やる事が多い
怪盗塩犬こと火和良は散々な目に遭いながら廊下を走っていた。
まさか時間までに床下へと潜んでいたら謎のしっとりムーディなドラマが始まるとは思わなかったし、瑠璃さんがそれをあっさり拒絶するとも思わなかった。
いや、近所の仲良しなお兄さんポジションな瑠璃さんがそれに応じてても微妙に生々しくて嫌だが、迫られてるのも生々しくて微妙な気分だった。
しかも梅雨の時期の夜みたいに湿度があって生々しい空気の直後に吹雪の中みたいな空気に変化したし。
床下で凍え死ぬかと思った。
……着こんでて良かった……!
コートなのでまだマシだった。
つまり夏場はこのコート相当に暑いんじゃと思わなくも無いが、怪盗にそういう事は言っちゃいけない。
アルセーヌさんのお孫さんだってずっと同じようなスーツ着てるしガムで変身する怪盗も同じ格好してるしハリネズミ連れてる女の子は冬でも寒そうな恰好なのでつまり怪盗は我慢の子。
暑さにも寒さにも負けないようにしなければ怪盗なんてやってられねえよという事だろう。
……しかし、どこへ行けば良いのか……。
時間が来たのでこれ幸いとばかりに突撃したが、まさか桔梗夫人が身に着けているのは偽物だったとは。
キラキラ度は本物に見えたし、薊さんのところに住み込みしていた時薊さん宛てで送られてくるガチ宝石を幾つか見せてもらって何となく本物偽物の区別は付くようになっていたというのに。
やはり何となくでは駄目だったんだろうか。
アレは間違いなく本物に見えたが、こちらも情報として品物の写真をベルギアさんに見せてもらったくらいしか知らないので、本物の宝石で偽物を拵えられていたならわからない。
昔の武将が影武者を用意していたように、別の宝石で囮を用意されていたとは想像もしていなかった。
……というかこの館もトラップ多いな!?
ダッシュで部屋を出て金の夜空、そして桔梗夫人の悪行の証拠を探そうとしているが、ピッタリ瑠璃さんとその部下達が背後を陣取っているのでそんな余裕も無い。
廊下を真っすぐ走って、瑠璃さんがその真後ろをついてきて、結果何故か瑠璃さんの背後を走っていた沢山の警官達がトラップに引っかかって落とし穴に落ちまくってたりはしたけれど。
もしかしてアレ、真ん中から少しでもずれたら落とし穴コースなトラップなんだろうか。
良かった偶然でしかないとはいえ真ん中を走ってて。
……あ! 部屋!
曲がり角を曲がったところにあった部屋へと滑り込めば、どこへ行った!? と瑠璃さんの声が扉越しに響く。
とりあえず今だけ危機は脱せたので、窓から抜け出るなり扉の影や天井付近に隠れるかして瑠璃さんが入ってきたらぬるっと外に出るなりしなくては。
「…………ん、いや、ここは……」
周囲を見渡して気付いたが、ここは桔梗夫人の私室では無いだろうか。
生活の気配を感じる。
部屋同士を繋げる扉が開いていたので覗いてみれば、一部屋を埋めるような大きなベッドが存在感アリアリで置かれていたので間違いなくこちらが私室。
向こう側は寝室か。
……つまり、ここに何か証拠があるかもしれない……!
そう思い、女性の私室を荒らすのは申し訳ないが机を確認。
机の上には書類等も無く、ただペンなどが置いてあるだけだった。
引き出しを確認したいが、まだ瑠璃さんが部屋の外に居るようなので物音が出そうな事は却下。
次は本棚でも調べようかと思ったその時、机の足元、まるで隠すようにして一冊の本が置かれている事に気が付く。
……ダイアリー。
手に取って確認すれば、置かれていたのは鍵がついた日記だった。
女性の日常を覗くようで申し訳ないが、筋肉の力でグッとやって静かにバキッと鍵部分を壊して日記を開く。
鍵開けなんて高等技術は持っていないのだ。
ちょっと表紙カバー部分の生地が一緒にメリッと逝ったが、致し方ないと思う。
これで何も書かれてなかったらごめんなさいと一筆書いておこう。
……ベルギアさん曰く、可能なら彼女の悪行を暴いて欲しいって事だったから、あの人も善人ってわけじゃないんだろうけど……。
「…………え」
開いて中を確認して、驚愕した。
中に書かれている日付はまちまちで、あまり日記を書く人じゃないんだろうなという感じだった。
しかし、書かれている内容は酷く濃い。
濃度の高い、殺意と欲と暗殺の記録だった。
「出会いに、偽造した遺言書について……暗殺の方法、まで……?」
何故日記にそんな事を書いているのかもわからない。
わからないけれど、とても細やかにしっかり書かれていた。
まるで呟き系SNSでコンビニ行ったらこれこれこんな事が、と細かく書いている人のように。
「料理を担当すると宣言して、時々失敗もしつつ食べて貰えるよう信頼を得てから、ホウ酸団子を食べさせて……害虫駆除用のホウ酸団子を、セットする前に机に置いておいたら誤食したと発言……」
ひたすら泣きながらそれを告げるだけであっさり騙されてしまうなど、滑稽ですこと。
日記にはそう書かれている。
まるで、彼女に同情した人や真っ当に気遣った人をあざ笑うかのように。
「枕カバーの下にこっそりと殺虫剤を沁み込ませたハンカチを仕込んで、気化したソレを吸って死亡……ハンカチは焼却炉に捨て、警察には庭に居た蜂を旦那様が殺虫剤で退治してくれたと発言……」
その当主があまり虫が得意では無かった事、女性に格好つける癖があった事から、桔梗夫人に良いところを見せようとして殺虫剤を撒いたところうっかり吸い過ぎてしまったのだろう。
そう警察が結論付けた事に、日記の中の桔梗夫人は愉快そうな感想を書き綴っている。
「作る食事で、旦那様の分にだけ日に日に少しずつ塩や醤油を足していき、違和感が無いよう舌を麻痺させ、塩分過多にして食べる内容を調節し動脈硬化で……」
食事を作るのは自分だから、入れる食材を調節すればそんな事は容易いだろう。
時間こそ掛かるが、違和感なく確実性を持ってやるには精度が高い。
それならば違和感も抱かれず、更に自分で作っている分、自分の方には栄養調節の為の野菜などをこっそり仕込む事も可能。
「……あ、この名前」
塩分過多による暗殺をされた人の名は、ベルギアさんから聞いた名だった。
金の夜空を所有していた、本来の持ち主の名。
恐らく殺されたのだろうと告げられた名前。
「…………次の、ブレーキの故障はこの館の持ち主だった人か……」
元々新車が出たら買って乗り回すのが好きな人だったらしい。
その為だけに山を買い、峠道を走らせるのが好きだったとも書かれている。
だからこそ、ブレーキオイルに細工をすれば一発だったとも。
「……何て女だ」
自身の欲を満たす為、自分が自由に使えるお金の為だけに金持ちへと近付き、偽造して暗殺して全てを奪っている。
こういう人間が存在する事、そしてこういう人間の私利私欲の為だけに誰かを、そして俺の祖父を陥れて全てを奪ったのかと思うと、嫌悪が湧いた。
「つまり色々考えたらここか!」
「うわあっ!?」
日記に夢中になっていたせいで瑠璃さんの事をすっかり忘れていて、突然開いた扉と瑠璃さんの大声に思わず悲鳴を上げてしまった。
「中から物音や声が聞こえる気がするが恐らくは仕掛けられた録音機辺りだろうと考えてしまって手こずったが、逃げ損ねたようだな怪盗塩犬!」
「残念ながら逃げ損ねたわけじゃない……!」
いや実際に逃げ損ねただけなのだが、それ以外の目的があるのも事実なのだ。
「これを見ろ!」
「!」
今にも飛び掛からんとじりじり机の方に迫ってきていた瑠璃さんに、持っていた日記を投げる。
瑠璃さんはそれを難なくキャッチした。
単なる目くらましだと思っているようだったが、キャッチした時の衝撃で日記が開き、視界に入ったのだろう文字に瑠璃さんは濃い蜂蜜色の目を驚愕に見開く。
瑠璃さんはすれ違うだけでも記憶出来てしまう程に記憶力が良く、それはつまり、視界に入りさえすればそこにある文字を読み取れるという事でもあるのだ。
「こ、れは……まさか、桔梗夫人に関する噂は事実だったのか……!?」
薊さんのカフェ、獣の憩い場で瑠璃さん自身も桔梗夫人を疑っていた。
迫られた時のあの拒絶の態度は、実際の経験もあるが噂を警戒してのものでもあったのだろう。
一文字も読み逃すまいと日記のページを捲り始めた瑠璃さんを前にして壁を背にし、じりじりと扉の方へ身を動かす。
……とりあえずは瑠璃さんに証拠を見せる事が出来た……けどそれはそれとして金の夜空を奪取しない事には怪盗塩犬としてアウト!
一旦戻るべきだろうか。どうするべきだろうか。もういっその事桔梗夫人が身に着けてた偽物確保して持ってって本物かどうかを確認してもらおうかな。
「!」
そう思っていると、部屋の外に狐仮面が居た。
……嘘だろまた出たのか狐仮面!?
敵か味方かわからなくて、ベルギアさんに言わせると害が無いようで利害が一致しているなら良いんじゃないですか、との事だったが謎の人である事に変わりはない。
どうして俺の周囲には謎の人ばっかり発生するんだ。
もうちょっと瑠璃さんみたいに色々ハッキリさせておいてくれ。
「……?」
どうしたら良いのかと部屋の外に居る狐仮面と部屋の中心に居る瑠璃さんの両方を警戒していたら、狐仮面がちょいちょいと手招きしていたのでそちらへ近付く。
仮面でどういう目をしているのかは窺えないが、微妙な生温さを感じる笑みを口元に浮かべた狐仮面は胸元へと手を掲げた。
それは、手の上にある物を見せるように。
「これ、貴方のターゲットでしょう? 本物はちゃんと見分けられるようにならなきゃ駄目よ」
「あっ、金の夜空!?」
「何!?」
しまった、つい動揺して声が。
俺の声に反応し、日記に集中していた瑠璃さんの意識が廊下側に居るこちらへと向いてしまう。
「おバカ……」
狐仮面は出来の悪い子を持った母親のように額へ手を当てていた。
バレないよう声を潜めてくれていたのに本当申し訳ない。
「金の夜空……」
日記をスーツの中に仕舞い込んだ瑠璃さんは、狐仮面の手の上にある金の夜空へ視線を向ける。
「見せてもらった物と同じだとは思っていたが、さっきのはやっぱり嘘か!」
「そうみたいねえ」
「!」
気軽に手渡されたのは、金の夜空。
まるで狐仮面自身はその星々を模しているかのような金と宝石に興味など無いかの如く、当然のように手渡してきた。
次の瞬間、狐仮面は地面を蹴って距離を取った。
それと同時、すぐそこにあった窓が物凄い勢いで外に向かって開き、凄まじい勢いの風が吹き込む。
「ぐっ!?」
窓の直線状に居なかった俺、避けた狐仮面は無事だったが、直線状に居た為真正面から強風の直撃を受けた瑠璃さんは思わずといったように目を閉じ、口の中に強風が入り込んだらしく咳き込んでいる。
「私は余裕で逃げれるけど、貴方はどうなの?」
「……!」
その隙に小声で告げられた言葉に、気付く。
彼女は俺を逃がそうとしてくれている。
ここで逃げそびれたら逃げ切れるかわからない俺と、逃げ切れると断言出来る狐仮面。
更に金の夜空は手渡されていて、本物かはわからないけれど目的自体はしっかりと達成出来ている。
……窓が開いていて、瑠璃さんが風にやられている今が逃げる絶好のチャンス……!
「……ありがとう、狐仮面」
「どういたしまして」
すかさず窓枠に飛び乗って礼を告げれば、狐仮面は真っ赤なルージュが引かれた唇で弧を描いた。
彼女なら大丈夫だろうという根拠のない確信のまま、窓枠を蹴って飛び降りる。
途中あった木の枝を緩衝材に使用して着地し、振り返らずにとにかく走った。
背後から何やら愉快そうな大声が聞こえているけれど、それを気に出来る程の余裕は俺には無い。
・
「ただいまです……」
「はぁい、お帰りなさぁい」
走って走って、早めの時間なので人通りもまだ普通にあるけれど人目の少ない裏道などを駆使してどうにか質屋「秋桜」の中へと入る。
にっこり笑顔で出迎えてくれたベルギアさんが閉じた扇子で奥を示したので、無言で頷き奥でさっさか着替えた。
時間帯としては閉店時間だが、場合によっては今すぐにお願いしたいというお客さんが来るかもしれない時間帯に怪盗塩犬の恰好をした人間が居ては色々アウトだ。
そもそも、そんな事を気にするなら店となっているスペースで話すなという話だろうが。
「……というわけで、狐仮面が渡してくれたのがこの金の夜空なんですけど……」
「間違いなく本物ですねぇ」
指輪と一体型になっているかのようなデザインのブレスレットを受け取ったベルギアさんは、じっと見つめながらそう即答した。
「一度これを手にしておきながらあっさり渡した理由は不明ですがぁ、その狐仮面とやらが求めていた物では無いという可能性もありますし……大前提として目的が不明なわけですからねぇ。前回の話では怪盗塩犬が奪った物以外に盗まれた様子の物は無いとの事でしたが、本当に何が目的なのでしょうかぁ」
「……あの、前回の話での被害状態、何でそこまで詳しいんです……?」
「盗難品があるとぉ、流れてきてないかを調べる為に警察がいらっしゃるんですよ」
「それアウトでは」
「売ってはないので問題ありません。望むなら適当な物を盗んできていただければ買い取りますけどねぇ。足がつかないルートもありますしぃ」
「やりませんよそんな悪党染みた事!」
「怪盗も悪党ではありますが」
「やらせた人が言いますか……」
そう告げると、ベルギアさんはからかいが目的だったらしくケラケラ笑う。
祖父が奪われてしまった家宝を取り戻す為ベルギアさんの指示に従っているが、もしかしなくとも俺は決定的な選択肢を間違えてたりするんだろうか。
でも困っている人の為の盗みだし、なにより金で誤魔化す悪党の悪事を知らせるという大事な役目があるので、この案を一重に悪とも言い切れない。
悪だと言い切られたくなくて、そんな言い訳を脳裏で発生させているだけかもしれないが。
「……でも、助かりました。彼女もきっと喜びますよよぉ」
金の夜空を大事に仕舞い、ベルギアさんはいつも通りに右目を前髪で隠したまま、にっこりと人が良さそうな笑みを浮かべる。
「…………桔梗夫人の、前の旦那様の妹さんでしたっけ」
「ええ。個人として既に貰っていた分があったようなので路頭にこそ迷わなかったようですけどぉ、それが無ければ身売りでもしなければならない程に追い詰められてしまっていたかも。それでも兄に関わる品物が売られたら教えて欲しいと、お嬢様育ちで慣れていないだろう仕事に手を真っ赤に擦り切れさせながらもここに通う姿は美しいものです」
芯がある人は皆、花のように美しい。
「もっとも歪んだ芯をお持ちの方は、毒草のようですがねぇ」
クスクス笑い、ベルギアさんはマシュマロを浮かべたココアを飲む。
「……彼女の兄は女を見る目こそ死んでいましたがぁ、先を見る目はあったようで何よりです。そして今回の件で桔梗夫人の悪事は明るみに出る」
そうなれば、
「そうなれば、彼女のような被害者も出ないでしょう。他の方の行い如何によっては似たような被害者は出るでしょうが、少なくとも桔梗夫人による被害者は出なくなります。本日もお仕事、ご苦労様でした火和良さん」
「あはは……俺の場合、この後からバーのお仕事ですけどね……」
派手な運動の後にバーテンダーをしなくてはならないので、気を張らなければ。
時々女性の意見も聞かず勝手に度数の高い酒を頼む邪な輩も居るし。
……店長には、そういうヤツが居たら女性側の表情から嫌がってるかそうじゃないかを察して中身変えろよ! って言われてるし!
そういう場合はこっそりノンアルを提供している。
店長はお客さんからの信頼あって、シフトで無茶を言わない事からバイトや店員からの人望も厚く、本人もまた自分の好みでカフェ兼バーをやっているからそういう不埒な輩の巣になる気は無い! という人。
「俺はナリとテンションからして居酒屋のオッチャンみたいなヤツだって自覚はあるが、それはそれとしてオッチャンでもオシャンなカフェやオシャンなバーを経営したいとは思う! そうして夢を叶えたってぇのに下半身に脳みそあるような、どころか下半身にも碌な脳みそがねえような輩に利用される気なんざこれっぽっちもねえ! 良いな! 大事なのはそういうのでどっちの客も不快にしない程度に穏便に終わらせる事だぞ!」
見た目もテンションも居酒屋の方が似合いそうな店長はそう言っていた。
実際変なクレーマーくらいしか苦情は言ってこないホワイト営業なので、人望の厚さもわかるというものだ。
お世話になっている店長は勿論、そんな良い人のところを紹介してくれた薊さんにも頭が上がらない。
「…………って、もう時間じゃないですか! すみません俺はこれで!」
「はぁ~い。目的は達成したし報告も聞けたのでオッケーですよぉ。頑張ってくださいねぇ」
「はい!」
前回の反省を活かし、うっかり長引いても大丈夫な早めの時間にしてみたが、それでもつい時間は経過してしまうものだ。
次のシフト調整の時、もう少し遅めの時間を入れてもらえないか聞いてみよう。
基本的に俺のシフトは他のバイトや店員さんが入れない時間帯を担当しているが、夜間となるとこちらの睡眠時間を気遣って店長が一人でやってたりするので、多分通る。
それにあまり店長にばかり負担が行くのもなあ、と思いながら俺は走った。
これでも昔は走って新聞配達のバイトなんかをしていたので、足の速さと持久力には自信があるのだ。