482.声を聞く
「どうだい?何か分かったかな?」
「宮川のりあは行方不明になっていたと聞いていた。だが、退院してからしばらくはこの地で隔離されていたとはな。俺はまずそこが驚きだよ」
黒城殊乃と思しき手帳を片付け、朔と共に一度外に出る。
依頼主である有栖秀翠は枯れた噴水に腰掛けて微笑んでいた。
朔は「はあ」と大きく息を吐いて項垂れる。
どうやらこの地に引き取られていた少女は何度か話に出ていた事件の関係者のようだ。
「宮川のりあは退院してからすぐにこの地に引き取られた。僕と優で早急に回収する目算を立てていたのに、彼女の退院は想定よりも早く、また殊乃と出会うタイミングも早くてね。彼にも彼なりの用事があったらしい」
確か少女の母親が蒸発したから引き取った…って日記には書いてあった。
黒城殊乃が宮川のりあという少女を引き取った件については黒城殊乃にしては必然でも、有栖秀翠からすれば偶然だったのかもしれない。
ところで優って誰だろう。
「それで?依頼内容は黒城殊乃という男が殺された原因……とのことだが、それが分かるような情報は一切見当たっていない。恐らくかなり残虐な死に方をしたことだけは分かったが」
「……」
朔の言葉に、少しだけ気持ち悪さが込み上げた。
かなり残虐な死に方、それはあのリビングの壁や天井だろう。
あのシミは多分……血痕だ。
「その情報についてはね、一応僕が知り得ているんだ。殊乃は首から胸下にかけて斜めに掻き切られたような、大きな傷があった。凶器となるものはかなり鋭利な物だ。リビングの血痕はどれも殊乃のものであって、宮川のりあの血は一切検出されなかった。毛髪や採取できたDNAの位置から、殊乃は真正面から斬られたのに対して宮川のりあはその背後に立っていたと思われる。よって窓ガラスを割り妖が襲撃してきた、という筋書きが一番正しいのではないだろうかと思う」
「お前、そこまで分かっていてなんで……!」
淡々と答える秀翠に朔は声を荒げた。
その言葉は依頼の答えとしては十分であると思う。
それなのにどうして再び蒸し返すようにこんな依頼を出すのか……朔の疑問と、呼び出したことに対する理不尽さは理解できる。
有栖秀翠は小さく頷くと、顔を上げてじっと朔を見つめた。
その眼光は強く、固い意志のようなものを感じる。
「……!」
「その答えが本当に正しいのかどうか、検証する必要があったんだ。曖昧で状況のみの一方的な答えなど、"私"は求めていない。黒城殊乃の友として彼の身に起こった謎の死を解き明かし、正当なものとしてこの記憶に刻まなければならない。
彼の事業は大きく、また何十人もの子供達が救われている現実がある。私が受けた結果が仮に間違いであったらどうする?もしかしたら私の願望が結果に出て事実が歪められていたら?助けた少女に殺されたなどという不名誉が現実であったなら、『彼は名誉ある死を遂げた』など、彼らに伝えられる訳が無いだろう。助けられた子供達を再び路頭に迷わせる訳にはいかないのだ」
「……黒城殊乃が携わった事業、全て引き取ったのか?」
「勿論だとも。友の無念の死を悼まずして何が親友だね?だからこそ、私は彼の死の真相を知りたい。私の得た結果が本物であるのか偽物であるのか、しっかりと知る必要があるのだ。
生憎私が準備できた人員では妖の存在など眉唾物という認識だ。妖を熟知し、その存在を正確に理解できる人間にこの謎を解いてもらわねば、私の気は収まりきらない。子供達にも顔向けができないだろう?」
有栖秀翠の目は本気だ。
多分きっと友人の無念の死を本気で悩んで、少しでも友人が迎えた本当の結末を求めたくてこの場所に居るのだろう。
一人称が変わる程の強い気持ちを持って。
その思いに応えなきゃいけないのか。
彼が納得できる答えを、この場所で、考えなきゃいけないのか。
「……最初にこの地に来た時、部屋の調査とかは全部終えたんだよね?」
「ああ、できる限りの調査はしたはずだ。だからこそ私――こほん、僕は君が出す結論に期待している。粗方の調査は終えたかな?」
質問をすると秀翠は咳払いをして答えた。
どうやら俺達は今、どこまで状況や流れを理解できるか調べさせられていたようだ。
……ということは大体の流れを理解した俺達は多分、今から本筋に移さなければならない。
有栖秀翠が求める、彼が行った検証の証明だ。
「……多分。有栖さんが求めるような答えが出せるかは、別だけど」
「有栖さん、とはまた遠い距離だね。父上にもそうだったのかな?君は僕の家族の大体を知っているのだから、名前でいいよ」
「秀翠、さん」
「ん、よろしい。では僕の依頼についての話をしよう。僕はこの屋敷で起こった事件、その調査結果が正当であったか…その答えを求めているが、結論は濁さず正直に答えて欲しい。どんな結果でも受け入れる。間違っているものを否定なんてできないからね。
僕はこの8年程、ずっと夢で苛まれてきた。この行動が、判断が、正しいのかと何度も自責を繰り返してきた。そろそろこの気持ちに区切りを付けたいんだ」
じっと見つめてくる視線に、求められているものを拒否することなどできない。
その目を、何度も見た気がする。
答えに縋る眼を、苦しみを訴える目を、見た気がする。
それは俺の目でありながら、竜牙の記憶としても何度も見て来た……。
俺はそんな頼みを拒否できるほどの心は無かった。
「……分かった。でもこの場ではもう分からないことだから……あとは知ってる子に、訊いてみる」
周囲の花壇に目を向け、辺り一面に広がる花壇の土に手を添える。
かなり範囲が広いから、時間はかかるかもしれない。
それでも。
術士として呼ばれたのだから、術士として解決する方法を俺は使いたい。
……そう、思った。
(……この家の家主、その最期を……誰か知ってる?)
……。
声をかけても返事はない。
もしかしたら目の前の土はただの土で、術士の欠片が混ざっていないのかもしれない。
でも、簡単に諦めたりはしない。
だって秀翠さんが、困っている。
(誰か、この家の家主が迎えた最期を、教えて欲しい)
……。
少しずれた場所に手を置いても、返事はない。
俺が選んだ方法は間違っているかな。
でも、それでも、手を止めることはできない。
声を聞くまでは、続けてやる。
……。
それから、何度手を着いた事だろう。
俺が最初に手を置いた区画からは結局土からの返事はなかった。
この前庭となる場所は噴水を中心として十字に道が走っている。
その一区画が終わったのだけど、返事は一向に聞けなかった。
(でも、まだ3か所はある……)
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「ねえ分倍河原さん。彼は地面に手を着いて、何やら念を送るように目を瞑っている。あれは?」
知ってる子に訊いてみる、そう言って正也は花壇の土に手を置いて目を瞑った。
何度も見た光景だ。
俺の位置を探ったりなんだりしている姿だが、知らない奴にはまだ目新しい光景かもしれない。
「あいつは……正也は、土の術士だからな、土から声を聞くことができる……らしい」
「流石は四術家の一柱、置野家の次期当主様だ。父上もそれならそうと言って下さればいいのに。『分倍河原家が篠崎の術士を連れて旅をしているようだ。先日出会ったぞ』程しか言って下さいませんでした。分倍河原さんが連れ回しているのは誰かと呼んでみれば、全く困ったお人だ。
……分倍河原さん、貴方もですよ。よりにもよって一柱の核を連れて何をしているのですか」
半眼になって睨みながら、有栖秀翠はやれやれと微笑んでいた。
「こればかりは仕方がない。俺としても不安の芽は常に摘み取っておきたい。それは貴殿も同じだろう?」
「ははは、違いない。我々はあなた方のような力が無い分、常に時代や世間の揺れに敏感になっておかねばなりませんから。
何かがあっては遅い、だからこそいつでも動けるよう周到な用意をしておく……それはビジネスでも同じでしょう?」
「……違いねぇ」
大阪では正也が有栖家の会長に会ったと聞いて驚いたものだが、ここに来て再び有栖家に出会うとは。
しかもいつもは自身を"私"と呼ぶ、有栖グループの社長として立つ男がわざわざ"僕"と呼んで、あくまで一個人としてこの場所にいる。
世の中何が起こるか分からねえな、と思う。
「さて、話は戻りますが……彼は、僕の願いを叶えてくれると思いますか?」
正也をじっと見ながら、秀翠は憂いが見える表情をしていた。
やはり色々と気になることはあるのだろう。
それとも術士という存在がやはり信用ならないだろうか。
否、有栖麗那を常に見ていた兄であれば、有栖家で最も術士を知る男でもある筈なのだが。
「正也は篠崎を出て関西、四国と九州、そしてここへと様々な場所で色んな問題に向き合ってきた。常に素直で常に真っ直ぐに、弱音はよっぽどの事があってもあんま吐かねぇし、全て自分の力で解決しようとしてきた男だ。
今回だって正也なりに頑張ろうとしている姿は見える。悲観する必要は、無い筈だ」
「そうか、それはまた随分と深い信頼をしているらしい。良いですね」
秀翠は特に何も言わず、ただ受け止めてにこりと微笑んだ。
一つの花壇に手を添えた正也は立ち上がる。
答えが出なかったのか……次の花壇に手を添えに行った。




