88.祝杯の宴
昨日投稿するつもりが忘れてました。てへぺろ。
昼過ぎ、朋貴が食事を持って入ってきた。
「日和さん、気持ち悪さなどはありませんか?」
「大丈夫です。調子はだいぶ戻ったと思います」
「それは良かった」
優しく微笑む朋貴は「食べますか?」と盆に乗った食事を見せる。
オムライスとコンソメスープが並んで湯気を上げていた。
「わ、次は洋食ですね。美味しそうです」
日和としては朝に和食を食べ昼食に洋食が来ることに不思議な感覚を覚えつつ、それでも食事は勿論美味しくて、今度はあっという間に完食してしまった。
ここまで来ると好きな食べ物、と言うより食べる事が好きなのだろうか?
今まで散々『好み』に悩まされてきたが、相変わらず理解するには依然程遠い存在と思える。
やっぱり『好き』は難しい。
そう考えていると、横にいた朋貴が肩を振るわせ笑い出した。
「すみません、さっきから表情がころころと変わるのがとても面白くて…昔の友人を思い出しました」
「あ…顔に出しちゃいましたか…?すみません、難しいですね」
「慣れませんか?」
「そうですね…皆、凄いです。どうしたらいいかな…」
「そのままでいいですよ」
わりと本気で悩んでいた日和に、朋貴はばっさりと、当然のように言い切る。
「え?」
「そのままが、一番いいですよ。日和さんは今までに感情を出せなかった。でも、今は何かを気にすることなく感情を自分の好きに出せるし、自然に出てしまう。素晴らしい事じゃないですか」
「あの…」
「自分の気持ちをねじ曲げてまで出す感情なんて、愚か以外の何物でもありませんよ」
冷えた朋貴の言葉に重さを感じた。
憎しみか、恨みか、そんな重たい何かを感じる。
はっ、と朋貴は口を噤み、ぺこ、と頭下げた。
「すみません、年長者の愚痴が出てしまいましたね。日和さんは、その姿が素敵ですよ」
にこりと先ほどの冷たさが笑顔で掻き消え、朋貴は「お皿、お下げしますね」と空いた皿を片付けに出てしまった。
しん、と静寂が続く。
弥生がいなくなってしまってからなんとなくずっと意識をしていた。
だからだろうか。息をつき、目を瞑ると妖の弥生の姿が簡単に浮かぶ。
長く共に居すぎたのだろう、横に、後ろに、近い場所に張り付いている気がする。
名前を呼べば、その辺から出てくる気さえする。
弥生は、私の力で妖として死んだというのに…。
皆は私を変わったと言うが、本当にそうなのだろうか。
父が死ぬ姿が見えなくなっただけでも、良しとした方がいいかもしれない。
長い髪が視界に入る。弥生によく弄ばれた長い髪は以前よりも金色に染まっている。
きっと、これからも力を使う度に焦げ茶の髪は変わるのだろう。
なんとなく、それが心細い。
「…はぁ…――っ」
小さなため息を一つ零してしまったと同時になんとなく、引き戸の奥に誰かがいる気配を感じた。
「――兄さん、そこにいるの?」
「……っ!」
その気配は合っていたらしく、小さな声が漏れて聞こえた。
部屋に入ってきた玲はどこか思い詰めた表情をしている。
「……兄さん?」
日和は振り返り、玲の様子を見る。
いつものにこやかな顔ではなく、どちらかというと今にも泣いてしまいそうな表情だ。
「……ごめん、日和ちゃん」
玲の声は滴る一滴の水のように静かで、その表情は酷く沈んでいる。
この顔でいる玲は大体いつも、こちらの気が重くなる頼みごとをする時の顔。
過去の経験がそうさせるのだろうか。
「前は…兄さんが高校にあがる時だったっけ」
「うん、そう…だね…」
「一緒に過ごせなくなるから、気を付けてねって…登下校も、学校が終わってからも、あまり会わなくなったよね。…術士のお仕事があったからでしょ?」
「……うん、そうだよ。一応、遠くから見守っていたけどね…」
兄と慕う玲の声に元気はない。
物静かな玲は、いつも以上に静かだ。
「兄さ…――」
「――日和」
日和が呼ぼうとすると玲は遮るように、冷たく日和の名を呼んだ。
「……ごめん、今日は…お願いがあって、来たんだ」
日和の口が噤み、表情を喪っていく。
こういう時は、いつも変わる。
今からまた、何かが変わるのだと日和は覚悟する。
毎日横にいた玲が居なくなるように、今日から玲はまた更に距離を置く。
日和の予感は外れることなく、玲は口を開いた。
「…日和ちゃん、兄と慕うのを…もうやめてほしい」
沈黙。
日和は何も答えられない。拒否も、承認も、できない。
日和には玲の言う事を拒否できる立場にはない。
知ったのはかなり最近とはいえ、元々は自分を守る契約で傍にいたのだ。
だけど承認は、日和の心を強く苦しめる。
『僕の妹になって欲しい。…僕に君を守らせて』
幼い時に手を差し伸べた時の玲の言葉は結果的に日和を救った。
友達の関係では心を閉ざした幼い日和を動かすことは出来なかっただろう。
日和は無意識に兄と呼んでいたが、それは孤独から守る唯一の糸になっていた。
今はこうして他の術士と交流ができているが、過去と事実を手放すのは意識をしていない日和でも承諾の言葉など、流石に言えない。
「理由…理由は、なんですか…?」
恐る恐る問う日和に、玲は無言を貫く。
日和の肩が小さく震え出す。
「どうして…何も言わないの…」
「……」
「教えてくれないと私、納得しませんっ」
「……」
「玲…兄さん…」
「……」
「……」
日和の言葉にはどれも反応を示さず、玲は口を閉ざす。
日和もまた、言葉を失い口を閉した。
玲は頷き、やっと日和を見る。
「しばらくすれば、僕は一緒にいられなくなる。それまでが最後だよ。いい?」
それだけを言い残し、玲は部屋を出て行く。
「にい…!……さん…」
その背中を呼ぼうとするが、そこにはもう誰もいなかった。
玲はどうしたのか。
それだけが日和の中で渦を巻いて抜け出せない。
寂しいとか、悲しいとか、それよりも優先して何故?と頭を悩ませる。
答えは出ない。
答えは出ないまま、思案し、布団を転がった。
全く落ち着くこともできない。
「…日和、いる…?」
そんな中、自分を呼ぶ声が聞こえた。
声の主に、少しだけ緊張する。
ずっと仲良しの友人だったのに、天空の女王の件から距離を離していた人物だ。
まともに顔を見られるか不安が募る。
「……はい」
「……入るわよ」
引き戸を開けて入ってきた波音はいつもの少し不機嫌な雰囲気だ。
「…元気になったって聞いたけど、ガセネタでも聞いたかしら?」
早速憎まれ口を叩かれた。
「水鏡さん…」
「何いきなり距離引いてんのよ、今まで通り名前で呼びなさい」
ぴしゃりと言い放つ、いつも通りの不機嫌な態度が逆に元気そうだ。
その表情はふん、とむくれている。
「えっと…久しぶり。波音は体、大丈夫?」
波音は大きな妖だけでなく、件の戦いでも大けがを負った人間だ。
見た目は目立つ怪我は無いようだが、昼食時に師隼は波音と夏樹は3日程ここで療養させたと言っていた。
おまけでぼそりと「波音には逃げられた」と呟いていたが。
「まあ、今回は手酷くやられたわね、悔しけど。傷に関しては貴女たちが治してくれたんだからとっくに治ってるわ。感謝してあげる」
腕を組む波音はつん、とそっぽを向く。
その素直でない所は波音らしさがあっていっそ清々しい。
「貴女…たち?私は何もしてないよ」
「玲の癒し水を貴女が最後にぶちまけたのよ。あの時だけで見える怪我は全て治っていたわ」
「ヘぇ…?」
「理解できていなさそうね。別にいいわ。そのままでいなさい」
朋貴にもそのままでいろと言われたが、波音のこれは違う気がする。
術士としているなら、知ってないとまずそうだ。
「……ごめん、なさいね」
「え?」
突然瞼が落ち、幾段低い声で波音は呟くように言葉を吐く。
「…貴女が妖と通じてる訳ないって、思ってた。分かってた。だけど…疑ってた、のかしらね…」
波音は波音で思う事があったらしい。
弥生に唆されていたのだと聞いた。
だけど怪しまれる行動をしていたのは自分もそうだ。
「…波音は術士だから、仕事をしただけです。分かってたのに…ごめんなさい」
「弥生は、私と貴女の仲を裂いて楽しんでいたでしょうね。とても悔しかったわ。あれのせいで、私はあの女王を倒すまで、あの女と居る事にしたわ。おかげで大怪我したけどね」
「波音……」
「でも、もう大丈夫よ。怪我も治ったし、もう何も気にする事なんてないもの」
話が重たい。
「そ、そっか…それならよかった!えー…っと、あ、今日皆顔を出してくれるね!あと会ってないのは夏樹君だけど…」
呼吸すらも難しくなるほどの空気に耐えられなくなり、日和は途切れそうな会話をなんとか繋げようとする。
そして波音は波音で何かを思い出したように両手を叩いた。
「あぁ、忘れてた。行くわよ」
「え?」
「今から、行くわよ」
「ど、どこに」
「い・く・わ・よ」
「はい…」
どこにでしょうか。
突然の行動に最大のツッコミを心から吐きそうになりつつ、しかしそれすらも許してくれそうにない波音に腕を引っ張られて布団から出され、連行された。
どこに行くんですか…。
頭を埋め尽くすほどの一抹の不安を抱えながら波音に連れられる。
向かった場所は、初めてこの家に来た時に入った、広い大部屋だった。
「連れてきたわ」
中には師隼、麗那、朋貴、正也、夏樹、玲が揃い、竜牙や風琉、焔、練如と咲栂と、式神も共にいた。
あと手伝いと言わんばかりに狐面の人間が数人歩いている。
中央には様々な食事がオードブル形式で配置され、完全にお祝いムードが広がっていた。
「お、やっと皆揃ったね。じゃあ、席につきなさい」
日和を確認して言う師隼に波音は日和に席を案内してその隣に座った。
全員が座ったのを確認すると、師隼は盃を手に取り口を開いた。
「さて、今回の女王相手に皆が無事で安心したよ。
申し訳ないことに神無月に入った為に私は何も手伝ってやれなかったことがとても心苦しいが、無事にこうして慰労会を開けたことにはやはり、この地域の術士は優秀だったのだと胸を張りたいな。
特に守護対象でもあった日和には長くこの地にいた女王を討ち果たしてもらって、大変世話になったね。最大の感謝を贈ると共に、是非これからは同じ術士として過ごしてもらいたい所だが…」
師隼はちらりと、日和を見る。
「まずはその前に、やらなきゃいけないことがあるからな…祝杯を始めようか。さ、皆手に持って」
右手のコップを持ち上げると、皆が手元の飲み物を持ち、日和は分からぬままに同じように飲み物を手にした。
「金詰日和の16歳の祝いだ。誕生日、おめでとう」
「えっ、…えっ!?」
一瞬何を言われたのか分からなかった。
だけど周りを見ても全員が日和を見てにこにこして、口々に「おめでとう」と言うだけで何が起こったのかも理解が追い付かない。
突然祝われた日和は驚いていると、隣の波音がくすくすと笑った。
「私が提案したのよ。結局皆で寝たでしょ?折角だしできる時にやらなきゃってね!日和、誕生日おめでとう」
かつん、と軽快な音を立てて波音は日和のコップに自分のコップを当てる。
「あ、ありがとう…」
「日和ちゃん、さっきはごめん…こうなるって知らなくて…。さっきのことは忘れて、今は祝われて。おめでとう」
波音とは反対の右隣にいる玲は申し訳なさそうに、コップを構えて言う。
「波音さん、つい2,3時間前まで調子悪そうにしてたんですよ。でも日和さんが元気になったって聞いて、祝ってあげなきゃってこの2時間程で張り切ってましたよ」
向かいの夏樹がにんまりと笑って、隣の風琉に「ねえ?」と首を傾げる。
その風琉も悪戯な笑みを浮かべて「ねえー。波音ちゃんウキウキしてて可愛かったんだから」と波音の前で口元に人差し指を立てた。
全く内緒話になっていない。
「あっ、ちょ、黙ってなさいよ!べ、別に気にしなくてもいいかとは思ったけど…アイツのせいで嫌な誕生日になっても…わ、私達のせいになったら癪じゃない!」
「ふっ、…ふふふっ」
口を尖らせて言う波音に、日和は可笑しさが込み上げて、耐えきれなくなった。
「ごめ、笑っちゃって…あははは!波音、ありがとう。皆も、お祝いしてくれてありがとう」
奥では正也と竜牙が静かに頷いていたし、師隼も麗那も満足げな顔をしていた。
「…ほら、食べるわよ。折角の誕生日パーティーなんだから」
「半分慰労会なの忘れてない?」
「わ、忘れてないわよ!」
波音と玲の漫才に日和は再びくすくすと笑い、波音にコップを当てると、玲にもコツン、と乾杯をしてみせた。
「二人共、ありがと」
こんなにも大勢で祝ってくれたことは無かった。
沢山の輪の中に入れるなど、去年の自分は全く想像していなかった。
ここの場所と空気は日和が知らなかったことばかりだ。
こんなに楽しい場所だとも、こんなに楽しい人だとも知らなかった。
玲はしばらくすればいなくなると言っていた。
だったら今楽しんだらいい。
なんとなく、いつもの弥生がそう言っている気がした。
アップダウンが激しい話ですが、玲が悪い(*'ω'*)




