一方その頃
夜、釣浮邸から逃げ切った怪盗塩犬は息を切らせながらとある質屋へと辿り着き、疲れ果てた様子でその中へと入っていった。
「戻りました……」
「はぁい、お帰りなさいませぇ」
昔ながらと言える質屋の内装。
中は畳が敷かれており、その番台のようなところに座っているのはここの店主、木花ベルギアという男だ。
名前からするとハーフか何かにも思えるが、この男は色々と謎が多いのでよくわからない。
……というか、謎そのものって感じだしな、この人……。
怪盗塩犬、否、火和良はそう思った。
だってこの人は引きずる程に長い髪を、まるでストールのように肩の辺りにぐるぐる巻いているのだ。
それでもまだ長い髪なので、その髪は今まで切った事が無いのではと思わせる程。
前髪は切っているようだが、右側だけが長いその前髪は右目をすっぽりと覆い隠していて、片目しか伺えない。
和風な緑色の髪をそんなストールのように巻いているという事もあって、それだけでも変わった人とういう風貌だ。
しかしもっと変わっているのは、服装だろう。
首までピッチリ覆っているのに腹は覆っていないというよくわからん感じで布地の足りてない黒のインナー。
臍の斜め上には花のタトゥー。
……ステルンベルギア、だったっけ。
前にクロッカス辺りですかと聞いたらそう答えられた。
素人にタトゥーで見分けろと言っても無理な話だ。
ともかく、ベルギアさんはここまで見ればそこまで変でも無いかもしれない。
しかしまあ何というか、見せパンかどうかは知らないけれど布地の少ない黒のパンツっぽいものがズボンから見えているのはどうかと思う。
紐ではなく布地少な目なブーメランパンツっぽいし。
そうして縦のストライプなラインがピッタリ系の長いズボンに、やたら背の高いヒールというのがベルギアさんの恰好。
190センチに背の高いヒールを履いているので、細身なのに圧が物凄い。
ここまでの情報を纏めると色々弾けた感じの顔付きを想像するかもしれないが、意外にも顔付きは優しかったりする。
……それがまた変な人って印象になるんだけど。
顔付きだけで見ればツリ目でもタレ目でも無い、特徴らしい特徴は無く、何となく優しそうな顔付きという印象。
真っ赤な目にこの恰好となれば中々の近寄り難さが出そうなものなのにそれも無い。
本当、どうにも謎で不思議で掴みどころの無い人だ。
「さて、まあ守備は上々のようですがぁ」
ベルギアさんは人好きのするような優しい笑みをにこっと浮かべ、手元にあった扇子を持ち、広げないまま奥を差す。
「その恰好で居ると話してる最中万が一追手が来たら一発アウトなので、ささっと着替えていただけますぅ? あ、その怪盗服は元あった通り、奥の箱へ」
「はあい……」
周囲にはマイペースな人が多いが、この人も中々のマイペースだ。
・
ささっと着替え終わり、いつものシンプルな服へと戻る。
本日のバーのシフトは遅い時間からなので、まだ充分に時間はあった。
……というか今更だけど、このマズルガードから俺ってバレたりするんじゃ……。
恩人である薊さんから貰ったマズルガード。
試しにつけてみたら見事に良い仕事をしてくれていたので使ったが、アレで本当に良かったんだろうか。
一応ベルギアさんには大笑いされつつもゴーサインを貰ったが、今思うと大笑いが不穏。
……いや! でも頑張って目を開けて行ったし大丈夫なはず!
元々糸目なので目を開けるとなると常に目をかっ開く為に力が要るのだが、目を開けるとかなり目つきが悪いので印象はかなり変えられる、と思う。
年上相手に敬語を外して喋りかけるのは少々落ち着かなかったが、敬語や声色から察されても困るので致し方なし。
同年代や年下相手なら敬語を外すが、瑠璃さんと話す時は敬語なのでそこまで疑われはしないだろう。
……多分だけど。
そう思いつつ、戦利品を持って表へ戻る。
「お待たせしました」
「いいえ~」
にこりと微笑み、ベルギアさんは言う。
「それで、愛しの乙女は?」
「しっかりと」
「それは良かった」
愛しの乙女という名の女性用イヤリングを手渡せば、ベルギアさんは安堵したように目尻を緩めて受け取り、引き出しから取り出したケースへと丁寧に仕舞う。
「コレは元々とある方が所有していたのですが、騙し取られてしまったようで。大事な家宝だったコレをいつか娘の結婚式の際につけさせたいと思っていたようですが数年前に嵌められて手放す事になりましてねえ。もうじき娘の結婚式があるとかで、嘆いてらっしゃったのですよ」
「……お知り合いだったんですね」
「店主と客の関係ですよ。嵌められて借金が出来た時、家宝は守ろうとして色々うちに売りに来ましたから。そこで色々相談も受けたわけです」
残念ながら、私に出来る事はお仕事しかありませんでしたけどねぇ。
ベルギアさんはそう言って悲し気に微笑んだ。
そんな顔をするのに、俺を怪盗に仕立て上げるのだからよくわからない人だ。
……まあ、他の被害者の事を思えばただ盗むよりも悪事をバラした方が良いのはわかるけど。
そこまで考えて、お礼を言わなければならない事に気付いた。
「あ、そうだ。彼女、狐仮面はベルギアさんが手配してくれたんですか? お陰で色々助けられたんですよ。ありがとうございます」
「…………はい?」
「え?」
頭を下げたら何の話だという顔で首を傾げられた。
訳知り顔でそれは良かったとでも言うんだろうなと思っていた俺もまた虚を突かれる。
「…………えーっと、あの、狐仮面はベルギアさんが手配した方では?」
「存じ上げませんが、どちら様で?」
「えっ!?」
知らない振りではなく、本気で知らないらしい事が表情と声色からわかる。
色々と謎な人ではあるが、隠す事はあってもそこまで嘘を吐かない人だ。
その人が本気で知らない様子という事は、まさか彼女は本気のイレギュラーだったというのか。
「いやだから、狐仮面ですよ狐仮面! 通りすがりって言って登場した、目元だけを覆う狐の仮面をつけた、やたら露出の多い着物の女性! 彼女が俺をミサイルから助けてくれたんです!」
「ミサイルに追われるってどういうハリウッドですか」
「俺のセリフですけど!?」
確かにベルギアさんは、ある程度の情報は得られますがどういう何が仕掛けられているかは流石に一介の質屋店主にはちょっと、と言っていたがそのレベルでこちら任せだったのか。
「目からビームを放つ銅像とか! 絵画から銃弾とか! 扉を開けたら追尾ミサイルとか! そういう警備システムだったんですよ!」
「それはもう警備システムではなくキラーシステムでしょう」
「俺はそれを搔い潜ったんですが!?」
「ふぅむ……」
ベルギアさんは少し思案するように顎へとその細い手を添える。
「裏で流通しているアレコレも知っているので、そちらから得た瓢箪氏の情報からどういう物を所有しているか……そしてどういう隠し方をしているかは察していましたが、まさかそこまで阿呆な……いえ、独創的な警備システムを有しているとは思いませんでしたねぇ」
「俺はその阿呆に殺されかけたんですか」
「生きてるなら良いじゃないですかぁ」
「イレギュラーな狐仮面が助けてくれなかったら直撃はしないでも風圧で大分ボロッボロになってた予感がします!」
「今無事である事を喜べば良いのでは? かもしれないを愚痴るより、どうにかなった現実に感謝する方がずっと有意義だと思いますよぉ。先を見なければ人間の進歩は無いも同然ですからねぇ」
「今そんな話してないんですよ」
この人はちょいちょい人の話を聞かないから困る。
「それでぇ、狐仮面というのは一体どういった方で?」
「どういった方でって……ベルギアさんが知らないなら俺が知るわけ無いでしょう」
「会話をしたか、相手はどういう行動を取ったか……それらについてですよぉ」
「ああ、それなら……通りすがりと言ってました」
「成る程」
「あと、俺が探しても見つけられなかった証拠書類を彼女は見つけられたみたいで、瓢箪が捕まっているところに追い打ちのように証拠書類の雨を」
「ん? 捕まっている、とは? その時点では守られる側では?」
「あ、瑠璃さんが謎理論で俺も気付かなかった隠し扉を開けてその中に。そしたら中には愛しの乙女以外の色んなアレコレが仕舞われていて、瓢箪は即座に捕縛されたんです」
「本当に色々あったらしいというのはよくわかりましたぁ」
マシュマロが浮いているココアを湯飲みで啜りながら、ベルギアさんはそう言った。
彼はよくココアを飲んでいるが、何で毎回湯飲みなんだろうか。
マグカップの方が合うだろうに。
「……本当に偶然なのか作為的なのかはわかりませんけどぉ」
ほぅ、と吐息を零してベルギアさんは言う。
「少なくとも、その方も瓢箪氏の悪事を暴こうとしていたところは一致しているようですねぇ。利害が一致すると判断したから助けてくれたのか、それともまた別の理由があるかは不明ですが……まあ問題は無いでしょう。今後も頑張ってください」
「あ、やっぱり俺、今後も怪盗やるんですね……?」
「家宝を探し出したいと言ったのは火和良さんですからねぇ」
事実なので否定出来ない。
「そもそも、家宝が三つある事、そして誰かに奪われたという事。その二つしかわかっていないなら、奪われたとされる宝を手あたり次第探すしか無いでしょう。もしかしたら一緒に保管されているかもしれませんしぃ」
「そうなんですよねえ……」
それぞれ違う種類の宝とは聞いているが、だからといってそれが何かはわからない。
わかっているのは、我が撫子家は元々由緒正しき家柄であった事と、祖父の代で全てを騙し取られて路頭に迷ったという事だけ。
家宝についての詳しい事を聞くより早く、今から数年前に息を引き取った祖父。
その祖父の無念を晴らす為にも、取り戻さなくては。
そして他の被害者が出ないよう、悪党金持ちをしょっ引かせなくては。
……ちゃんとした証拠を警察に見せれば動いてくれるけど、疑いのままでは金で丸め込まれてしまうから……。
路頭に迷った時点で両親は別れてしまったそうだし、それぞれ自分が明日生きる為のお金を稼ぐのに必死だった事から俺は祖父に預けられた。
祖父との暮らしも貧乏だったが、それでも祖父は老体に鞭打って俺を育ててくれたのだ。
その恩には、何が何でも報いなければ。
「ところで、お時間は大丈夫なので?」
「え」
閉じられた扇子の先で示された時計の針は思っていたよりも進んでいて、シフトの時間が脳裏を過る。
「ヤバい住み込みで働かせてもらってるのに遅刻とか心証が! それはともかくとしても薊さんの顔に泥を塗るのだけは嫌だ! すみません帰ります!」
「はぁい、ではまた次の目的の品が見つかったらお知らせしますねぇ」
背中にそう告げられながら、俺は慌ててバーまで走った。
・
翌日、薊さんのカフェへ顔を出すと、動物のコンパニオンにきゃあきゃあしている店内の中、一つのテーブルだけが陰鬱な空気を纏っていた。
そこに座っているのは、昨日怪盗塩犬としても顔を合わせた瑠璃さんだ。
「あのー……瑠璃さん?」
「おう……火和良か」
のそりと身を起こすその動きは熊のようで、目の下には熊ならぬ隈がごってり染みついていた。
どうやら徹夜していたらしい。
「何かあったのでしょうか……?」
「ちょいと、昨日話した怪盗塩犬関連でな。怪盗塩犬じゃねえヤツの罪やら、今までの裁判やら諸々の不正が発覚したもんだから会話内容やら何やらを署で俺が仕分けて……」
「瑠璃さんがやったんですか!?」
「一度見聞きすれば覚えるからって事で、わざわざ呼ばれたんだよ……」
「昨日は一段落したからって私のところに聞き込みに来たんだけど、その後も呼び出しされちゃったみたいなのよねえ」
クスクスと困ったように微笑む薊さんがテーブルに置くのは、カプチーノではなくホットミルク。
ほんのり香るのは蜂蜜だろうか。
「……おい薊、俺が頼んだのはカプチーノだぞ」
「昨夜も飲んだでしょ。この後も招集される可能性があるならソレ飲んでここで数分でも良いから寝ちゃいなさい。ずっとぶっ続けで活動するより、少しでも休んだ方が意識はスッキリするわ。本気で疲れてる時って、数分でも不思議な程スッキリするし」
「それはそうだが……」
「人の気配がしちゃ寝れないって言うなら、動物の気配が多くても良ければ空いてる部屋に案内しましょうか?」
「家主が働いてるってのに、年頃の女の家で一人ぐっすり寝れるかよ。色々アウトだ」
「…………色仕掛けに弱いってわけでも無いタイプの堅物よねえ、瑠璃って」
「実家は女系ってのもあって女の方が立場が強い。貞操関係についてはとびきり厳しく叩き込まれた」
「そうみたいね」
語る瑠璃の顔が真っ青になっているので、相当怖かったらしいというのは察した。
「ったく……そもそもこのご時世に何で怪盗なんて……お陰で助かりはしたが……」
「助かったなら良いじゃない」
「予告状の意味もわからん……出すな……」
仕事が増える……、と瑠璃さんはぼやく。
「え、でもお邪魔するわけですし先にちゃんと行きますねって連絡は必要じゃないです?」
「あ?」
……あっしまった!
そのつもりもあって出したのでうっかり喋ってしまったが、俺はあまり事情について知らない身だった。
なのに本人みたいな事を言ってしまった。
いや本人なのだが、本人とバレては困る。
……い、一応予告状に関しては俺も知ってるからセーフ……になるのか!?
瑠璃さんは聡いので怖い。
「…………そういう可能性も、あるのか?」
「少なくとも塩犬って名乗る理由が火和良の言ってたソルティドッグ云々なら、あり得るかもしれないわねぇ。真面目だけどちょっとズレてる、って性格なのかしら?」
「成る程、そういう可能性もあるか。警察内ではそういう発想が出ないから新鮮だな……覚えておこう」
誤魔化された! 誤魔化されてくれた! 良かった!
安堵にこっそり胸を撫でおろす。
何も知らないだろう薊さんだが、前回といいナイスなフォローを入れてくれてとても助かる。
まるで何もかもを知った上でフォローしてくれているかのようにも感じるが、完全なる偶然だろう。
いやあ、周囲の人に恵まれていて本当に良かった。