484.与えられた休日
ふかふかのベッド。
室内温泉にリビングのような広い空間、明らかに高級感漂う立派なホテルの一室。
このホテルも豪華な食事に庭園とかプールとか、何もかもあるこの海沿いのホテルは、有栖家が全国で経営している高級リゾートホテルの一つだ。
俺はそんな身分も似合っていないようなホテルのバルコニーから肘を突いて外を眺めていた。
視界に広がるのは他のホテルや宿泊旅館は勿論、それはそれは大きな太平洋が広がっている。
「……うっ、さむ」
2月は終わりを迎え、新たな月に入った。
まだまだ寒いながらも、温かな日差しが少しだけは感じられる。
それでも。
この場所は大阪よりはかなり低い位置とはいえ、前例から外れず最上階に近い場所。
当たり前のように冷たい風が吹き上がってくる。
ああ、潮の匂いがするから海風のせいもあるかもしれない。
でもなんとなく海の匂いって大阪抜けてから何度か嗅いでるくらいで、俺にとっては未だに新鮮な感じではある。
それも山育ちだからだろうか。
たまに見る生の魚とかもあまり食べないし……。
「正也、しっかり休めてるか?」
青い海と白い空を眺めてると、後ろから声をかけられた。
いつも通り所用で部屋から出ていた朔だ。
「朔……うん。海見てた」
「あんまりゆっくり眺める時間も余裕もなかっただろ。船も船酔いしてたもんな」
「うっ……まあ、うん」
それは四国と九州の往復。
愛媛と大分の間を俺は初めて船に乗った。
そもそもフェリーでないと行き来が出来ないのだから仕方がない。
短い時間だったけど、波に揺れる感覚がきつくて俺はずっと倒れていた。
船から降りても暫くは体が波に揺れていて、琲鈴にくすくすと小声で笑われたのを覚えている。
その時は確か「どんな強い人もやっぱり弱いものはあるんだね」的な事を言われたような気が。
流石に気持ち悪さに負けて何を言われたかは殆ど憶えていない。
高速道路も青い水平線は見えるけど殆ど景色見えないし、暗かったりもして確かにこうしてじっくりと海を見る機会なかったな。
改めて俺は辺境の出身なのだと分かる。
分かるけど……別に知ってたし特別なことでもないしな……水、苦手だし。
「ま、秀翠が準備してくれた休みだ。お前を東京に連れて行く用事も出来たし、今はゆっくりしておけ」
「うん、そうする」
秀翠さんは「ウチのホテルにてどうぞお泊り下さい」と言っていたけど、その宿泊予約はなんと5日もあった。
何もそんなに用意しなくても……と言いたいけど、その分朔があっちこっち移動して仕事できるから良いのだろうか。
篠崎へ帰るルートは常世田市へ向かう途中でとっくに越してしまった。
戻るのも面倒だし、秀翠さんから俺にもお礼があるし……という訳で、俺は鍛錬をしながらこの周辺を軽く旅行して、チェックアウトを済ませたら朔と共に東京へ向かうことが決まっている。
本当にちょっとしたお休みだ。
さて、早速1泊明けた初日、何をしようかな……。
「こっちに支部があるからちと顔出してくる」
朔はそれからそう言い残して自身の仕事に離れていった。
部屋にずっと籠っててもな。
ホテルのパンフレットを見てみれば、色んな各施設の紹介が書かれている。
でも、どうせなら外の空気を吸いたい気がする。
俺も外に出てみようとエントランスホールへ向かうと、ホテルマンに声をかけられた。
「お出かけですか?」
「はい」
「こちらは初めてですか?でしたらまずは庭園がオススメですよ。プールやレジャー施設もあります」
「……ありがとうございます。散歩したら、行ってみます」
ホテル館内の紹介されたけど、外へ出てみる。
少しだけ町の空気に触れてみたかった。
折角来たなら、どうせなら、この足で町を歩いてみたい。
多分、日頃の巡回のせいかも。
大阪以来町の中を歩いていなかった俺は、多分久しぶりにただひたすらに町の中を歩くという行為を楽しもうとしていた。
こればかりは多分きっと、習性だ。
元々高級なリゾートホテル群らしいこの土地は、視界に見える限りに溢れている大きい建物全てが宿泊施設である。
昨日朔と一緒に通りがかった時から壮観だなとは思ってたけど、辺りの歩いてる人はどう見ても観光客だし、走る車も半分くらいがタクシーだ。
こういう場所ってあんまり来たことが無かったかも。
勿論篠崎にも有栖家が経営をしている一番のホテルがあるので何も言う事は無い。
それが争うように旅館もホテルも建てられたこの場所は、独特の空気があるように思う。
潮風は気持ちいい。
途中には海を一望できる広い公園もあって、ゆったりとした空気が流れている。
人の多い大阪や澄んだ空気をしている篠崎、鷲埜芽家とも違う。
散歩には悪くない空気だ。
歩いていたら丘のように少しだけ傾斜のある公園に辿り着いた。
一番高い場所へ行くと東屋が設けられていて、その場所から見た景色はオススメと言わんばかりの綺麗な景色が広がっている。
大きく広がる空と陽に照らされてキラキラと光る海、白っぽい青と深い青が溶け合ったたような色をしていた。
それはあまりにも壮観で、息を呑むほど。
時間を忘れたようにじっくりと見てられる。
「……写真、撮ってみようかな」
徐にスマートフォンを取り出して、広大な景色にカメラを向けてみた。
画面に触れるとカシャ、と音が鳴って一枚の写真が作られた。
カメラ機能を使った事は無い。
それでも目に映った景色がそのままスマートフォンに映った、そんな気がする。
そこでふと、日和の母親を思い出した。
見たのは竜牙ごしだけど、いくつもの切り取られたような景色。
その中に日和の父の影が居た。
あれはどういう気持ちであのシャッターを押していたのだろう。
その気持ちを理解する時は来るのだろうか。
……理解をする必要はないかもしれないけど。
…………。
……。
…。
公園を出て周辺を歩いていると、本当に民家かホテルや旅館などの宿泊施設しかない。
ホテルも色々な設備を置いていたくらいだ、建物の周りには深く注視していないのだろう。
でも、俺にとってはこの場所が丁度いい気がする。
落ち着いていて、誰かが住んでいると分かる跡があって。
でも人を落ち着かせる楽しい場所だからか、妖が生まれそうな空気も感じない。
多分この町は平和だ。
こんな町を作ることも出来るんだなぁ、とつい深く考えてしまった。
特に入り組んだ道もなければ長閑な景色ばかりが流れていく。
こうしてまったりするのも、たまにはいいな。
そういえばここ最近はあまりのんびりと過ごした覚えがない。
篠崎を出て、滋賀から大阪、すぐに兵庫に行って攫われて四国に行って九州に寄って……。
いや、そもそもそれまでは日和が夏樹の家に首を突っ込んでいたし、そもそもその更に前には呪われて竜牙と一緒にいた。
ゆっくりしていた時など、高校に入ってから全くなかった気がする。
……そりゃ、ゆっくりする方法も思いつかない訳だ。
案外自分は忙しく動き回ってたんだなと自覚したらため息が出た。
折角だからこれを機に余裕を持って動けるような環境を作った方が良いのかもしれない。
だけどその為には――
「――……まず、東京に行かないと駄目だよなぁ」
言葉が口から漏れ出て、まだまだ帰るまでは忙しいのだと理解した。
同時に……その忙しさも悪くないと思ってる自分が居る。
(……なんか俺、ちょっとだけ変わったのかな?)
そんな事を思ってみたけど……実際どうなんだろう。
でも多分、悪くないと思うんだ。




