何よ文句あるの?
夜闇に紛れながら、暗視スコープも兼ねた双眼鏡で釣浮邸を見る。
警備の為に警察が配備されているが、どうやら主である釣浮瓢箪の意向により屋敷の中には警察を配備していないらしい。
……まあ、そりゃ配備なんて出来ないでしょうしね。
上手く隠しているが、万が一もあり得るのだから。
そもそも愛しの乙女自体が上手く隠されていたものである。
「ええい、忌々しい!」
中肉中背、老人には一歩足らず中年と言うのが似合う男が、待機している瑠璃の近くをせわしなく動いていた。
彼こそがこの屋敷の主、釣浮瓢箪。
玄関前にある、女神像が飾られた噴水。庭を彩る花々に整えられた石畳など、釣浮邸は実に洋風かつ豪奢な庭が広がっている。
もっとも、その美しい景観は警備の人達、そしてせわしなく動く家主によって台無しとなっていたが。
「塩犬などとふざけた名を使いおってからに! 儂の大事な宝を狙うなど不届きにも程がある!」
「…………」
「良いか貴様! もしこれで本当に愛しの乙女が奪われでもしてみろ! そうなれば全て貴様の責任じゃからな! 全く納税した高額の金が貴様らなんぞの給料になっておるとは、何たる無駄遣いである事か!」
「…………」
「そもそも何をすまし顔で突っ立っておる! ただ突っ立っておっては塩犬とやらが来ても対処出来んのではないのか!? もっとしっかり見張れ! 見回れ!」
「…………お言葉ですが」
今にも溜め息を吐きそうな低音で、スーツ姿の瑠璃は言う。
「屋敷内での警備はしない。庭をうろちょろしない。この屋敷の敷地内に入る者は最低限。そう決めたのは貴方のはずでは」
「当たり前じゃ! 屋敷内での警備をして貴様らの中に不届き者が混ざっておったらどうする!? 庭も同様! 何を仕掛けられるかわかったものではない! そして敷地内に入る人数を制限するのも当然! 人が多ければその分だけ紛れ込みやすくなるではないか!」
「私は部下全員の顔、体格を記憶しているのですり替わる事等不可能です」
「貴様如きがこの儂に口答えするな!」
……あららあ、凄いキレてるわねえ。
というか叫んでいる瓢箪の方はともかく、瑠璃は淡々と話している。
そして私が居る位置は彼らからそれなりに離れているのに、声が届く。
つまり瑠璃は相当苛立っているようだ。
……この距離で聞こえるって事は、感情を抑え込む為にいつもより大きい声を出してるって事だもの。
まあ、あんな面倒そうな老人一歩手前の中年男にヒステリー起こされたなら無理も無いが。
「……そろそろ八時になりますが、愛しの乙女という名のイヤリングはどこに保管されて」
「貴様何故場所を探ろうとする!? 貴様が塩犬か!?」
「保管されている場所がわからなければ守れません」
「誰が言うか! 儂が言わなければ愛しの乙女は誰にも奪われずに済むのだからな!」
「例えばこの女神像が持っている壺の底を回転させると、二重底になっている蓋が外れて中から美しきネックレスが出て来るように?」
「そう! …………あ?」
視線が集まる先は、玄関前の噴水。
そこに飾られている大きな女神像が持つこれまた大きな壺の上に、その影は立っていた。
「いやあ、遅刻してしまわないかと心配で八時頃と書いたが間に合って良かった!」
大仰に両手を動かして、男はそう告げる。
執事が着ていそうなコートを着こなした男は長い藤色の髪をうなじの位置で結んでいた。
人相を悪く見せる睨むような細い目は、しかしまるでダイヤモンドのように白とも銀とも言えない輝きを放っている。
が、それよりも何よりも特徴的なのは、口元を覆うマズルガードだろうか。
金属の光を放っているそれは人間の顔にあるにはあまりに違和感が強く、一気に輪郭や顔の印象を上書きしてしまう。
実質マスクをするよりも素顔が隠れていないのに、目元の印象すらもかすんでしまう程のインパクトがあった。
……ゲームじゃ何度も見た顔だけど、実際にこうして見ると本当に顔の印象が眩むわね……。
立ち絵でもそうだったのだから、まあ当然か。
そもそもそれが目的なのだし、顔を隠せる物が欲しいと言われて渡したのは私だ。
原作でもそうだったし、丁度良く貰い物のマズルガードがあるからと渡した。
うちのワン達には不要なので一度も使わず置いてあり、新品同然だから丁度良いと思って。
……ええ、だってマスクみたいに呼吸を制限されず、でも顔がわからなくなるような、かといって視界が制限されるわけでも無いような何かって言われたら原作のイメージもあってアレを出すしかなくなるもの!
というか本当、隠すつもりあったんだろうか。
めちゃくちゃあからさまだったのだけれど。
「き……貴様! その手にあるものは!」
「何だ、気付くのが随分早かったな。意外と冷静に見る目はあるのか? それとも欲に目が眩み過ぎた結果、自身の宝についてだけは反応が早くなったのか?」
そう煽るように言う男の手には、やたら豪奢なネックレスがあった。
ハリウッド女優の首元を飾っていそうなデザインのネックレスだ。
「怪盗塩犬、挨拶として先程言った通りのやり方でこちらを取り出させてもらった。勿論これは目的の物では無いから貰っていくつもりは無い……と言いたいが」
夜空を照らす月明かりと庭を照らしているライトを反射しキラキラ光る細い目を眇め、怪盗塩犬は言う。
「元の持ち主に返すつもりが無いなら俺が返そう」
「返すだと!? 盗人風情が猛々しい! それは正式に! 儂へと献上されたものだ!」
「詐欺染みた高利貸しの結果、相手を追い詰めて奪い取った品だろう」
「ええい証拠も無く何たる言い草か! 警察は何をぼうっと突っ立っておる!? 今すぐにアイツをひっ捕らえよ!」
「総員、怪盗塩犬を確保!」
「「「ハッ!」」」
瑠璃の指示に従い動いた警官が一斉に怪盗塩犬が居る噴水の方へと迫る。
「おっと」
怪盗塩犬はそれに驚く様子も無く、警官が次々女神像を上ってきたのを見て飛び降りた。
「ギャッ」
「痛っ」
「アーーーーッ背骨の駄目なトコォ!」
「ウワッそれはすまない! お大事に!」
最後何かおかしかったが、とにかく怪盗塩犬は下に居た警官達の無防備な頭や背を踏み場にして警官隊の波を突破する。
「ともかく失礼!」
「させるか!」
玄関から屋敷へ入ろうとする怪盗塩犬に、瑠璃が飛び掛かる。
しかし直後、怪盗塩犬は先程から手に持っていた光る物を空高くへと投げ捨てた。
「ああああああ! 儂の大事な宝が! おい警官今すぐあちらを優先しろ! 儂の宝が! あんな高さから落ちては!」
「問題ありません!」
瑠璃はそちらに気を取られる様子も無く、怪盗塩犬の胸元を掴もうと何度か拳を繰り出していたが、怪盗塩犬も胸元を掴まれ動きを封じられないようにと避ける。
「あれよりも怪盗塩犬の捕獲を優先します!」
「良いからあれを受け止めろ!」
「……了解」
チ、と小さく舌打ちを零した瑠璃はすぐそこまで落ちて来ていた光る物をジャンプでキャッチした。
「よしよくやった! 貴様も少しは役に……は?」
しかしソレは先程のネックレスではなく、
「…………女児向け食玩のネックレスです」
豪奢な飾りではあるし光を反射して輝いてはいるものの、先程のネックレスとは比べ物にならない代物だった。
「な、な、な……!」
「だから問題無いと申し上げたでしょう」
すり替えに気付いていた瑠璃は肩をすくめて溜め息を零す。
「ところで怪盗塩犬は屋敷内へと入ったようですが、屋敷内への突入が許されていない我々はどうすれば良いですか」
「ぐずぐずするな木偶の坊共! 今すぐに屋敷へ入りあの盗人を捕まえろ! もし逃がすようなら貴様らがどれ程役立たずだったかを語ってやるからな! 出世は一生出来ぬと思え!」
「総員突入!」
瓢箪の言葉に一瞬だけ面倒臭ぇという顔をしつつ、瑠璃は指示を出し部下達と共に突入した。
「…………じゃ、私も行こうかしら」
……確か原作ゲームの第一話、屋敷に突入してからが大変そうだったものね。
・
「うわああああああ!」
屋敷の廊下を怪盗塩犬が必死の形相で走っていた。
額に汗が浮き出る程には必死の形相だ。
「何なんだこの屋敷は!」
ダッシュで逃げる怪盗塩犬の背後からは、少なくとも一般的な金持ちの家の中にあってはいけないだろうミサイルが迫ってきていた。
鈍く黒く輝くその姿はマジな死を連想させるヤベェ圧を放っている。
「ええい入って早々に竹槍が仕込まれた落とし穴かと思えば飾られている像の目から出ているのは警報装置のセンサーじゃなくて本気のビーム! 挙句肖像画の口から銃弾まで……そして扉を開けたら追跡ミサイル!? ここは治外法権か!?」
……さっきまで格好つけてたけど、やっぱりこっちの方が怪盗塩犬らしいわ。
原作の彼は大体こんな感じだった。
しかし今は知り合いでもあるので、目の前でミサイルに追われている彼を見捨てるわけにもいかない。
「ハァイ、大変そうね」
「えっ誰!?」
「通りすがり」
念の為の変装として、前に一度私服として来たら流石にちょっとと言われまくった服を着ている。
袖が無く谷間はガッツリなミニ丈の着物に、二の腕の位置で締める事で固定する袖、慣れたガーターベルトに背の高い下駄。
倉庫で最初に見つけた口元部分が無く目元だけを覆うデザインの狐面を被り髪を解いただけの姿だが、目を覆うだけでもかなり人相は隠せるものだ。
実際気付かれなかったのでちゃんとどうにかなっているらしい。
……私のピンクな髪色でバレるんじゃとか、声変えてないからわかるんじゃとか思ったけど、まあそこはそういう世界だものね。
そう、彼を主人公としたゲームの中のこの世界。
怪盗塩犬である撫子火和良が、大事な物を取り戻そうとして悪党から盗みを働くストーリー。
大事な物が奪われた事しかわからず、それ故に奪われたとされる物を片っ端から奪ってはこういう悲惨な目に遭うのが彼だ。
……っていうか悪党達の仕掛けるトラップの殺意が高過ぎるっていうか。
追尾ミサイルとか頭イカれてるんじゃないだろうか。
勿論本気のミサイルなら逃げられないだろうけれど、本気過ぎるミサイルではソニックブームで屋敷ごとサヨナラするからこの速度になっているのか。
わからないが、元々あのゲームはギャグ風味だったのでそういう部分もあるのかもしれない。
「というかこれ、被害者増えただけじゃないのか!? そして貴女は本当に何なんだ!」
「通りすがりって言ったでしょ」
走りながら片手で窓のカギを外して開ければ、そこからホーがやってきたので肩へと乗せる。
「何!? フクロウ!?」
「あら、フクロウが突然入ってきちゃいけないの?」
「普通はいけないと思う!」
「今のこの状況下で普通を謳えるなんて随分余裕なのね、貴方」
「余裕が無いからこの反応になってるんだよ!」
まあごもっとも。
なので近くの飾り用な贋作だろう絵画を掴んで投げて真正面の窓を叩き割ってから、隣を走る怪盗塩犬の胸倉を掴み、押し倒すようにして曲がり角、銅像と壁の隙間へと隠れる。
「痛っ」
その間に怪盗塩犬の髪を一本拝借して、ホーに任せた。
ホーは当然のように怪盗塩犬の髪を咥えて割れた窓から飛び去る。
「……え……?」
追尾ミサイルもまた、ホーを追って割れた窓から飛び出して行った。
「な、何で……」
「生体情報と体温で追尾しているタイプだもの、アレ。人間よりも体温が高い恒温動物って多いし、鳥ってタンパク質が壊れるギリギリまでの体温だったりするのよ?」
「あ、あのフクロウの体温と俺の髪で誤魔化したのはわかったが、あれじゃあさっきのフクロウが!」
「大丈夫」
窓の外を指差せば、追いつかれそうになったホーが咥えていた髪を捨てて素早く方向転換しどこかへ消えた。
追尾ミサイルは追っていたはずの体温情報を失い、追っていたはずの生体情報は体温を失い落ちていく。
髪なんかを撒いて誤魔化されないようにと体温の無い生体情報は追わないようプログラミングされているので、対象を突然ロストしたミサイルは、
「どっかーん」
私のそんな呑気な声をかき消すような爆発音が屋敷の外から響いてきた。
ビームを放っている銅像の背後に隠れていたから良かったが、割れた窓から中々の音と風。
「……とんでもないものを屋敷内で放つつもりだったのね」
「え!? 何!? 何も聞こえない!」
怪盗塩犬は耳を塞ぎ損ねたらしく、混乱したようにそう叫んだ。
成る程耳がやられたらしい。
まあギャグ補正ですぐ治るだろうから良し。
……というか、思ったよりもどうにかなるものね。
結構博打だったのだが、公式設定資料集を読み込んでいて良かった。
原作の怪盗塩犬は銅像のビームに当ててドッカンして爆風にぶっ飛ばされていたので、耳がキーンとするくらいで済んだなら上々だろう。
……あら、そろそろかしら。
「こっち」
「うおっ!?」
「しー」
静かにのジェスチャーをすれば、怪盗塩犬は素直に黙る。
間もなくして、先程の爆風によってエラーが発生したのか目から放つビームが消えた銅像達、が並ぶ廊下の向こうから瑠璃達がやってきた。
「まったく、この屋敷はどうなっているんだ……頭上から鉄の針が生えた天井を落とすか普通!? ここはどういう迎撃施設だ! そもそもさっきのミサイルも個人が所持して良いものではないだろう! 爆発物取締罰則も知らないのか!?」
近付いてくる瑠璃と部下達の足音に、怪盗塩犬が震え始めた。
大丈夫だという意味を込め、その頭を撫でる。
……ええ、だって大丈夫だもの。
見上げて来た怪盗塩犬に、私は真っ赤な口紅を塗った唇を笑みの形にして応える。
「…………先程のミサイルはあそこから……つまり、追われていた怪盗塩犬が近くに居るという事か!」
瑠璃は記憶力が良く、しかも賢い。
更に異様な程運に恵まれているという、何があっても死なないだろう安心感がある男。
「爆発からの時間、移動の動きからして恐らくこの廊下のどこか……」
片やこちらは瑠璃達がもう少し近付けば普通に見えるだろう位置に隠れているという絶体絶命さ。
しかし、これで問題は無いのだ。
「……わかったぞ!」
何故なら瑠璃は、
「先程までの仕掛けからすれば壁に隠し扉があるのは確実! ヤツはそこに隠れたに違いない! 先程までの罠の配置に銅像の配置、そして天井と壁の間にある僅かな違いを見れば……ここがスイッチか!」
頭が良すぎるせいか、回りくどく考えてしまう癖があるから。
そしてガチで隠し扉を発見して扉が開くんだからあの男は凄い。
……まあつまりは、私達が隠し部屋に隠れてたらアウトだったって事なんだけど。
瑠璃は巧妙に隠されている物程容易く暴く。
逆に言えば、歩いているだけで見つけられたり上を見るだけで見つける事が出来たりするような位置に隠れていると、全く気付かず別方向に行ってくれるのだ。
「階段があるが……この奥に怪盗塩犬が隠れているのか! いや、隠されているという事はここに愛しの乙女が置いてある可能性が高く、窃盗の為に入ったやも」
「待て貴様ら何をしている!?」
瓢箪がやってきた。
「儂は怪盗塩犬を捕まえろと言ったのじゃ! そこへの立ち入りは許可しておらぬぞ!」
「だが怪盗塩犬が居るとすればここしかありません!」
瓢箪の方へと振り返り、既に階段奥の突き当たりへと到着した瑠璃が扉を叩いて主張する。
「中に入り確認しなくては!」
「ならぬ! ならぬぞ! そこを開ける事だけは!」
「「あ」」
隠し扉の方へと視線が集中しているので逆側の壁の方に寄りつつ警官隊の後ろから覗き込めば、奥の扉は押戸だったらしく、先程の衝撃でゆっくりと開いていく。
その向こうには、輝きがあった。
「――! 総員釣浮瓢箪を押さえろ!」
「「「ハッ!」」」
「なっ、貴様ら! 何をする! 離せ! 離さんか! その部屋を見るなあ!」
「…………その部屋というのは、この盗品部屋の事か?」
瑠璃は酷く冷たい、底冷えするような低音で言う。
「盗品届が出ている品がここから確認するだけで十七品。あそこに飾られている絵画は数年前美術館で見た覚えがある。左上から右下方向へと七センチの位置にある二ミリの汚れは間違いなくあの美術館で見た品に間違いない。ここ最近一部で贋作疑惑が出ていた事は知っていたが、お前がすり替えたのか?」
「知らん! それは儂の宝じゃ!」
「お前の宝じゃないだろう」
瓢箪を押さえつけている警官隊の背後、階段上の廊下から怪盗塩犬がそう告げた。
「……怪盗塩犬」
呟く瑠璃には何も返さず、怪盗塩犬は言う。
「裏でやっている高利貸し。そうして債務者の首を回らなくさせ、金の代わりに別の物を出させた。ある者は家宝を差し出し、ある者は自分の技能を贋作作りに利用された! それがそのコレクションルームの真実だ!」
「だから何だ!?」
警官達に抑え込まれながらも尚、瓢箪は抗う。
「証拠はあるのか!? そも高利貸しの何が悪い!? アイツらは確かにそれに納得した! そもそも高額の借金をしたのはアイツらではないか! 第一贋作を作らせたところで、それをすり替えた証拠は!?」
「……証拠は」
私は顔を顰める怪盗塩犬の肩を掴み、割り込むようにして階段下に居る皆へと姿を見せた。
「ここにあるわ」
袖から出した書類の束を、バサリを撒く。
広がるのは随分大きな紙吹雪。
しかしそれは綺麗とは言えない事実が書かれている代物だが。
「狙った物を所有していた、あるいは得る為に必要な技能を持っているからってだけの理由でわざわざお金が必要な状況を作るだなんて、酷い男」
そう、書類にはそれらの証拠が残っていた。
様々な細工をした事、それにより借金をせざるを得ない程追い込まれた人々に高利で金を貸した事、その対価として家宝や技能等を求めた事。
「一部は金遣いの荒い孫や入り婿をそそのかして素寒貧にしてそれらを持ち出して寄越すよう言ったみたいだけど、でっち上げた事故で賠償金を支払わせて借金を負わせたりもしてたみたいね。あらあらこっちは弁護士や裁判官もグルだって証拠が書かれちゃってるわ。たぁいへん」
「き、き、貴様ァ……ッ!」
「貴様だなんて失礼ね」
背の高い下駄をハイヒールのようにカツンと、否、カロンと鳴らして私は告げる。
「私はただの通りすがり。強いて名乗るなら狐仮面、というところかしら」
「ふざけておるのか!?」
「何よ、私が狐仮面である事に文句でもあるの? 誰が何と言おうと、私の名前は狐仮面よ」
この世界においてネーミングセンスなどは諦めた方が良い代物だ。
怪盗塩犬というネーミングの時点で、この世界のネーミングセンスが死んでいる事はわかりきっているのだから。
私自身も、この世界に居ると知ったらネーミングセンスが驚く程に死んでしまった。
最早呪いとしか思えないレベルで。
「……狐仮面」
「あら、何かしら怪盗塩犬」
「この書類はどこで見つけたんだ? 俺は探したのに見つけられなかった」
「その挙句がミサイル?」
「…………」
「うふふ、冗談よ。ちょっとトークを弾ませようとしただけじゃない」
クスクス笑って、私は答える。
「隠し扉があるように、隠し通路があるのは当然よね。何よりこんなにも危ない屋敷なんだもの。普段は機能をオフにしているとしても、安全なルートがあるはずだわ。だからそのルートで行ったのよ」
探し方はチュー達に中へ行ってもらい、地図を描き上げるだけ。
ネズミ一匹通さないようなトラップがあったって、人間が入れるならネズミも当然入れるのだ。
どこにでも入り込めるスーパーな頭脳をお持ちのチュー達を舐めてはいけない。
「……成る程」
ふ、と肩から力を抜いて微笑んだ怪盗塩犬は、懐からとある物を取り出した。
「釣浮瓢箪! お前の持つ愛しの乙女は既に俺がこの手に取った! これは俺が予告状を出した物だから持ち帰らせてもらう」
が! と叫んで怪盗塩犬は手に持っていたイヤリングを手の内に隠したかと思うと、次に手を開いた時には噴水のところで持っていたネックレスへと変わる。
「これは俺のターゲットじゃ無い。これもまた盗品だから、他の物と共に持ち主に返してやってくれ。証拠が無ければこの町の金持ちは金をバラ撒いて隠してしまうが……これだけの証拠があれば逃げられないよな」
「ああ」
瑠璃は階段下という光が少ない場所に立っていてもよく見える、濃い蜂蜜色の目で応じた。
「必ず返そう」
「……任せた」
怪盗塩犬が投げたネックレスを、瑠璃は掴むようにしてキャッチする。
「……で、俺はお前達を逮捕すべきか?」
「今日のところはそっちの下手人を逮捕していてもらおう! 俺は目的を達したから帰らせてもらう! 俺を捕まえようとして瓢箪の拘束を緩めてでも動員しようとか思わないでくれよ!」
「私もこれ以上居座る理由無いし、帰ろうかしら。というか不法侵入も器物損壊もしちゃったけど、私はただの通りすがりだから逮捕しようなんてしないでちょーだい」
初速で負けたら捕まるかもと思い、怪盗塩犬の動きに合わせてパッと身を翻す。
幸いにも庭に居た警官は全員屋敷内へと突入していたので、先程ミサイルがぶち壊した窓から飛び降りればすぐに外だ。
ここは三階の高さだけれど、ゲーム世界効果か異様に上昇している身体能力があれば猫のように着地出来る。
……猫のようにというか、狐だけどね。
待てという瑠璃や警官の声を背後に、私と怪盗塩犬はそれぞれ別方向へと素早く逃げた。
怪盗塩犬は元々逃げ足がピカ一なので、幸薄体質な彼を狙い撃つようなトラップさえ無ければ百発百中逃げられるのだ。
なので後の心配はせず、自身の為に素早く逃げる。
……今日は帰ったらすぐシャワーを浴びて泥のように眠りたい気分だわ。
ゲームで見た始まりの第一話。
それに混ざれた喜びと興奮、そしてあれだけ動いた疲労が混ざれば、まだ早い時間だというのに凄まじい眠気が襲ってくるのも不思議ではなかった。