518.正也の仕事
授業を終えた日和は正也と合流し、駅の方へと向かう。
今日は一応『手芸屋に行きたい』という名目でこの場に居るが、本当は正也の仕事が気になっていた。
当然単なる興味であるが、術士ではなくなってしまっても少しは皆の役に立ちたい。
そんな気持ちも混ざって、その背を付いて歩いていた。
「あ……日和、ちょっと待ってて」
「…?はい…」
駅から一本離れた路地、正也はふらりと離れて立っていた女性の方へと向かっていった。
パーカーは着ておらず見た目は一般人であるが、確か狐面の一人に似た特徴を持つ女性が居た気がする。
きっと正也の仕事関係に携わっているのだろう。
……仕事の話だろうが、一体何の話だろうか。
気にしないつもりでいるが、ついつい気になってしまって先ほどからつい視線だけは向けてしまう。
いや、気にしちゃだめだ。
正也の仕事はあくまで手伝い。
自分が知り過ぎるのはきっと良くない。
「……ただいま」
そう自分に言い聞かせるものの、やっぱり気になったしまう。
気にしてはいけないのに。
正也にだって色々考えているのだろうし、その邪魔はしてはいけないだろう。
そうだ、心を落ち着けようと深呼吸をしよう。
すぅーっ、――
「――日和、ただいま」
「ふひゃっ!お帰りなさいです、正也!」
息を吐く瞬間、不意打ちとも言える声に驚き飛び上がってしまった。
いつの間にか仕事に話をする正也よりも自分の思考に浸ってしまっていたらしい。
心臓が跳ねあがってどくどくと早鐘になった。
「す、すみません……えっと…お話は、終わったんですか?」
「うん、一応は。…仕事しないとね」
「お手伝いします」
「……じゃあ、お願いしようかな」
正也は堪えきれずくすくすと笑っていて、どうやらとんでもない醜態を晒したらしい。
顔が熱くなってものすごく恥ずかしくなった。
正也は道沿いの小さなビジネスホテルに向かう。
昨日の今日で麗那が手配したらしい施設だが、7階建てのこのホテルに百鬼夜行に巻き込まれた術士が収容されているらしい。
ロビーに入ると制服を着こんだ人間が数人居たが、そのどれもが狐面の人間だ。
「皆さんお疲れ様です。ご様子はどうですか?」
日和が話しかければ全員が顔を向けて頭を下げる。
日和も狐面としていくつか活動していた内の一人だ。
と言っても殆どが夏樹の相方か狐面のシフト――活動日程の調整であったり春頃に活動していた調査くらい。
期間で言えば夏樹の付き人となってから正也にバレるまでのたった3カ月間であるが、元々師隼の保護対象でありながらも狐面からすれば仲間としての理解もされている。
これはその結果だろう。
「日和様がいらっしゃるとは。置野様もお疲れ様です」
その中から一人の女性が一歩前に立ち、丁寧に頭を下げる。
纏め上げられた髪、制服をピシりと着こなした女性はホテル側の従業員だろう。
清楚な見た目でよく似合う姿ではあるが、胸に「朴桑」と書かれたネームプレートを付けている。
朴桑――目の前に居るのは以前日和が枕坂へ攫われる手引きをしたうちの一人である朴桑すみれだろう。
だが、朴桑すみれはまるで日和の事を気にしないようにそこに居た。
狐面を辞めさせられたとは聞いていたが、狐面として活動していた記憶を操作された上でここで働かせてもらっているのだろう、と日和はすぐに気付いた。
周りを見れば、全員が知っている顔で、こちらはどうやらホテルの人間に成りすましている。
もしかしたら朴桑すみれ自身の監視も含まれているのかもしれない。
それほど麗那が行った術士達を収容するホテルは急に行われたものだったのだろう。
日和は麗那の苦労を知りつつも、その思考を捨てた。
朴桑すみれはただ受付嬢として立つだけで、何もしない。
これも正也が応援出張をしている間に起こっていたことで、隣の正也は書類を手にした狐面から術士達についての説明を受けている。
今は正也の仕事に集中するべきだろうと考えた。
「……現在総勢の38名は意識も怪我も回復して収容されています。あとは傷の完治を確認した後、各活動拠点へお返しするのみになります。こちらが滞在している術士のリストと、それから金詰様からいくつか指示がありますので目を通して下さい」
「そう、お疲れ様。今から全員分様子見に行ってくる」
「よろしくお願いいたします」
正也は頭を軽く下げて日和に向き直ると、「じゃあ、行こう」と先を進む正也と共にエレベーターに乗り込んだ。
そしてこのホテルの最上階でもある『7』を押す。
ごうん、と音を立てて箱は上昇し始め、いよいよだ、と日和はすこしそわそわとしていた。
「…緊張してる?」
「そっ、そうですね…知らない方に会うのは少し…」
正也に聞かれ、ドキリと心臓が鳴る。
術士達に合うまで、日和は人を避けていた人生を送っていた。
父の死去や玲による記憶操作で途切れ途切れの記憶を持っていた日和がまともな人間関係を築ける訳がなく、次第に分かり合えない存在だと忌避していた過去がある。
結果、知らない人間に会うのは緊張する人間となっていた。
だけど術士の世界に迷い込んでからはばたばたとした忙しさに流されて、いつしか気にしなくなっていた。
そのままもう慣れたのだと思っていたのに……自分が術士でなくなった途端これだ、少し自分に落胆したい。
或いは、昼間の新聞部部長に質問攻めにされてぶり返してしまったのかもしれない。
「学校ではあまり気にしてなさそうだったけど…」
「あの…弥生は本当に例外なんですけど、それまでは人に関わらないようにしていたので…」
「……そっか」
正也からは自分がそういう性格であることには気付いてなかったらしく、少し意外そうな表情をしていた。
正直に言うと中学の頃にから生徒は完全に視界に入れていなかった。
それは高校に上がっても変わらずだったが、そんな中でずいずいと踏み込んできて存在を強調していた弥生は、本当に例外だったんだなと今でも思う。
『めちゃくちゃ美人さんがずっと近くにいるってやば……!あ、この一年間よろしくねぇー!』
『綺麗で可愛くて頭も良い!えっ、文句なしじゃない?完璧超人じゃん!やだ、惚れる……』
『日和ともっと仲良くなりたいな! 家族は?ご飯は和食派?洋食派?いつも何して過ごしてるの??』
色々話しかけられた結果、ついに折れて話を受けるようになった日和だが、今はもうその過去すらも懐かしい。
そう浸ってる間にポーン、と軽快な音が鳴ってエレベーターが止まる。
どうやら7階に着いたらしく、扉が開いた。
「じゃあ、端から回ろう」
この7階建てホテルの客室は1階から7階まで、部屋数はそれぞれ8部屋ある。
一人一部屋を割り振られ、部屋は各階に空き部屋2つを間に挟んで住まわせている状態だ。
極力密接にさせない、ストレス軽減をさせているのだろう。
狐面から渡された書類を一目通す正也は日和に手渡す。
日和も軽くだけ目を通して、正也の背を追いかけた。
「最初は708号室から行こうか」
「はいっ」
正也がノックをし、少し待つと男の子っぽい少し高い小さな返事が聞こえた。
扉が開かれ、中の住人が顔を出す。
白い髪をヘアピンで止めた少年は正也の顔を見るなり驚いた表情を見せる。
「わっ、でか…っ!」
「…瑛士、久しぶり」
「久しぶり!?いや、俺そんな背の高い知り合いなんていねー……ん?いや、その顔…おっ、置野正也!?」
正也に驚いた少年は少し悩み、意外そうな顔をして再び驚いている。
その反応を見る限り、早速正也がよく知っている相手だったようだ。
「そ。会ったの伸びる前だったから気付かなかったか…」
「わぁ…正也さんに会えると思わなかった!!前はお世話になって…あ、啓太と漣も元気にしてる!今はどうしてるか分からないけど…」
「そっか。このまま体調に問題なければ皆の所に戻れると思う」
「ホント!?…あ、わ、悪い。篠崎ではあるけど、会えると思ってなかったから…!中、入る?」
「じゃあ、邪魔する」
倉ケ野瑛士――書類によると滋賀の術士ということだが、仲の良さそうな少年の部屋に入ることになった。
部屋の中はとてもシンプルで一面真っ白の壁紙に落ち着いたダークブラウンの絨毯が張られた床、置かれた家具はテレビボードサイドボード、簡易的なクローゼット、そしてツインベッド。
その片側腰掛ける瑛士は対面のベッドに手を広げて腕を伸ばし、どうぞ、と促す。
どうやら片方だけを使っているらしく、椅子代わりに座るよう言われたベッドはシワがなく明らかに使われていない。
そもそもソファーもない簡易的なビジネスホテルである。
数人で過ごすことは然程考慮されていないのだろう。
日和と正也はベッドを椅子代わりに腰掛けた。
「えっと…あの…」
少年は明らかに日和を見て黙る。
何かを気にしているようだが、何を気にしているかといえば…昨日の出来事だろう。
別に日和は初対面ではない。
文化祭、神宮寺家を脱走して日和が活動していた喫茶に乗り込んだのは紛れもないこの倉ケ野英二だ。
「文化祭でお会いしましたね。クッキー、美味しかったですか?」
「あっ、やっぱり…!その…お、美味しかったです!昨日は、ごめんなさい…」
頭を下げる男の子に律儀さすら感じる。
倉ケ野瑛士というこの少年はあの時同様、やはり根は優しい子なのだと思った。
一方で様子を見ていた正也は首を傾げる。
「あれ…知り合い?」
「昨日、師隼の家から抜け出した術士…彼なんです。部活のカフェで手渡ししていたお土産のクッキーが欲しかったみたいで…」
「……」
正也は屋台に行っていたので当時何があったのかを詳しく知らない。
簡単に伝えたつもりでも正也の眉間には深い皺が寄って瑛士に向けられ、瑛士はその視線に飛び上がって、深々と頭を下げた。
「ごっ、ごごご、ごめんなさい!!」
「なんで抜け出したの」
「ぶっ、文化祭見たいって聞いたから…!それであの部屋で配ってるやつ欲しいって言ってたからもう一個貰おうと思って…!」
「聞いた?誰が言ったの?文化祭してるって情報はそこで知ったの?」
「わ、分かんねえ…なんか近くに居るようにずっと声が聞こえててさ、会話もしたけど姿は全然見えなかったんだよ…。でも捕まって学校出た時には何も感じなくなって、お菓子も結局一つだけでもう一袋は回収されちゃったし…」
わたわたと申し訳なさそうに話す瑛士に嘘をついている素振りは見えない。
併せて正也の質問に焦りながら答える姿は段々可哀想にも見えてきた。
「あの、正也…お話を信じてあげましょう。私からも良いですか?」
「ん?うん…」
日和は瑛士の方に向き直り、正也とは対照的になるよう極力笑顔を見せて口を開く。
「私、金詰日和と申します。お名前…瑛士君ですよね。昨日はすみませんでした」
頭を下げると瑛士は驚いたようにわたわたと焦りだす。
「えっ…えっ!?」
「家でお菓子は沢山作ったので、後でお届けさせますね。残ったお菓子の方は美味しかったですか?」
「え、えと、美味しかった…です…」
「それは良かったです。昨日については怒っていませんから、もう気にしないでください。だけどこの地はまだ貴方達には慣れない場所だと思うので、できれば怪我のないよう、大人しくしていて欲しいです。昨日、兄さんに会ったでしょう?私と別れて貴方を送った、紫金髪の男の人です」
「し、紫苑さんの…!?い、妹?」
「従兄ですけどね。知らない土地に居るのは不安で心配だとは思いますが、もう暫くすれば帰れますから…それまで待っててもらえますか?要望があればお聞きしますので」
優しい印象を与えようと思って微笑むと、さっきとは違った意味でわたふたしていた瑛士が固まって、日和は首を傾げる。
隣の正也は日和を半眼で見て、「ちょっと…やりすぎ」と呟いた。
「?」
何がやりすぎだったんだろう。
正也は小さく息を吐いて、いつもの無表情に戻って瑛士を見る。
「……瑛士」
「…はっ!ふぁっ、ふぁい!」
「前みたいに術士の特訓。許可が出れば付き合ってあげるから、要望はちゃんと言う事」
「ほ、本当!?正也さんの特訓…分かった!」
正也の言葉に輝くように瑛士の表情は明るくなり、いかにもウキウキとした笑みを見せる。
日和はそれが素敵な笑顔だと思いつつ、応援で一体何があったんだろうと気になる他無かった。
小鳥遊夏樹
7月8日・男・16歳
身長:170cm
髪:暗緑色
目:翠色
家族構成:父・母・兄×2・姉×2
個性的な髪型は今も気に入ってる。
体格は中肉。体重は軽め。高校に上がると背が伸びてちょっと嬉しい。
風琉が自分から離れて動くようになったので嬉しさがありつつ、今でもよく一緒にいてくれるので内心嬉しい。




