不審な夫人
薫に依頼をしてから数日後、やってきた瑠璃の表情がいつもと違った。
瑠璃はこの店の常連であり、その理由は警察犬として優秀な子を探しに来ている……というのが表向きの理由。
実際は可愛らしい物好きな瑠璃が、自身の癒しを求めて可愛らしい動物達と可愛らしいラテアート目当てに来ているだけである。
だからこそ、毎回ラテアートを写真に撮っているのだろう。
……前に、SNSもやっていないのにどうするのよって聞いたら、疲れた時に見て癒されてるって言ってたものね。
瑠璃の記憶力ならばわざわざ見なくても問題無い気がするが、色々と気分が違うのだと思う。多分。
まあ思い出すのと写真とはいえその映像をしっかり見るのとでは違うのは当然か。
「顔色が随分とよろしくないけれど、何かあったの? 瑠璃」
「……カプチーノ」
「もう作って持って来たわ」
行儀悪くテーブルに突っ伏してピピピ達に毛先を啄まれていた瑠璃が、頭だけをむくりと起こした。
「……犬」
「ええ、今回はドーベルマンにしてみたわ」
「…………これを飲む事で俺は怪盗塩犬を捕まえられると思うか?」
「残念ながらそういうジンクスは無いわよ? あっても前例無いならわかんないし」
「そりゃそうだな」
深い深い溜め息を吐いた瑠璃は身を起こし、いつも通りに写真を撮っても良いかというやり取りをしてからカプチーノを一口飲んで温かい息を吐く。
「あの、何かあったんですか?」
「ん、火和良か」
「はい」
隣のテーブルに座っていた火和良の声掛けに、今気付いたとばかりに瑠璃が反応した。
「……え、まさか瑠璃さん、俺に気付いてなかったんですか!? いつももうちょっと反応するのに!」
「いや、目の前に来られれば流石にわかる。ちょっと、今はそういう余裕が無かっただけだ」
「あらまあ……実際、随分と目の下に隈が出来ちゃってるくらいだものねえ」
頬に手を当ててそう告げれば、そんな事になっていたのか、と瑠璃が目の下を指先で軽く擦る。
「……二人には前にも言ったが、俺は前回、怪盗塩犬とその仲間だろう狐仮面とやらを逃してしまった」
「あ、はい、聞きました」
「私のところには着物の匂いから追えないかって警察犬になったうちのワン連れて来たくらいだったものねえ」
「えっそれは初耳です!」
糸目のまま驚く火和良に、結局何も無かったのよ? と苦笑する。
「だって、うちのワンったら久々に会うせいかはしゃいじゃって。結局捜索どころじゃなくなっちゃったのよね」
「……それは、警察犬として、良いんですか……?」
「良くない、が、仕方がない部分でもある」
眉を顰める火和良に、瑠璃は仰け反るようにして背もたれに体重を掛けながら頭をガシガシ掻いた。
結んでいる髪が乱れるのもお構いなしだ。
ゆるくウェーブしている髪なので誤魔化しが利くかもしれないが、力強く掻いていたのでその一部だけがわかりやすく乱れている。
……あ、でもピピピ達がまた羽繕いみたいに毛を啄み始めてるからどっちみち乱れちゃうわね。
ふわふわしてる毛質がピピピ達からすると楽しいのかもしれない。
「まずここは人や獣の出入りがあるから匂いが混雑してんだよ。ペット同伴可だし、場合によっちゃ旅行時にペット預かりするくらいだし」
「ああ……そういえば俺が半年程住み込みさせてもらってた時もそうだったような……」
……だって、ペットホテルとかだとストレスが強過ぎる子も居るんだもの。
動物はきちんと順序だてて説明すれば意外とわかってくれる子が多いので、子供に伝えるように言えば大人しく素直にしていてくれる事も多い。
難しい言い方はせず、子供向けにわかりやすく簡潔に言うのが好ましい。
もっとも、流石にその子自身がこの場所を知っているかどうかで色々変化してくるので、キャリーケース越しだったとしても二回はこの店に同伴で来ている事がペット預かりの条件となるが。
……知っている場所かどうかっていうのはストレス的にも大きい差があるわよね。
置いて行かれる怖い場所、ではなく、飼い主と一緒に来た事がある何か色々居る場所、くらいの認識をしていてくれると話はスムーズだ。
あとは飼い主さんと一緒に居る段階で説明をし、他の動物達にその間サポートしてあげてねと言うくらい。
この世界がゲームだと自覚する前、恐らく知らない間にゲームと混ざった頃から動物達との意思疎通がしやすくなっている為に出来る荒業だ。
……あと、私が過剰干渉ってとこも大きいかしら。
普通ならこの数の動物を一人で相手は出来ないだろうし、複数人体制だろうペットホテルでも限界はある。
が、私の場合、複数居てくれないと可愛がり過ぎてストレスを与えてしまい最悪殺してしまうので、数が居る事はとても大事。
最低でも五匹以上は居る辺りお察しである。
「第一、狐仮面から預けられた物があるならともかく狐仮面に物を渡したってだけなら匂いを追い辛い。俺なら顔や骨格から個人を特定出来るかもしれないが、どうにもなあ」
「個人を特定って……」
火和良は顔を引き攣らせ、冷や汗を垂らす。
「さ、流石に出来ませんよね? そんなの。ほら、世の中にはお化粧や整形もありますし……」
「化粧に使用されるファンデーションなんかを目視で分析は可能だ。見ればわりとわかるし、表情の動きからどのくらい塗ってるかもわかる。整形に至っては人の手が入ってる分わかりやすいぞ」
「今、瑠璃さんが女性の敵になった事だけはわかりました」
「何でだ!?」
「女性相手に化粧を見抜いてしまうのは駄目です」
怪盗塩犬云々関係無く、火和良は真顔で首を横に振って淡々と言う。
「バーでも酒の勢いで女性に化粧の濃い薄いその他諸々を突っ込んだ男性は大概振られてますし」
「何だ、そういう意味かよ……いや、俺も流石に真正面からそういう事を言う気は無いし、警察官として誰かとそういう関係になるつもりも無いぜ? 仕事一筋な上、ちゃんと相手出来る程の時間を確保も出来ねえからな」
「あら、うちには来るのに?」
「癒しを求めて来てるから来れるんだよ。恋人ってなると対等を求められるから、癒しを一方的に求めるわけにもいかなくなる。そんな余裕が俺に無いからこそ、そこが厳しい」
顔を顰めてカプチーノを飲む瑠璃に、思わず笑った。
相変わらず真面目過ぎる程に真面目な男だ。
「で、結局何がそんなにお疲れの原因なわけ?」
「また怪盗塩犬から予告状が来た」
懐から取り出された、またもコピーなのだろう予告状に私は頷く。
「でしょうね」
「何だその反応は」
「だって怪盗塩犬と狐仮面の話題を出してきたって事はそういう事でしょう?」
「……ま、そりゃそうだな」
うん、と瑠璃は素直に頷いた。
「それで今度はどういう予告状なの? 見ても良いかしら?」
「おう、好きにしろ」
「あ、俺も後々うっかり口が滑るかもしれないので見たっていう事実をここで確保しておきたいです!」
「構わねえけどお前の日本語はどうなってんだ……?」
「あわわ」
「何やってるのか知らないけど、予告状見るわよ?」
今夜七時頃、沢菜館にある手首飾り、金の夜空をお迎えに上がります。
怪盗塩犬
「……前と同じような内容なのね。沢菜館っていうと、庭園が綺麗だからって時々記事にもなってる沢菜館?」
「ああ。家主は沢菜家当主の後妻だった、現未亡人の桔梗夫人。金の夜空を俺達警察も見せてもらったが、曰く、ソレは前の旦那が亡くなった時に遺産として引き継いだ物らしい」
そう告げる瑠璃の顔は、実に苦々しい。
これはカプチーノを飲んだ苦みによるものではないだろう。
「何か、懸念でも?」
「桔梗夫人は様々な男と結婚しては、相手が亡くなっている。勿論生前の旦那達とは仲睦まじかったと聞いているし、実際それまでの親戚達もそう言っているんだが……」
「……桔梗夫人は、それまでの夫達を殺して財産を自分の物にしている……という疑いですね?」
真面目な顔でそう言った火和良に、瑠璃はきょとんと目を丸くした。
「いや、まあその通りなんだが……よくわかったな」
「あっ!? あわわ、えと、その、あのですね、何となくそう思ったというか……そう! バーで色々話す人達居るじゃないですか! カフェとかで話す人も! ほらここでも世間話する人多いですしね! 俺住み込んでるとこの店長さんにここの味とか盗んで来いって言われてここで食事する事多いんでつい聞こえちゃうんですよ! それで知ったっていうか!」
「成る程、人の口に戸は立てられぬってヤツだな」
慌てる火和良のあからさま過ぎる説明に納得したらしく、ハァ、と瑠璃は溜め息を吐く。
「実際、事実よりも噂の方が広がりやすくはあるってのもなあ」
「噂の方が色々言えて楽しい、ってなるんでしょうね。だからといってそれを本当の事のように話して、その人に対する印象を悪くさせちゃうのはどうかと思うけど」
「他人の陰口も充分に名誉棄損になるから、やっちゃなんねえのは事実だぜ。刑法230条、名誉棄損罪。公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する」
「……書かれてるみたいにつらつら言うわね」
「書かれてたのを記憶してっからな。要するに誰彼構わず事実を適当にかいつまんで、それこそ受け取る側が違う印象抱くような言い方で言いふらすようなヤツは、相手の名誉を棄損しているってなるわけだ」
「現代社会、どれだけの人が名誉棄損してるのかしら。匿名性が高いSNSなんかじゃ頻度が凄そうだけど」
「訴えなきゃその辺は問題として発覚しねえよ。そも、裁判が手間だったりあんまり大ごとにしたくねえって事で見逃す場合も多いぜ。罪状として挙げられるくらいには大ごとなんだが……まあ、世の中には小さい事でもぎゃあぎゃあ騒ぐヤツも居るからなあ」
「それはそれでアウトよねえ」
「当然。度が過ぎれば偽計業務妨害罪になるだろうさ。とはいえそれが本当に嘘だったか、本人にとっては大きい事なのか……判断は難しいがな。勝手な思い込みで相手を悪だと通報するのは名誉棄損にもなるが、家に出たゴキを殺してくれっつーのは反応に困るぜ」
「あらまあ」
「それは……」
うわあ、と私と火和良は顔を引き攣らせる。
その通報を聞いている間にも本当に困っている人が居るかもしれない事を思うと、どうにもこうにも。
「それも頻度高く、虫が出たから、カビが生えたから、雨漏りだから……警察に通報する内容かどうかを考えろまずは! そのくらいの脳みそはちゃんと頭蓋骨ん中にあるんだろうが! 客観的に見てそんな通報するヤツをどう思うか一旦テメェで考えろ!」
「どうどうどう、警察が公の場で言う事じゃないわよ。カプチーノお代わり居る?」
「持ち帰りでサンドイッチ」
「はいはい」
サンドイッチは後で作るとして、まずはカプチーノを淹れた。
癒し重視という事で、可愛らしいウサギのラテアート。
「……可愛いな。写真撮っても良いか?」
「ええ」
いつも通りにほわほわした雰囲気を纏って写真を撮ってから一口飲み、はぁと一息。
「…………気が重い」
「さっさと捕まえてやる! って息巻いてるかと思ったのに」
「そう思っても居るが、前回が前回だったからな。あと桔梗夫人には不審な点があるのも問題だ」
「……ソレ、私や火和良が聞いても良い話?」
ふむ、と瑠璃は思案するように視線を動かして膝の上に座っているキュルルの頭を指先で撫でてから火和良を見た。
「火和良、お前は聞いちゃいねえか?」
「えっ何をですか!?」
一段落したと思って油断していたのか、火和良はドリアを食べる手を止めてビクリと肩を震わせる。
「桔梗夫人についての、他の話だよ。不審だって言われるような事についてのな」
「…………一つ、あります」
スプーンでドリアの一部をかき混ぜてチーズ部分と米部分を一体化させつつ、頭に小さいウッキーが乗っかっているままに火和良は言う。
「殆どの遺産が、桔梗夫人宛てになっている、と。それも旦那様ご本人が、生前は親族の方に渡すと言っていた貴重な図書や土地までも。桔梗夫人の方が大事にするからかと思いきや、愛着が無いかのように売っているという噂もあって……」
「そう、そこが俺達から見ても不審な点だ。生前の当主は勿論それぞれ性格もあるし、人柄も違う。しかし生前かなり真っ当で真面目で嘘など吐いた事が無く、有言実行を信念としていた当主も、遺言書では全てを桔梗夫人に渡すと書き残している。生前に間違いなく約束した証文があっても、だからな」
「前の釣浮瓢箪も、色々やらかしてたのが暴露されたって連日ニュースになってたけど……もしかして、今回もそういう系なのかしら?」
私はゲームをやっていた上にピピピ達に頼んで情報収集もしているので真相について知っているが、すっとぼけてそう首を傾げる。
「そこはわからんが、怪盗塩犬を捕まえればどういうヤツをターゲットにしていて、何を狙っていたのかはわかるだろうさ」
「あら、どういう人を狙うか、しばらく観察する……とかじゃないのね?」
「被害が出続けるようなら警察の名折れじゃねえかよ。今の段階でも、充分に腐った部分は多いけどな」
「警察が言っちゃ駄目な部分では……」
「警察だから言える部分だろ」
そういうもんかなあ、と火和良はぼやいた。
ファンブックなども買って読んでいた私からすると、実際そういうもんよ、と言いたくなるくらいにはそういうもんである。
少なくとも、怪盗を主人公とするこの世界では。