいな」
ここで、静観していたもう1人の金髪の女の人の落ち着いた声が割って入った。目尻に皺があるものの、未だにハリのある肌をもち、若々しい。アレクシス様のお母様、つまり王妃殿下だ。
「挨拶もせず、大変失礼いたしました。ごきげんよう、王……おばさま」
王妃殿下、と言いかけてやめた。おそらく、お忍びで来ているのだろうから。
「ごきげんよう、マリアンナ。いいのよ、この子が突然走り出したせいだもの」
母親の言葉には素直に従い、一歩下がってドレスの裾をつまみ軽く膝を曲げる。
「ごきげんよう、マリアンナお姉さま! 来ちゃった! びっくりした?」
我が心のオアシス、ごきげんよう! 本当にびっくりしたよ、王族が三人揃って……。お忍びゆえ隠れているだろう護衛の方々の心中、お察しいたします。
「ええ、とっても。ロザリア様は、私を驚かせることと、喜ばせることがお上手ですね」
「礼儀作法もそれくらい上手に身に付けてほしいものだけれどね」
「必要なときは、ちゃんと上手に振る舞えるもの、お兄様!」
「レディはいつだって礼儀を忘れないものだよ、ロザリア。ああそんなことよりマリアンナ、話が途中でごめんね。実は、頼みがあるんだ」
――アレクシス様から、私に頼み?
忙しい生徒会長の頼みとあれば送迎付き居候の下っ端の身としては、否やは言えない。




