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神命迷宮  作者: 雪鐘
6章・術士達のその後の物語

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532.櫨倉家の妻

 日和は屋敷の中を彷徨っていた。

最初はただ皆と居ただけ。

それから竜牙の巫女になって、狐面になって、術士になって、今はその全てを失った宙ぶらりんな存在。

置野家の女中だった華月も今や免許はないにしても完全に庵の看護師となっている。

一方今の日和に出来ることは……何もないかもしれない。

何をする訳でもなく、他の皆のように何か仕事がある訳でもない。

そんな日和に手紙が届いた。

それは何処から宛てられたのかも分からない、不思議な手紙。

たった一言、『神宮寺邸でお待ちしています』というだけの謎の手紙。

誰が日和に宛てたのか、日和に何の目的があるのか、いつ向かえば良いのか、全て何も分からない。

だが何もしないままではいられない。

そんな気持ちで日和は神宮寺家に来ていた。

今、正也はホテルから連れてきた県外の術士と共に紫苑の許へと向かっている事だろう。

それから巡回に行って戻ってくるまで、手紙の贈り主に出会えたら良いのだが。


「……あら、こんにちは、お嬢さん」

「はい…?」


 廊下を歩いていたら、背後から声を掛けられた。

振り向く日和の視線の先には、ふんわりと外巻きに整えられた優雅な髪が素敵な夫人が立っている。

デコルテを魅せる広口の襟にゆったりとしたトップスに女性らしさのラインがはっきりと出るタイトスカート。

屋敷には珍しい洋装の女性だが、一つの特徴に日和は「あ…」と声を洩らし頭を下げた。


「はっ、櫨倉(はぜくら)さん…!こんにちは…!」

「あらあら、そこまで畏まらなくて良いわ。私なんて櫨倉の荷物…精々算盤弾いてあれこれ口々に言うのが仕事ですもの。夫に比べれば小さな物よ」

「そっ、そんな事……ん?夫…?」


 目の前の優雅な女性はにんまりと笑って上品に礼をする。

きらりと光るイヤーカフが付けられた直ぐ横の耳輪は切れていた。


「ちゃんと顔を見て会うのは初めてかしら。私は櫨倉蒼月(そうげつ)、夫の魁我と姪の華月がお世話になってるわね?金詰日和さん」

「魁我さんと華月……ふえぇっ!?」


 夫が魁我なのはまだ分かる。分かるけれど、華月が姪とはどういう事か。

つまり華月は櫨倉の…?いや違う、多分目の前の蒼月が廣元家の人間なのだ。

という事は、一時期は置野家に居たのだろうか?


「ふふふ。今貴女の頭の中ではどんな計算をしているのかしら?家系図が単純でないものなのは分かってしまったかもしれないわね。廣元家と言えば置野家に長く仕える使用人の家ですから、私がそこの出だと考えているのかしら?それとも魁我が他の場所からやってきた男だと想定しているかしら?ふふふ、混乱に陥った表情を見るのはとても楽しいわね」


 蒼月はなんとも愉快そうにくすくすと笑い、こちらの様子を見ている。

その姿はなんとなくだが麗那っぽい。


「えっと、えっと…?」

「あらあら?ついに頭では抱えきれなくなったかしら?ふふふ、好きなだけ迷って良いわよ。答えなんて調べなければ出ないのだから」

「……調べても、良いんですか?」

「勿論。貴女がその気なら…ね」


 じっと蒼月の表情を読もうと見つめると、仕返しと言わんばかりに中身を丸ごと見つめるような視線を返された。

それだけでこの人は狐面の一人であり、櫨倉魁我の妻なのだと自覚した。


「…うふふ、可愛らしいお嬢さんね。ところで貴女、ここに居るということは……私の手紙を受け取ってくださったのね?なら、手伝ってくださらない?私の仕事、とても忙しいの」

「ということは、この手紙は蒼月さんが……!それで、あの、お手伝い…というのは?正也には危ない事はするなと言われていますが…」

「危ない事なんて夫もさせてくれないわ。お手伝いって言うのはね…貴女の得意分野だと思うわよ」


 にこりと笑顔を向ける蒼月に誘われ、日和は先を歩く蒼月の背をついていく。

行く場所は北東側でもなく、西側でもなく、一度外に出て庵の前を通り南側…――でもなかった。


「えっ、えっ??」


 南側へ行くならば草と土で踏み固められた道を道なりに右へ曲がればいいが、なんと蒼月は体の向きを変えない。

そこは低木で囲まれた塀の筈なのに、蒼月は避けることも無く構わず突き進む。

流石の日和もよく分からず、怖くなって目の前で立ち止まる。

しかし蒼月の「大丈夫よ」という聞こえた。

その姿は塀の向こうに消えてしまったまま。

不安な気持ちがありつつも、手伸ばし、木に触れようと突き出してみる。

すると日和の手はまるで投射された映像を見ているかのように木をすり抜けた。

何も触れられなかった現実に「えっ??」と声が漏れる。


「ふふふ、だから大丈夫と言ったでしょう?早くいらっしゃい」


 低木の奥、塀の先から蒼月の楽しそうな声が響く。

日和は意を決して足を進めた。


「ふふふ、あなたは心配性ね。いえ、不可解な事象には不安がっちゃうのね?いらっしゃい、我が櫨倉家へ。そして、()()()()()へ」


 ゆったりとした蒼月の声が聞こえた。

日和が視界を開けると目の前に蒼月が、そしてその背景には神宮寺家と大差ないほどに大きく立派な建物が(そび)え立っていた。

その迫力に日和が初めて神宮寺家へ来た時に似た衝撃が、そして「えっ…?」と不意に声が漏れる。


「実はね、神宮寺家と櫨倉家はお隣さんなのねぇ。でも、表からこの家には辿り着けないようになってるのよ。面白いでしょう?さて日和さん、狐面の使用する術は何だったかしら?」

「え?えっと…印象操作と記憶操作…あっ!」

「ふふふ、そうよ。ここは印象操作で入口を隠しているだけの家、まさに隠密を得意とする"私たち"の家なのよ」


 優美に微笑む蒼月は「ついてらっしゃい」と一言置いて先を歩く。

敷地内の狐面はその姿を見るや否や、こぞってその姿に足を止め、頭を下げていく。

まるで初めて神宮寺家に足を踏み入れた気分だ。

神宮寺家の本邸のように大きな玄関を抜け、真っ直ぐ一直線。

長い廊下を渡り、やがて事務仕事を纏めた様な部屋に出た。

それは丁度神宮寺家の玄関から師隼の執務室へと行くほどの距離、そして同じ位置にあるように思う。

玄関の広さも、途中にあった廊下も、部屋の間取りも、まるで家自体が全く同じものと言いたくなる程に酷似した家。

今目の前に広がる執務室だって立派なソファーのついたテーブルセットに丁度師隼の机と同じものが置かれているし、その背にはびっしりと本棚がと書類が並んでいる。

自分は一体何を見させられているのだろうか?

唯一違う点。

そこには師隼ではなく蒼月が、日和に振り返って向かい、その口角を上げた。


「私は基本外を出ないの。大半は経理の仕事よ。筆を持ち、算盤を持ち、定法・規律・秩序を守り、彼らの仕事を滞りなく済ませるの。さて、私が得た情報によると日和さんは数学が得意なようね。成績は十分、来年は3年生でしょう?よかったら…いえ、今からでも早すぎることはないわ、この仕事に就いてみない?」

「えっ?……と、良いんでしょうか?」

「私の独断と偏見でお誘いしているだけだから、勿論断っても良いわよ」

「あの、候補に、入れさせてください…。が、学業を終えてからの仕事にしても…」

「勿論構わない。寧ろ来てくれること自体嬉しいわね」


 少し早口だが、その目はじっと日和を見ている。

まるで期待したような目だ。

うず、と日和の体が震え、その期待に応えたくなった。

本当は、直ぐにでも。

だが、今はまだ学生の身分であるし仮にも狐面の仕事でもある。

手伝うにしても正也に確認を取らねばならない。


「……あの、よろしくお願いします…!今は多分、まだすぐには出来ないと思うので…」

「勿論よ。……といっても、今はまだ空気が良くないのよねぇ。折角落ち着いたと思ったのだけど、まだバタバタする空気があるのよね」


 にこりと笑う蒼月だが、そのその笑みはすぐに崩れた。

折角の優美な表情だったのに、眉間に皺が寄る。



「え?」

「そこに居るのでしょう?動きはつかめたかしら?」


 蒼月の視線がずれる。

その視線は日和の更に背後を差して、振り返れば一人の狐面が立っていた。

珍しい常盤色の髪、面を外して顔を見せたのは夏樹の兄・浅葱(あさぎ)だ。


「浅葱さん…!」

「久しぶりだな、金詰日和。…報告ですが、"家"の空気はすこぶる悪いかと。一週間は保ちません…それまでには動き出すと思われます」


 何か調査をしていたのか、浅葱は蒼月の前に(ひざまず)く。

浅葱の報告に蒼月は苛立たしさの表情を見せると腕を組み、トントンと指がリズムを打ち始めた。


「まあ早い。あの男が痺れを切らすのも仕方ないのかしらねぇ…。私用なのにありがとう、あと跪くのも様付けもいらないわよ」

「……」


こくりと頷いて浅葱は立ち上がる。

日和の目線に丁度浅葱の耳が見えて、耳輪が欠けている事に気付いた。


「あっ、浅葱さん…!」

「…櫨倉家の養子に入った。今は櫨倉浅葱だ」

「うふふ。私、息子から女王様扱いされる趣味は無いの。物静かな素敵な子なんだから、そのままでいて欲しいわよねえ?」


 蒼月はにこにこと嬉しそうに笑っているが、流石に返事に困る。

どうかこちらに振らないで欲しい。

それよりも日和にとってはケーキ屋で働く双子の姉の方が気にかかってしまった。


「えっと…萌葱さんは、知ってるんですか…?」

「ああ。というより、萌葱も色々と準備を始めている。契りは切った」

(契り…?お二人の力の事でしょうか…?)


 浅葱と萌葱(もえぎ)が心的共有者であること。

浅葱自体が以前よりも招明並みに喋るようになってること。

そして櫨倉家の人間になってること。

気になる事は山々なのに、聞く空気ではないように感じる。

寧ろここ最近は色んな事が動いていて、いつの間にか皆違う場所にいる。

どうやら色々と状況が変わったのは自分だけではないらしく、まるで正也が応援から帰ってきた時の気分のようになった。


(私……全然成長できていませんね)


 そして改めて、複雑な気持ちが身に降りかかったのだった。

櫨倉蒼月はぜくら そうげつ


8月8日・女・??歳

身長:170cm

髪:茶色

目:黒

趣味:家の中を歩くこと


年齢不詳の隠密一家、櫨倉家当主の妻。

仕事・税務的な部分で狐面を掌握し、同じく狐面として在籍している。

表に姿を現わすことは殆ど無く、また狐面からも様々な面(主に出勤態度…休暇とか保険制度あたり)で恐れられている。

特にブラックになりがちな仕事を法と秩序で圧政しているので、労働基準法を守らない組合の二人(※師隼・魁我)は特に口出しできない相手。

亡くなった娘の部屋へ毎日行っては祈りを捧げている。

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