怪盗塩犬
片手で持ったカップに対し、手慣れたようにひょいひょいともう片方の手を動かしてカップの中をキャンバスとして絵を描く。
実際毎日やっているのですっかり慣れた動きだ。
小さなカップの中にエッチングで描かれた猫は伸びをしていて、今にも動き出しそうな仕上がりとなった。
……うん、我ながら上出来ね。
キッチンから出て数歩のカフェスペースに足を踏み入れれば、動物と触れ合えるカフェらしくそこら中に動物が居る。
足元をうろちょろする小さなワンやニャーに笑みを浮かべながら、私は常連客にいつものを出した。
「はい、瑠璃。いつものカプチーノよ」
「おう、ありがとな薊」
瑠璃はそう言って左手に持って読んでいた本をテーブルへと置き、膝の上に乗せて右手で撫でていた猫の顎から手を離す。
「ほぉ……今日は猫の伸び姿か。良いな」
「それは良かった」
「ちなみに写真は」
「構わないわよ」
いつも撮ってるじゃない、と常連であるこの男に私は苦笑して返した。
雛菊瑠璃、がラテアートに目を輝かせている男の名である。
生やしている顎髭は三十を超えたとは思えない童顔さを隠すものだが、相変わらず似合っているかというと微妙な出来だ。
……まあ、髪型も相まって下手すると女性に間違われるくらいだものね。
ウェーブのある濃い青色の髪は短いと広がって纏まらないからと肩まで伸ばし、うなじの辺りで一つに結ばれているのだが、それに童顔が加わるとナンパされる事さえあった。
喋ると中々に低い声なので一発で男とわかるのだが、見た目だけだと遠目からでは誤魔化されるのだ。
まあ、本人はそれを嫌がって顎髭を伸ばし始めたが。
「いつも撮ってるとはいえ、いつルールが変わるかわからんからなあ。職業的にも毎回聞かんと安心出来ん」
「律儀ねえ」
瑠璃の職業は警察だ。
階級は知らないが、彼は記憶力も運も良いのでそれなりに高いんだろうと思う。
部下が結構居る時点で、それは当然の事だろうけど。
……ええ、だってそういうキャラクターだものね、瑠璃って。
そう思いつつ、満足したような笑みと共にスマホを仕舞った瑠璃へと問う。
「で? 他にも軽食なんかは頼まれるのかしら?」
「いや……あー、そうだな。今日は夜勤が確定したから頼んでおくか。持ち帰りも頼む」
「はぁーい。で、ご注文は?」
「今ここで食うのはオムライス。持ち帰りはサンドイッチで」
「了解。オムライスの卵の具合はふわとろと昔ながらのどっち?」
「ふわとろ」
「デミグラスソースとケチャップは」
「ケチャップ」
「そこはケチャップなのね」
相変わらず膝に乗せた猫の顎を撫で続けている瑠璃に思わずクスクスと笑い、承ったわ、と告げた。
「ちなみにサンドイッチは米粉パン仕入れたんだけど」
「それで」
「そう言うと思ったわ。いつも通りにパンの器で良いかしら?」
「ああ、いつも通り夜勤用で頼む」
「夜勤用のメニューなんて無いけど、常連様だものねえ。了解了解」
瑠璃は部下思いなので、夜勤の時は部下達も食べれるようにとサンドイッチを大量に注文してくれる。
ちなみにパンの器というのは、パンの中身がくり抜かれた耳部分を器としてその中にサンドイッチを仕込むアレだ。
前に私だけでパンの耳を消費するのも勿体ないなと思って試しにやってみたら、見た目華やかだったり楽しかったりするのを好む瑠璃にはヒットしたらしい。
多少手間が掛かるけれど、瑠璃は常連な上に色々と注文してくれる上客なので断る理由もない。
……とはいえ、先にオムライスよね。
夜勤用のサンドイッチは最終的にパンを三斤程使うし、持ち帰りなので後回し。
うちの店は女性客用にとサンドイッチが小さめサイズな為結構な数がパンの器内に収納されるのだが、最低一人一個だったとしても部下達が皆で食べられるようにと三斤分注文してくれるのだ。
他のお客さんも結構来てくれているけれど、そんな大量注文は普通に無いのでありがたい。
うちは捨てられた動物や保護した動物に接客を任せていて、その子達の生活費の為にとちょっと割高な料金になっているし。
……っと、こんな感じかしら。
ふわとろオムライスを月に見立てて、ケチャップで餅つきをしているウサギを描いた。
ケチャップ味が濃くなり過ぎないよう全体的にバランスを合わせた結果ちょっと小さいけれど、これはこれで可愛らしくて良いと思う。
「ワン、ちょっとー」
呼べば、背にお盆を固定している大き目のワンがやってきた。
座らずに待機するワンの背中に、オムライスを乗せる。
お盆に乗せた物が揺れないよう下の部分に敷布をセットしてあるので、派手に倒れたりさえしなければ問題は無い。
「じゃ、あのテーブルまでよろしくね」
頑張ってねの意味を込めてワンの顎を撫で、頬を撫で、耳の付け根を撫でて頭をポンポン。
「ウッキー、ワンが到着したらオムライスをテーブルに運んでちょうだい」
ワンが頷き瑠璃のテーブルへと向かい、ウッキーは先に瑠璃の向かいにある無人席へと先にスタンバイしていた。
手慣れているようでとてもよろしい。
そう頷きつつ、手を洗ってサンドイッチに取り掛かる。
うちの店は動物との触れ合いメインなので、注文を終えたお客様はあとは動物と触れ合いながら滞在するだけというもの。
なので注文を受けるのは最初の時くらいだ。
……うん、ちゃんと置けてるわね。
今担当したウッキーは他の子に比べて新米なので心配だったが、オムライスを崩したりする事なく配膳出来たのがキッチンからも見えた。
よしよし。
「こんにちはー!」
カランカランと扉にセットされているベルが鳴り、来客を知らせる。
きちんと挨拶をして入ってきた来客は、こちらもまた常連客の一人だった。
長い長い藤色の髪は毛先の方だけを結ばれており、服装はシンプルながらも清潔感のあるもの。
そんな彼は店内を見回した。
「あれっ席埋まってる!?」
「そりゃこの時間帯なら埋まってるだろ」
配膳出来たウッキーの頭を左手で撫でつつ、右手に持ったスプーンでオムライスを頬張っていた瑠璃がそう返す。
常連同士だからなのか、二人は私が知らない間に意外にも仲良くなっていた。
……本当、意外よねえ。
敵対する立場のキャラクターなのに。
まあ原作ゲームでもそこまで犬猿の仲という感じでは無かったので、普通に交流する場さえあればこういう距離感なのだろう。
「ま、向かいの席が空いてっから良かったら座るか? 火和良」
「良いんですか!?」
笑っているような糸目のままパァッと表情を明るくさせる彼、撫子火和良に瑠璃は笑った。
「こないだ俺が出遅れた時にあっさり相席してくれたのお前だろ」
「わあ……ありがとうございます! この町って人の温かさに触れられる良いところですね!」
火和良の言葉に、瑠璃は一瞬ですんっと表情を真顔にする。
「……いや、そうでもないぞ」
「そんな真顔で!?」
「警察としてあまり言いたくないが、いまいちこの辺りは市民の味方をする気が無いからな……」
そう、この町は治安が悪い。
土地が広くてお金持ちが多く、ビルよりもお屋敷の方が多いというこの町、星王町。
一見すると朗らかなのだが、お金持ちの屋敷がある方面へ少し踏み込めば途端に闇が広がっている。
ちょっと地下に行けば非合法なカジノがある時点でお察しだ。
……っていうかこの世界自体、治安が悪いっていうか。
まずこの世界には指紋が無い。
指紋自体はあるのだが、指紋から個人を特定したりが出来ない。
血縁関係こそわかるが、それ以外にDNA鑑定が使えなかったりというのもある。
要するに犯人特定の手段が現行犯逮捕とかに限られてしまっているのだ。
……一応自白を録音するなり、証拠の会話を録音とかは出来るんだけどね。
個人を特定する為のあれやこれやが駄目という悲劇。
というのも、この世界がそういう世界だから。
そういう事を気にせず活動する、ご都合主義部分。
ちなみに公式設定曰く、誰かがそういうのを発明しようとしても宇宙の意思的な何かでボッシュートされるので起動もしないしまともに動かないそうな。
雑な設定なのに実に強い。宇宙の意思て。
「はいはい、この町の治安について警察が不安がらせてどうするのよ」
お盆で瑠璃の頭をコツンと叩く。
「その辺にしておきなさい」
「だがなあ……今日の夜勤も治安が悪い結果というか、何でわざわざという感じで……」
「何よ、情報漏洩?」
「どうせマスコミにバレてるから良い」
変なところで雑な男だ。
そんな雑な男が懐から取り出したのは、一枚のメッセージカード。
「これはコピーしたヤツだが、警察に届いたんだよ」
「どれどれ」
今夜八時頃、釣浮邸にある耳飾り、愛しの乙女をお迎えに上がります。
怪盗塩犬
「…………」
読み上げ、ふむ、と天井を見上げて一つ頷く。
「塩犬」
「ああ、そこが凄まじく浮いている。まさかそんな怪盗ネームを名乗るヤツが居ると思うか。そもそも怪盗が現代に居るとは思わなかった」
「そ、そこまで言わなくても良いじゃないですか!」
真顔でメッセージカードを見つめる瑠璃へと反論するように、火和良がそう返した。
「頑張ったんですよ! 怪盗のイメージからするとカクテル名とか何か洋風の多いから! それっぽくちゃんとカクテルから名前を取ったんですよ! でもここは日本だから日本語にした方が良いかなっていう葛藤の結果じゃないですか!」
「…………お前……」
「アッ」
叫んだかと思えばやらかしたとばかりに顔を引き攣らせる火和良に、瑠璃が言う。
「何故そこまで怪盗塩犬の考えに詳しいんだ……?」
「く、詳しいというかその、何となくそうかなって思っただけで、そう! 俺だったらそうするかなってだけで!」
怪しむというよりも困惑しているような瑠璃の視線に、火和良は慌ててそう取り繕う。
瑠璃が相手ならば大丈夫だろうが、焦って下手なボロを出されても困るのだ。
……それじゃあ、原作が始まらないものね。
「まあ、火和良はバーテンダーやってるから不思議ではないのかしら」
「そう! そうなんですよ薊さん! 俺バーテンダーなのでカクテルに詳しいんです! なのですぐに出てきたんですよソルティドッグが!」
「成る程、そういえばそんな名前のカクテルがあったな。俺は酒に弱いから気付かなかった」
色々と苦しい言い訳だったが、そんな不自然な態度には気付いていないかのように瑠璃はあっさり納得した。
実際不自然さには気付いていないのだろう。
彼はそういうキャラクターだから。
「しかしこれのせいで俺は面倒な仕事を任されたってのがな……。釣浮邸の警護もそうだが、きな臭くていけねえ」
「きな臭いって、何かあったの?」
「何も無かったからきな臭いんだよ」
ラテアートが既に殆ど崩れている飲みかけのカプチーノを完全に飲み干して、瑠璃は言う。
「このメッセージカード……予告状は釣浮邸にも届けられていた。警察に届けられた物と同じ物が、だ。しかし釣浮邸の主人、釣浮瓢箪はそれについて通報をしなかった」
「悪戯だと思ってスルーしたって事かしら」
「いいや、あそこは言っちゃ悪いが小心者で、迷惑電話みたいな通報を頻度多めにしやがるヤツでな。ソイツが予告状が来たってのに通報せず無視したって事は、何か都合が悪いんだろうよ。今回の件で確認の為にその耳飾りを見せてもらったが、あの男の傾向ならまず自慢して回りそうな代物だった。価値もアイツが自慢していた他の品とは比べ物にならねえ。なのに、アイツはそれを今まで公表しなかった」
「……隠しておきたい何かがその耳飾り……ええと、何とかの乙女にあるって事?」
「愛しの乙女な。大粒の宝石があしらわれた女性用のイヤリングだったぜ。…………どーっかで見た事あんだけどなあ、アレ」
ぼそり、と瑠璃は呟く。
瑠璃は記憶力が異様な程優れているので、どこかで見たというなら本当に見たのだろう。
「自慢する癖があるなら、いつかどこかで公表したのを見たとか? それで狙われた事があるなら、小心者は必死に隠そうとするんじゃないかしら」
「あー、そういう可能性もあるのか。まあ後で心当たりを幾つか思い返してみるさ」
仕事の話なんざして悪かったな、と瑠璃はオムライスを口に放り込む。
「火和良も注文の邪魔して悪かったよ」
「いえ! 興味深い話も聞けたので全然! 釣浮邸の主人宛てに一通送るだけじゃ内々に済まされて事実の公表が出来ないだろうからって言ってた理由がわかりました!」
「ん? ああ、確かに警察宛てのが無かったらそんなのがあるって事も予告状についても知らなかっただろうな?」
「あわ、いえ、えっと、はい!」
火和良はヤバいという顔をして慌てたような顔になり、最終的にごり押しを選んだのか主人公顔で拳を握った。
勢いで全てを誤魔化すつもりの男の顔だ。
まあ、瑠璃にはそれが一番良いのだが。
……瑠璃自身、違和感察して首傾げててもだからといって気付くタイプじゃないものねえ。
「じゃあ火和良、ご注文は?」
「そうですね、えっと、店長は次はフレンチトーストについてを調べてこいって言ってました!」
「相変わらず正直だけど、そういうスパイ行為は公言しちゃ駄目よ?」
「あわわ」
うっかりさんな火和良の額を指先でこつんとつつき、クスクスと笑う。
火和良が住み込みで働いている先は、昼はカフェで夜はバーのお店。
そしてバイトが集まりにくい夜を火和良が担当しており、昼はバイトが入れない時だけのヘルプ扱いとなっている。
……その結果、縁もあるからって事で来るようになったのよね。
火和良をその店に紹介したのは私だ。
それによる会話する機会を設けさせようという気遣いか、それとも本気でうちの店の味や売りを調べさせているのか、昼食時に火和良がやってくる頻度は高い。
向こうもカフェなのだから普通にそこで昼食を終えれば良いと思うのだけれど、折角だし昼食ついでに調べてこいという感じで追い出されるのだとか。
……ま、それで火和良の情報収集にも役立つなら良いのかしら。
そう思いつつ、オムライスを食べ終わった瑠璃を見る。
「ウッキー、お皿下げておいて。ワンはキッチンまでよろしくね。で、瑠璃は追加注文? それとも待機? もしくは帰宅で持ち帰りの品をお持ちしましょうか?」
「しばらく時間あるから火和良と駄弁るか本を読みながらこの店のコンパニオンを愛でてるさ」
「うふふ、尻尾を掴んだりのセクハラはしちゃ駄目よ?」
「嫌われたくねえからしねえよ。好かれたいのに意地悪する小学生男子じゃねえんだから」
溜め息を吐きつつ、瑠璃はテーブルの上に居るウッキーの頭を撫でる。
「…………つか、いい加減コイツ等に固定の名前つけてやったりしねえのか。犬だからワンとか、猿だからウッキーとか、猫だからニャーとか……もっとまともな呼び名あるだろ。せめてポチとかつけてやれよ」
「うちは保護してるだけ。里親になりたいって人が居たら正式に色々話し合ったりお家の状態聞いたり相性見たりで、問題無ければ譲渡ってやってるもの。下手に名前をつけちゃったら里親さんのつけたい名前じゃなかったりするでしょう? 名付けの為にまだ名前の無いペットショップの子犬を買う、って方もいるものね」
「だからってお前、ワンは無いだろ。しかもどの犬も平等にワンって」
「平等でもワン達はちゃんとわかってるから良いのよ。警察の方にだってうちから出て警察犬になった子はいっぱい居るじゃない」
「その件に関してはお利口な子をありがとうございます」
瑠璃はぺこりと頭を下げた。
逃亡犯を捕まえるのにうちの子達は結構な実績を上げているらしく、その結果がこの態度である。
「……ふふ、良いわ。あの子達自身の頑張りの結果だし、大事にしてくれているならそれが一番の幸いよ」
しかしワン達は心配要らないが、心配なのは塩味系の犬怪盗。
今ここでも大分ボロを出しまくっている主人公は、原作ゲームでもギリギリになる事が多かった。
ストーリーの盛り上がりの為と言えばそれまでだが、この町に居る悪党金持ちは容赦がないので本当に危ない目にも多々遭う。
ここがゲームの世界と気付いてからは私の身体能力も二次元らしい物になっているし、彼を拾った者として、今夜は怪盗塩犬の初仕事を見学にでも行こうかしらん。